第4話
そんな訳で、今日も俺と谷さんは重いカートを押して仕事をしている。
「8階、チェック終わったで」
谷さんが、記入済みの用紙をバインダーに戻す。
「了解。じゃあ俺、7階見てくる」
「あ、緑茶のボトル足らんかも。作業始める前にもっと積んどいたら良かったなぁ。気ぃ回らんでごめんやで」
「大丈夫。もしなかったら一旦降りて補充したら済む話だし」
谷さんと仕事をするようになって5ヵ月。俺たちはため口でやりとりをするようになっていた。
夏休み期間中は文化ホールでのイベントも多いため、ホテルは連日満室状態が続いている。
「陸くん、めっちゃバイト入ってるけど、受験勉強は大丈夫なん?」
「大丈夫じゃなかったらバイトに来てないよ」
さも余裕がありそうな返しをしたが、正直な話、そこまで余裕はない。友人たちは勉強に本腰を入れ始めているのに、俺はというと親戚でもなく先生でもない『年上の同僚』という谷さんとの時間が楽しいため、母親が受験勉強などお構いなしでぶっこんでくるシフトを全て受け入れていた。
「あ、もう昼やん。12時過ぎてるわ」
「本当だ。お昼にしようよ。揚げ物揚げ物」
「若いなぁ」
谷さんはくくく、と笑いながらカートを廊下の端に置き、お弁当セットを持って備品置き場へ移動する。
「はい、これ陸くんのんね」
谷さんは自分の弁当の半分程のサイズの容器を俺に渡す。
谷さん手作りのおかずがぎゅっと詰められていた。
「おー、やっぱウマそー!」
今日はネギ入り玉子焼き、ブロッコリーとじゃこの炒め物、にんじんしりしりに白身魚のフライだ。
「送ってくれた写真見た時からもう楽しみでさ。あ、これ谷さんのおにぎりね」
「ありがとう」
僕らは向かい合って、手を合わせる。
「いただきます」
期待していた白身魚のフライには大葉が巻かれていて冷めても十分旨かったし、じゃこはカリカリでブロッコリーからは胡麻油の香りがした。
「谷さん、腕上げたよね」
「陸くんも朝から鮭焼いて身ぃほぐしてってしてくれたんやろ。こんなおっさんのためにありがとうなぁ」
ラップをむいて鮭おにぎりをほくほく顔で頬張る谷さんに、俺は訂正を入れる。
「谷さんはおっさんじゃないよ」
「18歳から見たら38歳は十分おっさんやで」
「何ていうか、谷さんは『谷さん』て感じなんだよな」
「なんやそれ」
左手におにぎり、右手の箸の先に玉子焼きを挟んだまま、谷さんは笑う。
「何て言ったらいいのかな……多分その辺歩いてる38歳は俺にとっておっさんなんだけど谷さんは仕事仲間だし、色々話してるからそういうのと一緒にするのは違うかなって」
「そこら辺歩いてる38歳が泣くで」
「だってしょうがないじゃん。それに俺、谷さんのこと尊敬してんだよ」
「尊敬?」
『ちょっと何言ってるのかわかんない』みたいな顔で、谷さんは俺を見た。
「仕事の先輩が高校生の俺ですっげぇやりにくかったと思うけど、谷さんはずっと俺と同じ目線で喋ってくれるし、優しいし、作業の効率もスパッと上げてくれて。俺、谷さんみたいな大人になりたいよ」
俺がそう言うと、谷さんは今から先生に謝りに行く生徒みたいな顔をした。
「そんな風に思ってくれてたんや。ありがとう。でも僕、そんなええもんちゃうんよ。ごめんな」
申し訳なさそうに笑う谷さんの顔を見るのは初めてだった。
どうして谷さんは自分のことをそんな風に言うんだろう。
なんだか自分の中にある谷さんへの憧れにケチを付けられたような気がして、少しイラっとした。
「谷さん、めちゃくちゃ仕事できる人なのに、なんでこんな子どもでもやれるようなバイトしてんの? もったいないよ」
感情に任せて言ってしまった後、『谷さんの事情にずかずかと踏み込むような、無神経なことを言ってしまったかもしれない』と、すぐに後悔した。
谷さんはそんな僕に優しく微笑むと、水筒のお茶を一口飲んでから切り出した。
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