名前のない神様

春クジラ

神様との出会い

運命の夜

 絵本が好きだ。


 小さい頃は純粋に楽しんで読んでいただけだったけれど、大人になったいま思えば、家族や友達。大切な人と別れたときの悲しみとの向き合い方。未知の世界へ踏み出す勇気。人生において大切なことを教えてくれていたのだと気づく。


 学生時代、現実で悲しいことがあって、どこかへ逃げたいと思った時。嫌な現実を忘れさせてくれたのも絵本の中の物語だった。いまは苦しくたって大丈夫。いつでもページを開けば「あの世界」に行けるんだから。大好きな物語を帰ったら読もう。そう思って私は、いつだって自分を励ましていた。


 *


「寺崎これもやっといて」

「あっ、うん……」


 スーパーマーケットでのアルバイトをしている最中、同僚の女性から倉庫に呼び出され荷物運びを命じられる。背後の荷物を見るとかなりの量である。


 しかし、今の私には返す言葉も見つからず。かといって誰かに手伝ってもらう気力も持ち合わせていなかった。 ここで言い返せば、また面倒なことになるのが分かっているからだ。私は大量の飲料水が入った段ボールを前に深呼吸した。


 よし、やるか。










 ロッカーの扉を閉めながら、思わずため息が出た。身体が疲弊しているのを感じたからだ。二リットルのペットボトルを、棚にいくつも積み上げれば流石に腰が痛む。本当のことを言うと、これは先ほど私に荷物運びを命じた同僚の担当だったのだが、これは仕方の無いことだった。


 夕飯は何を買って帰ろうかな、などと考えていたら、近くで着替えていたおばちゃん達の噂話が聞こえてきた。


「そう言えば、最近この辺で恐いことが起きてるんだって。知ってる?」

「恐いこと?」

「駅前にいた人達の頭に、突然葉っぱが落ちて来たり。孫がいる学校で、朝会の時に突風が吹いたりしたんだって」

「何それ……? 不気味ねぇ」


 噂を話していた一人と目が合う。


「寺崎さんも気を付けてね。変なことばっかで嫌になっちゃうわよね」

「はい、ありがとうございます。お疲れ様でした」


 二人に軽く会釈して、私はバイト先を後にする。








 私は、夜風を深く吸い込んだ。春先に吹く夜風は、自分の好きなものの一つだ。鼻から深く吸い込めば、匂いにほんのり暖かみを感じる。少なくとも冬の、肌を刺すような冷たい空気がないので、恐らくこれが春の匂いと言うやつなんだろう。


 ちらりと横を見れば、道沿いにある店の明かりが目に入った。それらをぼんやり眺める。小さい頃は、母が塾にいる兄を迎えに行くにも、毎回ついて行っていた。車窓から流れる夜の街並みを見るためだ。しかし、かつて胸が踊った景色は、いつの間にか当たり前のものとなり、大学生になった今では、何とも思わなくなっていた。




 生活資金の為に始めたスーパーマーケットでのアルバイトは、いま危機に陥っていた。きっかけは、職員同士のトラブルに私が首を突っ込んだせいだ。


 携帯を取り出して時間を確認する。画面には十九時二十分とある。その時刻の下に表示された母からのメールを、私は無表情で見つめていた。少し迷って、そのメールを開く。


「いつまでも意地張ってないで、早く帰ってきなさい」


 無機質な文面から母の声が思い出されて、私は顔を歪めた。 意地を張る? 発端はそっちなのに、何であんたが許してあげるって立場なの?本当むかつくんだけど。


 既読にしたまま携帯をバッグに投げ入れるように仕舞う。今日の帰りは本屋に寄る予定だったが、疲れた身体を引き摺ってまで行く気力はもう残っていなかった。ゆっくりと帰路を歩く。


 人通りが疎らな道を過ぎ、一つめの角を曲がると大通りに出る。あれ?と私は目を丸くした。道路沿いにある教会の上。その三角屋根に人影が見えたのである。何であんな所に人が……。

 

 そう思った次の瞬間には、十字架は何時ものように屋根に刺さっているだけで、見慣れた風景に戻っていた。



 見間違いか。



 そのまま教会前を通り過ぎようとした時。


「ねぇあれ人?」


 近くで声が聞こえて思わず立ち止まる。声がした方を見ると、女性が上を見上げていた。女性が指指す先。教会の屋根の上に、人が立っていた。ここからだと高さはビルの四階くらいだろうか、暗闇のせいで顔はよく見えない。フードを被っていた。


「自殺とかじゃないよね?」

「あれ子どもか?」


 周りにはいつの間にか人が集まり始め、皆で教会の上を見上げる。


 その人は、屋根の十字架を片手で掴んで私達を見下ろしていた。私には何となく、その人が、「何か」を探しているように見えた。良く見ようと私が身体を動かそうとした刹那、どよめきが起こる。


 その人が前に倒れるように身を投げ出したのだ。


 危ない!私が声を出すまでもなく、その人は黒い影のようなものに包まれたかと思えば、一瞬で消え、直後に突風が吹いた。私は目をつぶり、思わず身を屈める。影のようなものが、こっちに向かって来て、私達の頭上をギリギリで通過したからだ。



 恐る恐る目を開けると、横にいたサラリーマンのおじさんと目が合った。彼は何をやっているんだと言うような顔で、訝しげに私を見下ろしていた。周りの人達も立ったまま、ちらりを私を見ては目線を逸らす。頭を抑えてその場に屈んだのは、どうやら私だけだったらしい。


 私達は呆気に取られていた。少しの静寂の後。集まった人達は、少しずつ何処かへ散って行く。周りを見れば不思議そうに首を傾げる人。動画に撮ろうとするも間に合わなかったのか、落胆している人。その喧騒の中、私も駅に向かおうと足を向けた時だった。



「オネーサン、これ落としたよ」


 不意に服の袖を引っ張られた。見ると黒いフードを目深に被った子どもがいた。心臓がどきりと跳ねる。今、目の前にいるのは先程、教会の上にいた人物だと直感したからだ。


 背丈から見て、小学校中学年か高学年くらいだろうか。唯一見える口は、一文字に結んでおり、ハンカチをこちらに差し出している。この花柄の白いハンカチは最近、買ったばかりで家に置いてあり、まだ使ってすらいない。でも、このハンカチは私のものだと不思議な確信があった。


「あ、ありがとう」


 動揺しているせいで、お礼がぎこちなくなってしまったが、私はハンカチを受け取ろうとそれを掴んだ。その瞬間、少年の口が素早く動いた。


この人連れてって」

「えっ?」


 風が吹く。強い風だった。突然、身体が柔らかな感触に包まれた気がした。風の中で薄目を開ける。子どもの口角が微かに、上がったように見えた。


私の意識は、そこで途切れた。












 水の音。ひんやりした固い床と空気。どこからか風の音がする。私何してたんだっけ……。ぼんやりした頭で記憶を辿る。


「オネーサン、生きてる?」


 誰かの声が聞こえる。何かに頬をつつかれている。


 薄目を開ければ、子どもが指で私の頬をつついていた。


「クロウ、オネーサン生きてる!」

「大声出すな」


 ばっと起きると、先程ハンカチを差し出して来た子どもが、目の前に座り込んでいた。フードがあるため、口元が笑っていることしか分からない。ちょっと、何なのこの人達。そう思った瞬間。どこからか吹いた風が、フードを取り払った。子どもと目が合う。私は思わず息を飲んだ。


 その子どもの顔が、この世の者とは思えない程、美しかったからだ。さらさらと風にそよぐ綺麗な金髪。大きな瞳は翡翠の宝石のようである。見た目は幼い少年だが、身に纏う雰囲気は少なくとも、子どもが持つそれとは違う異質さと色気を放っていた。



 そして、その隣にいる黒くてデカイ、烏のような生き物にも目が釘付けになる。ぱっと見、二メートルくらいはあるだろうか。身体は鳥のような黒い羽毛で覆われている。驚いたのは、その鋭い嘴から聞こえてくるのは、しっかりとした日本語だったからだ。


「何なのあなた達……」

「何者だって言われてるぞ、小僧」

「ぼくは「つくもがみ」。みんなぼくらをそう呼んでるよ」


 付喪神?と言うと、かみさまだっけ? かみさまって、願いごとを叶えてくれるあの「神様」?


「ちょっと待って」


 そう言いながら、私は携帯を操作する。


「まさか、付喪神知らないのか?」


 察したのか、でかい烏の引いた声が聞こえて来るが、いまいちピンと来ないのだから仕方ない。


「えっと、付喪神とは、日本に伝わる、長い年月を経た道具などに神や精霊、霊魂などが宿ったものである……人を、たぶらかすとされたぁ!? 」


 読み上げながら、最後の「人をたぶらかすとされる」と言う言葉に驚いて、私は思わず携帯画面と少年達とを交互に見てしまった。


「たぶらかす? ねぇクロウたぶらかすって何? 」


 少年が不思議そうに隣の烏に聞く。


「人を騙したりすることだ……っておい! 大体合ってるが、たぶらかすなんて俺たちはそんなことしねぇからな!?」

「だってここに書いてあるもん!」

「ネットで調べたものが全部正しいとは限んねぇだろうが! あぁもう、これだから現代っ子はよぉ!」


 少し心が落ち着いてきた。 少年の自己申告は一先ず置いておこう。次の問題は、隣の烏の姿をした化け物だ。どう見ても、やはり現実にいる生物ではない。


「じゃあ……あなたも付喪神ってこと?」

「いいや、違う」


 おずおずと聞けば、烏の化け物は否定する。そういや、この烏みたいなのと私、普通に会話出来てるんだよな……。私何処かに頭でも打ったのかな。私はこの異常な状況におかしいと思いつつ、冷静になるよう努めていた。暴れたり、逃げようとしたら何をされるか分からない。



「クロウは人間だよ」

「は……」

「正式に言えば「元」が付くけどな」


 元人間?この怪物みたいなのが?

 眉を潜め、目を凝らしてみる。黒い羽毛に覆われている姿は、どうみても人間の面影は欠片も無い。


 私の顔が面白かったのか、少年がけらけら笑い出す。笑う姿は年相応に思えた。


「何もそんなに笑わなくても……」

「だって、おかしかったから」

「おい、あんま大声出すなって言ってるだろ」


 クロウと呼ばれた烏の化け物が嗜めたので、少年は手で口を抑えた。それでもふふ、と笑っていた。


「何で私をここに連れて来たの?」


 あの時、目撃したのは私だけではない。それなのに何故私だけここに連れてこられたのか。

 そうだ、と少年が言う。


「オネーサンに、ぼくの器を作った主を探すのを手伝って欲しいんだ」


 うつわ?あるじ?この少年は自分は付喪神だと言った。それが本当か嘘かは置いておき、仮にそうだったとする。まず、うつわって何?


「祠みたいなもんだ」


 私の表情を見て察したのか、クロウさんが答えてくれた。


「だめ……?」少年が悲しそうな顔をする。ついさっきまで楽しそうだった表情が曇るので私は慌ててしまった。


「あっいや、大切なものなんだよね? でも、私なんかの力で役に立つのかなぁって思って」


 手で頬を掻いてちらりと、少年を見る。


「それなら心配ないよ。ぼくがみんなの上を通った時に、屈んだのオネーサンだけだったから。さっき、ぼくがクロウに乗って飛んだの見えてたでしょ?」

「見えてた?」

「うん。飛んだ後も、ちゃんとぼくたちが見えてたの、オネーサンが初めて。だから他の人とは違うオネーサンなら、ぼくの主を見つけられると思ったんだ」


 少年はそう言って、私と正面から向き合う。


「わ、分かった。一緒に探すの手伝うよ」


 真剣な顔の少年に、思わず反射的に答えてしまい。私は内心困ってしまった。どうしよう……手伝うと言ったけれど、でも見つけるったって、一体どうやって?



 少しずつ言葉を交わす内、辺りを見回す余裕も出てきた。見るとこの場所は工業ビルのようだ。薄暗いが、オレンジの電球がいくつか天井に付いている。近くにあるパイプから水滴が垂れていた。壁に目を向ければ、ほぼ幕に覆われており、外からでは中の私たちは見えないようだった。身を隠す障害物もほぼないと来たら、まずバレずに脱出は困難だと悟る。


 そうだ、まだ聞いていないことがあった。


「あなた、名前は?」


 聞くと、少年は俯いてそのまま固まってしまった。


「個体別の名前のこと。ほら、前教えただろ」


 クロウさんに言われて、少年が勢いよく顔を上げる。少年の顔は無表情で感情が読めず不気味に思えた。


「なまえ……無い」

「えっ」






「ぼく、なまえ無いんだ」









 これが名前のない神様と、元人間と言う烏の化け物。彼らとの出会いだった。



 そしてこれは、私が子どもの頃に描いた夢を掴むまでの希望の物語━━━━

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