第10話 銀髪の商人

 薬草の活用方法を全て教えたフュンは、二日ほどこの村に滞在した。

 すっかりこの村の一員のようになった彼は、村の真ん中で人だかりの中にいる。

 向けられている眼差しからは、ここに来た当初とは違う。

 不審者を見るような冷たい眼をする者がどこにもなかった。

 

 「皆さん、いいですか。これからの村は皆で力を合わせてやっていきましょうね。頑張りましょう! この村の名産として、薬草で事業を起こすのです。いいですね。このサナリア草で困ったことが出来ましたら、僕が専門で教えた人たちに聞いてくださいね。ロイマンさんやターナーさんとフーラさんのことです。それで、あとの展開はですね・・・・僕がもう行かないといけないので、自分たちで考えて頑張っていきましょうね!」


 フュンは、細かい事業展開の部分を村に全部丸投げ。

 でも村人たちはそんな細かい事を気にしていない。

 村人たちは、フュンの言葉を嬉しそうに黙って頷いた。


 「うんうん。皆で頑張りましょうね。でも、僕なんかいなくても皆さんならきっとこの村を発展させていけますよ。絶対に皆でご飯を食べられるようになりましょう! 自分たちを信じて、皆でがんばっていきましょう。おーーー」


 フュンが拳を突き上げると、村人たちも一緒に拳を突き上げた。

 こんな優しい檄は見たことがない。

 戦場経験のあるロイマンはそう思った。

 

 村人たちはまるで戦場の兵士たちのように大きな声をあげて、これから自分たちは力強く成長するのだと、フュンを安心させるために勝鬨を上げているようだった。



 ◇


 盛り上がった後フュンはロイマンと話す。

 

 「ロイマンさん。もし村が裕福になった場合ですね。気を付けてもらいたいことがあります」

 「なんでしょう?」

 「それはですね。盗賊や山賊たちに注意してください。おそらく、お金になる草だと分かられた場合、ここを襲ってくる可能性があります。まあ、あくまでも可能性ですけどね。この草、どこからどう見ても雑草にしか見えませんからね。あははは。それで、その時の為に兵士を養っておいてください。まあ、兵士というよりは用心棒ですかね」

 「あ、それなら王子。俺がそれを育成してもいいってことですか?」

 「ああ。なるほどなるほど。そうか。それでもいいですね。村の人たちの何人かが戦えるようになった方がいいかもしれませんね。色んな意味でそっちの方が良さそうだ」

 「わかりました。それならお任せください。王子」

 「はい、ロイマンさん。あなたにならこの村をお任せできます。僕、これで安心して帝国に行けますよ。もう会えないかもしれませんが、もし会えたらその時は喜んでもらえますかね。あはははは」

 「もちろんです。俺たちはあなたに会えて本当に良かった。最初の無礼を許してほしいです。それと大変感謝しています。一生涯かけても、いつか必ずお返しするので、また絶対に会いましょう。その時を楽しみに頑張っていきます」

 「・・・そうですね。またいつか会いたいものですね。僕もその時が来るのを楽しみにしてますよ」


 そう言ったフュンの顔は晴れやかだったが、体から薄っすらと悲しみと寂しさの様なものが出ていたの感じたロイマンは涙を我慢した。

 もう二度と会えないだろう。

 この一言をこぼさないだけフュンは立派な人物だった。




 ◇


 「よし。僕らも急がないと……イハルムさん、帝国まであとどれくらいの日数でしょうかね」

 「関所までは、大体あと二日ほどです。帝都までは。三、四日ほどですかね」

 「なるほど。到着予定日ってどれくらいでしたっけ?」

 「あと四日です」

 「ええええ!? それはまずいですね。今すぐ行かねば! 帝都に遅れるわけにはいきませんよ」

 「はい。そんなに慌てなくとも、我々は早めに出ましたし、まだまだ間に合う範囲であるかと思いますよ。それに私は馬車の操作は得意なので大丈夫ですよ。ははは」

 「いえいえ。急がねば、余裕を持って行かないといけません」


 村を離れる準備を慌てて始めるフュンの最後の挨拶は馬車の窓からであった。

 

 「ロイマンさん。あとは頼みましたよ。それと伝言をお願いします。イールさんたちに、王都に戻ってお仕事頑張ってくださいと。ここまでありがとうと伝えておいてください。お願いします」

 「はい。必ずお伝えします」

 「ありがとうございます! それでは皆さんも頑張って、僕も頑張ってきますね! また!」

 

 フュンは村人たちにさよならとは言わなかった。

 またと言って爽やかに別れたのである。

 

 「「「王子! ありがとうございました。お元気で、また会いましょう」」」」

 「は~い。また会いましょうね~」


 村人たちは大声を出して王子を見送り。

 フュンは、ロイマンが割った窓から身を乗り出して手を振り続けた。

 最後まで明るい王子のおかげで、皆も晴れやかな気持ちで送り出せたのだった。



 ◇


 王子の姿が見えなくなった後、ロイマンはジャイキと話した。


 「ジャイキ。俺たちはこの村を大きくしよう!」

 「え?」

 「俺は国を憎んだまま逃げて来たんだ。ずっとそんな感じだったから、今まで帝国から逃げてよかったと思ったことがなかったんだよ。でも俺はこの村には助けられてよかったと思ってるんだ。絶望していた俺に対して皆が親切だったんだ」


 久しぶりに昔を振り返るロイマンの心はどこか晴れやかだった。

 

 「そして、それと同じくらいに俺はあの人に会えてよかったと思ってる。俺は、なんとしてでもあの人に恩返しがしたいんだ。会う機会はもう二度とないのかもしれないけど、王子が残したものを大切にしていきたい。ジャイキ、この村を大きくする考えはどうだろうか?」

 「俺はいいと思います。俺も手伝います。あの王子の為にも俺たちの為にも、必ずでっかい村にしましょうよ。帰ってきたらビックリして腰を抜かすくらいにです。そんくらいの意気込みで頑張りましょう!」

 「ああ。俺もその心意気で頑張るぜ。王子も頑張るんだからな。ハハハハハ」


 こうして、フュンが救った村は、新たな目標を立てて大きく成長することになる。

 王子に会えることはもうないかもしれない。

 だがそれでも、もし会えた時にこの程度かとがっかりさせないために、彼らは立派になった村を見せようと努力するのであった。

 ロイマンがいる村は急激に変わっていく。



 

 ◇


 「いや~、遅れたらまずいですよね。どうしましょう」

 「殿下。少しは落ち着かれたら、帝都にはまだ間に合いますよ」

 「どうでしょうか。属国としては宗主国に失礼のないようにせねば。どうしましょう」


 馬車の中で体が揺れる中、フュンの視線も一緒になって揺れていた。

 動揺は目の中にも現れていて瞳が縦に揺れていた。

 このまま情緒不安定のままではいられないとフュンは目を閉じて深呼吸するといつもの状態に戻る。

 この切り替えの早さが取り柄である。


 「ふぅ~。まあ、なるようになるでしょうね。うんうん。気にしても仕方ないですね」

 

 コロコロと表情が変わる主君が面白いと思ったゼファーであった。

 

 「関所から帝都までは二日ですか。かなりこちら寄りに帝都があるようですね」

 「そうですよ。ゼファー殿って地図を見たことがありますか?」

 「いえ、私はそういう勉学の方はあまり」

 「そうですか。僕も勉強が出来ないんですが、結構地図を読むのは好きでしてね。アーリア大陸の簡易の地図を持ってますよ。これ見てください」


 フュンは馬車の中で地図を広げた。

 アーリア大陸。

 その東端にあるサナリア平原は、北のサナリア山脈と南のユーラル山脈に挟まれた平原である。


 「私たちの国は小さいんですね」

 「ええ。この大陸に比べたらかなり小さいです。帝国が東、王国が西。この二か国で、大陸の半分ずつを分けあっていますからね。僕らの土地なんて大陸の半分の半分の半分にも満たないですよ。世界って広いんですよね。面白いですね」


 サナリア平原は東側にある二つの山脈の重なりが無ければ海が見える位置だった。

 広い世界に出られないのは二つの山脈のせいでもある。


 「そうですね。この地図を見ると旅をしてみたい。と思ってしまいますね」

 「ほんと。そうですよね。僕が人質じゃなかったら世界を歩き回りたかったです。ああでもゼファー殿。こんな僕に付き合わせてしまい。ごめんなさい。あなたの実力なら旅しても困らないのに、僕の生活に付き合わせてしまい……申し訳ないです」

 「いえいえ。お気になさらずに。私は殿下から離れませんよ。必ず、おそばでお守りします」


 ゼファーは真っ直ぐフュンを見つめた。

 この時、初めてゼファーはフュンを認めたことを表明したのだ。

 我が主君はこの人だけであると。

 認めたとは言葉として伝えていないが、その思いは確かにフュンに伝わった。


 フュンは彼の変化を見て優しく微笑んだ。

 ゼファーの心のどこかにあった嫌だという気持ちが一切見えないその表情。

 誠心誠意の誓いの挨拶にフュンは喜びを得ていた。


 こうして、凡庸で優しいだけの王子は、律儀で強き従者を得たのである。

 立場ではなく心で結びついた唯一無二の関係。

 後に訪れる困難を二人で乗り越える。

 強固な主従の結びつきと、固い信念に基づく友情は、今まさに始まったばかりである。



 ◇


 二日後、帝国の関所にて。

 サナリア平原の西の出口には帝国の関所がある。

 それはサナリア側が建てた施設ではなく、帝国が勝手に建てた施設。

 勝手に自国の領土を荒らされないために作った防波堤のようなものである。

 そして、この関所を無事に通れるようになるには、身分証であるブレスレットを提示することが義務付けられていて、勝手にそちらが作っておいて、勝手に決まりも作られている現状が、サナリアの苦しい立場を示していた。

 

 関所の兵士の一人が馬車に近づくと、御者のイハルムがブレスレットを見せる。

 間違いなく正規品の物であるが、それでも簡単に通れとは言われず、何故か兵たちは話しかけてきた。


 「貴様らは何の用でここに来たんだ。買い物か。随分豪勢な馬車だな」

 「それはそのぉ」

 

 返答に困ったイハルムの代わりに、フュンが馬車から顔を出して話す。


 「僕の人質移動のための馬車ですよ。急いでいるので、通してもらってもいいですか」

 「そうかよ。ならお前が噂の王子か……」

 「噂の?」

 「お前、属国のいらない王子だってな。英雄の子なのに何も出来ない能無しだってな。ご苦労なこったな。通ってもいいぞ。能無しなら反乱などしないしな。問題ないわ」

 「そうですか。ありがとうございます。通りますね」


 失礼な態度である兵士に対して、フュンは笑顔で対応した。

 だが、実は兵士から見えない体の方は必死であった。

 左手をゼファーの顔の前に出して、彼を止めていたのだ。

 今にも暴れ出しそうな殺気を放っていたために、フュンは必死で引き留めている。

 そんな大変な状態であることを顔には一切出さずにフュンは最後にまたお礼を言った。


 「では今から通りますね。お仕事ご苦労様です。ありがとうございます」



 関所の兵士たちの声が聞こえる。

 小声で言えばよいのに、わざわざ大きな声で会話していた。

 

 「はっ。言い返す気概もない王子なんだな」

 「俺たちみたいなのに馬鹿にされても笑顔だったぞ。流石はボンクラ王子と言われるだけあるわな」

 「もしかしたらバカにされてるのも気付かないとかか?」

 「はははは、そうかもな」

 「…所詮は田舎の子なんだよ。帝都に行ったら苦労するぞ。あれはな」

 「はははは、違いない。情けない王子はこれから辛い思いをたくさんするんだろうな」


 この会話ももちろん、こちらにも聞こえていた。


 「あの野郎ども。私が天誅を下します。今から降りて」

 「いいんです。言わせておけばいいんですよ。僕らは急ぎ帝都に向かわないといけないのです。こんなところで怒って時間を無駄にしてはいけません。ゼファー殿も落ち着いてください」


 馬鹿にされてもフュンは至って冷静である。


 「殿下。なぜ冷静なのですか。ご自身を馬鹿にされたのですよ。憤ってもおかしくないのですよ」

 「ええ。でも半分は本当のことですし、あの人たちは僕のことを知りません。知らない人になんだかんだ言われても平気ですよ! 僕はむしろ、ゼファー殿やアイネさんたちに同じことを言われたら、へこみます。もしそんな事があったら寝込んじゃいますね。あははは」

 「はぁ。そんなものでいいんですか」

 「そうです。僕はこんな感じでいいのです! それに、いちいち腹を立ててたらお腹が痛くなっちゃいますよ。キリキリ~~ってね。ですから平気です。気にしない気にしない!」


 明るいフュンはちょっとやそっとじゃへこたれない。

 おそらくこの中で心が一番強い男なのだ。


 ◇


 関所を抜けるとこちらも平原。

 マールダ平原である。

 だがこちらの平原は緑の平原ではなく土の平原。

 雑草一つ生えていない平原に、二人は驚いた。

 こちらの平原は、雨も頻繁に降るようで地面の所々にぬかるみがあるために、泥に足が取られそうになる。

 だから時間内に到着できるかは、イハルムの腕にかかっていた。

 そうイハルムが三、四日で到着すると曖昧に言ったのは、この泥を上手く避けて進めるかという事なのだ。


 「イハルムさん。上手く前に進めそうですかね」

 「はい。走りやすい道で走っていきますから大丈夫だと思います。以前も来ていますし」

 「そうですか、さすがですね。イハルムさん。あ!?」


 フュンが窓からイハルムと会話をしていると、遠くの方で、ぬかるみに嵌って立ち往生している馬車を見つけた。

 あちらの馬車は、やけに豪勢でフュンの馬車よりも高そう。

 普通の道に戻そうと人がその馬車を押している所だった。

 

 「イハルムさん。その馬車の前に安全に止めてください」

 「え?」

 「あそこに困っている人がいるんです。ほっとけないです。止まりましょう」

 「わ、わかりました。あちらの……地面が安定している場所に止めます」

 「ありがとうございます。お願いします」


 フュンが座席に座り直すと、向かいにいるゼファーが話し出す。


 「殿下。お時間がなかったのでは。馬車を止めてもよろしいのですか?」

 「いいです。遅れたら謝ればいいだけ。今あそこで困ってる人をほっとくほうが嫌なので、助けましょう!」

 「さっきと言ってることが違うような……まあいいでしょう。殿下ならそうするでしょうね。私もお手伝いしますよ」

 「ありがとうございます!」

 

 ゼファーは王子がどういった人物かを徐々に理解し始めた。

 こんな人だからこそ、王宮の者たちはあれほど別れを惜しんだのだ。

 きっと、彼らはとても寂しかったのだ。

 これほど気持ちの良い人と別れるのは悲しかったのだ。

 あの王宮の中で、おそらくたった一人の優しい人であろう。

 ゼファーは、あの馬車を助け出させるかどうか心配そうな顔をしているフュンを見てそう思ったのである。


 ◇

 

 フュンは立ち往生している馬車まで歩く。

 立ち往生中の馬車にいた四人は、一人が馬車の中にいて、一人が馬車を御して、二人が必死になって後ろを押す形を取っていた。

 後ろにいる二人が、馬車を押すタイミングを合わせて押し込んでいる。


 「すみません。大丈夫ですか?」


 汗水たらして懸命に押している二人にフュンは後ろから話しかける。

 話しかけられた手前の小太りで鉢巻の男性は振り向いた。


 「だ……いえ。大丈夫じゃないですね。こんな事になってしまって、困ってます」

 「そうですよね。大変そうですものね」


 現状にうんざりした様子を見せると、その隣にいるお茶らけた男性が話しだした。

 チャラけた男性はギザギザの歯がトレードマークだ。


 「キロックのおじき。こりゃ、こいつを動かすなんて無理ですぜ。せめてあと2、3頭、馬が来ないとさ。無理無理、押したって意味ないですって。待ちましょうよぉ」


 必死に馬車を押すのが馬鹿らしいと言いたげである。


 「うるさい。うだうだ言いよるな。アホタレ。すみません。我々はこんな感じでありましてね。うるさくて申し訳ない」

 「いえいえ。普段の感じで結構ですよ。その方がこちらとしても楽です」


 調子のよい男を戒めたキロックはフュンに謝った。

 すると、このやり取りに気付いた馬車の中にいる人物が窓から顔を出す。


 「フィックス、何事だ。動きそうなのか?」

 「あ、旦那! 俺たちだけじゃ絶対に無理ですよ。馬が必要なんですぜ」


 フィックスは、中にいる人物と親しげに話していた。


 「そうかい。俺は早く関所に行きたかったんだがな。この道を選んだのが間違いだったか。ん? ところでその御仁は誰だい? キロックの知り合いか?」


 美しい銀髪をポニーテールにしている男性はフュンのことを指さした。

 

 「いえ、こちらの方から今話しかけられたばかりですので、詳しくは知りませんよ」

 「ああ。そうかい。そこの君。俺の馬車に何用かな?」

 「あ、僕はたまたま通りかかった者なんですけど、僕の馬を使って脱出のお手伝いしましょうか。馬三頭ならここから脱出できそうですし、あちらの普通の土の場所にまで移動できますよ」


 フュンは、相手の馬車にいる馬が、本来は二頭である事に気づいていた。

 会話の流れからして、一頭を使用して、どこかの都市に馬を買い付けに行って、応援を待っているみたいであった。

 だから数頭で泥から引っ張り上げれば、馬車が脱出できるとこの人たちが考えていると察したのだ。

  

 「ほんとかい!? 君、いい人だね。お願いするよ」

 「ええ、任せてください。イハルムさん! ゼファー殿! 僕らの馬を持ってきてもらえますか?」

 「「わかりました」」

 

 二人はフュンの馬車の馬の縄を外して、この豪勢な馬車の前に縄をつける。

 フュンは馬車の後方に向かい、後ろから押してあげようと手をかけた。


 「・・・でん・・・・」


 フュンが馬車を押そうとしていることに慌てたゼファーが、殿下と言おうとした時に口をふさがれる。


 「ここでは殿下は無しで! 色々面倒になるので、ただのフュンってことで! 僕らは友達ってことで行きましょう」


 フュンはゼファーに顔を近づけて小声で話しかける。

 ゼファーは慌てた。

 この場で殿下と呼ぼうとした落ち度と、自分が友達とはありえない。

 両方の申し訳ない気持ちでいっぱいであった。


 「…いやいや、さすがにそれは無理があります」

 「仕方ありませんね。じゃあ、なんて呼んでくれますか?」

 「・・・・・フュン様でどうでしょう」

 「なんだフュンではないのですね……百歩は譲りましたね」

 「それはさすがに私には無理です。私にとってあなたは殿下なのですから」

 「あははは。では押しますよ」

 「で、で・・・じゃなかったフュン様は馬車にいてください。私が押します」


 ゼファーの話し方がぎこちない。

 フュンと呼ぶことに慣れないのである。


 「いえいえ。力を合わせればひょいと泥から抜け出ますって。一緒に頑張りましょうね」

 「わ、わかりました。殿下には敵いませんね。はぁ」


 結局、ゼファーは殿下と言ってしまっていた。

 


 ◇


 三頭の馬の力と男四人の力を合わせて馬車を押すと、一瞬だけ車輪が回ったような気がしたが、馬車は一向に泥にはまったままで立ち往生の現状は変わらなかった。

 

 「どうしましょうか。でん・・フュン様」

 「そうですね……あ!」


 フュンは、まだ呼び慣れない名前に悪戦苦闘しているゼファーを見て思いつく。

 隣で息も絶え絶えになっている鉢巻のキロックに話しかけた。

 馬車を押すのに体力の全てを使い果たしている様子であるがそれでも構いはしない。

 フュンは、一刻も早くこの現状を何とかしてあげたいと思う一心である。


 「すみません。そちらにぶ厚い紙みたいな物ってありますかね?」

 「え・・ぜぇ・・・はぁ・・・え!?」


 押し疲れで話せないキロックに変わって、隣のひょうきんなフィックスが答えた。


 「厚紙なら一つありやすぜ。ちょっと待ってください」

 フィックスは馬車の中にいる男性の所に向かった。

 「ちょっと旦那! 中にある紙をくださいよ。あのでっかい白い紙」

 「ああ、こいつだな。これを何に使うんだ?」


 髪の毛の一本一本がきめ細かい長髪の男性はフュンに答えを求めた。


 「はい。脱出に使います。ええっと、これをですね。この地面と車輪の部分に挟んでと。これで車輪が紙を噛んでくれればいけますよ。これで押しますよ」


 フュンが泥の上、車輪の下に紙を置く。


 「行きますよ! せ~の」

 「「ぬおおおおおおお。上がれえええ」」


 フュンの掛け声の元、もう一度全員で馬車を押す。

 車輪が紙を嚙んでいき泥の上を滑っていく。

 回り始める車輪は泥の中でも回り始めて、次第に泥から土の上に登っていった。


 「あ。ほ。へ。あふほがざえろくあすありがとうございます

 「何言ってんすか。おじき。ま、いいや、上手くいきましたね。見知らぬ坊ちゃん。ありがとうございました」


 何も話せないキロックの代わりにフィックスがお礼を言う。

 彼らは数時間以上立ち往生していたので一安心した。

 

 「いえいえ。それじゃあ、僕らはここらでお暇します。皆さんがご無事に旅が出来るように祈ってますね。さようなら」


 フュンとゼファーは一礼して立ち去ろうとしたが。


 「ああ。君、君! お名前は何だい。商人である俺が貸しだけを作るのは名が廃るからね。君が帝国のどこに行くか分からないけど、名前さえ覚えておけばすぐに探せるからさ。手厚くお礼をするよ、どうだい?」


 馬車の中の男性が引き留めた。


 「すみません。別に僕はお礼をもらうためにやったことではないので、僕はこれで。失礼します」


 顔立ちがまるで女性のよう。

 それでいて美人に見える男性に、名を聞かれてしまったフュン。

 ここで簡単に【フュン・メイダルフィアです】と名乗るわけにもいかず。

 そそくさと帰ろうとするのだが。


 「いや、せめてお礼をしたいんだ。名だけでいいからさ。名乗ってくれないかな」


 しつこかった。

 諦めない男性は笑っているようで目が笑っていなかった。


 「いやでも・・・ま、いいでしょう。わかりました。僕の名はフュンです。また会えたら会いましょう! ではお元気で」 


 男性が諦めそうになかったのでフュンは結局名前だけを伝えた。

 名だけなら自分が王子だと分かるはずがないと思ったのである。

 とんだ世間知らずの甘ちゃんなのだ。


 「…お、おう。そうか。フュン殿だったか。今までのこと、ありがとうフュン殿」

 「いえいえ。失礼します」


 瞳が真紅の男性はフュンの名を聞いた直後に目を輝かせた。

 鷹が獲物を捉えたかのような鋭い眼光で、慌てふためくようにして走っていくフュンの背中をじっと見つめた。



 ◇


 フュンたちが帝都に向けて出発した後。

 銀髪の男性たちの馬車の中での出来事。


 「ほう。あれか・・・・・」

 「ぜぇ、はぁ。旦那ぁ。どうしましたか?」


 キロックの息があがっている。


 「…おい、キロック! お前は少し運動しろよ。馬車を押すだけでどんだけ疲れてんだよ。痩せろ。そうすりゃちょっとはいい男になるぜ」

 「そ、そりゃないですよ。そんなこと言うんだったら旦那が馬車を押してみてくださいよ。きっと旦那でも疲れますよ」

 「俺が!? 無理だぜ。服が汚れちまうもん。嫌だ」

 「んんん。こいつは旦那の馬車なんですよ。あなたが管理してください!」

 「ははは、まあ、気にすんなよ。そんな些細なことはさ!」

 「はぁ~」


 キロックが疲れこんで馬車の背もたれに寄りかかる。

 隣にいるフィックスは、キロックと一緒に馬車を押していたのに疲れた様子を見せずにいた。

 平気そうな顔で銀髪の男性に聞く。

 

 「旦那! 何があれか。なんですか?」

 「ん?」

 「あの親切坊ちゃんに対して、さっきそう言いましたよ」

 「ああ。そうだ。俺が関所で見ようと思った人物がさ。あの子みたいだ」

 「え? じゃあ、あれが噂の人質だったんですかい?」

 「そうみたいだ。影からあの子を見てさ。どういった人物か確認したかったんだがな。まさか、こんな何でもない場所で出くわすとはな。世の中は不思議なもんだな」

 「そうですね。それにしてもあの人。お人好しでしたね。こっちから助けてくれなんて言ってないのに、自分から手伝ってきましたよ。困っている人をほっとけない人ですよね。あれは」

 「ははは、そうだったな。王族とはとても思えん人物だよな」


 銀髪の男性は馬車の窓の縁に肘を掛けて頬杖をした。

 遠くを見るような体勢になって再び話し出す。


 「さっきの子……俺はボンクラで取り柄のない子だと噂では聞いていたんだがな。俺が今抱いた印象とは全く違うな。むしろ。あの子の眼は鋭かったな。若干怖いくらいだったな」

 「そうっすか? 普通の子のような印象を受けたんですがね。とてもごく普通の・・・」

 「いや、目の奥にな……光と影があったな。あれは威圧感とかじゃないぞ。武の力ではなく、別な次元を見ている……そんな感じだったな。俺たちの何かを見極めているような眼だったわ」

 「ほんとっすか。またまた旦那の勘違いっすよ。旦那の勘はいっつも外れるから、俺は信じないっすよ」

 「なんだと、失礼な! ああ、ここでフィックスだけ降ろそうかなぁ。お前だけ、ここから歩いて商会まで帰れよ。降ろすわ!」


 ムカついた銀髪の男性はフィックスを馬車から蹴落とそうとする前に。


 「なあ、そうしようぜ。キロック」


 キロックに話しかけたが。


 「zzzzzz、zzzzz」

 

 疲れ果てた彼は寝ていた。


 「あほかこいつ」「ちょっとおじき!」


 二人はキロックに呆れてもタオルをかけて寝かせてあげたのであった。



 

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