遠い記憶

 翌日。私はアルバイト先のスーパーマーケットにいた。結局、あれから二人と話し合い、最終的に少年の主が見つかるまで二人を家に泊める事にしたのだ。


 友人が泊まりに来た時のために、仕舞ってあった布団があることを思い出した私は、クローゼットから引っ張り出してベッドの横に敷いた。


 ベッドの方が布団よりも素材が良いので、ベッドを使っていいよと少年に言えば、彼は跳び跳ねて喜んだ。寝るところがふかふかなんて初めて! なんて少年が言うので、私は驚いて思わずクロウさんを見た。私が言わんとしていることを察したのか、クロウさんは


「色々あったんだ。これでもな」


 とばつが悪そうに言うだけだった。


 一体彼らが、今までどんな生活を送っていたのか。知りたくなったが、恐くて聞く事が出来なかった。





 *



 バックヤードに戻るため、商品の後片付けをしていた時。後ろにいた女子高生の会話が耳に入ってきた。


「うち、昨日の帰り。怪奇現象にまた会っちゃった」

「この前、学校であったようなやつ? 」

「そう。駅行くまでの道に教会あんじゃん? あそこでさ━━」



 後片付けをする手が止まった。この辺りで教会と言うと、付喪神の少年を初めて目撃した場所にしかない。聞き耳を立てていれば、あの時、後ろの女子高生も自分と同じ場所に居合わせていたらしい。女子高生達の話はまだ続いていたが、追い掛けてまで立ち聞きする訳にはいなかったので、私は後ろ髪引かれる思いでその場を去った。












「お疲れ様です」


 挨拶しながら休憩室に入る。休憩室は質素な造りで、部屋にはテレビと長机と椅子があるくらいだ。後ろの席で同僚と先輩が、笑い声を上げながら話している。少し早めにお昼休憩を貰ったので、部屋の中には同僚と先輩と私しかいない。


 同僚は、地元の中学が一緒だった元同級生。先輩は、このアルバイト先で出会った。確か一つ歳上だった気がする。




 二人は私が部屋に入ってきた瞬間こちらを見たが、直ぐに何事も無かったかのように笑って話続けていた。


 しかも 今、一瞬睨まれたな。


 挨拶すら返さないなんて。あのトラブルがあった日から覚悟はしていたけれど、こちらは最低限のマナーをやめるつもりはない。それよりも、相手に合わせて自分が変わることを強いられる方が嫌だった。


 しかし、そんな態度を取られる度に、これで良かったんだ。むしろすっきりした。そう思って私は今日も出来るだけ離れた席に着く。









 休憩室でいつもコソコソ何か話しているのは知っていた。このバイトを始めて、少し経ったある日の帰り。私が仕事終わりにロッカールームに向かっていると、休憩室にいる二人が窓越しに見えた。休憩室の窓枠は大きく、通路から中の様子が良く見える。お先に上がります、と声を掛けようと顔を覗かせた時、私は目を丸くした。同僚の男の子を壁に立たせ、二人が腕組みして立っていたのだ。










 休憩室の入り口近くの席。あの人達がいる場所とは席が対角線上になる。一番距離を取れるここが、今や私の特等席になっていた。それでも聞こえてくるのは、仕事の出来ない同僚の悪口や気に食わなかった客を笑う話ばかり。


 時折上がる笑い声を背中に聞きながら、気付かれないようにため息を付く。お弁当を食べた後、足元にあったトートバッグを手に取る。昨日の夜、トートバッグをビルに置いてきたことを思い出した私は今朝、早めに家を出た。



 バックから取り出したのは、表紙が青色をした大学ノート。付箋が付いたページを開く。


そこには、犬のイラストと文章が書いてある。公募の締め切りは七月の末だから、それに向けてゆっくり煮詰めていくつもりだ。


 私は気合いを入れて、シャープペンを走らせた。



 私には絵本作家という夢がある。小さな頃に叔母から貰った絵本がきっかけでどんどん読むようになった。読んでいく内に、自分も描いてみたいと思うようになり、幼稚園の時に初めて絵本を作った。白い画用紙に絵と文章を書いて本にしたものだ。お母さんに見せたら、凄く褒めて貰って嬉しかったのを覚えている。


 その後も、中学の時の家庭科で、幼稚園で園児達と遊ぶための玩具を作成する授業があり、絵本を作ったことがある。その時も、園児達から好評だった。自分の作った絵本を読んで、笑顔になる子ども達を見て絵本作家になりたい。と自然に思うようになった。


 でも、始まりは高校二年の冬だった。そんな私の絵本作りに母が良い顔をしなくなったのは━━━











 ふと見上げたらTVが付いていた。絵本の特集をしてるようで、作者らしき人がインタビューを受けている。


 私は目を見開いた。うわぁもう始まってた……。何分くらい経ったかな?私は思わず頭を抱える。


 何故なら、インタビューを受けている人物は、昔自分が絵本を好きになるきっかけの本を作った作者。「さくらば ますみ」だったからだ。




「━━では、今回の作品は桜庭先生が子どもの頃に考えていた物語を下地に描いたものなんですね」


 女性アナウンサーと話をしている女性が「さくらば ますみ」先生だ。四十代くらいの優しそうな人で、アナウンサーの質問に朗らかな笑みを浮かべて答えている。さくらば先生は業界の中でも多くのファンがいる先生だが、本来絵本作家がメディアに出るのは珍しい。ではどうして先生がテレビに出ているのかと言うと、作家生活二十周年を記念して今度発売される新作の宣伝も兼ねているからだ。なので、この放送は貴重だった。


「そうですね。下地と言うより、本当に土台だけなんですけど。子どもの頃に想像してたものがこうして絵本にして出版する事が出来て幸せです」


 私は頬杖をついて物思いにふける。少年に桜庭先生の絵本をあげたら喜ぶだろうか。今頃、家でお留守番しているから本棚から見つけて読んでくれてたら嬉しいな。そう言えば、小学校の時も絵本を作ったよなぁ。


 などと思い出して、私は首を捻る。小学生の時に作った物語はどんな話だったっけ。


 他の作品は順を追ってぼんやりと思い出せるのに、それだけは記憶を辿ってもぽっかり穴が開いたように全然思い出せないのだ。まるで、読んでいた本のページが破られていたかのように。どうしてだろうと考えていると、視界の端にちらちらと何かが見えた。何かと思い横を向いた瞬間。うわっと声を上げそうになる。


 窓越しに付喪神の少年が、満面の笑みでこちらに向かって手を振っていた。

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