第89話 ウォーカー隊の得意戦術
アージス平原北ルートが戦場であるフュンは、ここが自分の理想の盤面図になったことで、静かに笑った。
「予定した通りです。後は皆さんが僕の考えと合致した動きをしてくれるかどうかですね。まあでも、そこも信じているので大丈夫でしょう」
戦争が始まる前から設定した作戦。
それは敵からの先制攻撃を受ける事だ。
二万と三万同士の大軍の合戦。
こちらが兵を分散させて、前回と同様に伏兵を忍ばせる作戦は難しい。
500程度であれば余裕で林に隠せるが、今回はその程度では相手に通用しないし、それに隠せてもアージス平原中央ルートでも本陣同士の戦いがあるので、そんな危険なところに伏兵は置けない。
だから、フュンはあえてあちらから攻撃をさせる手が必要だと判断したのだ。
防衛戦争のような野戦を目指していたのだ。
敵は全速力で突進攻撃を開始。
これがフュンの既定路線で、彼は慌てもせずに対処を始める。
それもこれも、あの会議の三万の罠がこの事態を生み出していた。
敵の大将サバシアは定石を重んじる。
それは前回の戦闘時、ミランダの戦法に対して、通常の将が取りうる戦法で対抗したことから分かったこと。
だから、そこを利用しようとしたのがフュンである。
相手の兵数が自分たちよりも少ないと分かれば、この将ならば時間をかけずに早期決着の方に作戦が傾くはず。
こちらにはまだ切り札的な軍がいるだろうと相手は予測している上に、奇策を用いるウォーカー隊だ。どこかにいる兵が増援として現れる前に、数で圧倒して、敵陣形を破壊し、そのまま数の優位性で包囲戦に持ち込んで殲滅しようとする。
敵はミランダの混沌の影にも怯えているために、そんな単純な戦術をしてくるはずだと思ったのだ。
これは優秀な指揮官であればあるほど罠に嵌る。
それは昨年の手痛い攻撃を忘れていないからだ。
だからますますこの選択肢しか取らないであろうとフュンは睨んでいたのだ。
これは戦術の問題ではなく、戦略の問題であった。
最初からフュンの手の平の上で、相手のサバシアは踊っていたのである。
後はフュンの手でサバシアを可愛がるだけだ。
◇
突撃してくるサバシア軍の隊列が大いに乱れていた。
サバシアは優秀な男。
だがそれでも慌てるように突撃してしまったのは、前回の戦いの失敗と二万と三万の罠による焦りが兵全体に波及したのだろう。
サバシア軍の前衛騎馬部隊が速度を誤り、彼らだけが前方に大きく突出、歩兵との距離感が生まれ、サバシア軍は完全に前衛と後衛に二分されたような形となって、ウォーカー隊に突進していた。
「サブロウ。もう少しですね・・・サブロウ丸三号! 頼みますよ。落下点を間違えないでくださいよ」
「おうぞ。任しとけぞ。んじゃ、タイミング取るから、カゲロイ統率を頼むぞ」
「はい。よし。サブロウ組構え! 王子の合図を待て」
「はっ」
やはりサブロウ組だけは規律が違う。
総勢30名のサブロウ組が、サブロウ丸三号を肩に担ぐ。
サブロウ丸三号は、ご存じの通りの機能。
超遠距離煙幕弾発射装置だ。
サブロウ組は待機してフュンの合図を待つ。
◇
中央ザイオン部隊。
敵軍の勢いの良い突進に釣られるようにザイオンは感情が高ぶる。
「おおお。来た、来た。血が滾るわ。どんどん来い。どんどんよぉ」
「はぁ。ザイオン様。やっぱり下がりましょう……あなた様は待機でお願いしますね」
「え? ここにきてか? ここからだぞ。戦は! そりゃないぜ。ミシェルよぉ」
「駄目です。下がってください」
「はい」
馬上で今にも暴れそうなザイオンを、後ろに下げたミシェル。
この時の為に彼女はいるのだ。
彼を奥へと引っ込ませた後、ミシェルが颯爽と隊の前に出て、槍を掲げた。
「ザイオン隊! 聞きなさい! 盾部隊と槍部隊で相手の馬の勢いをそぎ落とします。出来る限り相手の突進をこちらの方に引き寄せるのです。盾の脇から槍を伸ばして馬を殺るのですよ。いいですか! 人ではなく、できるだけ馬をです! 人を泥沼に引きずり落とすのが、今回の最初の作戦です。そうすることで次へと繋がりますからね。最初は命令通りにお願いします。以上!」
「「はっ、ミシェル様!」」
鮮やかな指令が出た。
凛としたミシェルの声は、ザイオン隊全体に響き渡った。
「あれ。俺様の出番は」
「ザイオン様はこの陣では役に立ちませんから。下がっててください」
「えええ。暴れてぇよぉ」
「駄目です。あなた様の出番は、ここではないのです。下がりましょう!」
もはや、どちらが師なのかは分からないし。
もはや、この部隊をザイオン部隊と呼んでもいいのか分からない。
この二年で立派に成長していたのは、フュンだけではない。
ミシェルも同じである。
武人から将へと変わり始めていた。
知勇兼備な上に美麗な女性。
フュンの部下として、一番に活躍できる器を持つのがミシェルである。
次世代の息吹はここに巻き起っていたのだ。
◇
フュンは戦いが始まった戦場全体を見つめる。
「さすがですね。特に中央軍は完璧な守りをしてます。たぶん、ミシェルですね。ザイオンでは、ああは上手くいきませんね」
「ははは。そうぞそうぞ。あいつにゃ無理ぞ。あんなに華麗に守り切るなんてぞ」
サブロウが中央軍の戦いを見て、けたけた笑っていた。
「そして、左翼も素晴らしい。エリナとタイムは実に堅実です。エリナは元々カバーの動きが得意ですからね。タイミングの取り方や味方の呼吸を整えるのが上手い。防衛になればなおさらその力を発揮しますか。それにタイムも副官として抜群ですからね。この作戦と相性がいいですね二人とも。ええ。うんうん」
フュンは左翼を見て安心していた。続いて、一番不安な右翼は。
「ですが。右翼……少し怪しいですね。あ、でもリアリスが上手くやってくれているようです。取りこぼしそうになる馬を弓でやってますね。素晴らしい。動く的を射抜く力は相当なものですよ。あの子の部隊も弓が良いですね」
高台にいるフュンが全ての戦場を確認。
皆の戦いぶりは、満足のいく結果である。
「サブロウ。敵の前と後ろはどれくらい離れていますか」
「んん・・・・・・大体1300mくらいぞ。まあ、騎兵があんなに急いで頑張ってしまえば、そんくらいは離れていくぞな。まだまだ離れると思うぞい。これはやるかいぞ?」
「はい。行きましょうか! サブロウ組。頼みます」
「カゲロイ、タイミングを取れぞ」
カゲロイたちはサブロウ丸三号を発射寸前まで用意した。
「カゲロイ! 発射です!」
「おうよ。王子さん! いくぜ野郎ども、全方面に満遍なく発射だ!」
「「おおおおおおおおおおおおおおおお」」」
フュンたち後方部隊から煙幕弾が戦場に放たれた。
◇
東のゼファー隊。
ゼファーのそばにいるリアリスが、上空を見上げて助言する。
「来たよ。ゼファー。ここから守ってから反転攻勢するんだからね。いい。まだ守りよ。そこから相手の騎兵の馬だけを殲滅するんだからね」
「わかってる! いちいち私に指図するな。お前のその言い方だと、私が皆に指示が出来ない馬鹿な奴みたいじゃないか」
「へ!? あんた・・・自分が馬鹿じゃないって思ってんの!? あんた、馬鹿じゃん」
「なんだとぉおおおおおおお」
「はいはい。もういいからそれはさ。ほら、落ちるよ。サブロウ丸三号の煙幕弾!」
リアリスが指さしたのは騎兵たちの最後列の後ろから更に後ろ、ちょうど騎兵と歩兵の間くらいに落ちた煙幕弾だ。
そこにモクモクと出てくる黒い煙の煙幕弾が落ちたということは、こちらから敵の歩兵の姿が見えなくなる。
だが、こちらからあちらが見えなくなるという事は、あちらからもこちらの様子が見えない。
だからこそ、ウォーカー隊がこの瞬間から光を浴びたように輝くのだ。
「ゼファー隊。目の前にいる敵を倒すぞ。煙が消え去る前に敵を消し去るのだ!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
アージス大戦初戦の相手は煙幕弾よりこちら側におびき寄せた敵。
煙の前にいる騎兵の馬の殲滅が目的である。
【カンカンカンカンカン】
煙幕弾が落ちて数分後、鐘が五回鳴る。
これは王国兵の退却の合図である。
サバシアは、事態が把握できないのはまずいと、自分の軍に一時退却の命令を指示したのだ。
前進することだけに集中していたサバシア軍の騎兵たちは、ここで退却をする為に振り向く。
しかし、その行為は時すでに遅し。
ウォーカー隊の防御陣形に巻き込まれた形になってしまったサバシア軍の騎兵たちは、馬から引きずり降ろされ、騎兵は騎兵じゃなく歩兵へと変わっている。
そしてさらに、ウォーカー隊の陣深くまで進軍してしまった。
結果、元騎兵たちが懸命に自陣に戻ろうとしても、後ろにある煙の中を抜けなくては、戻ることが出来ないのだ。
そして、その煙の中というのは、夜の暗闇を超える暗黒だ。
この煙幕は、通常の煙幕よりも黒が強かった。
この悪条件しかない退却路を、サバシア軍の元騎兵たちは、選択肢するしかなかった。
サバシア軍の前線は、意を決して最悪の退却をし始める。
がしかし。
ここを逃さないのがウォーカー隊。これを生み出したのがフュンの策。
敵を悪条件の中に入れ込むこと。
これがフュンが考えた戦場設定であり。
これこそが師匠のお得意の戦法であり。
これこそが、ウォーカー隊のような賊共の大好物な戦場だ。
ここが、狩りのチャンス。
ウォーカー隊の真の力が発揮される時である。
「今です! 三軍の将たち。って自分たちで判断できますよね。皆さんならね……ここは混沌の入り口。彼らには美味しい食べ物が目の前にあって、それをたらふく食べるようなものですものね」
フュンの指令を待たずとも。
三部隊は同じ場所にいずとも息があう。
サバシア軍の元騎兵たちはこの夜のような煙の中で、徐々に消えていくしかなかったのである。
◇
左のエリナ隊。エリナが叫ぶ。
「蹴散らせ。ここが、あたいらの好機だ。相手をぶっ潰すぞ。煙の中でも目! 見えんだろ。あたいらならな」
中央のザイオン隊。ザイオンも。
「かかかか。蹴散らすぜ、俺について来い。野郎ども! 殲滅開始だ」
右のゼファー隊。ゼファーもだ。
「皆、追うぞ! ここからは攻勢に出てもいい。ゼファー部隊いくぞ!」
煙の中を彷徨う逃げている敵目掛けて、三部隊は突撃した。
◇
風が舞い、戦場の黒い煙が消え始める。
だが、煙が消えなくとも敵軍は結果をなんとなく知っていた。
「なぜだ。スーマ。なぜ騎兵たちが少量しか帰ってこないのだ」
「まさか。あの煙の中・・・・我々の兵たちがやられているのでしょうか!?」
煙が北から吹く風に巻き込まれて完全に消えると、この冷たい風に感じる北風がサバシア軍を絶望へと誘う。
それは、サバシア軍の兵士たちが見るも無残に敗れ、地に伏せていたことに加えて、ウォーカー隊が煙の中であるのに、完璧な布陣を敷いて待ち構えていたからだ。
かかってこいよと挑発的な態度を取った彼らに、サバシア軍は畏怖した。
「…や、奴らはこれを狙っていたのか。もしや・・・伏兵などは、いない。まさか。どこにもいないのか。しまった。我らは、奴らの影におびえて無駄に兵を減らしただけだという事か」
「く、悔しいですが、サバシア様。そのようです」
「む。このまま戦えば向こうの思うつぼ。全軍停止で、さらにここから一時後退し態勢を整えるぞ」
サバシアはさらに退却することを判断して、陣近くまで軍を引かせた。
◇
敵軍が引いていく様子を見るフュンは観察を忘れない。
「なるほど。素晴らしいです。敵将サバシアは判断が早くて、基本に忠実です。良き武将ではありますね。罠をもう一つ用意していたんですけどね・・・・んん。使えませんね。やはりこの戦場、勝つにはあちらの策でなければ……よし、サブロウ!」
「なんぞ?」
「あなたは、影に隠れながら敵右軍と敵中央軍の偵察をしてください」
「ん? 目の前の敵はぞ?」
「左軍はいりません。こちらはおそらく膠着状態に陥るでしょうから通常の偵察で良いです。それにこちらは、ほぼ互角の兵数になりましたしね。ならば勝機は他に作らなくてはなりません。お願いします!」
「わかったぞ。カゲロイ! おいらと二手に分かれて戦場を移動する」
「ほいさ。やっと仕事来たか」
フュンが彼らの移動前に再度指示を出す。
「サブロウ! いいですね。あなたの判断でお願いします。僕らへの合図のことですよ」
「わかってるぞ。まかせておけぞ」
「ええ。いつも助かってますからね。信じてますよ」
手を挙げて任せろと示したサブロウは、サブロウ組を二手に分けて、カゲロイに一部隊を託し、戦場を移動していった。
こうして数の不利をものともしないウォーカー隊は完璧な初戦の勝利を飾ったのだった。
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