第5話

「僕が関西から来た人間やっていうのは知ってると思うけど、何でこっちに来たんかは主任から聞いた?」

「……薄く」

 前の仕事の退職理由は『一身上の都合』だと聞いた。

 その時の俺は『一身上の都合』について「そういう都合があるんだろうな」ぐらいにしか思っていなかった。

「僕ね、ここに来る前はMRっていう仕事してたんよ」

「えむあーる?」

「『Medical Representatives』、略してMRな。医薬情報担当者言うて、平たく言うたらお医者さんや看護師さんに薬についての情報を伝える仕事のことや。業界ではまぁまぁ大手のところで、今から考えたら毎日ようあんだけ働いたなぁて呆れるぐらい、仕事ばっかりしててん。その時の僕にも憧れの先輩がおってな。新人の頃から何かと目ぇかけてくれて、よう呑みに連れてってもうたし、お医者さんとの付き合い方とか仕事でもいっぱいフォローしてもらったんやわ。ほんまにええ人やってん」

 穏やかなテンポで話す谷さん。


「で、向こうから付き合おて言うてくれて、僕も気付けば好きになってた」


 好き? 

 谷さんが、その先輩のことを?


「その先輩って」

「うん、男の人」

 谷さんはサラッと答える。

「谷さんの恋愛対象は男の人なの?」

「んー、それはあんまり意識したことないなぁ。きっと先輩が女の人やったとしても、僕は好きになってたと思う。男とか女とか関係なくて、僕は『先輩』のことが好きやったんやもん」

 ふわふわとした柔らかな物を撫でるみたいに、とても優しい口調で想い出を語る谷さんの姿を俺はじっと見ていた。


「僕の2つ上で、営業力もあって、面倒見も良くて、いかにもデキる人って感じやし実際めっちゃデキる人やったんやけど、僕と2人でおる時は甘えてくれたりして。気ぃ許してくれてるんやなぁ、嬉しいなぁ、ずっとこんな時間を重ねていけたらええなぁて思てたんやけど、そううまい事いかんもんやなぁ」

 そう言って、谷さんは少し寂しそうに笑った。

「僕と2人で手ぇ繋いで歩いてるとこを、若い社員に写真撮られてしもて。先輩、モテるのにずっと独身やったから『もしかしたらアッチの人ちゃうか』て噂が回ってなぁ」

「何それ」

 好きな相手が別のヤツと仲良さそうに歩いてることに嫉妬するならまだ分かるけど、悪意だけを持って他人の恋愛に踏み込むヤツがいるなんて。

 信じられないという気持ちが滲み出ていたのか「もちろんそういう人ばっかりやないよ。でもそんな人がおるのも確か」と谷さんは言った。


「僕らの関係を疑う声がある意味、エンタメ的な感じでどんどん広まっていって。そんな時に会社で仕事してたら、上の人から先輩が話し掛けられてな。多分悪気ないんやろうなぁ、そういうことに理解あるからなって言いたかったんやと思うねんけど、皆が作業してる前で僕のこと指して『確かにコイツ、ちょっと色気あるもんなぁ。お前が参ってもうたんもわかるけど、会社でチューしたなってもそこは我慢やで』言うて大笑いしたんよ」

「何だよそれ、最悪じゃん」

「やんなぁ」

 はははと笑い、谷さんは続ける。

「上司がわろてるからとりあえずで笑う人もおれば、ただただびっくりしてる人もおって、皆色んな反応してたわ。でも僕な、別にその人らがどんな反応しようとどうでも良かったんよ。だって僕が先輩のこと好きなんはほんまやし、まして男同士でそういう仲になった時点である程度覚悟してたんやから。でも先輩はちゃうかったんや。なんて返したと思う?」

 俺の答えを聞かずに、谷さんは言う。


「『ほんま、こいつの誘いきついんですわぁ。せやからとりあえず手繋いだるからそれで満足してやて言う話やったのに。ここまで引っ張るもんちゃうで、なぁ』」


 は?


「いや、『なぁ』じゃないだろ。そいつ、何のっかってんの? おかしいだろ、全部谷さんが悪いみたいになってんじゃん」

 

 何なんだよ、それ。


「で、上の人と盛り上がって、それで終了や」

「谷さんは言い返したの?」

「えー、そんなんせぇへんよ。ようせんかったわ。その代わりにトイレ行って吐いた」

 谷さんは表情筋が壊れたみたいに、ずっと笑っている。


「僕が悪者になるんは全然良かったんやけど、せめて冗談にせんといて欲しかったなぁ、て。僕が会社におり続けたら、また先輩の口から僕らの関係を違う形に作り替えてしまうような、そんな言葉を聞くことになるかもしれへん。それだけは嫌やったから、そうなる前に辞表出して逃げたんや」


 谷さんの視線の先には、まだ半分以上残っているお弁当。


「辞めた後はいろんなとこを転々として、結果、落ち着いたんがここやった」

「どうして」

「前に先輩と出張で来たんや。あそこの文化ホールで担当してた先生の講演会みたいなんがあって。その時泊まったんがこのホテルやってん。そんなとこで働いてたら、嫌でも思い出すのにな。アホやろ」

 だから僕は陸くんが思うような立派な大人やないんやと、谷さんは笑った。

 谷さんの昔話を聞きながら、俺はずっと腹が立ってイライラしていた。


「なぁ。なんで笑ってんの」


 今の話を全部聞いた上で、笑える部分など何ひとつない。


「谷さん、どうして怒らないの」


 舐めるなって、殴るぐらいしろよ。


「写真撮ったヤツ、会社のえらいヤツ、谷さんの先輩、仕事場で笑ったヤツ、噂したヤツ。全員何なんだよ、頭おかしいだろ。男とか女とかいう前に、人と人の話だろ。男同士だからってそれでお前らの人生に何か悪いことでもあんのかよ」


「陸くん」


「人が大事にしてるモンをエンタメにして笑うとか、何考えてんだよ。会社ってそんな話するほど暇なの。皆頭いいんだろ。なのに何でそんなことすんだよ。泣くかもしれない人がいるってことがどうしてわかんないの」


「陸くん、しょうがないんや」


「何がしょうがないだよ、全然しょうがなくないよ。だって谷さんまだツラいんじゃん。元カレのこと引きずって住むとこも仕事場も決めちゃうとか、もうズルズルじゃん」


「それはごもっともなんやけど」


「だから何で笑ってんだよ!」


 谷さんの顔には、ずっと笑顔が張り付いている。いつ見てもニコニコしている。それ以外の顔をしたら死んでしまうんじゃないかと思うぐらいに。

「……せっかくのお昼の時間にしょうもない話してしもて、ほんまごめんな。そろそろ仕事しよか」

 もうこの話はおしまいとばかりに、お弁当を片付け始める。


 俺は初めて、谷さんが作ってくれたおかずを残した。

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