第100話 幸せをみんなで

 帝国暦518年 5月5日。

 ミランダの屋敷の庭にいたフュンがベンチに座って花壇を見ていた。

 自分で育てた花々と、自分で植えた野菜たちを眺めてのんびりする。

 それが本来の彼の生活リズムと性分である。

 こちらに身を寄せて、ダーレー家の世話になってからはゆっくりした生活などなかった。

 自分自身を鍛え上げて、大きく羽を広げるための成長を繰り返してきた日々は、とてもじゃないがゆったりなど出来るものではない。

 でも今日という日くらいは休んでもいいだろうと、一人で庭にいたのだ。


 「ふわぁ~。眠いですね。最近、ぼうっとすることなんてなかったですからね。昔ならばこのくらい当たり前だったのに・・・ええ。僕もずいぶん頑張ったみたいですね」

 「王子ぃ」

 

 お屋敷の曲がり角から手を振って走ってくるアイネ。


 「あ、アイネさん。どうしましたか」

 「…うわぁ・・・・ぐべっ・・・」

 

 ドンと音がなるくらいにド派手に転んだ。


 「だ、大丈夫ですか。アイネさん」

 「はいぃ。えへへへ」

 「鼻血出てますよ。もう危ないですよ慌てて。はい、これを使いましょうね」


 フュンは自分の胸ポケットにあるハンカチを取り出して、アイネの鼻に当てた。

 丁寧に血を取ってあげて、嬉しそうにするアイネは、元々の用件を思い出す。


 「王子。今日はお出かけしませんかぁ」

 「え。アイネさんとですか」

 「はい。お昼ご飯、食べに行きましょう」

 「おお。それはいいですね。それだったらイハルムさんも誘いますか」

 「・・あ・・いえ・・・イハルムさんは・・今、忙しいみたいで」


 しどろもどろになるアイネに疑問を持つが、フュンはそれなら仕方ないと答える。


 「そうですか。残念ですね。それじゃあ一緒に行きましょうか。アイネさんとお出かけなんて、いつぶりでしょうかね」

 「王子が幼いころぶりですね」

 「そうですか。ならアイネさんもまだ少女でしたね」

 「あ。今。私を馬鹿にしましたか。王子が幼いときは!! もうすでにお姉さんでしたよ」

 「あははは。そうでしたね。アイネさんもハーシェさんたちと一緒でお姉さんでしたね。それじゃあ、お金を持っていきますか。僕お屋敷に行きますね」

 「あ、いえいえ。王子。私持ってきました。ここは私の奢りです!!!」


 アイネは自信満々に財布を取りだした。


 「え。アイネさんがですか。いいんですか」 

 「ええ。お任せを! 美味しいものを食べに行きましょう」

 「いやぁ。僕が払った方が・・・アイネさんのお給料が勿体ないですよ」

 「そんなことはありません。王子に奢る機会など・・・滅多にないです」

 「んんんん」


 さすがにそれは悪いとフュンは悩むが。


 「今日はいいでしょ。王子。私に奢られてくださいよ」


 両手で握った財布を左右に振っておねだりしてくるアイネに根負けした。


 「そうですか・・・そうですね。アイネさんがそこまで言うのなら、お姉さんのアイネさんに奢ってもらいましょう。お願いします」 

 「はい。王子。私についてきてください」

 「は~い」


 と仲の良い主従は出かけることになったのだ。

 鼻歌を歌う上機嫌なメイドの方が先を歩き、それを主人は嬉しそうに見て歩いていった。

 普通は逆だと思うが、フュンはそれでも良しとした。

 彼女が嬉しそうだったから。


 ◇


 アイネが目指す場所まで歩く間。

 通り過ぎる人たちがコソコソと噂話をしている。


 「あれ。フュン王子じゃないのか」

 「マジかよ。大戦の英雄じゃないか」

 「ホントだ。会えたんだよ……今のうちに拝んでおこう」


 男たちが憧れの眼差しでフュンを見る。


 「きゃあ。あれはフュン様よ」

 「何興奮してるのよ。あのお方はそういうのが嫌いなのよ。黙ってなさいよ。みっともない」

 「だってしょうがないじゃない。カッコいいもの」

 

 女たちも同じように視線を送っていて。

 中には別な視線があった。


 「あれ? 若様よ」

 「そうね。今度いい化粧品を紹介してもらいましょうよ」

 「あなた。何言ってるのよ。そんな事してくれるわけないでしょ」

 「あら、知らないの。えっと何て名前だったけ……あのブライト家の会社のお店にたまに顔を出しているのよ。若様」

 「そうなの」 

 「そうよ。そして何でも相談に答えてくれるの。うちなんて、ここの腕にあった邪魔なシミが取れたんだから」

 「本当。凄いわね」

 「若様の化粧品は凄いのよ。しかも、優しいから話しかけやすいのよ。今度お店で話しかけてみて、親切におススメを紹介してくれるわよ」

  

 との商売関係でも一目置かれる存在になっていた。


 その声はアイネにも聞こえていた。


 「王子。なんだか皆さん、王子を見てますね」

 「まあ。そうですね。ある意味、有名になっちゃいましたね」

 「そうみたいですね」

 「まあ僕としては何一つ変わってないんですがね」

 「そうですね。王子はあのころから何一つ変わってませんね。変わったのは周りの方ですね。王子の本当の部分を見てくれる人が増えたってことですかね」

 「そうなんですかね」

 「ええ。そうですよ。嬉しい事です。皆さんに王子の良さが伝わって。自分だけの王子じゃなくてちょっと寂しいですけど、私は嬉しいですよ」

 「そうですか。寂しいですか。じゃあ、僕はアイネさんだけの王子になった方がいいですか?」

 「え? いや。それは・・・さすがに」

 「あははは、冗談ですよ。僕は属国の王子。ここで頑張るしかないことを知っていますからね。だから一緒に頑張りましょうね。アイネさん」

 「はい。王子」


 いつでも優しい王子がそばにいれば、それだけでアイネは幸せであったのです。

 お金や名誉なんて、別にいらない。

 王子のそばにさえいられれば。

 この思いは、イハルムとゼファーも同じなのだ。



 ◇


 昼食を食べた後……。

 帰り道でアイネはとある雑貨屋で立ち止まった。


 「王子。これ。王子に似合いますよ。長くなった髪も邪魔じゃありませんか」

 「え。これですか」


 アイネは、青のヘアゴムを王子の髪に当てた。

 フュンの髪は忙しさのあまり切らないことが多くなり、肩の先まで伸びていた。


 「こうですよ。王子。どうです。店主さん。似合いますか」

  

 アイネはフュンの髪を結わえる。

 するとすっきりとしたイイ男になった。


 「お似合いですね。いい感じですよ。お客さん」 

 「そうですよね。王子。私が買いますよ。髪が切れない時は、これからはこれにしましょうよ」

 「ええ。お食事も奢ってもらったのに、なんだか悪いですね」

 「いいんです。今日の私はお姉さんですよ。私に甘えてください。王子」


 えっへんと、両手を腰に当てて偉そうな態度をしたアイネを可愛いと思ったフュンは笑顔で答えた。


 「そうですね。じゃあ、お姉さんに買ってもらいましょう」

 「はい!」


 満面の笑みでアイネはフュンに答えて、店主に顔を向ける。


 「店主さん。これください。このままでもいいですか」

 「ええ。もちろんですよ。お買い上げありがとうございました」

 「はい。店主さんありがとうございました。また~」


 アイネが挨拶をして、その場を後にした。


 「さて、もう帰りますか」

 「王子。まだお時間いいですか」

 「え。さすがにお屋敷に帰らないと・・・イハルムさんも心配するんじゃ」

 「いや…あの・・・じゃあ、サナリアのお屋敷に行きましょう。た、たまにはいいですよね」


 ここで屋敷に帰らすわけにはいかないアイネはあの手この手で説得した。


 「んんん。そうですね。とりあえず行ってもいいですね。なんだかデートみたいですね」

 「え。ああ、そうですね。でも王子とデートなんてしたら、ミルファたちに怒られそうです」

 「あははは。ミルファさんたちですか。心配性ですからね。ミルファさんたちはね」

 「はい。そうです。私がメイドとして付いていくことが決まった時も、一週間はコンコンと説教のような指導があったんですよ。どう思います。王子ぃ。酷くないですか!」

 「まあ、たしかに・・・それは大変だ。でも仕方ありませんよ。アイネさんはおっちょこちょいですからね」

 「ああ。王子。馬鹿にしてる! 酷い」

 「あははは。ごめんなさいね。アイネさんは愛らしいって言いたいんですよ。皆さんよりちょっとだけドジなだけです」

 「ほ、褒めてませんよ。王子ぃ。こらこら」

 「あらら。いたたた」


 優しく腰を叩かれる王子であった。

 

 アイネは、あんなに小さかった王子が、いつの間にか自分よりも大きくなったんだと、彼の背中に頼もしさを覚えたのだった。

 


 ◇


 サナリアのお屋敷を整理した後。

 夜に二人はお屋敷に帰ってきた。

 明かりのついているお屋敷ではなく真っ暗なお屋敷は珍しい。

 イハルムが蝋燭で火を灯さない日があるとは。

 フュンが首を傾げていると。


 「王子。こちらですよ」

 「え。玄関はここですよ」


 フュンはミランダの屋敷の玄関前で扉に指を指した。


 「こっちこっち。王子ぃ」


 アイネは裏庭にフュンを誘導した。


 真っ暗なミランダのお屋敷の裏は明るく照らされていた。

 それは、蝋燭の明かり。

 だけじゃなくて、そこにいた人々によって明るかったのだ。


 「殿下! お誕生日おめでとうございます」

 「バカ! あんた先に話しすぎだって。それは後でしょ。皆で言うのよ」

 「そうですよ。何してるんですか。ゼファー」


 ゼファーがフュンに挨拶をすると両脇にいたリアリスとミシェルがゼファーの頭を叩く。

 その力は相当だったらしく、体を鍛えているゼファーでもダメージを負った。

 目の焦点が合っていない。


 「殿下」「我ら来た」 

 「ごはん」「いっぱい」

 「「食べる!!」」


 帰ってきた双子は、外に並んでいる食事を指さした。


 「王子。僕らもお祝いに来ましたよ」

 「タイム。何言ってんだ。それも言ったらダメだろ」

 「え。いや、エリナさん。だってもうゼファーさんが言ってしまったし」

 

 エリナとタイムもいた。


 「かかかか。酒飲めるって聞いてよ。ドカンと飲みに来たぞ」

 「何言ってんぞ。ザイオン。お前の誕生日じゃないぞ」

 「えええ。飲めないの」

 「いや、飲めるけど・・・それは思っても口にするなぞ」


 ザイオンとサブロウもいた。


 「俺も来たぞ。ほれ、こいつらもさ」

 「ああ。王子さん。俺とウルも来たぞ。お祝いだ」

 「ええ。友達だしね。当然よ」


 カゲロイとマーシェンとウルシェラもいた。


 「俺たちもよかったのかな。なぁララ」

 「王子様。ワタクシたちも参加させていただきます」


 ヴァンとララも来ていた。


 「いやいや。あたし、飯食いてえ。って思ったけどアイネの飯じゃないんだな。がっかりだわ」

 「フュン君お久しぶりですね。僕もお邪魔します」

 「いや、ピカナさんとミランダを連れてくるのが大変だったよ。日程調整がさ」


 ジークの両脇にはミランダとピカナがいた。


 「いや、ここまで来るのも久しぶりだ。死ぬ前にまた帝都に来られるとは。感慨深いですな」

 「いやいや、あなた様はいつ死ぬんですか・・・」 

 「おい。聞こえているぞ。ヒザルス」


 ルイスとヒザルスもこちらに来ていた。


 

 「フュン様、私どもも参加させてもらいますよ」

 「フュン君。おめでと~~~」

 「こら、アン姉様。まだ早いです。シルヴィの後でしょ」 

 「あ。ごめん」


 サティとアンも来ていた。


 「皆さん、嬉しいですね。僕にサプライズですかね。いやぁ。皆さんがここにいるなんて嬉しいですね」

 

 本当に嬉しそうなフュンは、裏庭に集まった人々を見る。

 フュンの仲間たち。

 全員がお屋敷にいることに、フュンは感動していた。

 そして、あとは重要な人が一人。


 「フュン」

 「あ。シルヴィア様」

 「フュン。あなたの誕生日。何かお祝いをしてあげたくて、プレゼントを用意しようとしたんです。でも辞めたんです。物じゃなくて。思い出がいいかと思って、皆を呼びました・・・私は何かをあげたかったんですが・・・でも喜んでくれるのはこれかなって・・・こんな事しか思いつかなくて申し訳ありません」

 「ええ。いいんですよ。謝らなくても、僕はとても嬉しいですよ。シルヴィア様。あなたのその心が嬉しいです。僕の為に出来る限りのことをしてくれたのですね。しかも、僕が最も喜ぶことをしてくれるとは・・・ありがとう。シルヴィア様」

 「は、はい。あなたの事が好きですからね。これくらいは当然です」

 「そうですか。僕もあなたが好きですからね。あなたがそばにいれば嬉しいんですよ。ありがとう」

 「・・・はい。私もありがとう・・・喜んでくれて・・・」

 

 フュンとシルヴィアの思いは一つである。

 共に生きようと。

 こうは言わない。こうは言えない。

 なぜならまだフュンは人質だから・・・。

 でもこの日だけは、互いに想いを交わしたのだった。


 「フュン、誕生日おめでとう・・・せ~の」


 シルヴィアに続いて、皆が声を合わせて祝った。


 「「「「 おめでとう~~~~ 」」」」


 こうしてフュンは、人質生活の中でも一番嬉しい日を過ごしたのだった。


 

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