第95話 皇帝と家族たち
帝国歴534年7月24日。
暫しの間、帝国が動きを止めていた理由。
それは、前皇帝エイナルフ・ヘイロー・ヴィセニアの体調の悪化であった。
具合が悪くなって、二カ月程が経過したこの日。
つい一か月前では、生死を彷徨っていて、危篤状態が続いていた。
しかし今は、若干だけ持ち直してベッドの上で座るまでは回復した。
でもまた体調が悪化するかもしれない。
危険な状態を脱したとは言えなかった。
「皆、余の為に来てくれたか。すまないな。でも嬉しいぞ。全員の顔を見ることが出来るなんてな・・・嬉しいな・・・」
エイナルフが療養していた屋敷に、家族全員が集まった。
ドルフィン家。ターク家。ダーレー家。ブライト家。ビクトニー家。それと、フュンとミランダの全員である。
それに、ウィルベルも、ヌロも、偽らずに集まれたのは、シルヴィアとフュンの許しがあり、それにここでは彼らの罪など余計なものだ。
別れの時になるかもしれない時に、罪人ではなく家族でありたかったのだ。
「皆、余は十分に生きたぞ」
「そんなことをおっしゃらずに、まだまだ生きてください。父上」
シルヴィアが言うと、エイナルフの隣に立つベルナが首を横に振った。
静かに聞いてほしいと目で訴えた。
「ベルナ兄様・・・」
「シルヴィアよ。気にするな。余が死んでも、その先がある。それが幸せであるのだ」
「父上」
心配そうな顔のシルヴィアに笑顔を向けた皇帝は一人一人に話しかけていく。
「ジュリ」
「おう。親父」
「皆を頼む。お前が全員の母だ」
「わかってる。まかせな」
「うむ。余の妻の・・・最後の一人となったお前に、迷惑ばかりをかけるな。すまないな」
「いいや。大丈夫だ。こいつらはもう手のかかるような子供じゃねえからな。安心しな」
「うむ」
「そんで、親父。シルクとか皆もそっちにいるだろうが。オレに会えないからって、忘れないでくれよ。待っててくれよな」
「うむ。あの世で待っていよう。ジュリ。でもすぐには来るな」
「ああ。こっちはまかせろ。親父」
別れの言葉を哀しむことはない。
目に涙を溜めてもジュリアンはさらっと言っていた。
「ウィルベル」
「はい」
「元気に暮らせ。余は、お前も心配しているぞ。変わらず、大切な我が子だ。元気でな」
「はい・・・父上、ありがとうございます」
ウィルベルは皆の手前、多くを語らずに父にただ感謝した。
「スクナロ」
「はい」
「いつも通り、真っ直ぐに生きるのだ。お前はそのままでいい。そのままがいいんだぞ」
「はい。父上。スクナロ・ターク。父上の代わりに、必ず妹と義弟を支えてみせますぞ」
「うむ。お前がいれば二人は安心だ。余も安心だ」
持っている剣に誓ってスクナロは力強く返事をした。
「リナ」
「・・・はい」
「アナベルを任せる。ドルフィンを頼んだ」
「・・・はい父上」
「お前ならば。必ずや立派な後継者に育てるはずだ。面倒見の良いお前は、素晴らしい指導者なはずだ」
「はい父上。おまかせを」
目を伏せているリナでも、声だけは凛々しかった。
「ベルナはいつも感謝しているからな。でもここでも感謝するぞ。ありがとうベルナ」
「はい。父さん。こちらこそありがとうございました」
「ふっ。ベルナ。これからも元気でいなさい」
いつも通りにしてくれるベルナに、エイナルフが感謝した。
「アン」
「はい」
「ジュリを頼む。ああいっても寂しくなると思うからな。母を頼んだぞ」
「わかりました」
「いつも元気一杯の娘なのだ。これからもそれでいなさい」
「・・・はい」
泣き顔のアンは見たくない。
エイナルフは優しい言葉を掛けた。
「サティ」
「はい。お父様」
「今のお前が、本来のお前だ。力の足りなかった父を許してくれ」
「え?」
「本来ならば、お前はこの国を背負って立つにふさわしい器だった。なのに父に力がないばかりに、長い間。幼い頃から王族にも貴族にもなれずに。悪かったな」
「いいえ。お父様。私は今が幸せなのです。だから謝らないでください」
「そうか」
「はい。お気になさらずに」
「そうか・・・」
エイナルフは、サティの自信満々の顔に安堵した。
「ヌロ」
「はい父上」
「お前にも迷惑をかけたな」
「いいえ。父上。この立場になったのも、父上が悪いのではなく、自分自身がよくなかっただけです。責任は父上にはないですよ」
「そうか。しかし余がお前はしっかり見ていれば・・・名を捨てずに・・・」
「違います。これは己が悪いのです。決して父上の指導が悪いからじゃありません」
「そうか・・・しかしだ。そうだな。これ以上は言うまい。ならば、ヌロ。これからも元気でやるのだぞ。余はお前も心配しているぞ」
「はい、ありがとうございます。父上・・・父上が安心できるように、私はこれからをがんばります」
「そうか」
エイナルフは、息子の決意を受け入れて安心した。
「ジーク」
「父上。なんでしょうか?」
「ふっ。ここでも、食えぬ男か」
「ええ、俺はこれが板についていますからね。すっかりこちらが表の顔のようですよ」
「ああ、そうだな。そうしなければ生きてこれなかったからな。すまないな」
「いえいえ。お気になさらずに」
わざとらしいジークのお辞儀を見ても、エイナルフは真剣な顔をしていた。
いつもだったら軽く笑ってくれる。
「ジーク」
「はい」
「ダーレーはすまなかった。本来はお前だった。でも捻じ曲げてしまった」
「???」
「しかし、お前は立派に役目を果たし、今がある。そのままダーレーを頼むぞ」
「・・・はい。おまかせを」
ダーレーを託された。ジークは皇帝の言葉を深く理解した。
「リエスタ」
「はい。お爺様」
「うむ。父に似て、武の気配が強いな」
「はい。残念ながら似てしまったようです」
「ふっ。でも誇りに思っているな」
「もちろんでございます。父上を尊敬し、そして越えます」
「ならば、そのままでいなさい。スクナロと同じように、真っ直ぐ自分の道を歩けば、自ずと運命は切り開かれるはずだ」
「はい。お爺様。ありがとうございます」
エイナルフは、孫たちにも言葉を掛ける事にした。
「アナベル」
「はい」
「すまないな。名を変えなければならないのは・・・でも仕方のない事だ。我慢してくれ」
「我慢していることなど、一つもありません。お爺様」
「そうか」
「はい。大元帥の元で、働けることを幸せに思っています」
「そうか。よかった。大元帥を頼むぞ。支えるのだ。アナベルならば出来るぞ」
「はい。おまかせを」
フュンを頼まれた。アナベルは深く頭を下げた。
「レベッカ」
「はい」
「良き目だ。懐かしき良い目だ。このまま立派になるのだぞ」
「はい」
「うむ。その刀。継承したのだな」
「はい。お師匠様から頂きました」
「そうか・・・その時が来たか・・・ついに来たのだな」
深く頷いたエイナルフはとても喜んでいた。
「アイン」
「はい。お爺様」
「うむ。お前は、似ているな」
「はい?」
「婿殿にそっくりだ」
「そうでしょうか?」
「うむ。似ているぞ。だから、そのままのお主でいなさい。太陽の人となりうるのかもしれん」
「は、はい。頑張ります」
アインの穏やかな雰囲気を感じたエイナルフは、フュンに似ているという評価を下した。
可愛らしい目の奥に、力強い光を感じる。
「ふぅ。オレンジの小娘」
「なんだ、エイナルフのおっさん。あたしにも声かけるのかよ。いいのか。貴重な時間。もったいないんじゃないのさ?」
ミランダの返事は淡々としていた。
こんな時でも変わらない。
そこにエイナルフは安堵する。
「ふっ。相変わらず不敵な娘だ」
「こっちの方がいいだろ。おっさん」
「まあな」
「んで、なんであたしも呼んだんだ。ここはあんたの親族だけだぞ」
「ふっ。何を言っている。忘れたか。小娘・・・小娘はシルクの娘だぞ」
「忘れるもんか。あたしの母はシルクさんしかいねえ」
「だったら、余の娘だ」
「おっさんはおっさんだろうが」
「そう言うな。小娘。そうだ。あれを持っているか?」
「持ってる。この胸にあるのさ」
ミランダは自分の上の服の内ポケットを軽く叩いた。
「そうか」
「おっさん。今がその時なのか?」
「いや、お主のタイミングでいい。託した」
「そうか。じゃあ、任せろなのさ。安心しな」
「うむ。すまない。いつも苦労を掛ける」
「いいのさ。今に始まった事じゃないからさ」
「ふっ。そうだな」
ミランダと深く頷き合うとエイナルフは満足していた。
「シルヴィア」
「・・はい。父上」
「少しこちらに来てくれ」
「はい」
シルヴィアがエイナルフのそばに寄ると、エイナルフはシルヴィアに耳打ちした。
「来たるべき時、託されるものがある。それはこれの鍵だ。だからシルヴィア。今はこれをもらってくれ」
「これは・・・なんですか?」
シルヴィアが託されたのは小さな箱である。
両手で持てるサイズの宝石箱にも近いものだった。
「うむ。とある秘密がこの箱に眠っている。これは余が死んでも守る秘密なのだ。これをいつかシルヴィアが開ける時が来る。その時・・・そうだ、その時の判断はお主に任せる。全ては皇帝の好きなようにしなさい」
「判断?」
「うむ。それのアドバイスとして一つ」
「は、はい」
「この国。どのようにしても構わん。その時のシルヴィアの気持ちでよい」
「私の気持ち・・ですか?」
「うむ。お主が皇帝なのだ。お主よりも上はこの国にいない。だからこそ、好きなように判断するのだ。誰も文句は言わん。よいな」
「・・・はい。わかりました」
「それと、太陽の人を大切にするのだぞ。我が一族の思いでもある」
「当然です。太陽の人など関係なく、フュンは私の生きがいです」
「うむ。だから安心して逝けるぞ。託した。シルヴィアよ」
「はい。おまかせを。父上」
最後に、エイナルフはシルヴィアの頭を撫でた。
「頑張れ。皇帝」
「・・・はい」
エイナルフがひとしきり撫でて満足したのか。
手を放した頃には顔つきが変わっていた。
皆の親の顔から、いつもの凛々しい皇帝の時のエイナルフであった。
「婿殿」
「はい、陛下」
「うむ。こちらに来てほしい」
「はい」
エイナルフ・ヘイロー・ヴィセニアと、フュン・メイダルフィア。
帝国の歴史を激変させた二人の最期の会話となった。
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