第3話

『無色雨』


あの災厄が日本を襲ったのは、ちょうど10年前。俺が、まだ8歳の子どもだった頃だ。


初めは、噂話のような形で局所的だった。


「雨に打たれ過ぎると、消えてしまう」だとか、「見えない雨がふると、人が死ぬ」だとか、そんな、曖昧で不確かな噂。


それが次第に、範囲も被害も大きくなると、事はと認知された。


つまるところ、原因が全く分からない自然災害というわけだ。


憎らしいことに、この現象は日本にのみ確認され、海外では全く変わらない生活が続いているそうだ。


多くの研究者は、普通の雨を『有色雨』と表現しその二つを対比して言い表すようにした。


観察実験が行われて、数か月、無色雨は、あらゆる光を透過することが分かった。まるで、存在そのものを拒絶するかのように。


そして何より凶悪なのが色同様に、物質も透過する。


つまり、雨なのに傘が意味をなさないのだ。


しかし、見えないものは対策の仕様がなく、被害は日に日に増すばかりだった。


そんな時、俺『中善寺いづも いづも』という、が生まれた。


生まれたという言い方をすると誤解を生むかもしれないが、その前から俺は生まれていた。


俺のこの右目の特殊能力が発現したという意味だ。


思い返せば悲惨な出来事だった。


死をもたらす無色雨を、あろうことか裸眼に食らってしまった。


激痛の一言で言い表してしまうにはあまりにも足りない、例えるならば、目に沸騰したハバネロ液を入れたような痛みだろうか。


まぁ、そんなことはどうでもいい。


俺はその時、錯乱していた。


錯乱した中で危険極まりないが、今となっては最高に頭のおかしい不可解な一手を打つ。


そう、無色雨と同時に降っていた、普通の雨、有色雨で洗い流したのだ。


その日本は二つの傘を手に入れた。


一つ目は、無色雨と有色雨は同量を混ぜると中和され七色の光を発しながら水に戻る。


二つ目は、俺の両目が無色雨を観測できるということが発覚したこと。


だからと言って、無色雨を克服したわけではないが、少なくとも被害を最低限にすることは出来る。


そして、この二つの傘を使ってどうにか無色雨を乗り越えるために実験しているのが、いつも白衣を着た、サイエンス馬鹿の『伊勢 幸四郎』だ。


もともと、幸四郎と俺は幼馴染だったこともあり、俺は幸四郎の実験・観察に参加した。


幸四郎は元々群れるのを嫌う性格だったからなのか、実験は当初から俺と幸四郎の二人だけだった。


しかし、唯一の無色雨天気予報士を抱えている幸四郎の元には、国からの支援金が余るほど投入されている。


国も必死なのだ。


しかし、俺も幸四郎も対処はできても処置は出来なかった。


俺は、科学の限界だと思っているが、幸四郎曰く「科学に解決できないことは倫理を無視するなら無い」らしい。


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