第5話 人、剣、願い、思惑
目前に僕より少し年上の女性。
その女性は緑色の、半透明の剣を握っていた。
まるで、先日出会った、あの、父を殺した──
「…………」
女性……先程、啓二さんが結衣と呼んでいた人が、剣を横にずらした。
キリキリと、足元のコンクリートから音がした。
僕はそれを視線で追った。
半透明の剣は朝日を反射して、煌めいていた。
「……やはり、『能力者』で間違いないな」
何かに確信したようにそう言った。
僕は視線を結衣さんへ戻すと……彼女は剣を……僕へ向けた。
「あ……」
思わず怯んで、後退る。
呼吸が荒くなる。
怖い。
この人も……あの、バケモノの仲間なのか?
同じような剣を持っているし……でも、警察官である啓二さんの仲間……?
分からない。
分からないから、怖い。
「お前、人を殺したことはあるか?」
「え……?」
混乱している思考から、現実に引き戻される。
「答えろ」
「……い、いえ、無いです、けど」
鋭い視線が僕を射抜く。
殺気の籠った視線だ。
僕は喉を鳴らして──
瞬間、剣が地面に下ろされた。
「そうか。なら良い」
カツン、と剣が地面に当たり音が鳴った。
鋭い目付きは変わらないが、少し雰囲気が緩んだ気がした。
……バケモノとの関わりは分からない。
だけど、何となく、この人は『違う』と思えた。
少なくとも……僕を殺そうとはしていない。
「おい、結衣」
啓二さんが咎めるような声色で、名前を呼んだ。
「何だ?やり取りで分かるだろ。コイツは『剣』が見えている……警戒するに越した事はない」
「そうかも知れないが……時と場所をだな」
「私のやり方に口出しするな」
啓二さんと結衣さんが険悪な雰囲気になる。
そんな中、ガチャリ、と音がした。
背後でドアが開いた音だ。
「か、和希……?」
稚影がドアの外に出ていた。
先程までシャワーを浴びていた体は少し熱っている様子だ。
彼女は薄着のまま僕と、結衣さんと啓二さんに視線を向けて……慌てて靴を履いて家から出てきた。
「な、何してるんですか?」
稚影は不安そうな顔をしながら質問を投げる。
その様子に結衣さんは訝しむような顔をして……瞬間、結衣さんが腕を上げた。
剣先は、稚影に向けられていて──
「稚影!止まれ!」
「え?」
稚影が慌てて足を止めた。
緑色の剣。
稚影の胸元。
その距離は、数十センチしかない。
あと、数歩、歩けば突き刺さる……そんな距離感だった。
「か、和希?」
「頼む、動かないでくれ……」
僕の言葉に、稚影が不思議そうな顔をしていた。
胸元に剣を突きつけられてるのに……何で、そんな何も分からなさそうな──
違う。
そうか、見えてないんだ。
見えるか?という質問……つまり、あの剣が見えない人もいるという事だ。
……俄には信じられない、不可思議な現象だけど……間違いない。
だから稚影は剣を気にせず、突き刺さりそうな距離まで近付いて来てしまったんだ。
僕は視線を結衣さんに向けた。
剣を突き付けたまま、稚影を睨んでいる。
「……見えない、か」
目の前で緑色の剣がボヤけて……消えた。
まるで、元から持っていなかったかのように、跡形もなく消え去った。
……でも、あの剣は幻覚じゃなかった。
証拠に、地面に擦り傷が出来ていた。
夢や幻では現実に干渉する事はできない。
今、見えたのは……現実だ。
昨日の出来事も……間違いなく。
稚影が不安そうに僕を見た。
「えっと、和希?何が──
「大丈夫、大丈夫だから……少し、家に戻っていてくれるか?」
僕がそう促すと……啓二さんが間に割り込んだ。
そして、警察手帳を出して稚影に見せた。
「事件に彼が関わってる可能性があるんだ。少し彼を借りるよ」
「事件にって──
「ああ、いや、大丈夫だよ。被害者の親族として、目撃者としてだから。悪いようにはしないさ」
「……そう、ですか」
稚影が後退りして、家のドアを後ろ手に開けた。
僕を不安そうな目で見ている。
「和希……」
「大丈夫だよ……少し、話するだけらしいから」
「それなら、私も──
「同行は認めない」
結衣さんが稚影の言葉を遮った。
稚影が少し、眉を顰めた。
その様子を見て、結衣さんが鼻を鳴らした。
「何だ?不満か?部外者は大人しくして──
「結衣」
啓二さんが、結衣さんの言葉を止めた。
「逸る気持ちは理解出来るが、少し落ち着け」
「……私は落ち着いている」
そう言い切って、憎々しげな顔をして車に乗り込んだ。
……いや、不貞腐れているようだった、
啓二さんが稚影に視線を戻した。
「夕飯頃には送り届けるよ。だから、安心してくれていい」
「……そういう、事なら。分かりました……」
眉尻を下げて、不安そうな顔で稚影が頷いた。
そして、僕に視線を向けた。
「和希、晩御飯用意して待ってるから」
「……あぁ、ありがとう、稚影」
「うん、だから……和希も頑張って」
何を応援されているのか、具体的には分からなかったけど、励ましてくれているのは分かった。
頷いて、僕は啓二さんの車に乗り込んだ。
その様子を見て、啓二さんも乗り込んだ。
啓二さんが運転席で、結衣さんが助手席。
僕は後部座席だ。
「和希くん、少し場所を変えるよ」
啓二さんがそう言うと、エンジン音が聞こえた。
車は家から少しずつ離れていく。
しかし、稚影はこちらに視線を向けたままだった。
やがて、曲がり角を曲がって、完全に家は見えなくなった。
「ところで、さっきの女の子とはどういう関係なんだい?妹?」
バックミラー越しに、啓二さんの顔が見えた。
「……いえ、友人です」
「そうか。彼女は事件の事をどこまで知ってる?」
「僕の知ってる事は殆ど──
助手席に座っている結衣さんが、振り返った。
「お前、喋ったのか?」
「えっと、まぁ……はい」
「……チッ、そいつ以外には?」
「誰にも言ってないですけど……」
僕が首を傾げると、啓二さんが口を開いた。
「悪いけど、事件の話はもう誰にもしないでくれるかな?」
「それは……何故ですか?」
「君は見たんだろう?事件を……あと『剣』も」
「ええと……はい」
……僕は頷いた。
警察への電話では、不可思議な現象については黙っていた。
だから、知る筈がないのに……何故?
「事件は公に出来ない。少なくとも、『剣』の事は話せないね」
「……一体全体、何が起きてるんですか?僕にはもう……何が、何だか」
もう何も分からなかった。
昨日から僕に中にある現実……常識、日常、全てが乱されている。
……結衣さんが、また僕の方へ振り返った。
「この世界には、非常識で理外な物が存在する」
視線は、鋭い。
「お前は超能力者の存在を信じるか?カードの裏から透かして見たり、触れてもないのに物を動かしたり、無から炎を生み出したり、人の思考を読む……そんな非常識な能力を持つ者を」
「……いえ、それは──
「信じない。いや、信じたくない……だろう?」
眉は顰めたまま、頬を吊り上げた。
「人は自分の知る『現実』を信じたがる。法を逸脱した、己の知識の外にある『危機』を信じたがらない」
「……それはっ」
「それが己の心を守る術だと知っているから。そこに矛盾はない」
鼻で笑った。
バックミラー越しで啓二さんが複雑な表情を浮かべている。
「だが、お前は『見た』のだろう?」
探るような目で、僕を見ている。
「父親の死を……お前は見た。『剣』を見た筈だ……私と同じ、逸脱した人間の存在を」
「…………」
「結果、お前は目覚めた。力を持つ者を野放しに出来るほど、この世界は無関心ではない」
「何の話を……してるんですか?」
また、鼻で笑う。
端正な容姿で、それでも疲れたような、忌々しい物を見たような表情をしていた。
「同類だよ」
「……誰と、誰が、ですか?」
「私も、お前も、お前の父親を殺した奴も……全員、同じだ」
僕は、思わず首を振りたくなった。
違うと、否定したかった。
「常識の理外に存在する『能力者』だ。お前には力の扱い方を知る義務がある」
僕が……?
否定する事を忘れて、顔を見た。
眉は顰められていた。
頬は緩んでいた。
瞳は……濁っていた。
「……着いたぞ」
啓二さんが、そう言った。
窓の外を見ると……警察署ではなかった。
古びたビルが、そこにあった。
その中でも二回の窓に書いてある文字が、目に入った。
『総合探偵社アガサ』……そう、書かれていた。
「……ここは?」
「言ってなかったか。私のフルネームは
助手席の結衣さんがドアを開けた。
「私は異能事件も扱う……能力者の探偵だ」
鋭い視線が僕を射抜いた。
◇◆◇
『異能』
それは現実を書き換える力。
物理法則を無視して、質量さえも無視する力。
『能力者』
異能に目覚めた人間。
過剰なストレスによって目覚める人もいる。
らしい。
「理解したか?」
赤い合成皮革で出来たソファに、結衣さんが座っていた。
彼女が足を組み替えて……僕は、視線を落とした。
A4のコピー用紙に書き込まれた、図形と文言。
それは彼女が先程、ペンで書き示しながら説明してくれた痕跡だ。
「僕が……僕もその、『異能』に目覚めたって言うんですか?」
「そうだ。見えるだろう?『剣』が」
視線の隅には、彼女が手に持つ緑色の剣。
それは滑らかな曲線を描く、細身の剣だ。
「『剣』……」
「名前や呼び方はどうでも良い。偉い学者に名付けられる程、世間に知られていない。だから、そのまま『剣』と呼んでいるだけだ」
結衣さんが深く、息を吐いた。
「『異能』は『能力者』にしか見えない。『剣』も同様に……だから、お前も『能力者』だ」
「でも、僕は……そんな、『剣』も、不思議な力だって……」
「ある。気付いていないだけだ」
目の前に紙コップが二つ、置かれた。
湯気を立てている黒い液体……恐らく、コーヒー。
それを置いたのは啓二さんだ。
結衣さんは感謝の言葉も示さず、コーヒーを手に取り、口に付けた。
僕は啓二さんに視線を移した。
「その……お二人はどんな関係なんですか?警察官と……探偵?らしいですけど」
啓二さんが苦笑いして、口を開いた。
「亡くなった友人の妹だよ。僕にとってはね」
そして、口にした瞬間……結衣さんが啓二さんの脛を蹴った。
「いっ!?」
そして、結衣さんはまた、無言でコーヒーを啜った。
……どういう関係なのかは分からなかった。
だけど、気心が知れた仲だという事は分かった。
そして、先程、口にした言葉が引っかかった。
「『亡くなった』、ですか?」
訊くと、結衣さんの眉がピクリと動いた。
少しの間、無言になって……視線が鋭くなった。
思わず、失言したかと焦るほどに……彼女の表情は怒りに歪んでいた。
「そうだ。私の兄は……6年前に殺された」
「……殺された?」
「あぁ」
彼女はコーヒーを飲み干し、紙コップを握り潰した。
「行方不明になった後……河川敷に死体を捨てられていた。額から引き裂かれ……頭の半分は今も見つかっていない」
……僕は、絶句した。
非現実的で残虐な事件だ。
「切断面は綺麗だった……いや、綺麗過ぎた。現実では不可能な切断面……だが、実際に起きた」
思わず、息を呑んだ。
「だから、私は犯人を探している。そして犯人は間違いなく『能力者』だ」
コツコツと、結衣さんが指で自分の額を叩いた。
「この事務所を立ち上げたのも、それが理由だ。異能事件を片っ端から解決していれば、いつか犯人に出会うだろうと……そう考えた訳だ」
彼女は頬を歪めた。
……凡そ、常識のある人間とは思えない笑み。
だから、僕は恐ろしくなって質問をした。
「犯人が、見つかったらどうするんですか?」
「ブチ殺す」
間髪入れず、そう返された。
思わず、啓二さんを見る。
ため息を吐いて、彼は首を振った。
そして、口を開いた。
「現在の日本じゃ、『能力者』を捉えるのは難しい。犯行を止める為なら……殺されても仕方ないんだ」
「……そう、なんですか」
「異能の力は公に出来ない。間違いなく国は混乱する……もし、隣人が既存の法を無視して人を害せる可能性があると知れば……誰もが疑心暗鬼になる」
啓二さんは困ったような顔をしていた。
「だから、異能の事を知っているのは……国でも一握りだけだ。俺の所属している警視庁七課も、その一握りってだけだ」
「……七課?」
「聞き覚えはないだろうね……これも公にされてない部署だからね」
眼鏡の縁を指で上げて、啓二さんが笑った。
「警視庁異能犯罪対策七課、そこに俺は所属しているんだ」
懐から警察手帳を『二つ』出した。
片方は先程、僕が見たもの。
もう一つは……成程、所属部分が『七課』と書かれている。
「まぁ、とにかく俺は犯人を捕まえたい。結衣は……自分の追ってる事件の手掛かりが欲しい」
「……そう、なんですか」
「だから、君には今回の事件の事を教えて欲しいんだ」
啓二さんが、何か機械を置いた。
……ボイスレコーダー?
「君は通報した時に話した事以外に……何か、見たんだろう?」
脳裏に、赤黒い肉で出来た虫達が思い出された。
「話してくれないか?君の見た……犯人の『異能』を」
僕は息を呑んで……ぽつり、ぽつりと事件について話し始めた。
◇◆◇
「稚影ちゃん。お兄ちゃんは……その、大丈夫かな?」
希美が不安そうな表情を浮かべている。
私はそれを愛おしく思って、頭を撫でた。
「大丈夫だよ。きっと……うん、大丈夫」
私は向かいの席に座って、テレビを見る。
今日、学校は三人とも休んだ。
だから、こうして平日の昼間なのに望月家に居座っている。
希美には笑顔を見せつつ……私は思考する。
今朝の出来事を。
阿笠結衣、そして神永啓二か。
どちらもゲームに登場するキャラクターだった。
実の父親を殺害した和希を追って、出会う……筈だった。
そして、和希は警察の監視下に置かれて、罪滅ぼしとして異能犯罪者達と戦っていく。
筈だった。
しかし、和希の父は私が殺した。
既にゲームとは剥離している状況だ。
どのように転ぶかは謎……だとしても、彼らが和希を殺す事はないだろう。
「希美ちゃん、晩御飯、何が良いと思う?」
私はそう訊きながらも、思考を巡らせる。
今朝、結衣は私に『剣』を向けていた。
疑っている……のだろうが、特別私だけを疑っている訳ではない。
彼女は臆病だ。
何もかもに疑心暗鬼になっている。
目前に『剣』があった時は驚いたが、彼女は無闇に他人を傷つけない……その確信があったからこそ、私は知らぬフリが出来た。
恐らく、彼女は私を能力者ではないと考えているだろう。
「……お兄ちゃん、食欲あるか分からないし、うどんとかで良いんじゃないかな?」
「うん、それが良いね」
私は席を立って、外へ出る準備をする。
希美。
彼女を助けた瞬間から、定められた物語とは大きくかけ離れてしまった。
あまり、物語の知識を参考にするのは……良くない事かも知れない。
「……さ、買い物に行こう?希美ちゃん」
小さなバッグを持って、望美に笑いかける。
彼女は心配そうな顔をしながらも、努めて笑っていた。
彼女の父親は死んだ。
兄は今、警察に連れて行かれた。
不安じゃない訳がない。
彼女は普通の人間なのだから。
……私は。
私の行動の結果だ。
だけど、命は守れた。
それでも……。
大丈夫だ。
事は全て上手く進んでいる。
希美が鞄を持って、私についてくる。
例え、どんな事があろうとも……過程でどれだけ傷付いたとしても……私は和希と希美を幸せにしなければならない。
それだけが、私に残された……たった一つの、行動理念だ。
それだけが私の生きる意味なのだから。
必ず、私は誰にも知られずに……成し遂げる。
◇◆◇
「……なるほど」
目前で啓二さんが頷いた。
顎に手を当てて、眉を顰めた。
「つまり、君の父親を殺した犯人は……爛れた皮膚をもつ、2メートル近い大男なんだな?」
「……はい。信じられない話、ですけど」
僕がそう言うと、啓二さんが結衣さんに視線を向けた。
「結衣、どう思う?」
「……間違いなく、その姿は本物ではないな」
「……えっと、でも──
結衣さんが壁に立て掛けられていた板を持ってきた。
ホワイトボードだ。
そこにペンを抜いて、書き記す。
「巨体に特徴的な風貌……そんな人間離れした姿なら、事件はもっと早く解決している。犯人は『異能』を使って変装していた……そう思って良い」
「でも……『異能』は『能力者』にしか見えないんですよね?だったら、出会った瞬間は……僕はまだ『剣』が見えなかったし『異能』では──
「『異能』による物質の操作……無から生み出した存在は確かに見えない。だが、何かを変形させたものなら……見えるだろう」
更にペンでホワイトボードに書き込む。
元々存在した物質の『変形』は『見える』。
新たに創造した物質の『具現化』は『見えない』。
「つまり、犯人の『異能』は『肉体を変形させる能力』。もしくはそれに近しい能力」
「……自分の身体を変形させたって事ですか?」
「あぁ、それなら死体の姿にも納得できる。他人の血肉を変形させ、死体を溶かしているのだとしたら……私達以外の、一般人にも見えるだろう。自身と他人、それぞれの肉体変形能力」
また、ペンで書き込む。
「そして、もう一つ。肉で出来た虫……これは見てわかる通り『具現化』だ。『異能』に目覚める前までは気付かなかったんだな?」
「えっと……そうです」
「つまり、『肉虫を創造する』能力もあるという事だ」
ホワイトボードに書かれた文字を見る。
①犯人は自他問わず人間の肉体を変形させられる。
②犯人は血肉から生物を作り出して操れる。
「根本としては『
ペンに蓋を閉めて、縁に転がした。
「それの『肉』版と言った所だな……『
顎に手を置いて、結衣さんが難しそうな表情をした。
そして、啓二さんが口を開いた。
「……少し良いか?」
「何だ?」
「結衣、犯人の目的についてだ。和希くんが話してくれた、犯人の口ぶりからして──
「あぁ、分かってる」
僕を無視して、二人は何かに気付いているように頷いた。
思わず、口を開いた。
「……何、ですか?」
「いや、和希くん。落ち着いて聞いて欲しいのだけど──
「犯人の狙いはお前だ。望月 和希」
喉が渇いた。
口を開いて……紡ぐ。
分かっていたからだ。
……震える体を無理やり、両腕で抑える。
その様子を見て、結衣さんが感心したように笑った。
「……なるほど、理解はしているようだな」
「えぇ……分かりますよ」
あれだけ僕に執着するような発言をしていたのだ。
気付かない程、鈍いつもりはない。
「なら話は早い。お前には奴を誘き出す囮になって貰う必要がある」
「囮……」
「いや、餌か?」
怖い。
怖くて仕方がない。
昨日の出来事も、今日聞いた非現実も、これから迫り来る恐怖も。
だけど──
「……結衣さん」
「何だ?」
彼女はポケットに手を突っ込んで、首を捻った。
「僕は……僕の周りにいる人を守りたいんです」
「無理だな」
「そう、ですね。今の、ままでは……だから──
僕は彼女と目を合わせる。
鋭い視線と、僕の視線が交差する。
「僕に教えて下さい。『異能』について……『能力者』との、戦い方を」
「…………」
「僕は強くならなきゃならないんです……」
無言のまま、結衣さんは視線を逸らした。
しかし、その頬は暴力的に吊り上がっていた。
僕の方へ向いた時、彼女は笑っていた。
「……丁度、助手が欲しかった所だ。ウチの事務所で雇って……死ぬまでこき使ってやる」
そう、言い放った。
「おい、結衣……」
「別に良いだろう?それにコイツの生活費はどうするつもりだ?稼ぎ頭は昨日死んだんだぞ?」
結衣さんの言葉で、嫌に現実的な事を思い出した。
父は死んだ。
僕には……妹を養う事は出来ない。
親戚もいない。
どうすれば良いか……など。
「そうだ。丁度良い、啓二。お前がコイツの保護者になれ」
「…………は?え!?」
啓二さんが驚いたような声を出した。
僕も出しそうになったけど。
そして、彼は結衣さんへ口を開いた。
「何を言ってるんだ!?」
「孤児院になど入れられたら、使い辛いだろう?探偵事務所で働かせるには拙い。未成年搾取だなんだで煩いだろ」
「それは、そうだが……」
「生活費は私が給料として払おう。これでも依頼で儲けている。啓二は保護者として……そうだな、七課の特権でも何でも使って法的な保護者になれ」
啓二さんは僕の方を一瞥した。
疲れたような表情をしている。
「……和希くんは良いのか?」
「いえ、あの……啓二さんが良いなら」
僕は今の生活が気に入っている。
それはきっと、希美もだ。
孤児院に入れられたら……今の生活は崩れ去ってしまう。
もし、逃れる方法があるのなら藁にでも縋りたい思いだった。
啓二さんがため息を吐いた。
メガネを外して、額を揉んでいた。
「……あー、もう。分かったよ。分かった」
そして、眼鏡をかけ直した。
「和希くん、後で君の家に行こう。妹さんが居るんだよね?」
「え、あぁえっと、はい」
「説明しないとね。全く、初対面の人間の保護者になるなんて……」
「……すみません」
申し訳なくなって、謝る。
すると啓二さんは苦笑した。
「いや、君は悪くない」
「なんだ啓二、私が悪いと言うのか?」
「言ってないだろ……そんなこと」
啓二さんの発言に、結衣さんが噛み付く。
……仲が悪いのか、良いのか分からなかった。
そして、結衣さんが笑顔のまま僕へ視線を向けた。
「よし、そうと決まれば……まずは、お前の『異能』を調べよう」
「え、でも……」
「出せる筈だ、『剣』が」
「どうやって──
結衣さんが机に乗り上げて、僕へ顔を近付けた。
「願え」
仄かに香水の香りが鼻に匂った。
「お前は力を手に入れて何を成し遂げたい?それを願え……力がいると、成し遂げるための力が欲しいと」
僕は椅子から立ち上がって、後退る。
そのまま……手のひらを上に向けて、見つめる。
何が欲しいか?
力がいるんだ。
何故いるんだ?
守るためだ。
希美、稚影……僕にとって大切な、家族だ。
僕が守らなきゃならない。
脳裏に血肉で彩られたグロテスクな景色が蘇る。
父を殺した男を思い出す。
僕は、守らなきゃならない。
妹を、親友を。
強く、手を握る。
目を閉じる。
人を虫ケラのように殺す、そんな邪悪な存在に打ち勝つ力がいる。
大切な人を守るための力がいる。
強い力が……武器がいる。
脳が痛む。
目に力が籠り、額に皺が寄る。
力がいるんだ。
助けるんだ。
他の誰でもない僕が。
逃げなくても済むように。
もう、これ以上、失わないために。
奪われないために。
僕が──
直後、手に何かを握った感触があった。
「…………」
恐る恐る、目を開ける。
手元に……『剣』があった。
青白く濁ったガラスで出来た剣だ。
真っ赤な血のような筋が浮かんでいた。
「……これが」
「そうだ。それが、お前の『剣』だ」
結衣さんが頬を緩めた。
「さぁ、見せてみろ。お前は何が出来る?」
「何が……」
「分かる筈だ。『異能』は『剣』が教えてくれる……見せてみろ」
『剣』が教えてくれる?
僕は視線を落とす。
そして、意識を集中し──
「あの、結衣さん?」
「何だ」
僕は『剣』から視線を逸らし、結衣さんを見た。
「……僕って何が出来るんですか?」
「はぁ……?」
呆れたような、驚いたような顔で……結衣さんが僕を見た。
◇◆◇
コインが宙に投げられた。
そして、それを結衣さんが掴んだ。
「表」
それに対して、僕は答えた。
手を取り除けば……確かに表だった。
結衣さんが渋柿を舐めたような顔で、ため息を吐いた。
「的中率は90%……ポーカーでも勝率は高く……くじ引きで当たりを引く確率も異様に高い」
机に並べられていたのはトランプや、くじ引き用に色を塗った割り箸、とか色々。
「見えている訳じゃないんだな?」
「えっと、まぁ、はい。何となく……表っぽいなーって思っただけです」
「……何となく、か」
結衣さんが眉を顰めたまま、指を自分の顎に当てた。
「……勘が鋭くなる能力か?」
納得いかないような声で、そう言った。
普通、『能力者』は『剣』を生み出した時に『異能』の使い方を知るらしい。
脳に使い方をインプットされる、と結衣さんは言っていた。
そう、普通は分かるはずなのだ。
なのに、僕は何故か分からなかった。
だから、こうやって検証している。
「だが物理的にではなく、完全なランダムでも当たりを引きやすい……引きやすいだけで確実ではない。運が良くなる能力か?」
結衣さんが深く、息を吐いた。
「クソの役に立たないか……それとも」
視線が僕を射抜いた。
僕は視線を逸らして、結衣さんの持つ剣へ移した。
緑色の『剣』だ。
「……そう言えば、結衣さんの『異能』って──
「私の『異能』は『サイコメトラー』……物の持っている記憶を覗き見る能力だ」
「物の記憶?」
僕の疑問に結衣さんが笑った。
「例えば、使用済みの割り箸に使えば誰が使ったか分かる……ような能力だな。事件の証拠品から犯人を探る事もできる」
「……凄いじゃないですか。それなら、僕の父を殺した犯人も──
「無理だ。見られるのは6時間前まで……それも、時間が経過すればするほど、ノイズが走ってまともに見れなくなる」
結衣さんが腕を組んで、足を組んだ。
彼女は短いスカートを履いている。
タイツは履いているが……大人の色気というか、そんなものを感じてしまって視線をズラした。
「まぁ、良い。はっきりと効果が分からない以上は頼らない方が良いだろうが──
獰猛な笑顔を僕に向けてきた。
「お前の能力は便宜上、『運が良くなる能力』としよう」
◇◆◇
恐らく結衣は、和希の持つ『異能』を『運が良くなる能力』……または『勘が鋭くなる能力』と誤認するだろう。
そう、誤認だ。
「稚影ちゃん、きゅうりも買っとく?」
隣にいる希美が、スーパーの野菜コーナーで野菜の入った袋を持っていた。
私は彼女の言葉に頷いて、カゴに入れる。
日常を過ごす表面を取り繕いながらも、内面では思考を巡らせる。
『運が良くなる』だけではない。
それは彼の『異能』の側面に過ぎない。
もっと大きな……この世界の法則を捻じ曲げる強い力の一端だ。
その力は無敵だ。
異能の出力さえ上がれば、何者だって負けはしない。
主人公に相応しい、並外れた力。
だからこそ、和希が……彼の力が必要なのだ。
この世界には……彼の力が。
私だけじゃない。
希美だけでもない。
多くの人のために、彼の力が要る。
私にも対処出来ないような、大きな邪悪に打ち勝つには……彼が。
だから──
「稚影ちゃん?」
「ん?どうしたの、希美ちゃん?」
カートを押しながら、私は希美に笑い掛ける。
必要なのは過程だ。
望むべき結果のために、私は過程を作り上げなければならない。
彼の心を折り、絶望を植え付け、力を強めていかなければならない。
「稚影ちゃん……疲れてるの?」
「……ううん、別に?でも、どうしたの?」
笑い掛ける。
薄暗い景色は彼女には見せたくない。
ただ安らかに、平和に生きていて欲しいだけだ。
「……稚影ちゃん。何か困った事があったら言ってね?悩みでも、私が聞くから」
「うん、ありがとう」
希美は……良い子だ。
人の心配が出来て、優しくて、可愛くて、それで……。
「稚影ちゃんは私の……大切な家族だから」
恥ずかしげもなく、そうやって私の欲しかった言葉を掛けてくれる。
……私には勿体無い。
本当に、勿体無い。
私には、私なんかには。
こんな、血と、臓物と、傷と、悲鳴が入り混じった私の、私、私が──
「うん、私にとっても……希美ちゃんは家族だよ」
私は、笑った。
後悔も、懺悔も、今は必要ない。
ただ、この掛け替えのない日常を失わないために……守るために。
私は、どんな残虐な事もできると、そう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます