誰かの視線
何か言いたげな少年を連れて、裏口から出る。この場所なら人目もつきにくいと思ったからだ。
「ルイ君、今日は家で大人しくお留守番するって言ってたじゃない!? 」
私は声を極力抑えて、少し屈んで目線を合わせる。平常心は保ちたかったけど保てなかった。家にいると思っていた人物が突然、目の前に現れたのだ。無理もない。
「オネーサンこれ忘れてったから持ってきたの……。これ、雨降るとみんな持ってるから必要だよね……?」
付喪神の少年が、おずおずと何かを差し出してきた。小さな手に握られていたのは、淡い青色をした花柄の傘。私はそれを見て、今朝テレビで見た予報を思い出してはっとした。
「そう言えば、今日雨降るってテレビで言ってたよね。傘、わざわざ持ってきてくれたんだねありがとう」
でも、どうしてこの場所が分かったのかと聞けば、何となくでここまで辿り着いたらしい。凄いな。雨が降ると寒いんだよ。と少年が俯いて言うので、私はもう一度お礼を言いながら、彼の小さな頭を撫でた。すると嬉しそうに笑うので、私も自然と笑顔になる。
「あら? その子、寺崎さんの親戚の子だったの?」
不意に声が聞こえて振り返る。
パートのおばさんの林さんが、後ろの駐輪場にいた。ちょうど自転車のロックを解除して帰るところだったようだ。
「あっ! さっきはありがとうオネーサン!」
オネーサン?思わず思考が止まる。少年が林さんに元気よく手を振っていた。林さんはそれに片手を振って答えながら、もう片方の手を頬に当てて、まぁお姉さんだなんてと照れる。林さんは、自転車に乗ると帰って行った。
林さんは痩せていて、私服もまだ若さの片鱗が見えてお洒落だが、見た目はどう見たって六十代のおばちゃんである。
少年は、何でそんな調子の良いモテ男のようなことを言っているのか。そもそも、従業員しか入れないバックヤードになぜ入れたのか、林さんが自転車で去った後で少年に話を聞けば、裏口前でうろうろしていた所を、帰宅しようとしていた林さんが出て来て、その時中に入れてくれたとのこと。さっきの発言から想像するに、林さんはきっと少年を職員の家族かと思ったのだろう。
だからバックヤードに入れたのか。私は話を聞きながら納得していた。しかしおばちゃん職員さんをなぜ「お姉さん」と呼んでいたのかは分からなかった。
ふと、いつも少年の隣にいるクロウさんがいない事に気付く。
「あれ、クロウさんは? 一緒じゃないの? 」
私が聞くと、彼はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、瞳を輝かせてにんまり笑った。
「クロウ、お留守番してろってうるさいからこっそり逃げてきたの! 」
「巻いてきたってこと!? 」
「巻けるわけねぇだろ」
突然、頭上から声が降ってきた。
後ろを振り仰げば、クロウさんが店の屋根の上から飛び降りてくるところだった。
「クロウ何で、ここにいるの分かったの!? 」
逃げる少年が着ているフードを、バサバサと羽ばたかせながら、クロウさんが足で掴もうとする。
「このクソガキ、大人しくしてるかと思えば外に勝手に出やがって。バレバレなんだよ!」
「もう僕ガキとか小僧じゃないからね! ちゃんと「ルイ」って名前があるの! 」
彼は両手で頭を守りながら、クロウさんをきっと睨む。
「ちょっと二人とも……! あんま大きな音立てないで……! 職員さん達に聞こえちゃうでしょ……! 」
そう、 私の目の前にいる少年には名前が無かった。私は昨日のことを思い出す。
「そうだ、名前。何て呼べば良いかな?」
「えっ?」
そう言うと、お風呂場で体を洗ったクロウさんをタオルドライしていた少年が少し驚いた顔をした。
これから一緒に過ごすのだから、呼び名がないと不便だろう。そのことを話せば、少年は俯き、クロウさんは面倒くさそうに翼を羽ばたかせた。
「名前なんて僕よく分からないよ……」
「そんなの、自分の子どもじゃあるまいし何でも良いじゃねぇか」
実を言うと、お風呂場でクロウさんを洗いながら私はずっと少年の名前を考えていた。
「でも、良い名前が思い浮かばないんだよね」
夕食の唐揚げやサラダをテーブルに用意しながら、私は首を傾げてうんうん唸る。
「名前はゆっくり決めれば良いから、取り敢えず先にご飯食べちゃおうか」
「うん、僕もうお腹ペッコペコ」
テーブルを囲んでご飯を食べる。談笑しながらも頭の隅で名前を考えている私をよそに、冷凍食品の唐揚げに感動した少年が、自分の名前を唐揚げにすると言い出したので慌てて止めた。
そのまた隣でクロウさんが恐ろしそうな様子で、美味しそうに唐揚げを頬張る彼を見ていたのは気づかなかったことにした。
夕食の後かたづけをしていた時、私の脳裏に何かが閃いた。
「ルイ、って名前はどうかな……?」
「るい……?」
瞬きした少年の翡翠の瞳が煌めく。彼に似合う服を選ぶように、いくつかの候補を少年に当てては何か違う、を繰り返していた中で、それが突如ふっと湧いたのだ。天然の綺麗な金髪に宝石のような瞳をしている彼は、まるで外国人のような見た目なので、その名前は少年にピッタリだった。他を考えれば考えるほど、ルイという名前以外はもう考えられなかった。少年は、私が発した名前を反芻するように何度か呟いた後、満面の笑みを浮かべた。
「うん、良い名前! オネーサンありがとう!」
「どういたしまして。よろしくね、ルイ君」
私もそう言って笑った。
バイト先の裏口を出たところで騒ぎながらクロウさんから逃げ回るルイ君を、私は何とか抱え込んで口を塞いだ。
「他の人に迷惑になるでしょ! あまり大きな声出さないの」
子どもを叱る母親のように言えば、ルイ君はぴたりと大人しくなった。すると今度は、彼がフガフガして何か言いたそうにしていたので手を退ける。
「みんな、僕のこと初めは見えるけど、すぐ忘れちゃうんだよね……」
「えっ? 」
「あぁ後俺なんか、姿も見えないみたいなんだよなぁ」
クロウさんも悩ましそうに言う。ルイ君が傷ついたような顔で俯くので、私は心が苦しくなった。出会った人間は彼らをすぐに忘れてしまうか、初めから目に見えない。でも、と私は初めて彼らと話をした時のことを思い出す。ルイ君はクロウさんに乗って飛んだ後も私だけは、自分達のことが見えていたと言っていた。そして、今も私は彼らを覚えている。
ずっと一緒にいるからだろうか?どういうことなのだろうと、私は首を傾げた。
私がルイ君達と出会う前。彼らは一人の女の子と知り合ったそうだが、出会った日の翌日が雨だったため、まだ落ち着いて住める場所も、雨を凌ぐ道具も無かった彼らは、外を自由に歩けず、屋根のある所で寄り添うようにして一日を過ごした。
翌日、女の子に会いに行ったらその子はルイ君を完全に忘れてしまっていたそうだ。初めて出来た人間の友達に喜んでいたルイ君は、酷く落ち込んでいたと言う。これはクロウさんが、後でこっそり教えてくれた。
「あちこち飛び回って色々やったけど、オネーサンだけだよ。時間が経っても僕たちを忘れてないの」
「そっか。何でだか私も不思議だけど、良かった」
ルイ君が不安そうな顔をするので、私は小さな頭を優しく撫でた。ルイ君はそれに安心したのか再びふふっと笑う。さらさらとした金色の髪が春風にそよいだ。
そして「あちこち飛び回る」と言う言葉に、ふとある事を思い出した。突然手がぴたっと止まった私を、二人が不思議そうに見る。私は二人に恐る恐る聞いた。
「ねぇ……色々やったって言ってたけど、具体的には何をしてたの? 」
すると二人は、きょとんとした顔で。
「クロウに乗って、人がたくさんいる所飛んでたよ」
ね? ルイ君がクロウさんに続きを促す。
「そうだなぁ、まず主って言う一人の人間を探さねぇといけねぇんだからよ。だったら行く場所は手っ取り早く、人がうじゃうじゃいる所だよな? 駅前とか学校とか飛び回ってたぞ」
私はそれを聞きながら、ロッカーでおばちゃん達がしていた噂や、女子高生達の話が脳裏に甦った。私は額に手を当てる。
駅前にいた人達の頭に、突然葉っぱが落ちて来たり。孫のいる学校で、朝会で集まってた所に突風が吹いたりしたんだって━━
うち昨日また怪奇現象にあっちゃった━━
「もしかして、この前駅で葉っぱ降らせたりみんなが集まってる学校で飛び回ってたのって……」
二人は顔を見合せる。
「そう言えば、そんなこともしたね」
「したな」
「それ、怪奇現象って噂になってるからね!? 」
時間が経った今では、ルイ君達の姿を見た記憶がないとしても。葉っぱが落ちてきたことなど、身に起きたことは覚えているらしい。トラブルが起きるリスクはゼロとは限らない。
二人が早々に出会った人物が、何故かは分からないが、飛んだ彼らを視認出来た上、衣食住を提供出来る自分で本当に良かった、と私は本気で安堵した。
「でも、らいこう達には僕たち見えるから。やっぱりちゃんと隠れてなきゃダメかな……」
呟いたルイ君の言葉に聞きなれないものがあり、私は尋ねる。
「らいこうって? 」
「昨日襲ってきた奴だ」
ビルにいた私達を、雷のような音を立てて捕まえようとしてきたあいつか。らいこうって言うんだ。あの夜のことを思い出しそうとした時、 突然アラームが鳴り、驚いて肩が跳ねた。
見ると、バイトの制服のポケットが震えている。自分の携帯のアラームだった。
「あっ休憩時間もうすぐ終わっちゃう! 」
「ほら、ルイ。こいつは仕事に戻るってよ」
そう言うと、クロウさんはぴょこぴょこ動きながら方向転換する。クロウさんは体が大きいがこういう動きは、普通の鳥と動きが変わらないのでちょっと面白い。
私がバイトに戻らなければならない事を知るなり、ルイ君はつまらなそうに口を尖らせた。私は目線を合わせるように再び屈む。
「ごめんね。家で待ってるだけじゃつまらなかったよね? 今日、夕飯に美味しいもの買って帰るから、それまで良い子で待っててくれる?」
宥めるように言えば、ルイ君が目を輝かせた。
「えっ本当!? 」
「うん。だから、今日はお家でお留守番お願い。今日は唐揚げだけじゃなくて、他にも美味しいもの沢山あるから、買っていくよ」
ルイ君は嬉しそうに辺りを駆け回り始めた。
「危ないから道には出ないようにね! 」
口元に手を添えて言えば、元気な返事が返ってくる。
ルイ君を見ているクロウさんの隣に、私は歩み寄った。
「クロウさんありがとうございます」
こそっとお礼を言うと、クロウさんはむすっとした。
「礼を言われる筋合いねぇぞ?」
「だって、ルイ君を無理にでも連れ帰ることも出来たんですよね? ルイ君が退屈してるのを見て、危なくないように見守りながらここまで来てくれたんですよね? だから、ありがとうございます」
「ほう……俺の優しさを分かってんじゃねぇか」
やっぱり当たってた。クロウさんの飾らない返事に、私は笑った。
バイトに戻るため、二人に別れを告げる。踵を返した瞬間━━
私は目を見開いた。緊張が走り、歩こうとした身体が硬直する。裏口の戸の隙間から、人間の目がこちらを覗いていたのだ。ルイ君とクロウさんは、まだ私の後ろにいる。
目が合った相手は、裏口の隙間から身体を滑り込ませ、ゆっくりとこちらに出てきた。
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