いきなりピンチ!?

「名前がない……?」


そう返すと少年は、こくんと頷いた。


「じゃあ、何て呼べば良いか分からないね……」


私は困ったように頭を掻く。


「他の人には、ちゃんと名前呼んで来なかったの?」

「オネーサンとかオニーサンとか……?」


少年が首を傾げて言うので、もういいとばかりに私は制止した。


こいつはこの見た目だし、大体の人間相手になら年下になるだろ。と、烏のクロウさんはそう言って羽を少し羽ばたかせた。


そう言うもんかなぁと私は思ったが、私より少年と長く一緒にいるクロウさんが言うのであれば、とそれ以上は追及しなかった。


その時、少年が悲しそうな顔をしていたことに、私は気付かなかった。




私はクロウさんの話を聞いて、それまで少年から呼ばれる度に感じていた違和感の正体が分かったのだ。




「ぼくお腹減っちゃった。オネーサンの持ってるそれ食べて良い?」


声がした方へ視線を戻す。少年がこちらを見ていた。


呼び方が形式的過ぎるのだ。まるで子供が、機械的に英語を喋っているだけのような。言葉の意味を理解していない様に感じる。


「食べ物? 私持ってたかな? あっちょっと勝手に……!」


少年がこちらに近付いてくるやいなや、私のトートバッグを漁り始める。


「あった」


少年が掴んでいたのは、茶色いお饅頭。包装されていて、上に湯のマークが押されていた。


「温泉まんじゅう……?」


見た瞬間、思い出す。それは、今日バイト先の上司が旅行のお土産と言って、みんなに配っていたものだった。


「別に良いけど……あっそのままじゃ駄目!」


少年が包装ごと食べようとするので慌てて止めた。


「それはこうやってね……」


私は少年から饅頭を受け取り、包装を広げた瞬間━━━


突然、雷が落ちた。私は悲鳴を上げる。饅頭が跳び跳ね、コンクリートの床に転がった。


私は周りを見回す。どこから聞こえた音か一瞬分からなかった。音は下から聞こえたようだ。しかし、床は何も変化はない。


私は冷静に記憶を辿る。今日の夜空は雨雲はなかった。そして、今のは雷では無く「雷のような音」だと言うことを瞬時に理解した。


「何の音……?」


床をじっと見つめてみるが、もう何も聞こえない。


「ねぇ━━」少年の方を向こうとした瞬間。


「オネーサン! 逃げるよ!」


突然、少年が私の手を掴んで走り出したのだ。さっきまでの笑顔は消え、顔には焦った色を浮かべていた。走る早さは異常で、普通の子どもスピードでは無い。


「何々!? 何なの!?」

「小僧、とにかく上だ! 外に少しでも出れる所探せ!」


見るとクロウさんはいつの間にか、黒い霧状に姿を変え、並走していた。


何も聞かされることなく、そのまま非常階段を駆け上がる。少年の靴と私のブーツの甲高い足音が入り乱れてビルを上っていく。


「クロウさん、もう外出てるよ!?」

「ここじゃ「飛ぶ」のに狭すぎる! 屋上まで走れ!」


屋上へ続く最後の階段に差し掛かり、もうすぐ着く。そう思った瞬間。


「罪を犯した愚か者共~~!!」


地鳴りのような大声が聞こえた。全身がビリビリして、私はまた悲鳴を上げる。それはまるで、雲の中で低い声を出しながら、雷がゴロゴロ鳴っているのを身体中に浴びたようだった。そして、その音が真下から来たのだと直ぐに分かった。


「何~~!? 何なの~~!?」


私は半分混乱していて、もう半泣きだった。


「ごめんね! 後で説明するから!」


少年が言うと同時に屋上に着く。少年は間髪いれず叫んだ。


「オネーサン、クロウに捕まって!」


少年が指差す先を見ると、いつの間にかクロウさんが先程の烏の姿で待っていた。


言われるまま、背中の黒い羽毛に思いっきり飛び付く。その時、黒い何かに全身が包まれる気がした。


そして飛び立った瞬間。背後で再び、地鳴りがした。
















「何……何なんですか……さっきの……」


私は呼吸を整えながら、目の前の少年とクロウさんに聞く。二人は互いに顔を見合わせており、どちらが喋るか迷っている様子だった。


どうにか自分のアパートに辿り着いた私達は、玄関にいた。二人には取り敢えず玄関口にいてもらい、私は先に上がった。そして、二人に向かい合う形でその場に座り込む。


もう、身も心もヘトヘトだった。


そして少年から打ち明けられた言葉は、私を驚かせるものだった。



「ぼくたち狙われてるんだ」

「……誰に?」

「閻魔大王の部下にだよ」


クロウさんの言葉に、私は目を丸くした。エンマってあの……? 私の声は漏れていた様で、クロウさんが答えてくれた。


「そうだ。あの地獄の閻魔だ」

「ぼく、エンマサマは会ったことないから知らないけど、部下のあいつは嫌いなんだよね」


少年が口を尖らせる。


「まぁ、お前もやったのがアレじゃあなぁ」


クロウさんがため息をついた。


「何で閻魔様の部下に追いかけられる様なことしちゃったの?」


私は恐々聞く。少年がそっぽを向いて黙ってしまったので、クロウさんが渋々話し出した。


「こいつ、下界に渡るための許可証バッジを盗みやがったんだよ」

「げかい? きょかしょうばっじ? って何? 」

「下界は、お前たちがいるこの世界のこと。許可証バッジってのは」


クロウさんが続けようとした時。少年が自分のパーカーの裾を指で摘まんだ。そこには、綺麗な水色のバッジが付いていた。


「それが無いと、こっちに来れないの? 」と聞けば少年が頷く。


「何でそんな狙われるような事しちゃったの……?」


学校の先生が生徒に言うような口調で、私は少年を見つめた。「盗んだ」と聞いて、私はこんな小さな子どもの姿をした付喪神が、盗みを働くほどの理由が知りたくなっていた。



少年が真っ直ぐ私を見た━━



双眸に光が宿っていた。そこから分かるのは、何も飾らない真剣さ。それに気づいた私も、その気持ちを受け止めるべく姿勢を正す。背筋が伸びたのは、無意識だった。





「ぼくは、ぼくを生んだ主に会いたいんだ。どうしても」





私を見つめる二つの瞳は、嘘偽りないものだった。私たちの間に沈黙が流れる。


外を走る車の音が聞こえた。



「君を生んだってことは。君が付喪神になった元の「物」を持っていた人って事だよね? でも、どうしてそんなに会いたいの……?」


聞いた瞬間。私はごめん。と謝った。真剣に打ち明けてくれたのに「どうしてそんなに会いたいのか」なんて、軽薄な態度だと思ったからだ。


でも、危険を侵してまで主を探したいと言う、この少年を突き動かす原動力は何なのか。私は純粋に気になっていた。


「ぼくは何者なのか。何の付喪神なのか知りたいから」

「何の付喪神だったか分からないの?」


驚いた声で聞けば、少年が俯く。


「器の形は何となく分かるんだけど……」


器? さっきビルの中で聞いた気がする。そう言えば、クロウさんが祠みたいなものって言ってたっけ。


「それってどんな形してたの?」

「こんな感じのやつ」


そう言って少年は、胸の前で四角形を作った。


「……それだけ?」


頷く少年。困ったぞ。現時点で手がかりがほぼ無いじゃないか。


話し合いが停滞し始めたその時。誰かの腹の虫が鳴った。


「ぼく、お饅頭食べられなかった……」


少年がお腹に手を当てて、悲しそうな顔をする。そうだ、私が饅頭の包装を広げた瞬間に、襲撃されたんだった。


「ごめんね、ずっと狭い所で。取り敢えず、こっち来て何か食べながら続き話そうか」


確か冷蔵庫に冷凍食品の唐揚げがあったはずだ。


「食べ物あるの!?」


さっきまでつまらなそうな顔をしていた少年が、食べ物の事を言った途端に目を輝かせたので、私は少し笑ってしまった。年相応の子供に見えて可愛らしかったからだ。


居間に向かおうとすると、後ろでクロウさんの声が聞こえた。


「俺はこのまま部屋に入っちゃ駄目だろう? 外飛び回ってるから雑菌だらけだぞ、どうすりゃ良い?」


クロウが悩ましげに言う。私はうーん、と少し考える。


「じゃあ、シャワー使って洗おうか?」














ビルの中に、黒いスーツを着た男が立っている。男が見下ろす先には、ベージュ色のトートバッグと床に転がっている剥き出しの饅頭。


「雷公、捕まえたか」

「申し訳ありません、取り逃がしました」


男は聞こえた声に呟くように答えた。一拍の間の後、ため息が聞こえる。


「全く……これはお前の失態だからな。閻魔様には絶対に知られてはいけない事だ。 早急に捕まえてこっちに連れて来い。いいな?」


姿の見えない声はそう言うと、通信を切ったらしい。


男は怒りに任せ、饅頭を思いっきり踏みつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る