第6話 特別な貴方へ
「死ね」
『剣』を突き立てる。
生暖かい液体が、男から溢れる。
悲鳴を上げているようだが、耳には入れない。
「死ね、死ね、死ね」
何度も突き立てる。
ざくり、ざくりと穴が空く。
男は身を震わせて、失禁した。
もう、悲鳴は上げる事も出来ない。
踏み付けて……『剣』を振り上げる。
「死ね、死ねっ、死ねっ!」
血よりも赤い色をした『剣』を、振り下ろした。
◇◆◇
僕の父……望月 正人が死亡してから、二年が経った。
啓二さんが僕と希美の保護者となり、僕は『総合探偵社アガサ』……つまり、結衣さんの探偵事務所でアルバイトをしている。
……中学生の頃は労働基準法的にコソコソとしていたけど、僕ももう高校一年生だ。
公にバレても問題なくなった。
さて、探偵事務所でのアルバイトだけど……異能関連の事件は起こっていない。
あの日から、死体を溶解される連続殺人事件も起こらなくなった。
目的を果たしたからか……何故なのか。
不審に思いつつも、人が死なないのは良い事だと胸を撫で下ろした。
なので、僕は結衣さんの助手をしているけど……実際にやってる事は迷子の動物を探したり、不倫調査だったり……そんな、命の危機もない調査ばかりだ。
結衣さんの『異能』は尾行や、調査に有用だ。
……あんまり、僕が役に立っている気がしない。
『異能』関係といえば、日課のトレーニングに剣技の練習を取り入れた。
本を読んでの練習で、指導なんかもされてないけど……。
そうして、二年の月日が流れて。
今日、ついに──
初めて、『異能』関連の事件へ、足を踏み入れる。
「和希、朝飯は抜いたか?」
「……何でですか?」
結衣さんの言葉に、首を傾げた。
「死体を見るのは初めて……ではないだろうが、慣れてはいないだろう?」
結衣さんの気遣うような言葉に驚く。
何というか……結衣さんは、その……我が強く、個人主義みたいな所がある。
人を気遣うイメージがなかった。
「現場を吐瀉物で汚されたら、堪らないからな。吐いたら、お前を蹴る」
「結衣さん……」
上がった株は、一瞬で暴落した。
まぁでも、そんな事だろうと思った。
僕は物々しい黄色と黒のテープを潜り……事件現場へと入る。
場所は公衆便所……男子トイレだ。
……誰かいる。
人影は一つだけだ。
「……あ、啓二さん」
「ん?……和希くんと、結衣か」
啓二さんが、青いビニールシートの前にいた。
鼻に、むせ返るような焦げた肉の臭い。
床のタイルを見れば、赤黒く変色している箇所が複数あった。
血にしては、黒過ぎる。
「啓二、退け」
結衣さんが『剣』を発生させながら、ビニールシートの前に立つ。
ビニールシートは山のような形を作っている。
そして、恐らく、その下は……死体だ。
結衣さんの持つ『剣』が、脈打つ。
彼女は目を瞑っていて……能力を行使している。
物の過去を見る力。
それは生物には無意味だが……その生物が着用している衣服から見れば良いだけの話だ。
見える『物の記憶』は昔であれば昔であるほど、見え辛くなる。
今は早朝……犯行は恐らく、昨日の深夜だ。
どれだけ見えるのか、それは──
「……チッ」
結衣さんが『剣』を消滅させた。
それを見た啓二さんが口を開いた。
「……少しは見えたか?」
「多少はな……犯人の容姿までは分からなかったが」
結衣さんが、ビニールシートに手を触れる。
そのまま少し、捲れば──
「うっ」
大量の刺し傷、切り傷……しかし、それらが霞む程に異常な死体があった。
黒く、変色していた。
焼け焦げて体の中心は炭化している。
焼死体だ。
焼け焦げているのは胸の部分と、左足だ。
「啓二、お前の考えている通りだ。これは『能力者』による犯行だ」
「……引火性の化学物質の痕跡は出ていなかったからな。これほどまでの火力が出せるのなら、何かしら痕跡が残る筈だ」
つまり、焼死体に化学薬品の痕跡も残っていない……そこから、『異能』による殺人事件だと予想したのだろう。
啓二さんが死体に視線を向けた。
……僕は結衣さんに視線を向けた。
「『
「そうやって固定観念で決めつけない方がいい……『異能』の性質は人によって異なる。全くもって同じ能力は存在しない」
結衣さんが、ため息を吐いた。
「例えば、だ。『炎を作る能力』、『物質を発火させる能力』、『物を火に変える能力』、様々な物が存在する。決めつけて掛かれば、足元を掬われるぞ」
「す、すみません」
思わず謝って、一歩引く。
結衣さんがしゃがみ込んで、遺体に顔を近づける。
「……遺体の発火元は胸元と左足。範囲は極小……しかし、炭化させるほどの高熱。服の燃焼具合から、短時間で瞬間的に焼き焦がしている」
視線をずらし、公衆便所の床を見る。
「燃え移った箇所はなく、発火元に収束している……」
結衣さんは鼻を鳴らして、天井を見た。
電灯が光っている。
結衣さんはそれを訝しむように見て、啓二さんへ視線を戻した。
「啓二、被害者に何か特筆すべき点はあるか?」
「……そうだな、素行はあまり良くなかったらしいぞ」
「フン、そんなもの。見れば分かる」
僕も遺体を見る。
思わず、顔を顰めて……なるほど、確かに。
偏見かも知れないけど、あまり真面目そうには見えない。
「名前は柏木 隼人、22歳、フリーター。配偶者はなし。母親と父親は存命だが、一人暮らし。近所からの評判はあまり良くなかったそうだ」
「大した情報ではないな。他には?」
「彼の知人が一人、先週死亡している」
結衣さんが目を細めた。
「ほう……これと同様の死に方か?」
「いいや……だが、火災による死亡だ。車に乗車中、突然の発火。原因は不明……乗用車の製造元では設計不良疑惑のリコールが起きる大事となった」
その話は僕も知っていた。
連日、テレビで放送されていたからだ。
「つまり、事故として片付けられたと」
「そうなるな……だが、間違いなく、今回の件と同一犯だろう」
「だろうな」
結衣さんが立ち上がり、首を捻り、肩を鳴らした。
「その発火事故……いや、事件の映像は残っているか?」
「ドライブレコーダーに映像があった……しかし、火元は全く見えなかったぞ」
「『異能』による発火か?」
そうだ。
『異能』ならば一般人には見えず、カメラにも残らない。
この事件の『異能』が『火を創り出す能力』なら、辻褄が合う──
僕がそうかんがえていると、結衣さんが考え込むような表情をした。
「……いいや、それなら……啓二、ドライブレコーダーの映像を見せろ」
「手元に持ってる訳ないだろ、署に戻らないと」
「なら、後で見せろ。それと、コイツらの交友関係を洗い出せ」
「……はいはい」
結衣さんは人使いが荒い。
それは僕もよく分かっている。
探偵業で扱き使われているからだ。
だけど、彼女はそれ以上に自分でも動く……だから僕は文句を言わない。
啓二さんも、きっと同じだろう。
疲れたような表情をしながら、頷いていた。
啓二さん、多分事件発生から直ぐに呼び出されて……深夜からずっと調査してたんだろうなぁって。
そして、結衣さんが僕の方へ顔を向けた。
「和希は……いや、今はいい。特に出来る事はない」
「えっ」
結局、僕は何の役にも立っていなかった。
ただ死体を見に来ただけの──
「和希くん、勘違いしなくていいよ」
そう、声を掛けてくれたのは啓二さんだ。
「勘違い、ですか?」
「そうさ、これは結衣なりの思いやりで──
ばしんっ!
と乾いた音がした。
結衣さんが啓二さんの足を蹴った音だ。
「うっ、痛っ」
「そんな事は言ってない。勝手に深読みをするな、バカが」
結衣さんは啓二さんを罵倒しつつ、僕に近づいて来た。
「お前の出番はまだだ。大詰めの時こそ、お前には働いてもらう」
そう言って、僕の肩を叩いた。
「お前はよくやってる。安心しろ」
「あ、ありがとうございま──
「肉体労働は全部、お前に任せるつもりだ」
「結衣さん……」
上がった株がまた、暴落した。
少しして、鑑識の人達が戻って来た。
啓二さんの……というか、所属している警視庁七課の権限で退けていたのだろう。
僕は他の人に見られない内に現場を後にして、結衣さんは啓二さんへと着いて行った。
鼻に焦げついた肉の臭いと、血の臭いが残っていた。
◇◆◇
教室で、僕は欠伸を一つした。
今日は早朝から起きていたから、少し……いや、かなり眠い。
「おう。眠そうだなぁ、和希」
友人である沢渡 雄吾が声を掛けて来た。
……中学生の頃から、この腐れ縁は続いている。
高校に上がっても同クラスだし、何だかんだ言って……まぁ、稚影を除けば一番仲の良い友人だ。
「あぁ、まぁ……今日は、ちょっとな」
「だろうな?分かるぜ?」
分かる?
僕の事情を知らない筈の沢渡に、眉を顰める。
「何てったって、今日は『あの日』だろ?」
「どの日だよ」
さっぱり分からなくて首を傾げる。
何か行事でもあったか?
しかし、脳裏のカレンダーは白紙だ。
普通の平日の筈……。
「バレンタインデーだろうが」
……あぁ、そっか。
「……どうでもいい」
「あ?お前は余裕があって良いよなぁ……俺はなぁ、俺は……クソッ」
そう言えばバレンタインデーだったか。
いやしかし、本当に興味が1ミリも無かった。
「毎年、二個は確定してるもんなぁ……お前は」
「……まぁ、そうだけど」
僕は毎年、二人からチョコレートを貰っている。
その内訳は──
「妬ましい……あんな可愛い妹と、幼馴染がいるなんてよぉ……」
そう、希美と稚影の二人からだ。
毎年バレンタインデーには義理チョコをくれるし、ホワイトデーは代わりに家事を全部請け負っている。
「別に……義理だし、どうでも良いだろ?」
そういうイベント日だ。
別に、何も特別な日じゃない。
「お前、マジで……マジ……いつか、刺されて死ぬぞ」
沢渡の表情は、恐ろしい物を見るような目だった。
何だよ。
コイツまた変な勘違いをしてるのか?
僕と希美は血が繋がってなかろうが兄妹だし、稚影は……多分、そういう感情を僕に抱いてない。
くだらない話をしていると、離れた席が騒がしくなっている事に気付いた。
「……何だろう?」
「ちょっと行こうぜ」
沢渡に腕を引っ張られ、連れて行かれる。
いや、マジで今眠いから勘弁して欲しいのだが。
そこでは──
「あ、和希」
「……何してるんだ?稚影」
稚影が小さなチョコのバラエティパックを開けていた。
そして、薄く笑った。
「いやぁ、チョコ配ろうかなって」
「何でだよ」
そこにクラスの男子どもが群がっていた。
女子からチョコレートが欲しくて堪らないバカと、貰えるなら貰っておこうという余裕のある奴……その二種類だ。
「円滑なコミュニケーションのためにね……はい、沢渡くん」
そう言って稚影が、沢渡にチョコレートを渡した。
「う、お、ぉお、おっ」
「……そんなに嬉しいか?」
変な声を上げる沢渡に目を細めつつ、稚影に視線を移した。
そして、机の上にあるチョコレートを手に取ろうとして──
ぺしっ、と。
稚影に叩き落とされた。
「ダメ、和希にはあげないから」
「……え?何で?」
「何ででも。いつまでも貰えると思わない方がいいよ……今年はあげないから。もう高校生だし」
「え?」
思わず、変な声を出すと稚影が鼻を鳴らした。
「そうやって貰えて当たり前って態度、良くないよ」
「あ……それは……ごめん」
稚影は目を合わせてくれなかった。
怒ってる……のだろうか?
何故だろうか?
何かしたか……いや、何もしなかったからか?
「その、稚影──
分からなくて、訊こうとして──
チャイムが鳴った。
教師が教室のドアを開けて入って来て……僕は慌てて、自席に戻った。
何でだ?
何か、彼女の気に触るような事をしただろうか?
いや……彼女は「高校生だから」なんて言っていた。
勘違い、されたくないからだろうか……いやでも、義理チョコは配っていたのに。
「……和希、お前、楠木さんに何かしたのか?」
そう沢渡が訊いてくるけど、何かをした覚えはない。
あったら、もう謝っている。
僕は頭を抱えながら、授業を受ける羽目になった。
◇◆◇
俺と結衣は、警察署の一室でスクリーンに映された動画を見ていた。
今朝、死体が発見された柏木 隼人の友人……その事故死した時のドライブレコーダーの映像だ。
「……ここか」
突然、ボンネットが発火し、車体が炎上する。
男の慌てた声から数秒後、レコーダーの映像が真っ黒になった。
「啓二、他車両からの別視点はあるか?」
「あぁ、前方車両のものと、後方車両のものだ」
映像が切り替わり、被害者の車両の前後が見える。
やはり、突然の発火。
前兆はない──
「……啓二、そこ、ゆっくりに出来るか?」
「あ、あぁ?」
ドライブレコーダーの映像を二分の一倍速にして流す。
しかしやはり、突然、発火したようにしか見えない。
「……やはり、か」
しかし、結衣は何かに気付いたように頷いていた。
「結衣、何か分かったのか?」
「貸せ」
手元にあったプロジェクターと繋いでいるノートPCを渡す。
結衣がシークバーを操作して、止めた。
「ここだ」
「……ん?」
映像が一瞬……本当に、一瞬だけ、白く染まっていた。
俺は首を傾げる。
「……何だこれ」
「白飛びだ」
結衣が再生ボタンを押すと、直後に車両のボンネットが発火した。
つまり、この……白飛び?が原因という事か?
「白飛び……って何だ?」
「光の感度を実際の光量がオーバーすると発生する現象だ」
結衣がスマートフォンを取り出して、上へ向けた。
そして、直後、その画面を俺に見せて来た。
録画モードで撮っていたようだ。
「見ろ。私は今、天井の蛍光灯を撮った」
「そう……だな?」
意図が読めない。
そんな俺を放っておいて、映像はループする。
何度もカメラが蛍光灯へ移動する。
「啓二、暗い場所から明るい場所に急に出れば……お前はどうなる?」
「それは……目が眩む、とかか?」
「デジタルカメラも同じだ。光の感度を自動で制御している物が多い……急激に明るい物を見れば、感度の調整が済むまでの間、白く染まる」
確かに……スマートフォンに映っている映像では、蛍光灯を中心に真っ白になっていた。
「これが白飛びだ。それが、この映像でも発生していた」
「……なるほど?それが、つまり……何が言いたい?」
俺はズレた眼鏡を指で直し、結衣に視線を向けた。
「急激な光の発生……そして、それはカメラに映っている。『異能』その物ではなく、『異能』によって操られた光だ」
「光?」
「そうだ。犯人の能力は『発火現象』なんかではない」
結衣が獰猛に笑った。
「啓二、少し無茶を頼めるか?」
それはもう、本当に楽しそうに笑っていた。
普段から彼女の無茶な願いを受けている自覚があるが……そんな彼女がいう『無茶』。
一体全体どんな事を頼まれるのかと……俺は頬をヒクつかせた。
◇◆◇
放課後になった。
僕は部活動に参加していない……帰宅部だ。
だから、帰ろうと下駄箱を開けて──
そして……直後、背中を叩かれた。
「何で先に帰ろうとしてるの?」
「……稚影」
驚いて、身をすくめた。
今朝、人の死体を見たばかりで……少し、臆病になっていたのかも知れない。
僕は息を深く吐いて、口を開いた。
「いや、稚影が……その……」
「まぁ、いいけどね。一緒に帰ろっか」
……てっきり、怒っていると思ったから……先に帰ろうとしていたなんて、そんな情けない事を言いそうになった。
帰りは二人っきりだ。
希美はまだ、中学三年生……場所も時間も異なるからだ。
「あと一年早く産まれるか、稚影ちゃんが同い年なら良かったのに!」と愚痴っていた。
校門を出て、帰路を歩く。
いつも通り、仄かに笑顔を浮かべる稚影に首を傾げる。
怒っていないなら……何で、チョコレートをくれなかったのだろうか。
そう思うと胸の奥がモヤモヤする。
別に、チョコレートが欲しい訳じゃない。
だけど……それでも、稚影が僕にチョコレートをくれなかった理由は知りたかった。
「和希?」
ふと、声が聞こえた。
隣の稚影からだ。
……二人で並んでいるのに、無言な事を不審に思ったのだろう。
普段は適当に世間話とか、してるし。
「……なぁ、稚影」
「なに?」
耐えられなくなって、僕は情けない質問を……口にする。
「……何で、チョコレートくれなかったんだ?」
そう訊いて……稚影から視線を逸らした。
怖かった、恥ずかしかったからだ。
しかし……。
「ふふっ」
笑うようの声が聞こえて、視線を戻した。
稚影は手を口元に抑えていた。
「……何で笑うんだよ?」
「いや?そんなにチョコが欲しいんだ、って」
そう言われると……何だか、揶揄われてる気がして苛つく。
しかし、渡すのも渡さないのも、彼女の自由だ。
僕が勝手に勘違いして貰えると思って……勝手に落胆してるだけに過ぎない。
そう考えると、今の僕はかなり情けない事を言ったんじゃないか?
また、稚影が笑った。
「チョコ、欲しいんだ?」
「まぁ……」
「どうでも良いんじゃないの?」
その言葉に、僕は口を噤んだ。
聞き覚え……いや、言い覚えがあった。
「……聞いてたのか?僕と、沢渡の会話」
「まぁね」
大きな声で話していなかった。
寧ろ、こそこそと話していた筈だ。
それなのに聞こえていたらしい。
そして、その内容は……。
「ごめん、稚影」
毎年、彼女達が楽しそうにチョコレートを料理しているのは見ていた筈だ。
それなのに、どうでも良いなんて……言い過ぎだ。
沢渡に見栄を張るために、言って良い言葉じゃなかった。
「……ふーん?」
稚影は鼻を鳴らして……そして、頬を緩めた。
「いいよ、許してあげる。まぁ、本心じゃないって知ってたし」
「……ありがとう、稚影」
稚影が数歩、僕より進んで振り返った。
その顔に浮かべている笑顔を見て……僕は、動悸がした。
そして、カバンを開けて何かを取り出そうとした。
「じゃ、ちゃんと反省できた和希には、チョコを贈呈します。ありがたく受け取ってね」
「あ、あぁ……ありがとう」
稚影がカバンから取り出したチョコレートを、僕に手渡した。
だけど、それは先程配っていたチョコレートとは違った。
「……これ」
「何?毎年手作りだよね?何か変かな?」
それはチョコレートが挟まったマカロンだった。
それが数個入ったビニール袋は、リボンでラッピングされていた。
「……いや、変じゃないよ。綺麗だ」
「だよね。可愛く出来たと思うもん」
稚影が笑顔を浮かべて、僕の隣に戻って来た。
でも、あれ?
教室で配っていたチョコレートは義理だと言っていた。
それなら、こうやって態々、手作りで作ってるのは……。
いや、違う。
勘違いするな……自惚れるな。
「それにしても、和希もチョコ欲しがるなんてね」
思考を中断し、稚影に視線を戻す。
「……稚影からのは欲しいんだよ」
「へ?」
思わず漏れた言葉に、稚影が首を傾げた。
僕は顔を熱くなっていく感覚があった。
慌てて、首を振る。
「ほら、稚影は、その……家族、みたいなものだし。貰えないとちょっと、寂しいなって」
「あー、まぁ確かに?私も希美ちゃんから貰えなかったらショック受けちゃうからね」
何とか誤魔化せたけど、誤魔化せてしまうのが悲しかった。
だって、それは稚影が……全く、僕の事を男だと意識してないって事じゃないか。
ため息を吐いた僕を見て、また稚影が笑った。
「さ、早く帰ろっか。希美ちゃんも待ってると思うよ?」
スカートを翻して、稚影が笑う。
彼女は……高校生になって、容姿が凄く、大人びた。
可愛らしさの中に、女性らしさ、というのか……そういうのが垣間見えた。
意識しないようにしないと、どうにかなってしまいそうだった。
体格も……僕のような男とは全然違う。
華奢な姿に、僕は──
首を振った。
僕のその考えは、今の関係を壊してしまうものだ。
考えては、ダメだ。
僕は前を歩く稚影に追いつく為に、少し、早足になった。
二人で笑いながら、帰路を歩く。
僕の……いや、僕達の家に、帰るために。
◇◆◇
『居場所を教えてくれて、ありがとう』
暗闇の中、スマートフォンの画面だけが光っていた。
私は指を走らせる。
『ううん、大丈夫だよ』
『次の人も、どうすれば良いか教えて欲しい』
『勿論だよ。だけど、少し待ってね』
『ありがとう』
一定時間で消えるタイプのメッセージアプリを使って、私はやり取りをする。
頬を緩めて、スマートフォンを机に置いた。
鏡に写る私の姿を見る。
紫色の髪は以前より少し伸びた。
希美に伸ばした方が可愛いからと言われたからだ。
化粧は……まだ、下手だけれど、少しずつ練習をしている。
高校の制服、そのボタンを外す。
するりと、床へブレザーが落ちる。
リボンを緩めて、椅子にかけて……カッターシャツを脱ぎ捨てる。
下着姿になって、ベッドに寝転がる。
天井を見る。
光の灯っていない電灯を見る。
静寂が支配する暗闇の中で、スマートフォンのバイブ音が鳴った。
手に取って、上に掲げる。
希美からのメッセージだ。
私は頬を緩めて、いつも通りの『稚影』を演じる。
演じる?
そうだ。
私の本性はドス黒く、邪悪なものだ。
だから、ああやって笑っている私は……いや、そんなの……違う。
どちらが本当の私なのか、そんな事は重要じゃない。
何をするか、何を為せるか、それだけだ。
深く、息を吐く。
肺に入っている空気を全て吐き出そうとした。
息苦しくなって、咳き込む。
タオルケットで身を包み、蹲る。
「……和希」
今日の彼を思い出した。
きっと、死体は見た筈だ。
それでも、彼は気丈に振る舞っていた。
私の事を気に掛けるほどの余裕はあった。
それは──
拙い。
恐怖に対する耐性が出来ている。
それは喜ぶべき事ではない。
彼の『異能』を強める事への障害になる。
『剣』は心を外面に剥き出しに固形化したもので、『異能』は心の発露だ。
それらの力を強めるためには……強靭な『心』が必要だ。
だから、傷付けなければ。
断ち切って、断ち切って、断ち切って……より、太くしなければならない。
断ち切り辛くなるという事は……それだけ、強いハサミが必要になるという事だ。
恐怖を、絶望を、苦痛を……より、強く。
強く……今よりも、強く。
「……和希、和希……」
私は身を捩り、布団に顔を埋める。
「ごめん、なんて……」
今日、少し意地悪をした。
そしたら彼は、申し訳なさそうに謝って来た。
ごめん、と。
「違う、私は……私の方こそ」
何が『許してあげる』だ。
どの面を下げて言ってるんだ。
私が、私は、私は私は、私は、そんな、事を言える立場か?
違う、違う、違う!
私は彼を騙して、傷付けている。
そんな私が……何を許すというのか。
「ごめん、ごめん、なさい……和希」
頭がおかしくなりそうだ。
いや、違う。
もう、とっくに頭はおかしくなっている。
私は支離滅裂の狂った殺人犯だ。
そんな人間が、何を。
「…………和希」
彼は……私の事が好きだ。
今でも、好きで居てくれている。
それを嬉しいと思ってしまっている自分がいる。
受け取れない和希の恋心を愛でてる屑がいる。
私は……犯罪者で、嘘吐きで、元男で、何もかもが彼とは釣り合わない。
なのに……何故、どうして?
私は、一体、何なんだ?
ベッドから転がり落ちて、手元に『剣』を呼び寄せる。
「はっ、はぁっ、はぁ……」
息を荒げながら、能力を行使する。
脈打つ。
体の中の臓物が、『剣』の紫色の脈が脈打つ。
目を閉じて、集中する。
自身の身体を弄って、神経伝達物質を分泌させる。
ストレスを緩和し、落ち着かせるための物質を。
だけど──
「足りない……足りない……足りない」
行使する。
脈打つ。
行使する。
脈打つ。
行使する。
脈打つ。
行使する。
行使する行使する行使する。
そして──
「げほっ、ごほっ!」
思考に靄がかかり、私は『剣』を地面に落とした。
砕けて、ボヤけて、『剣』が消滅した。
私の中に、戻ったのだろう。
無くなった訳ではない。
一時的に体の外で維持出来なくなっただけだ。
「はぁ、はぁ……」
私は、依存している。
自分の『異能』に……そして、暖かな日常にも。
フラフラと立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
コップに水を入れて、飲み干す。
熱っていた身体が冷えていく。
それと同時に、思考も冷えていく。
「……ふ、ふふ」
もう、問題ない。
大丈夫だ。
私は……もう、大丈夫だ。
未来のために、進んでいける。
どんな選択肢でも、必要ならば選んでいける。
スマートフォンを手に取り、チャットアプリを起動する。
指を走らせて、頬を緩める。
「……今度の出し物は、ちょっと危ないかもしれないから……」
スマートフォンを置いて、鏡を見る。
汗で濡れた肢体が写る。
顔は笑っていた。
「和希には頑張って貰わないとね」
笑えていた。
私は足を後ろに下げて、キッチンの前に立った。
そこには……希美と作ったマカロンがあった。
焼け焦げて、見た目が悪くなってしまった自分達で食べる用のマカロンだ。
あぁ、そういえば。
……バレンタインのマカロンには、少し、特殊な意味がある。
マカロンは少し、高級なお菓子だ。
だから、特別な日にしか食べないようなお菓子。
そこから、紐付いて──
『貴方は特別な存在』と──
そんな意味が込められていた。
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