第77話 ババン野戦
帝国歴517年3月29日
この日の帝国では、ルクセントに兵が集まっているとの情報が漏れている頃合いだった。
しかし実際に軍が集結していたのはこれより大体一か月前。
待機をしていたはずが、ここからはあえて敵に知らせるように、カサブランカの軍に本格的な軍事訓練をさせたのだ。
カサブランカは、なぜ今になって攻撃をしろと言って来たのだとも思わずにいるただの間抜けな上級大将。
本来であれば第二王子側についてもおかしくない人間だが、王命を素直に受け入れたことで、敵地への侵攻を準備している。
無能で扱いやすい人物であるとの情報が後の記録にも残っていた。
そして、王国ではこの日が運命の日。
王国の行く末を決定する出来事が起きたのだ。
それは、ババンで第二王子ゴアが武装蜂起したのである。
大貴族たち、豪商や豪農。
とにかく地位の高い者を一気にババンに集め、第一王子を倒そうとした。
第二王子は、兵の数にして10万も集めたのだ。
各地の地方都市の者どもも集結させたために、この大軍になっているのである。
「これで兄上を倒す。ジャイル8万の兵で王都を攻めろ。我々が集まったのだ。王都の兵も減ったであろう」
「そうですね。王都の兵も3万ほどじゃないでしょうか。こちら側に参加したゴア派の兵がチラホラいますからね」
「うむ。この戦いで私の勝利を決定した方がいいな。攻めよジャイル」
「わかりました」
この指令の通り。
ババンから南の王都に向かって兵は出撃。
8万もの大軍が大移動する形になる。
しかし、これほどの数の大移動であるのに、帝国はこの事を知らない。
なぜなら、ルクセントの軍事行動が表になっていて、裏ではこのような軍の大移動を調べられなかったのだ。
まさかこんな時に内戦を仕掛けるなんて。
これが後の帝国の人間たちの心の声である。
なにせ、この事を知っていれば、1万2千の兵のカウンターで大軍を用意して王国に攻め込めば、王国側が所有する関所とルクセントの両方を簡単に奪取出来ただろう。
だからアーリア大陸の統一をも視野に入れられる出来事であった。
まあ、ある意味、一つのターニングポイントのような場面であったのだ。
もしがあるならば、ここが重要局面の一つである。
◇
ババンからゴア軍が出撃。
それをシルリア山脈から見ているブルー。
軍四万をシルリアの奥地に置いていたブルーは、出撃タイミングの二週間前から現地入りしている。
兵士を数百単位で、シルリア山脈の北と南から入れ込んで、ババンの南西に兵を集結させてキャンプしていた。
少数での兵の移動であった分、ババンはこれらの人の移動を察知できなかった。
彼らは自分たちの横にこれほどの軍がいるとは知らないのだ。
「はぁ。阿呆ですね。あの王子は」
「うち……主がネアル様でよかったよ。あんな馬鹿男の下だったら・・・ぞっとするわ」
「俺もだ。あんな奴が俺の上だったら、不安で眠れんわ」
「ふっ。あなたたちもそう思いますか・・・それでは私たちは背後を突きますよ」
ブルーはタイミングを見る。
兵が完全に都市から離れて、一番後ろを移動している兵士らが戻りづらい位置まで進軍している時を窺う。
「アスターネ。あなたは左を。パールマン。あなたは右を。お願いします。一気に挟撃します」
「わかったわ」「了解」
アスターネたちが出撃する直前。
「ブルー。あなたはどうするの?」
「私は逃げ道を塞ぎます。あなたたちが攻撃だけしてくれればいいように立ち回りますから。ご安心を」
「そうか。俺たちの背中は安心ってわけか」
「そうです。不安はいりませんよ。パールマン」
「了解だ」
ブルーの一声で始まる。
「それではみなさん、出撃です」
◇
帝国歴517年3月29日昼過ぎ。
シルリア山脈から突如ネアル軍が出撃。
アスターネ、パールマンが率いる軍1万五千ずつがゴア軍の八万の後方を追いかけた。
追撃攻撃を受けるような形でゴア軍は慌て始める。
ネアル軍の二つは膨らみながら、ゴア軍の右後方、左後方に突撃。
後方は事態に対処しようとしていたが、間延びした形での進軍をしていたゴア軍の前方は後方がどのようになっているのか分からず、襲撃がどのような形で行われているか理解できていなかった。
なので攻撃を受けた当初。
ゴア軍の前方は、暢気にも王都ウルタスへ向けて進軍をしていた。
ここにもジャイルの至らぬ点が垣間見える。
「弱え。どうしようか。アスターネはどうなってる」
パールマンはほんの僅かだけ先に突撃をしていた。手ごたえのない敵であるが、あちらとの息を合わせた方がいいと思い、左を向く。
「そうか・・・そうだよな」
同時期。
「パールマンは! どう!?」
アスターネもまた手ごたえのない敵のせいで、自分の軍が前に押し込み過ぎると不安になった。
左右で同じ圧力をかけて挟撃をしたいと、二人は思ったのだ。
「はいはい。あっちもそうなのね。あの人、不安そうな顔してるわ。自分が押し込み過ぎるかもって思ったのね。ほら。いいわよ」
アスターネが剣を掲げる。
すると、それを遠くから見たパールマンは。
「そうか。いいんだな。さすがは俺の嫁候補。皆いくぞ!」
突撃の勢いを強めることにした。
先程の剣は、アスターネが息を合わせるとの合図だったのだ。
「はいはい。どうせ。うちの事を嫁だぁ。って言うんでしょ。嫌よ。普段、あんな無口な奴」
とニヤリと笑ったアスターネもパールマンの突撃と同じ勢いを持って、敵軍後方を壊滅させていく。
混乱。
その一言で言ってしまえば楽である。
しかし、この一言で済ませていけないのがゴア軍だ。
なにせ、後方だけが混乱して、前方は未だに理解していない事態は窮地と言っていい。
このイーナミア王継承権戦争の初戦は、戦いにもならない戦いであった。
◇
「私たちは・・・ほら。来ましたよ。あれらを狩ってください」
二つの軍の攻撃を潜り抜けてきた兵士らは、ババンに帰ろうとしたのだ。
混乱しているからもはや正常な思考力を持たない。
一目散にバラバラに逃げる様は無様であった。
「どれくらい狩れるでしょうかね。そしてどれくらいで、気付くのでしょうか。ジャイルでしょうかね。あの軍の将は・・・」
逃げ出してこちらに向かってくる敵を一方的に倒していく軍の光景を見ながら、ブルーはついでに相手の大将の動きも観察していた。
◇
一時間後。
状況は圧倒的な結果と終わる。
アスターネ。パールマンが敵軍後方四万を襲撃して三万五千を粉砕。
逃げ出してきた五千の兵はブルーが処理した。
これにて、ゴア軍は八万いた兵が四万になる。
それに対してネアル軍も同数の四万。
これだったらまだ数が負けていないのだ。
我が主、ネアル様であれば、態勢を整えて野戦を継続をするはずだが。
ブルーは、睨み合うように布陣することになった両軍の中で、相手の陣の乱れを見ていた。
相手が手練れであれば、あのような歪な陣にはならない。
ブルーは、自陣の方に引いてきたアスターネとパールマンとの話し合いを始めた。
「ブルー。どうするの? うちら、また突撃?」
「いいえ。先ほどの荒々しい攻撃はやめて、抉ります」
「ん? 抉る?」
「この戦。勝利は絶対でありましたが。それよりも高い勝利を目指します」
「高い勝利だと。いや待て、お前のさっきの【抉る】って言葉の方が荒々しいと思うんだが・・・まあ、いいか。ブルーどんな策があるんだ?」
「パールマン。あなたの軍で敵の大将を捕えてほしい」
「俺が。大将をだと? 殺さないで捕まえろかよ。なかなか珍しい注文だな」
「ええ。私は殺すよりも有効活用した方がいいかと思いましてね」
「なにする気だ?」
「はい。私は・・・」
ブルーの今後の策を成功させるため、パールマンとアスターネを動かす。
ブルーは、ここで敵大将を殺してしまうと、ババンにいる阿保どもの抵抗する意思を強くさせるはずであると考えて、奴を捕らえてしまう方が良いと思い直したのだ。
あと、まだババンに残っている王子とその部下たちには、地獄を見てもらう。
ネアル様に歯向かうということは、その地獄に付き合っても良いと思うくらいの覚悟が無いと反旗を翻してはいけないと、国内に見せつける為である。
今、ババンにいる貴族共は、他の場所にも領土を持つものが多い。
それなのに皆がババンに集まっている現状は逆に好都合なのだ。
ここで一網打尽にするためにブルーはジャイルを捕える気である。
「アスターネ。パールマンの本陣を抉る攻撃を助けるために、私とあなたで左右を叩きますよ」
「うちとブルーが!? うん。まあいいでしょう。やります」
「ええ。あなたならば、私の軍と息を合わせてくれますよね」
「うち・・・そればっか。あなたたちが合わせてよ。タイミングくらい簡単でしょ」
「私には難しいです。あのタイミングを合わせる攻撃はあなたにしか出来ないです。お願いします」
「ああ。はいはい。うちはそういう役目なのね・・・やりますよ。やればいいんでしょ」
「はい。お願いします」
アスターネは、誰かと呼吸を合わせるのが上手い。
戦場を観察するのに長けている事と、相手が何をするかの思考レベルがとても良いのだ。
だから、あの優秀な者しか信じないネアルとその頭脳であるブルーが、とても貴重な女性だと信頼している。
「ではいきます。パールマン。二歩遅れて突撃してください。私とアスターネが先を行きます」
「了解だ」
イーナミア王位継承戦争の中で、この初戦の戦いのことを『ババン野戦』と呼ぶ。
王都へ出撃したはずのゴア軍。
意気揚々と第一王子を倒すと出陣したゴアの部下ジャイルが、王都を攻撃するつもりだったのが、突如として背後から急襲されて野戦となった戦いだ。
ゴア軍は、後手後手に回り、最初の突撃で兵の半数を失い、その次の仕切り直しの戦いでも立て直しを図れずに敵に無残にやられる。
兵は八万はいた。しかし、終わった時には一万弱。
彼らは命からがらでババンに帰っていった・・・。
だが、八万を一万弱にまでした軍が、みすみす逃がすなどありえない。
これはわざとだった。
あえて一万弱を本拠地まで返したのだ。
それはなぜか。次を見越しているブルーの考えによるものだった。
そしてブルーが考えたということは、あの王子が考えたも同然である。
だからこの戦争は、王子の勝利と言っても良いのである・・・。
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