第7話

「谷さん!」


 目に飛び込んできたのは、横幅100㎝にも満たないシングルベッドの上で泣いている谷さんと、その肩をベッドに押し付けているおっさんの姿だった。


「何やってんだよ!」

 俺は驚いて目を丸くしているおっさんに体当たりして、谷さんから引きはがす。

「痛ぇ! そっちこそ何すんねん! 勝手に入ってきてええと思てんのか!」

 予期せぬ侵入者に動揺しているのか、威嚇する大声が響く。

「谷さん、大丈夫?」

「陸くん、僕……」

 俺よりも年上で大人の谷さんが、震えていた。

「もう大丈夫だから。何があったの」

「何があったて、そいつや! そいつから誘ってきたんや」

 おっさんは怯えと笑いが同居した顔を浮かべて、俺に向かって叫ぶ。

「忘れられへんかった言うてな、抱きついてきたんや」


 こいつ、まさか。


「男やけどまぁ身体は良かったからな、ほな相手したるわて、こっちはしゃあなしで部屋入れたったんや」


 谷さんが好きだった、あの。


「お前ら、こんなん働かしとってええんか? 客誘うやなんてとんでもない話やぞ。しかも男や。ほんま、ビジネスホテルいうて何のビジネスしとんねんてなるで。はは!」


 谷さんの目に、もう涙はない。人というのはひどい言葉を浴びせられると泣くことすらできなくなるんだと俺はこの時知った。


「谷さん」

 僕は谷さんの両手を取って、左右それぞれの耳に当てる。

「耳塞いで目閉じてて」

 谷さんの目が「ダメだよ」と言っている。

 こんな目に遭ってもまだ庇うのか。

「ごめん。俺が無理」

 右の掌を握りしめる。

 

 腹が立つ。


 何が面白いのか、ひとりで笑っているおっさんの腹を俺は下から思いきり殴りつける。

 不愉快な笑い声の代わりに低い呻き声を上げておっさんはその場に崩れ落ち、むせた。


「あんた、谷さんのこと可愛がってた先輩だろ。人前で手繋いでもいいって思うぐらい、谷さんのこと好きだったんじゃないのかよ」


 腹にめり込んだ時の肉の感触がじわりと右の拳に広がる。


「そういうの、何で自分で馬鹿にすんだよ。冗談にしちゃうんだよ。あんたのそういうので、どれだけ谷さんが傷付いたと思ってんの。好きならちゃんと守れよ、笑い飛ばすなよ、向き合えよ!」


「陸くん、もうええよ」


「良くねぇ。全然良くねぇよ。あんなに谷さんが大事に守ってたもんを、こいつは自分可愛さにめちゃくちゃにして壊したんだぞ」


「ええねん、て」


「他人を傷つけんなって小学生でもわかる話だろ。いい年したおっさんが何で平気でやるんだよ。わかんねぇ、本当わかんねぇ。男同士だからとか、そんなもん関係あるか。優先順位間違えてんじゃねぇよ」


 もっと他に言いたいことはあった。なのに、同じような言葉しか出てこない。そんな自分にも腹が立つ。


「……大人には色々あるんや」

 虚勢と諦めが混じったような顔で、おっさんが呟いた。

「そんなもん知るか。俺は大切なもんを大事にできる大人になる」

「そらええこっちゃ。言うとくけどムズいで」

 ベッドの上でうずくまっていた谷さんを立たせて、俺はおっさんに告げる。

「殴ったことは謝らねぇから。通報するならしたらいい」

 谷さんを先に歩かせて、部屋を出ようとしたところで「トモ」と声がした。谷さんの背中がピクリと反応する。


「元気でな」


 谷さんは止まったまま、振り返らない。肩で大きく息をした後、そのまま扉を開いて俺たちは部屋を出た。

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