第41話 困惑の婚約
成功と失敗。達成感と絶望感。喜びと虚しさ。
この戦でフュンは、経験すべきことの全てを経験してしまった。
仲間の死。
ここだけは、絶対に味わいたくない衝撃的な体験であっただろう。
今までの彼の暮らしでは、そうそう経験するものではない。
これから、あらゆることで戦い続けなくてはならない彼にとって、これらは大きな財産になると思われる。
でもだからと言ってこんな思いはもう二度と・・・・。
彼は、この思いを強く持ってこれからを生きていく。
戦争終結から二日後。
フュンはハスラの軍駐屯所で目が覚めた。
都市ハスラは、君主が王族のシルヴィアで、しかも彼女は『戦姫』と呼ばれるだけあり、軍駐屯所もその戦姫に合わせて立派な物にしている。
駐屯所内で地位の高い者には個室が用意されていて、フュンの待遇は一応王子であるから、指揮官クラスとして変換されていた。
なので彼は広々とした個室を悠々自適に一人で使用している。
それに対して、ゼファーや双子などは、ごった返して眠る大部屋で激闘の疲れを癒していた。
ハスラ防衛戦争の激闘から二夜が明け。
皆の疲労は、深い眠りとなって表れていた。
でもそれは戦争の疲れだけでなく、昨日の馬鹿騒ぎの宴会の疲れも加算されている。
早朝の宿舎の廊下を歩くフュンは、豪快なイビキたちを聴いた。
大合唱となっている廊下を歩くと、皆の昨日の楽しそうな笑顔を思い出される。
「僕、頑張ろう。もっと強くなろう。シゲマサさん・・・頑張りますよ」
外に出たフュンは、朝日とシゲマサに向かって挨拶をした。
「ありがとう。僕に命をくれて。僕にチャンスをくれて。僕は必ずあなたの期待に応えてみせます」
道すがらにいる見張りの兵士たちにいつもする元気な挨拶をして、フュンは西側の城壁から川を見つめた。
「あっちにある国と戦ったのか・・・・なんで戦いが起きたんだろう」
つい疑問を口にしていた。
戦う必要があったのかと。
「なにか、意味があったんだろうか。争うことにさ。相手は何が欲しかったのかな。領土? 富? 名誉? いったい何の意味があって、戦争をするんだろうか。戦うって理由も考えちゃいけないことなのかな……何かを奪いたかったのか。それともただの自己満足なのか。難しい」
難しすぎてフュンの頭から湯気が出ていた。
これ以上は無理だなと思い、そのまま呆けたように川を眺めている。
「フュン殿!」
「え?」
川をただただ眺めていただけにフュンは単純に驚く。
声がする方に体を振り向けると、額に少しだけ汗を掻いていたシルヴィアがいた。
恥ずかしそうな、照れているような、そんな顔をしていた。
「…ど、どうしたのですか。もしや、眠れずに」
「いいえ。いつもと同じ時間に起きただけですよ。あはははは」
「そ、そうですか。それならばよいのです」
フュンの精神面を心配していたシルヴィアは、彼の隣にお淑やかに立った。
そう今の彼女は、生まれて初めてお淑やかに立ったのかもしれない。
手を体の前に組んで、しっとりとした雰囲気を醸し出している。
いつもの凛とした姿勢はどこかに消えていた。
「フュン殿。ここで何をしていたのですか」
「ええ。僕は何も考えずにここにいましたよ。あの川をずっと眺めていただけですね」
「・・・・そうですか」
そこから二人は黙って同じ川を見つめた。
フュンは川と時が流れるのを穏やかに感じているだけであるが、彼女の方はドキドキしっぱなしであった。
ただ普通に早朝訓練をして、城壁の見回りをしていただけで、それがまさかこんなところでフュンを見かけるとは夢にも思わずで、だから、彼と何を話せばよいのやらと会話に必要なものを話しだした結果、すぐに話題が尽きたのである。
あれだけ戦う策が思いつくのに、会話の手札が少ない女性であった。
そして、無言から数分が経ち。
彼女は意を決して話し出した。
それはずっと心の中に抱え込んでいた、彼への溢れる思いだった。
なぜその思いが決壊したかと言うと、彼のあの悲しみと苦しみを見てしまったから、あれを見てしまったら、彼のそばにずっといたいと思ってしまったのだ。
「・・・フュン殿」
「はい」
「…私と結婚してもらえないでしょうか」
決壊するにしても、色々な物を飛び越えすぎて、意味が分からない。
乗り越えるべきものをいくつも乗り越えた発言。
それにしてもなぜいきなり結婚なんだろうか。
せめて、あなたと付き合いたいと言うべきではないのだろうか。
百歩譲っても婚約が妥当。
いや、やはりまずは付き合ってくださいの告白が先では……。
「・・・はい・・・・・え!?・・・・え!?」
流石のフュンでも突然すぎて、言葉の理解をするまでに時間がかかった。
二度の疑問符に思いの全てが込められている。
「嫌でしょうか」
「は?」
「私は、あなたと一緒に同じ道を歩みたいのです」
「へ?」
「私をあの怪我から救ってくれた時……あなたが北の戦場に現れた時。いいえ。たぶん私は最初に出会った時から。私にはこの人しかいないのではと思ったのです・・・・・わたしは好きです、あなたが・・・大好きなのです」
自分の思いに素直になったシルヴィアはフュンに思いの丈の全てを告げた。
出会った時からフュンが好き。
これは心のどこかじゃなく、心の真ん中にある思い。
自分の芯に、核に、フュンという人物が住み着いている。
そういう思いが彼女にはある。
「・・・・え?」
素直な気持ちだった分、フュンにもその思いは伝わる。
だがしかし何もかもが急すぎてフュンの頭が追い付かない。
「ど、どうでしょうか」
「…いやいやいや。どうでしょうかって、結婚は無理ですよ。僕は属国の王子ですよ。あなたは帝国の。皇帝陛下の。大切な皇女様です。僕とじゃ、釣り合いませんって以前も言ってますよね。身分が天と地ほど離れているのです。ありえない話です」
彼女の気持ちを理解していてもフュンは当然断る。
自らの地位は余りにも低い。
対等どころか、彼女の名声に傷をつける恐れがあるのだ。
「そうですか……ですが、もし。もしですよ。身分が関係ないのなら、私たちは結婚できませんか?」
「身分が関係ないならかぁ……んん。そうですね。それだったら、僕は結婚してもいいですかね。シルヴィア様のような人となら僕は幸せになりそうだ・・・・。あ、でも僕は結婚するなら、お嫁さんと一緒に幸せになりたいですね。僕は愛する人とは、同じ歩幅で同じ道を歩んでいきたいですね」
彼の嘘偽りのない笑顔と言葉に、シルヴィアも笑顔になる。
「ほ、本当ですか! 私のことが嫌いではないのですね」
「嫌い? シルヴィア様を!? ないない、それはないですよ。僕は好きですよ。あなたのような真っ直ぐな方がね。綺麗な真球に、それが白光に輝く。これは穢れのない魂そのものを表している証拠。僕はそんなあなたが好きですよ」
「・・う・・・嬉しいです・・・・」
二人の壁は身分だけだったのだ。
帝国のお姫様とその属国の王子様。
かけ離れた地位だけが障害で、思いは一緒だったのだ。
結ばれる可能性が限りなくゼロに近い二人の間に、甘酸っぱい雰囲気が漂う。
甘い。とても甘い。
甘美な香りがこのハスラの西の城壁を、緩やかで穏やかな風が巻き込んでいく。
彼女の渦を巻く思いと共に風は二人を包む。
だが、ここで、都市の外を向く二人の背後にもう一人、まったく気配のない人物がいた。
その人物は遊びに来た感覚で話しかけてくる。
半分酔っぱらっているのか、目が半開きだ。
「ほう。お前ら、結婚したいのか」
顎に手を置いたミランダが口角を上げながら言った。
「ん!? ミラ先生!?」
「せ、先生!?」
二人だけの秘密の会話は、彼女にも聞かれていたようだ。
もしという仮定で話していたフュンは何も恥ずかしがらずにしていたが、仮定でも嬉しかったシルヴィアは顔を真っ赤にしてミランダの顔を見ることが出来ずにいた。
「ミラ先生。急になんでしょう?」
「よ! そうか、フュンはお嬢と結婚してもいいのか?」
「まあ、もしって言われたんでね。もしならいいですよって話ですよ。もしが無かったら絶対に出来ません。身分が違い過ぎますしね。無理です!」
「ほうほう。それはいいとして。んで。お前は、どうなんだ」
「わ、わわわわわ、わ私ですか」
シルヴィアは焦りでどもった。
「ああ。お前からさっき言ったじゃないか。結婚してくださいってさ。どうなんだ。もしが無くてもお前は結婚したいのか?」
「・・・も、ももももちろんです。しししし、したいです」
顔をさらに真っ赤にして湯気を出すシルヴィアを見てミランダはその頭を撫でた。
【熱あるなこいつ】と思いながら、弟子の可愛らしい一面を見たと内心喜んでいる。
「そうかそうか。それじゃあ、一つ。あたしに策がある」
「「え!?」」
二人が同時に驚く。
ミランダは、シルヴィアから手を離して、フュンのおでこに人差し指をコツンとぶつける。
「人質から脱却すっか。フュン!」
「え? そんなこと出来るんですか」
「ああ。いいか。今のお前たちだと、たぶん婚約にすら辿り着かんだろう。でもだ。お前が武功をあげて、人質から辺境伯になれば、身分は結婚してもおかしくないのさ。これ、結構良い案だろ? 今の帝国は、属国の人間を帝国の貴族に編入することを絶対にしない。だから道としては、サナリアの領土が属領じゃなくなっちまえばいいと思うんだ。そんであたし的にフュンが活躍すりゃ出来ると思うんだよね。どう思う?」
「な、なるほど。人質には辺境伯という別な地位があるんですね」
「ある! 貴族クラスの別な階級の一つになるみたいだぜ。でも内容を詳しく知らんからさ。しかしこれが最善だと思うんだよ。あたしらが若い時ならさ、属国が編入する可能性はあったけど、今はあの御三家戦乱の時じゃないからな。属国が帝国に編入することもないからなぁ。それしかチャンスはねえと思うんだよね」
「そうですか……ミラ先生。それって今までに誰かいるんですか?」
「役職があるんだが、誰かまでは聞いたことがないのさ。でも役職があるってことはだな」
「なるほど。誰かが過去にいたのですね」
「そういうこったなのさ」
フュンは辺境伯という役職を後で調べてみようかと思った。
「そ、それがあれば・・・私とフュン殿は結婚できる!?・・・・フュン殿。ぜひなりましょう。絶対になりましょう。必ずなってください」
目を輝かせてシルヴィアはフュンに顔を寄せて懇願した。
フュンは彼女の勢いに負けてのけ反った。
「え!? いや、あ・・・で、でもどうやってなるんでしょう?」
「それは考えましょう。今すぐにでも! さぁ早く!」
気持ちが先走り過ぎていた。ついでに目も血走っている。
「いやいや。その方法が何年もかかるなら、お待たせしすぎだと思うので、やっぱり結婚は考えない方がいいですよ。シルヴィア様の婚期が遅れてしまいますよ」
「いいです。あなたと一緒になれるなら、いつまでも待ちます。私がおばあちゃんになってもです」
「え? いやいや。それはまずいですって・・・シルヴィア様はダーレー家の当主なのですよ」
「まずくはありません。当主の座など兄様の子に渡せばよいのです。私はあなたとしか結婚したくありません。ですから諦めません」
「はぁ。それでいいのでしょうかね。ジーク様も……ご苦労するのでは…」
「それでいいのです! 兄様なんてどうでもいいのです」
いやいや、お兄さん可哀想だよと思うフュンは完全に押し切られていた。
「ナハハハ。そこまで熱心なんだな。お前。珍しいな。感情の少ないクソガキだと思ってたのによ。そうかそうか。うんうん。弟子同士が結婚ってなんかいいな。あたしもなんか考えてみっか」
「本当ですか。先生! さぁ早く答えをお願いします!」
シルヴィアの目は、もう充血していた。
若干ミランダもたじろぐ。
「おお。おお?? そうか。んじゃ、ちょ、ちょいとジークと考えてみるわ。でもあんまり言いふらすなよ。こういう事を貴族共にでもかぎつけられたら、厄介だからな。黙っておけよ、お前ら」
「それはもちろんですよ。僕は恐れ多すぎて誰にも言えませんよ。僕がシルヴィア様とですよ。本当にありえないことですからね。ミラ先生こそ黙っててくださいよ」
「私は固く誓って、黙っています」
「そうかそうか。そんじゃ、それまでずっと仲良くしておけよ。でも結婚、出来たらいいよな。んじゃ!」
ミランダはふらっとどこかに寄っただけのような態度で帰っていった。
こうして、二人の婚約は変わった形で執り行われたのである。
だが、この話を聞いていたのは、ミランダだけではなかった。
二人の話を聞く影は別にもあったのだ。
これがまさか、ある事件へと繋がるきっかけになるとは、この時の二人には知る由もなかった。
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