第26話 戦の足音
数日後。
フュンは再びサティのお屋敷にお呼ばれした。
前回と同じ場所に案内されて、前回と同じ席に彼女はいたが、前回と違うのは彼女の隣にいるのがアンではなく、ドレスを着たシルヴィアであった。
フュンは、サティに向かって振っていた手を止めた。
「サティ様~。ん? あれ。シルヴィア様も!?」
「はい。おひさしぶりです。フュン殿」
シルヴィアは着なれないドレスに悪戦苦闘している。
ぎこちないお辞儀をしてしまい、腰の辺りが痛くなった。
隣に立つサティがもう少し上手に挨拶しなさいよと小声で叱ってから話し出す。
「フュン様。今回は、この間の話の続きがしたくてですね。それと、シルヴィがここにいるのはですね……まあ、この子がどうしても、私とフュン様の商談を見学したいと言って、見に来たのですよ。一緒でもよろしいでしょうか」
「ええ。もちろん……え、フュン様?」
シルヴィアはフュンに会いたいだけである。
こんな簡単な嘘で騙される。チョロい王子もいたもんだ。
というよりも、彼女の様呼びが気になった。
「ええ。私としても、もうあなた様を呼ぶ際に、殿では足りませんことよ。お仕事を共同でするのです。私とあなたの信頼の証として、様のほうが良いでしょう」
「そ、そうなんですか・・・わかりました。僕も慣れていきますね。サティ様」
「ええ。慣れてくださいね。ほら、あなたは」
自然な流れで親しくなれるサティは不器用な妹に肘打ちをした。
シルヴィアは右ひじを押さえながら、またモジモジしている。
「え!? 私ですか。そ、それは無理が・・・え・・っと・・はい」
この態度になった時は、何か言いにくいことがある時のものだ。
とフュンはだんだんとシルヴィアを理解し始めたのだった。
年下なのにフュンが気を遣う。
「シルヴィア様、無理に話さなくてもいいですよ。そうだ。今日はおめかししてますね。なんでドレスを? 珍しいですね。普段はもっと動きやすいお洋服を着ているのに」
「いや・・・それは・・・・その・・・・姉様が・・・・ですね・・・着ろと」
「あなたは。も~う。どうしようもない子ですね」
呆れているサティは、シルヴィアをクルッと一回転させた。
フワリとスカートが上がり、綺麗な黒のドレスの上に舞う艶やかな銀髪が優雅さを際立たせていた。
なすがままにされているシルヴィアはまるで大きな人形である。
「どうです。フュン様。シルヴィに似合っている黒のドレスだと思いませんか?」
「…ええ。とてもお綺麗ですよ。美しい髪が映える作りなのですね。それにいつもと違っていて。って、まあ、シルヴィア様はいつでもお綺麗ですよね。あははは」
「・・・そ、そうですか・・・・ははは・・・・」
シルヴィアの心は狂喜乱舞と化し、今にも天に昇りそう。
でもなぜか、シルヴィアの顔は無に近い。
表情の変化をつけられないのは、なぜか。
そう彼女は今ガチガチに緊張しているのだ。
戦闘でも微動だにしない体が僅かに左右に揺れるくらいに落ち着かない。
態度には明確に緊張感が現れていた。
「あなたはまったくもう。なにをしてるのですか。せめて『ありがとうございます』と言いなさいよ。それに言えなくても、笑顔でいなさいよ。ああもう。もう少し素直に感情を表現しなさいよ」
小姑みたいになりたくないのに結果そうなっているサティは小声で言った。
「…む、無理ですぅ。姉上ぇ。フュン殿に直接褒められると何も言えなくなるのですよ」
「バカですか。あなたは。こういう時の振る舞いに慣れなさいよ」
「あ・・・姉上ぇ・・・無理ですよ~」
「このポンコツ姫! いいですか。私が協力しますから、出来るだけフュン様の前では緊張しないようにしなさい」
「は、はぁい」
あれだけ勇ましく戦えるのに、こちらの戦場では何の役に立たないとは。
サティは、何も出来ない我が妹のがっかりぷりに、この子だって人間であったかとある種の安心感を抱いた。
その後。
三人は・・・。
ではなく、フュンとサティは、計画を練り始めた。
まず第一段階。サナリア草がなくては始まらない事だ。
そして第二段階。大量生産するには相当な量のサナリア草の確保が必要である事。
これをフュンが進言したことから話し合いの軸は決まった。
「それは私の廃村を使っていきましょう」
「廃村ですか?」
「ええ、私の母が王家を抜ける際にいくつかの所領を手放しているのですが。その中で、マールダ平原に。ブライト家が所有していた村があります。そこは今でも一応は私の所領となってますが、今は誰も住んでおりません。ですから、そこをもう一度利用できれば、たぶん生産は大丈夫なはずです。フュン様の話をお聞きするに。どこでも草の栽培ができるのであれば、マールダ平原でも可能かと思いましてね」
「はい。おそらくは大丈夫でしょう。あれは、傷さえつかなければどこでも無限に育ちますからね。雑草に近い草なのです」
「それならば、あそこを開拓して、人を動員して、もう一度村となってもらえれば、出来るはずです。あそこは井戸などの生活の最低限もありますし、あの中でも使える家もあるやもしれません。整備さえすれば農地を拡大する拠点になるやも……」
「なるほど。その村の場所は? 帝国のどこら辺にあるのですか?」
「ええ、少し待ってください。地図を簡易で書くと・・・」
サティは、小さな紙に書き始める。
サナリア平原の端にある関所から北西。帝都から北東の位置。
マールダ平原北部ギリギリの場所にある村であった。
「ここですか。なるほどいい場所ですね。ここからも近いし、僕の故郷にも割と近いですね。なら育ちやすいのかな?」
「わかりません。場所はサナリアにも近いですが・・・・・気候は全く違いますよ。帝都も同じですが、マールダ平原にありますからね。雨が多めです。帝都はレンガの道で舗装出来ているのでぬかるんだりしませんが、ルーワ村は違います。そのままの土の状態であるので、ぬかるみが所々に出来るのです。ですから、それが難点となりうるやもしれません。運搬などで傷がつくやもしれませんから……そこがネックとなりそうです。作るにしても流通させるにしてもぬかるんだ道というのが問題です」
「なるほど。なるほど……確かにそうですね。それならば、その村で直接クリームを作成するってのはどうです? 原材料の生産と商品の加工を同時にしてしまうのです。どうでしょう?」
「え? いやぁ。それは果たして、できますでしょうか。なかなか難しい問題ですね。村の規模がですね。両方を得ようとすると小さいかもしれません」
「そうですか。しかし、傷がつけば草は使えませんからね。困りましたね」
二人の話が止まると、おめかししている人形みたいなシルヴィアが二人の間に入った。
「それならば、私が。いえ、ダーレー家が協力しましょうか?」
「ん? どういうことです? シルヴィ?」
「ええ。姉様とフュン殿が作る村。絶対に面白くなりそうなので。私のハスラの民と、もしかしたら先生の協力を仰げれば、あそこの里の民も使って、前よりも少々村を大きくするのはどうでしょう。それにアン姉様にも協力をしてもらって、建物などの改築や新築をお願いするのはいかがでしょう? アン姉様なら建物にも強い腕の立つ職人らを知っておりますし、アン姉様自身も建築が出来たはず。姉様は器用ですしね」
「ああ。忘れてましたね。アン姉様ですね。しかし、そうなると、私もアン姉様も、ダーレーの一員と見られてしまい。あの二家に目をつけられる可能性が出てきますね。どうしましょう」
そこがネックであった。
アンとサティは、表向きで王家との協力関係になるのはまずいのだ。
そこでフュンが解決策を提示する。
「ならば、公募するというのはどうでしょうか! 帝国で広く募集をかけるのです。そのルーワ村の村人になりたい人と、職人さんになりたい人を共に公募しておいて、その中に元々来てもらう人とアン様の職人さんを最初から入れてしまうのですよ。少しズルですけども、公募としては嘘はついてません。彼らにも公募にエントリーしてもらって、更に一般の方も村人になってもらえればいいのですよ」
「なるほど。素晴らしい案です。そうすれば私の事業がメインであると思ってもらえますね」
「はい。表も裏も全部。サティ様の名義にしてしまえばよいのですよ。それだったら御三家に目をつけられません!」
「え? でもそれだとフュン様は? 名が知れ渡った方がよいのでは。これが成功すれば、あなたの待遇だってもしかしたら・・・上がるのやも」
「僕の名? 待遇? ああ、正直それはどうでもいいですね。ここだけの話、僕は今。快適に暮らしているので幸せなんですよ。他人にちょっと馬鹿にされてるくらいですし、これくらいだったら、サナリアにいた時と別に変わりがありませんしね。それに自分の事だけなら、あんまり気にする性格じゃないんでね。あははは」
フュンは曇りのない瞳でサティを見つめ返した。
「僕としてはですね。サティ様が成功するのが嬉しいことなんですよ。僕はこれの協力者という事にしておいてください。正直言って、僕は目の前にいる人と、僕の故郷のサナリアの民の為に生きてますから。自分の名を大きくしようなんて微塵も考えてないんですよね。あはははは」
「そ。そうだったのですか。でも。それで本当にフュン様はよろしいので?」
「ええ。よろしいです。僕としては母が作った物が売れてくれたら凄く嬉しいですね。母の生きた証がこの世界に残ってくれる感じがしますしね。それが何より嬉しいですね。あははは」
「そ、そうですか……あなたはなんて無欲な方なんでしょう」
母が亡くなっていたとしても、例え王宮に王妃として名が刻まれていなくても。
もしかしたら母の功績がどこかに残ってくれるのであるならば、フュンは自分自身の名声などいらないのだ。
フュンとは、思い人である。
誰かと誰かの絆を繋ぐ人である。
だからこそ、誰もが彼に協力したくなり、誰もが彼を心から慕うのである。
だからこそ、彼女はこの男に惚れたのだ。
「フュン殿……私はやはりあなたに協力したいのです。ぜひ、私の力を使ってください」
「え? あ。はい。そうですね。今度何かありましたら、シルヴィア様に相談しますね。あははは」
戸惑っても感謝を述べるフュンに、シルヴィアは優しく微笑んだのだった。
(あなた、やればできるじゃないの。まったく手のかかる子だわ。はぁ)
隣で彼女の笑顔を見たサティは、安心してため息をついた。
◇
商談が一段落して談笑した後。
「あ、そうでした。話が盛り上がりすぎて、お渡しするのを忘れていました。アン様にこれを。あとサティ様にも同じものをですね」
フュンは薬用石鹸一式を二人分用意していて、サティに全てを渡した。
嬉しそうな顔のサティに対して、残念そうな顔をしているシルヴィア。
当然その反応になると思い、フュンは。
「あのぉ。まさかシルヴィア様がいるとは思わずですね。こちらを二人分しかご用意してないので・・・すみません。あとでシルヴィア様にもあげますから、またどこかで遊びにでもきてもらうか。こちらで会える時にでもご用意しますね。シルヴィア様、ごめんなさいです」
素直に頭を下げた。
「い・・・いえ・・・いえいえ。なにも、フュン殿が悪いわけじゃありません。今日は、私が、突然ここに来たので・・・ええ・・・そうなんですよ。全く悪くないのです」
と言っているシルヴィアの表情が浮かない。
明らかにがっかりしていた。
「そうですか。ですが、なんか申し訳なくて・・・」
フュンもしょんぼりして下を向いていると、サティがシルヴィアに耳打ちをする。
「シルヴィ、なんでその答えなの! ぜひ遊びに行きますわって言うのよ。お馬鹿!」
「え!? そ、それはさすがに図々しいのでは?」
「どこがですか? 今の会話を自然な流れに持っていけばいいの! あなたはお馬鹿さんなんですか! そろそろ殿方を誘うのに慣れなさいよ。フュン様は、正直に言った方がよろしいお方。回りくどい言い方よりも直にです! あなたはフュン様のどこを見ているのですか! まったくもう」
「・・・あ、すみません。姉様」
頼りない戦姫に変わり、サティが言う。
「フュン様。それならば、またこちらに来ていただける際に、シルヴィを呼んでおきますし。何だったらフュン様のご都合が良い時にシルヴィを向かわせますよ。どうでしょう?」
「ほ、本当ですか。それなら渡せそうですね。すぐに作るので、いつでもいらっしゃってもらっても・・・って。あ! 僕の所だと、やはりシルヴィア様にご迷惑がかかりますね。こちらに僕が来ますよ」
顔色が良くなったフュンがサティの方を向いた。
「いえいえ。こっそりこの子を向かわせればいいのです。隠密で動かしますから。誰の目にもつかないように動くなど、この子にとってはたやすい事なので、フュン様のお屋敷にでも向かわせましょう」
「本当ですか。誰にも気づかれないように移動するのですかぁ。凄いですね」
フュンは、やはり素直である。
誰にも気づかれない移動方法など、誰が信じられるのだと思うだろうが、これはサティの嘘ではない。
シルヴィアにはそういう移動テクニックがあるのだ。
それはある男から教わったものであり、彼女も体得していることからできる事だった。
彼女は恋愛はポンコツだが、身体能力は抜群である。
「はい。まあ、私の技ではなくサブロウの技でして、気配断ちと影移動をですね。駆使すれば・・・簡単にフュン殿のお屋敷まで行けます」
「気配断ち? 影移動? サブロウ?・・・誰だろ・・・」
聞きなれない言葉を疑問に思った。
「ではそのようにしましょう。私たちはこれを上手く作れるように動きだしますね。進展して行く度に報告します。私がそちらに行くほうが良いですか?」
「いえいえ。僕がサティ様のお屋敷に行きます。連絡をして頂ければすぐにでも行きますから」
「そうですか。ならばまた連絡をいたしますね。それでは。こちらをアン姉様に渡しておきます。本日はありがとうございました」
「はい。こちらこそ、ありがとうございました。またお会いしましょう。失礼します」
これでこの日は解散となった。
◇
数日後。フュンの屋敷のリビングにて。
フュンたちと、ニールとルージュ。
そしてシルヴィアがいて、そこにミランダが帰って来た。
「おうよ。フュン。ゼファー。特訓はどうだ・・・って、なんでお嬢がいんだよ?」
ミランダは皆に挨拶したのだが、近くにいた銀髪少女が目についた。
「私はこちらの朝食に招待されたので。先生こそなぜこちらに? フュン殿の知り合いだったんですか」
「ああ。そうだぞ。今のあたしはこいつらを育ててるからな。師匠だ」
「え!? そうだったんですか」
ジークもミランダも当主であるシルヴィアにこの事を伝えていなかった。
ダーレーの当主であるシルヴィアは、意外にも家の重要事項を知らないことが多い。
彼女はダーレー家の表の仕事だけを回されており、裏では何が行われているのかは知らないのだ。
だからミランダが師になったのを知らないのも不思議ではない。
「ああ。にしてもお前、ハスラに行ってたんじゃないのか?」
「はい。先生。先日まではあちらにいましたよ。王国が上陸奇襲作戦を仕掛けてきたので、完膚なきまでに潰しておきました。まあ、敵も本気じゃないと思うので出来たことですね。兵数が4千くらいでしたからね」
「そうか。ハスラを落とすにしては、そりゃ数がすくねぇな。変だな・・・なんのためさ?」
「わかりかねます。私の思考能力では相手の考えが読めませんでしたね」
「んんん。それはまた来るかもしれんな。数が少ないしな。どこかのタイミングで、船や兵が本気で来るとかかもな」
「・・・なるほど。それは考慮しておりませんでした。さすが先生。警戒しておきます」
「おうよ。ザンカに警戒しろって言っておけ。あいつなら川の偵察くらいは簡単にやんだろ」
「はい。そうします」
ミランダは策を考える時は真面目である。
思考を張り巡らせるには冷静な判断が必要だからだ。
「それでだな。二人には・・・」
話を二人の弟子に戻すミランダは。
「シルヴィア!」
「ってあたしの話が進んでいかねぇ」
自分の話が邪魔をされて不貞腐れる。
リビングのドアが開いて、ジークが屋敷にやって来てすぐに名を叫んだのだ。
「まただ。シルヴィア。もう一回、ハスラに行ってこい。また敵が来るらしい」
「またですか! 今度の兵数は?」
「前回とほぼ同じみたいだ。また行って来てくれ」
「…変ですね。王国は敗戦を受け入れたのでは・・・でもまたこちらにやって来るなら、仕方ありませんね。兄様、留守をお願いします。私が行くとしましょう」
「おう。任せとけ。そっちは頼んだ」
「はい。お任せを」
姿勢良く立ちあがったシルヴィアが、屋敷から出て行こうとすると、具沢山の野菜スープが入ったお鍋を持ってきたアイネが引き留める。
「シルヴィア様!」
「はい? 何ですかアイネさん?」
「食べてから行きましょう! 皆でご飯を食べましょう! 私、いっぱい作ったので、食べてほしいのです!!!」
「あ。はい。わかりましたよ。アイネさん。ご馳走になります」
「よろしいです! 食べましょう!」
シルヴィアもここではフュンの家族の一員のようになっていたのだった。
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