第3話

 うっすらとした白が一面に広がっている。


「収穫の準備を――」

「それはおじさんに――」

「ちょっとこっちの――」


 目の前に白がある、そう認識したあたりから聴覚が人の声をキャッチした。

 声からして男性一人、女性が二人。そのうちの一人は若そうだ。


「ん……」


 そんなことを判断している暇はない。

 自分が置かれた身を把握しようと俺は体を起こした。


「ここは……」


 いい匂いが鼻腔を通り抜けた。

 瞼を上げた先に見えた世界はトイレではなく、荒野でもなくジャングルでもなかった。

 どこかの家の、誰かのベッドの上。そこに俺は寝かされていた。

 先程から瞼越しに白い光を届けていたのはこのベッドが窓辺に設置されていて、今の時間がちょうど太陽が高く上がっている時間帯だからだろう。

 窓の外には先の声の主らしき人たちがカゴを抱えて走り回っていた。


 元の世界に帰ってきたとか、そもそも異世界に転移したというの自体が夢だった、ということはなさそうだ。

 なぜなら忙しなく走り回る人々の髪の色は綺麗な金色をしていた。いくら腕のいい美容師でもこんなに綺麗にブリーチをかけて色を染めることはできないだろう。

 あれは髪を染めたというよりも元から、生まれつきあの色という感じだ。そしてなにより青い瞳や橙色の瞳が、ここは異世界なのだと証明している。

 青はともかく外国の人でここまで橙色の眼球を持った人はそういないだろう。そして服装が西洋すぎる。どう考えても現代社会の服装ではない。つまりここは異世界だ、という発想になるのはなにもおかしなことではないと思う。


 俺が現状の把握をしながらボケッと外を眺めていると、窓の外の女性と目が合った。

 彼女は綺麗な金髪を風に靡かせて、その橙色の綺麗な瞳で俺のことを驚いた表情で見つめるとすぐに周囲にいる男性に声をかけた。

 するとその男性もこちらを見てニカっと笑顔を浮かべると家の中に入ってきた。


「よぉ、おはようさん。目覚めはどうだい?」

「あっうす。お腹が空いている以外は結構元気です」


 男性が建物の中に入ったと思えばしばらくして扉を叩かれ、そして開いた扉から先程の男性が顔を見せた。

 異世界でもちゃんと言葉は通じるんだなーと感心しつつ受け答えをすると、男性は豪快に笑って俺の手を引いた。


「え?」

「腹が減ってんだろう? 飯を食わせてやるよ」

「作ったのはアタシだけどねぇ」

「わーってらァ」

「うをっ!」


 男性に腕を引かれて部屋から出る。すると急に視界外から女性の声が聞こえて思わず驚いてしまった。


「なんだい、びっくりした」

「す、すんません」


 俺の声に驚いた女性に謝罪を述べ、その女性が作ったらしいご飯をいただく。

 ああ、何時間……いや、本当に何時間ぶりの食事だろうか。

 質素ながらも暖かいスープで心が満たされていく。


「……あの、俺と最初に目が合ったあの女の子は?」


 テーブルに並べられた食事を楽しみつつ、ふと疑問に思ったことを聞いてみた。

 ここにいるのは俺を含めて、料理を作ってくれた女性と部屋まできた男性の3人だ。あの可憐な少女の姿は見当たらない。


「あの子はアタシの娘だよ」

「俺はこのババアの弟でな、あの子は俺の姪にあたるんだ。この村一番の美人だからって惚れんなよ?」

「だぁれがババアだい! こんのクソガキが!」

「もう、二人ともお客さまの前でしょうもない喧嘩はやめてよ」


 キャイキャイと口喧嘩を始めた二人に、静止の声が入る。

 声の方を見ると先の少女だった。やはり近くで見てもかわいらしい子だ。清楚系というやつだろう。


「いやぁ、なんかすみません」

「いいえ、こちらこそお見苦しいところをお見せしてもうしわけありません。普段の二人は仲が良いのですけど、たまにこうしてすれ違うことがあって」

「仲良くはないよ」

「そうそう、用がある時しかここには来ないからな」

「そういうところが仲がいいと言うのではなくて?」


 声を揃えて否定する二人に、少女がそう言葉を返すと二人は顔を逸らしてしまった。

 これは少女の言う通り喧嘩するほど仲がいい、というやつか。


「ひとつ質問させていただいてもよろしいですか?」

「え? ああ、それはもちろん。というか俺もたくさん聞きたいことがあるし」


 少女の問いに頷いた。俺も異世界について色々聞きたいことがある。


「なぜあの森にいたのですか?」

「森? もしかしてあのジャングルみたいなところのこと?」

「ジャングル……?」


 ジャングルという単語を知らないのか、首を傾げる少女になんでもないと首を横に振った。


「俺は元々あのジャン、じゃなくて森の奥の穴の先にある荒野にいたんだけど」

「なっ⁉︎」

「アンタ、あんなモンスターがうようようろつく危険な場所にいたのかい⁉︎」

「それはまたなぜそんなところに?」

「いや、俺もなんでかわからないというか。気がついたらあそこに立っていたというか」


 彼らも荒野の存在は知っているうえに、あそこにモンスターがたくさんいることは理解しているらしい。俺の言葉に驚いた表情を浮かべる御三方に俺は嘘をつくことなく素直に返す。

 すると三人は顔色を変えて、なぜか急に同情的な目でこちらを見てきた。


「もしかして……」

「なるほどねぇ」

「そんな……ひどい」

「え、なにが?」


 男性は片手で顔を覆い、女性は頭を押さえて、少女は両手で口元を覆った。

 彼らがなにを想像しているのかわからなくて首を傾げると、三人は口を揃えてこう言った。


「捨てられたんだな」

「捨てられたのね」

「捨てられてしまったんですね」

「捨てられたァ⁉︎」


 衝撃的な発言をされて驚いてしまう。

 捨てられたって誰に? 俺をこの世界に飛ばした神さまにってことか?

 たしかに最初のリスポーン地点としてはあまり良くない場所だったとは思う。しかしまさか捨てられただなんてそんな。


「生活に困って我が子を捨てる人がいるとは噂で聞いたことがあったけど……まさか本当にそんな酷いことをする人がいるなんて」

「んん? 捨てられるにしてはこいつそこそこに年をとっている気はするが……いや、でも気がつけばモンスターの巣の近くだなんてやっぱりそういうことなんだろうなぁ……かわいそうによう」

「なんて情けない話だい。いくら苦しくてもモンスターの餌にしようとするなんて……ああ、アタシ泣きそうになってきた」

「ババアはもう泣いてんだろう」

「うるさい馬鹿弟。アンタも涙目じゃないかい」

「だってよ、気がつけばってことはきっと眠っている間にモンスターたちのところまで運ばれたんだぜ。よく……よく生きてここまで帰って来れたなぁ」


 男泣き、というやつだろうか。男性はバシバシと俺の背中を叩きながらよく頑張ったと涙をのんでいる。

 よし、今の会話で彼らに勘違いされているということがよくわかった。しかし誤解を解く気はない。

 俺は誰かに捨てられたわけではないのだが、じゃあなぜあの荒野にいたのか理由を聞かれても良い返しが思いつかないし、どこから来たかなんて問われても異世界から来ましたーと答えて納得してもらえるとは思えない。

 ならば誤解されたままの方が話がしやすいと思ったのだ。別に親に捨てられたかわいそうな子供として同情を誘いたいとかいう下心はまったくない。本当に。


「あー、あの俺モンスターに襲われたときに頭を打ったらしくて。なんか記憶が曖昧になってるから変なことを聞くんだけど、この世界って魔王とかいる?」

「は?」

「医療所に連れて行った方がいいかね?」

「まおう」


 三者三様の反応をありがとう。どうやらこの世界には異世界の定番、悪の魔王とやらはいないらしい。


「じゃあ勇者もいない感じ? 大体勇者って魔王退治で呼ばれるし」

「ゆうしゃ?」

「……大きな町の先生に見てもらった方がいいかもしれん」

「かわいそうに、絵本の話かなにかが混じっているんだな」


 勇者もいない! まあ魔王がいないのだから勇者がいなくてもなにもおかしくないのだが、うん。そういうことならマジでなんで俺はこの世界に飛ばされてきたのだろうか。


「……最近この辺でおかしなことが起きてるとかは?」

「とくにありませんね」

「ここ数年でモンスターの数が増えてみんなが困っているくらいさね」

「ナイスガイな俺に彼女ができないという世界的大問題なら起きているがな」

「アンタは気が利かないところがモテないんだよ」


 魔王を退治するために勇者として呼ばれたわけではない。村に起きた問題を解決するために呼ばれたのでもない。


「つまり……うん、まったくわからん!」


 俺が異世界に呼ばれた理由は謎のまま、女性が作ってくれたご飯が美味しいという事実だけがわかった。

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