拝啓、先生だった私へ

柊 奏汰

拝啓、先生だった私へ

 教師になるのが夢だった。そんな私の中に存在する、仕事とプライベートを切り替えるスイッチ。小学校で仕事を始めたばかりの私は、そのスイッチがあればどんなことでも乗り越えられると思っていた。

 本来の私は人と関わるのが苦手なほうで、声が小さくて何かを言おうものなら何度も聞き直されてしまう始末。周りの人の視線や考え方を気にしてしまって、自己主張ができない、何事にも自信のない自分。そんな自分を隠すかのように、職場である小学校に向かう車の中で、パチンと仕事のスイッチを入れる。

 自信がなくて俯きがちな視線を意識的に真っ直ぐに上げて、いつも笑顔を絶やさないように気を付ける。普段よりも2ギアくらい高めのテンションにして、声のトーンは明るく、教室の中でしっかり聞こえるように普段より数倍大きめのボリュームで。明るくて元気な理想の教師像を、私はいかにも「それが私本人の性格であるかのようにして」私の表面に貼り付けるのだ。


「みんな、おはよー!」

「あっ、先生だ!」


 教室に入るとわっと周りに集まってくる子供達。あのね、昨日ね、と矢継ぎ早に話されるたくさんの子供達の話に耳を傾けて答えながら、視線は連絡帳と提出された宿題のチェック。目を通して赤を入れたものから「くばりもの」のボックスに入れていく。


「先生ー!〇〇ちゃんが怪我したー!」

「あらあら、保健室に行っておいで」


 そう口で言いつつ、その子の怪我の心配と、今日の放課後は保護者に怪我の連絡をしておかないと…という思考に陥る始業前。もちろんその日起きたことのメモは抜かりなく。


「△△くんと××くんが喧嘩してるよ!!」

「何があったの?落ち着いて話してごらん」


 結局、喧嘩対応に時間が掛かり、バタバタしながら朝の会を終えて授業を始める。

 学校現場の業務は、ただ授業をするだけではない。生活指導、子供同士の人間関係の構築、学年や家庭との連携。それら全てが担任1人の肩にのしかかってくる。もちろん同僚の協力は得られるし、全てを1人で対応するわけではないけれど、担任という責任は重い、と私は思っていた。


 日常の崩壊は、突然訪れた。

 きっと、毎日座る暇もないほど目まぐるしく過ぎていく日々の中で、ちょっとした無理と背伸びが積み重なっていたのだと思う。本来の自分の性格では恐ろしいほど向いていない、様々な人間関係を構築し続けるというプレッシャーと疲労感と責任の重さを感じる日々。子供達と過ごすのは楽しかった、ただ、教師としての私には「難しい」と「できない」がずっと心の中にあって、少しずつ毎日が息苦しくなっていくのは自覚していた。それでもずっと夢だった世界なのだからと無理矢理働き続けていたら、ある日、今まで普通に切り替えられていたはずの仕事のスイッチが入らなくなった。自宅を出ようと思って準備をしていたら、吐き気がして家から一歩も出られなくなってしまった。


「頑張りすぎて疲れたんだよきっと。少し休んだ方がいいね」


 初めての「家から出られない」という状態に、パニックになりながら職場に欠勤の連絡をすると、教頭先生は穏やかな声でそう言った。職場に仕事を持っていない人はいない。担任が欠席してしまうと、教頭先生や教務などの代わりの誰かが1日中教室に入らなければいけなくなる。そうすると、その私の代わりの誰かの仕事が一気に増えてしまって、全ての負担がのしかかっていくことになるのは明白だった。他人に迷惑をかけている、その事実が、私の心を大きく蝕んだ。

 私は何度も何度も謝って電話を切り、何度も何度も後悔しながら、欠勤しているのに頭はずっと職場のことを考えているという、全く休めない自宅での時間を過ごした。体調は1日で回復せず、結局数日休むことになってしまったが、幸いだったのは、代替で入ってくれた先生が上手く授業を進めておいてくれたお陰で子供達の学習進度にはさほど影響が出なかったことくらいだろうか。

 しかし、いくら休んでも、逆に気合を入れて頑張って働いてみても、私の仕事スイッチが再び入ることはなかった。子供達は好きだ。学校という場所も好きだ。でも、私にこの仕事は向いていない、と、素の自分で職場に行くたびに毎日毎日思い知らされる。ついにどうしようもなくなって精神科に行くと、鬱状態だと診断を受けてしまった。睡眠薬がないと眠れなくなった。不意に襲ってくる吐き気に食事もとれなくなって6kg痩せた。あまりにもやつれて同僚からも心配されるようになって、もうだめかもしれない、と思った。

 何度も迷って、眠れないほど悩んで、その日、私は一つのはっきりとした信念を持って校長室の扉をノックする。


「はい、どうぞ」


 私を迎えてくれた校長先生。きっと私がこんなことを言い出すなんて思ってもみないだろう。私は音が響かないように丁寧に扉を閉めて、校長先生に向き直った。

 言おう。私は今日、そのために職場に来たのだから。


「すみません。今年度いっぱいで、仕事辞めます」


 教師になるのが夢だった。でも、仕事には「向き不向き」があると分かってしまった。私に教師は向いていない。こんな自分に自信のない薄っぺらい人間が、子供達を教え導いていくことなどできるはずがなかったのだ。校長先生にも他の同僚の先生にも「今辞めるのは早すぎる」と何度も止めてもらった。その気持ちはとても嬉しかった。でも、失われてしまった私の仕事のスイッチはもう戻ってこなかった。それに、鬱状態がひどくなってふとした瞬間に死にたくなるような人間が、これ以上教壇に立ってはいけないとも思っていた。

 その後、何度も鬱による体調不良を繰り返しながら、この年担任した子供達を何とか次の学年へと進級させた。この子達にだけはちゃんと最後まで関わっていたいという、せめてもの私の意地だった。

 離任式で私が最後のお別れをした日。私が担任していた子供達は、みんな寂しそうに私との最後の時間を過ごしてくれた。何とか子供達の前ではずっと笑顔でいたけれど、お花とメッセージを貰って車に乗り込むと、自宅への道を運転している間じゅう、涙が溢れて止まらなかった。ありがとうとごめんねをたくさん心に抱えて、私は学校現場を去った。


 もし、あの時私にもっと自信があったら。

 もし、あの時私にもっと力があったら。

 もし、あの時、なんてことは辞める前も辞めてからも何度も浮かんでは消えて、今でも不意に苦しくなってしまうことがある。私があの頃過ごした温かい日々も、失敗の日々も、記憶からは消えない。でも、数年一緒に過ごした私の手を離れた彼らは、私の知らないところで、あっという間に大人になっていくのだろう。

 いつか、彼らと再会できることがあったら。私は今元気にやっているよと、今度は胸を張って話せるような、私なりの人生を生きてみようと思うのだ。



 拝啓、先生だった私へ。

 今、私は新しい人生を生きています。学校現場と全く関わりのない、新しい世界に飛び込んで仕事をしています。仕事スイッチは相変わらず壊れてしまったままだけれど、鬱とうまく付き合って、ありのままの自分でマイペースに居られるように気をつけながら、毎日なんとか穏やかに。私が私らしくいられるように、好きな髪形で、好きな格好で、好きなように生きています。

 あなたが今感じている達成感も苦しみも全部含めて、抱えたままで生きられるようになるから、最初に教師という道を選んだことだけは後悔しないでいて欲しい。大好きな子供達のために全力で走り続けた5年間を、どうか誇りに思って欲しい。毎日よく頑張ったよ、お疲れ様と伝えたい。

 今の私には、小さな夢があります。今の自分を大事に生きて、いつか大人になった彼らとお酒が飲める日が来たら夢のようだな、なんて思うのです。数年一緒にいただけの私の存在なんて、大人になった彼らの記憶に残っているのかすら分かりません。きっと実現確率は零点数パーセントほどしかない、小さくて些細な夢。でも、いつか叶ったらいいな、なんて、少しだけ希望を持ってみたりします。いつか、その時が来た時には胸を張って会えるように、今の自分の人生を精一杯生きようと思うのです。

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