消えない思い出

延岡のべおかくん!? 」


 目が合った相手は、同僚の延岡大河だった。


「ご、ごめんね寺崎さん。立ち聞きするつもりはなかったんだ。わいわいしてる所に出ていく勇気がなくて……」


 ばつが悪そうにしながら彼が言う。百五十八センチある私と比べて背が高く、少しもっさりした黒髪に眼鏡をしている延岡君。子ども目線だと、かなり見上げる形になるので、少し威圧感を感じたのかもしれない。ルイ君が、オネーサンこの人誰?と言いながら私の背中に隠れた。


「私の仕事仲間の延岡くん」


 小声で教えるとルイ君はゆっくり出て来て彼を見上げる。延岡君は私とルイ君を交互に見て、えっと……と話す言葉に迷っている様子だった。恐らく私達がどんな関係か考えているのだろう。私は慌てて説明する。


「この子はルイくんって言うの。私の親戚の子なんだ。ちょっとお母さんが仕事で忙しくて、今私の家で預かってるの」


 私のでっち上げた設定を聞いて、ルイくんが困惑した顔でばっと私を見た。


「えっそうなの━━」

(そうなのよ……!)


 私は素早い動きで延岡くんに背を向け、ルイ君の口を塞ぐ。これは、いつか誰かに私達の関係を聞かれた際、答えられるように昨日考えた設定である。その設定を、ルイくん達と打ち合わせする前に本人に粉砕されるところだった。こんな直ぐ使うことになるとは……。


 この時。私は一体どんな顔をしていたのだろうか。もう片方の手の人差し指を、自分の口元に当てて小声で言えばルイくんは私の必死の形相に何かを察してくれたのか、こくこく頷いた。


「そうなんだ。お母さんに会えないのは寂しいね。オレ延岡って言うんだ、宜しくねルイくん」


 延岡くんの声がしたので、何とか誤魔化せたようだ。私はほっと胸を撫で下ろす。


 ふと、延岡くんの手に青いランチマットの包みがあるのに気づいた。


「えっ、もしかして今から休憩? 」

「あっうん……仕事終わらなくて……」


 延岡くんは目を伏せる。腕時計を確認すると、午後の仕事の時間まで三十分しか無かった。気が弱く断れないのを良いことに、休憩室にいるあの同僚達は、延岡くんにまた仕事を押しつけていたのだろう。そう言えば、店内で見かけないなと思っていたらバックヤードで別の仕事をしていたのか。


 あいつらめ。私は心の中で毒づく。出来ることなら彼を手伝いたかったが、自分の仕事も手一杯なのが現状だった。


 延岡くんは、コンクリートの段差に腰かけるとランチマットを開く。私はいつも休憩室でお昼を食べているので、彼が休憩室以外のどこかで食べていると言うことは察していた。しかし、まさか外で食べているとは思わなかった。休憩室に行かないのは同じ空間にいれば、自分の悪口が聞こえて来るからだろう。そしたら外に出るしかないと考えた彼の心情を思うと、私は心が苦しくなった。


 中々仕事に戻らない私を気づかってくれたのか、一人なりたかったのかは分からないが、延岡くんが弱々しく口を開いた。


「寺崎さん大丈夫? オレといると、またあの人達に目つけられるよ?」


 あの人達とは、言わずもがな休憩室で笑いながら話をしていた同僚と先輩である。日々延岡くんに嫌がらせをしている張本人であり、私とトラブルになってから、それ以降嫌がらせの矛先が私にも向いている。


「ごめんね。そもそもオレが要領悪いせいで仕事遅いのがいけないのに……」

「うち元々人いなかったんでしょ? 忙しいのは前から変わらないって林さん達から聞いたし、私は大丈夫だよ。それに延岡くんは延岡君なりに努力してるんだから悪くないよ。あの人達がおかしいんだよ。仕事が滅茶苦茶出来るからって、横暴が許されるわけじゃないんだからさ……」


 私は、優しいけれどはっきりとした口調で言った。本当にそう思っているからだ。


「それに、私が勝手に首突っ込んだのが悪いんだし━━」

「そんなことないよ!」


 自嘲気味に言った瞬間、延岡くんが少し大きな声を出した。隣にいたルイくんの肩が跳ねて、彼はわっと驚いた声を上げた。私も驚いた。このバイトを始めて、延岡くんの大きな声を初めて聞いたからだ。


 延岡くんは私達に謝ると、ぽつりぽつりと続きを話し出した。


「そんなこと、ないよ……。寺崎さんはいつも真っ直ぐで、自分の正義を持ってる。オレずっと前にも佐藤さんから守ってもらったことがあって。情けないけど、その時も嬉しかった……。寺崎さんは優しい人だってこと、中学の時から思ってたよ」


 自分の正義━━私は昔読んだ絵本を思い出す。理想の自分は、いつだって絵本の中にあった。


 それに「中学の時から」と言う延岡くんの断定的な言葉に私は少し引っ掛かった。


 「中学の時にも何かあったっけ?」


私は首を傾げる。すると延岡くんが顔を上げて私を見た。目が合うと、彼はまた俯きがちに目を逸らす。


「あの時も、オレが佐藤さんにいじめられてて、寺崎さん助けてくれたから」


 中学の時?私は瞬時に中学時代をざっと思い出したが、該当する出来事はすぐに出てこなかった。


「えっそうだっけ……? そうなのか、ごめん、私よく覚えてなくて……」


 どうしても、そんな返事しか思いつかなかった自分が嫌になる。


「ごめん戸惑わせて……! クラス一緒になったのって一回だけだったし、元々あんま話したことないし、そりゃ覚えてないよね……」


 延岡くんが、両手を上げて勢いよく横に振る。その様子に少なからずショックを受けているのが感じ取れたので、私はますます申し訳ないと思った。本当に覚えてないんだ。ごめんね延岡くん……。私は自分の記憶力の無さを恨んだ。


 思えば確かに、家を飛び出して借りたアパートの近所にあったこのスーパーでバイトを始めるまでは、中学時代の同級生が同僚に二人もいるなんて知らなかった。


 佐藤菜々華も一度クラスが一緒になった事はあったが、クラスのカースト上位にいた彼女は、当時も横暴さを周囲に振り撒いていたので彼女のことは良く覚えている。




 気づくと隣にいたはずのルイくんが、延岡くんの隣にちょこんと座っている。


「ねぇねぇ、あのもシゴトナカマ?」


 ルイくんが延岡くんの服の袖をちょいちょい引っ張って、ある方向を指差す。その先を辿ると、入り口に入っていく一人の女性がいた。それを見て、私はまた頭の中にはてなマークが浮かんだのだ。


「あれはお客さんだよ。ほら、延岡くんと私は同じ色のエプロン着てるでしょ?同じエプロンを着て、ここにある物を売っている人達が、私達の仕事仲間って言うの」


 私は答える。


「後、ルイくん。お姉さんじゃなくて……お婆ちゃんって言った方が合ってるかなぁ……」


 延岡くんが少し笑いながら付け加えた。オバーチャン?とルイくんが首を傾げる。


「女の人は見た目が若いと「お姉さん」。だんだん歳を重ねると「おばさん」や「お婆さん」って呼び方が変わっていくんだよ」


 私はルイくんに説明するが、ついに我慢が出来なかった。


「って言うかルイくん。何でみんなオネーサンって呼ぶの!?」


 疑問をぶつける。さっきルイくんを裏口から入れてくれた林さんと言い、おばさんや、お婆ちゃんも全員「オネーサン」呼びはなぜなんだろうか。私は不思議で仕方なかった。


「だってクロウはそれしか教えてくれなかったから……」


 口を尖らせるルイくんに、そういうことか。と私は納得した。そう言えば、初めて会った時にクロウさんが、ルイくんの見た目であれば大抵の人間は「お姉さん」だからこの呼び方で良いだろう、と適当なことを言っていたような……。


 ともあれこれで謎が解けた。あれ、そう言えばクロウさんがいない。私は辺りをキョロキョロ見渡したが、いつの間にかクロウさんは姿を消していた。


 視線を戻せば、延岡くんがルイくんに言葉を教えている。


 延岡くんがお婆ちゃん、おばさん、お姉さん……と離れた入り口に入っていく人々を口で指していき、その後にルイ君が延岡くんの真似をして続く。


「オバチャン、オバチャン……」


 ルイくんが言葉を反芻して練習をしていると、背後で裏口が開く音がした。


「延岡、寺崎。早く仕事戻って」


 刺々しい声がして振り向くと、同僚の佐藤菜々華が苛立たしげな様子で立っていた。









「あっ佐藤さんごめん……。すぐ戻るよ」


 そう言ってランチマットを畳始める延岡くん。私は佐藤菜々華を睨み付けたかったが、面倒なことになるのは明白だったので取り敢えず返事をする。


 ルイくんに帰るよう言わなくちゃ。あれどこ行った?そう思った時だった。


「じゃあ、も同じエプロンしてるからシゴトナカマだね! あれ……?」

「は?」


 あんな低い「は」初めて聞いたかもしれない。ルイくんが、佐藤菜々華の目の前に立ち、面と向かって話しかけていたのだ。


 突然の「オバチャン」呼びに、佐藤菜々華は不愉快そうに顔をしかめる。





 うひゃー。私は目を見張り、驚きのあまり思考がフリーズした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る