セカンドライナー
フィステリアタナカ
セカンドライナー
二〇〇八年四月。高校二年生になった僕は、全国高等学校野球選手権大会に向けて練習をしている。打撃練習の後の守備練習で、コーチの打球を受け止めていた。
「おら、いくぞ! おい!」
「はい!」
三遊間に飛んだボールを横っ飛びで捕球しにいく。
「まだまだ!」
「はい!」
高校に入って一年。今度の県予選でのレギュラー争いで負けないために、僕は必死になってボールを追いかけた。
「ラスト!」
「はい!」
八時過ぎ、ノックが終わり、主将に呼ばれる。
「中田。監督が呼んでいるぞ」
「はい。ありがとうごさます」
野球帽をかぶり直しグラブを外して、ユニフォームに付いた土を払い落した。そして、松本監督がいる体育教官室へ向かう。
「失礼します。2年A組、中田です。松本監督に用があって参りました」
体育教官室の入口で、背筋を伸ばしていると、松本監督から言われた。
「中田。明日からセカンドの練習をしろ」
「はい。わかりました」
「以上だ」
「失礼します」
監督に言われた言葉。指示は絶対だ。中学高校とショートを守ってきた僕は、何とも言えない気分になった。セカンドの練習か――ライバルで同じ学年の
「中田。監督、何だって?」
「セカンドを守れって」
「セカンドって主将とレギュラー争いするってこと?」
「そうなるね」
ベンチ入りできる部員は十八人。僕がセカンドも守ることができれば、「内野の補欠」と、監督は考えたのであろう。
「よっ」
「何だよ」
「お前、セカンドやるのか?」
「そうだよ」
ショート争いをしていた安に声をかけられた。安は打撃が得意で肩も良い。ただ、守備だけは彼に負けない自負はあった。だから正直悔しかった。
「じゃあ、ゲッツーのとき、よろしくな」
「わかったよ、安」
彼はそう言って、僕を蔑むような眼を向けたあと、部室から出て行った。
五月になり、セカンドの守備も板についてきた。主将の後ろに並び、ノックを受ける順番を待つ。主将はゲッツーのとき、二塁ベースに右足から入ることもできて、僕は「ああ、こんな守備できない」と思いつつも、レギュラーを取るつもりで必死になって練習をした。
「五番。ショート、安」
「はい!」
大会に向けた、最後の大事な練習試合。日頃の練習から何となく感じていたが、安はスタメンで、僕はベンチ。ショートのポジション争いから外され、セカンドのサブ。「なんでなんだろう」それでもベンチに入ることのできない部員のことを考えれば、贅沢な悩みなのかもしれない。
「加藤。次の回からショートな」
「はい、監督」
八回に加藤先輩はショートの守備をする。僕にも出番があるといいなと思うが、はたして監督は主将を外すのであろうか。
「あと二回、守り切ればOKだ。気合い入れていくぞ!」
「「おう!」」
四人のピッチャーが投げたのに対し、僕は出れず仕舞い。もしかするとベンチも危ういなのかもしれないと、そう思っていた八回裏にアクシデントが起こった。
(えっ)
打席に立った主将に伸びのあるストレートが当たる。倒れ込む主将。その場の緊張感が漂い、チームメイトが主将のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか!」
主将は右手を押さえ、痛みを我慢している様子だった。「最後の夏なのに、ここで怪我?」先輩のその姿を見て、僕はいたたまれない気分になった。
その日の試合の後に、主将は病院へ行った。翌日、どうなったのか気になっていたところ、主将は右手の骨折。それを聞いた僕は主将の怪我が治るまで、セカンドを守り抜こうと決意した。
「よかったな。中田」
「安、全然良くないだろ」
「そうか?」
「だって、二遊間が変わるんだよ? それに先輩、最後だよ」
「大丈夫、気にすんなって。じゃ、よろしくな。相方」
試合に出れることは嬉しい。ただ主将のことを考えると、僕は素直に喜べなかった。
「先輩」
「中田か――中田、頼みがある。俺は県大会は無理だ。優勝して全国まで進んでくれないか?」
「はい! 先輩が甲子園に立てるよう約束します」
「ありがとな」
チームのことを考え続けている主将のため、僕は甲子園へ行くことを誓った。
七月。いよいよ県大会が始まる。僕はレギュラーでセカンドを守り続け、チームは順調に一回戦、二回戦を勝ち上がる。そして三回戦へ。そんなチームの勢いを止めてしまう出来事が起こった。
「加藤。次の試合からショートな」
「はい!」
突然、安が転校したのだ。安のクラスメイトの話によると、誰もいない教室で安が他の生徒の財布を盗んだということが、先生達に伝わったらしいとのこと。「何をやっているんだ、アイツは。こんな大事な時にそんな不祥事を起こすなんて、あのゲッツーの練習の時間を返せ」そう腹立たしく思ってしまった。
「安がいなくても次の試合も勝ってやる」と意気込んで、やってきた三回戦。この日は一、二回戦と違って、曇り空で暑さがやわらぎ、試合をするのにとてもいいコンディションだった。
「六番。セカンド、中田」
「はい!」
試合は投手戦になる。二回、五回と打順が回ってきたが、次の打者に繋げず、どちらも内野ゴロだった。
「雨だな」
「そうですね、先輩」
二遊間のコンビを組む加藤先輩がぽつりと呟く。急に雨が降り出し、「僅差でコールドゲームもあるのか」と最悪のことを考えてしまった。
「この試合、先制点を取ることが重要だ。守り切るぞ!」
「「おう!」」
七回の裏。僕はセカンドの守備につく。その回の先頭打者が放った打球は僕の近くを物凄い勢いで飛び、ライト前ヒット。その後、盗塁、四球と続き、送りバント、犠牲フライで先制点を取られてしまった。雨は強くなり、内野の土もぐちゃぐちゃ。帽子からは雨水が滴り落ちる。
(雨強いな)
ツーアウトランナーは二塁。フルカウントで迎えた次のボール、強烈な打球が二塁方向に飛び、「練習でやってきたことだろ!」と、僕は必死になって体を伸ばした。
ぐちゃぐちゃになった土に飛び込み、グラブにはボールの感触。すぐさま腕を上げ、ライナーを取ったことをアピールした。
二塁塁審が僕のところに近づき、拳を縦に動かしてアウトの判定がなされた。
「これで流れは止めた。一点を返すぞ」体中泥にまみれて、ベンチへ向かう。ただ、雨は止むどころかどんどん強くなっていき、審判から試合再開まで待機するよう指示があった。
「ダメか……」
加藤先輩のそんな呟きが聞こえた。しばらくの時間ベンチで待機していたが、審判からコールドゲームと告げられ、僕は思わず、雨雲を見た。「なんでなんだ、なんで今日に限って雨が降っているんだ?」先輩達の高校最後の夏が終わりを迎える。
ベンチにはすすり泣く音が聞こえる。僕は俯いた顔を上げ、バックネット裏を見ると安の姿があった。「安、来てくれていたのか」かつてのチームメイトの姿に「勝てなくてごめん」と心の中で呟いた。
「中田」
そんな中、雨と涙で濡れた顔の僕に主将は話しかけてくれた。
「中田、ありがとうな。俺達の分まで来年の夏、頑張ってくれ」
感情を抑え、我慢している主将。僕は主将との約束を果たせなかった。悔しい。
「先輩。約束を破ってごめんなさい」
「いいんだよ。お前はベストを尽くした」
「そうですかね」
「あんなセカンドライナー、俺には取れないよ」
我慢をしていた、先輩の表情は崩壊した。
握りしめたこぶし。雨の匂い。泥だらけになったボールだけが、心を慰めてくれているように、僕には見えた。
セカンドライナー フィステリアタナカ @info_dhalsim
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