ひどいことを、言ってしまった 1

 夏樹くんに昔の話をしてから、何となくあの公園の前に通ることが増えた。

 約束をしているわけじゃない。夏樹くんも、いつもみんなと一緒にいるわけじゃなかったし、公園にいるわけでもない。だけど、一緒にいるのが楽しかった。

 多分私は、初めて同じ気持ちを共有できる仲間を得た。

 同じ境遇と言えば、店長がそうかもしれない。けれど、こんな風に気持ちを共有したことはない。とはいえ、店長は頼りになる人だ。

 小野家でなじめなかった私を連れ出してくれたのは、包丁師の店長だった。

 

 一年前まで、私は包丁を握ることすらなかった。そのことを夏樹くんに話したら、「ええ!?」と驚かれた。


「じゃああかりねーちゃんって、その前は『包丁師』じゃなかったの!?」

「今も『見習い』だよ」


 私はそうつけ加えてから、


「その前は、普通の霊能力者というか、退治専門だったの」


 ただ、倒すだけの力を得ていた。切って、切って、切り続けて、倒してきた。

 母親から売られるきっかけになった、妖怪が憎かったのかもしれない。けれど、それだけじゃない。

 小野家には霊能力者が多かった。それでも私は、自分を異物のように感じていた。

 小野家の子なら与えられる十二支の子を、一人だけ与えられなかったのもあるかもしれない。

 私は、ここにいるために、許されなきゃいけないと思った。

 無能扱いされてはいけない。役に立つと証明しなきゃいけない。

 そんなこと、小野家の人に言われたことは一度もない。でも、ここを追い出されたら、私には居場所がないとひしひし感じていた。

 だから、全部を犠牲にして強くならないとと思った。

 泣いたり怒ったりする感情も、何かを楽しんだり欲しいと思う心も、全部『修行』のために引き換えないと。

 そのために犠牲にしてきたのは、多くの妖怪の命だった。


「夏樹くんは、すごいね。自分とは違う存在を、ちゃんと自分と繋がる存在として見てる。

 私はバカだったの。ただ妖怪だからって倒して来た。害をなす存在だから、自分とは違う存在だから。思考を放棄して、ただ倒してきた」


 だから、初めて音子さんと会った時、衝撃を受けた。「会話できるんだ」って。

 あちらはこちらの意思がわかる。私もあちらの意思がわかる。

 なのに私は、最初からそれを放棄していた。


「……『包丁師』が倒した妖怪を食べると聞いた時、『妖怪のためにご飯を作るのに、妖怪を食べるのか』と聞いたことがあるの。

 そしたら店長は、『「包丁師」による』って言った。僕は人間に近い妖怪は食べられらないし、そもそも食べない相手もいるって。

 それでも『包丁師』が倒した妖怪を食べるのは、命が『食べ物』ではなく、『命』だと認識するためだと」


 この社会ではどうしても、それを忘れてしまう。

 肉や魚は元々生きていた死体で、私たちは意思のある動物たちを囲って殺している。植物の遺伝子や習性を操作して収穫している。だけど野菜になる前に虫に食べられるし、荒々しい天候は全てを台無しにする。たくさん牛乳がしぼれるよう品種改良された乳牛は、停電になったら搾乳が追いつけなくて、乳房炎になり死ぬ子もいる。

 それでも、スーパーには当たり前のように、穀物や野菜や肉や牛乳が並んでいる。なかったら、「何で食べ物がないんだ」と怒る。

 完璧であり続けると、私たちは欠陥を許せなくなるのだ。――命は何時だって、何かを間違えたり、どこか欠けていたりするのに。思い通りになることの方が、少ないのに。


「『包丁師』は与える存在だけど、奪う存在でもある。そのことを忘れると、どうしてもバランスが崩れちゃうって、店長は言ってた。

 聖人のように振る舞わなきゃってこだわれば、破壊する自分を許せなくなってしまう。それは自分を大切にしてないことだって」


 そう言われた時、初めて私は、「自分を大切にする」という概念を得た。

 何も考えないと言うことは、自分の心の声を無視するということだった。それは「痛い」と自覚することはなかったけど、傷が治るわけじゃなかった。「痛い」と思うのは怖かったし、傷を見るのも怖かったけど、治すためにはどこに傷を負っているのか理解しなければならなかった。

 私は、怖かった。妖怪より、居場所を追い出される事が怖かった。けど、「怖い」と思う自分が許せなかった。何も功績を残せないでいる私が、「怖い」だなんて、甘えちゃいけないと思ってた。


「……理想の自分と、自分の限界に折り合いをつけろって、店長が言っていた。

 だから食べたくなければ食べなくていい。妖怪を殺せないと思ったらやめていい、って。

 そう思った時、自分の本音に気づいた」


 ――私、戦いたくない。

 妖怪に向けて、刃を向けたくない。

 いつ殺されるかわからない状態にいたくない。

 普通の生活をしたい。

 学校に行きたい。

 頼りになる大人に守られて、安心出来る日常を歩みたい。

 そう思うのは許されないことだと思っていた。けれど、一年かけて、ようやくそう思う自分を認めた。


「って言っても、魔法みたいに消えたわけじゃないの。

 やっぱり今も、『仕事をしないと、居場所がない』って思うし、普通の生活の方が怖かったりする。今は妖怪とか幽霊とか関係ない子のフリをするのが上手になったと思うけど、やっぱり、『ああ、私って変なんだなあ』って思う時もある」


 怒涛のように言葉が、想いがあふれた。

 こんな長話をされたところで、相手を押し潰しちゃうだけなのに。小学生に何語っているんだか。

 だけど、夏樹くんはケロッとした顔で、軽やかにこう言うのだ。


「つまりあかりねーちゃんは、人間修行してるってことだな」


 その軽やかさに、私は笑った。


「そうなの。至らないことばかりなの」


 そうして言葉にしていくたび、私も心が軽くなっていった。

 






 だから、油断していた。 

 その日も集団で遊んで、家まで送って、その最後の一人と別れた瞬間。

 影の形をした妖怪が、その子を襲おうとした。

 それに気づいた夏樹くんが、真っ先に駆け出した。

 ――私の体は、夏樹くんより早く動けなかった。

 黄昏の時間は、妖怪が出始める頃だってわかっていたのに。

 襲うような妖怪は、真っ先に倒すべきなのに。

『妖怪は退治するだけ』のあの頃なら、絶対に見誤らないような失敗をした。



「ねーちゃん! ねーちゃん!」



 夏樹くんが、私の上で叫ぶ。

 夏樹くんの顔には、目いっぱいの涙が浮かんでいる。

 私がやったのは、密かに持っている刀で妖怪を倒すことではなかった。


 自分の体を盾にして、夏樹くんを庇うという、馬鹿な行為だった。


 戦える私が倒れたら、次に夏樹くんかあの子が襲われる可能性があるのに。

 真っ先に倒せば、間違いなく三人とも助かるのに。

 ただ、刀を抜いている暇があれば、夏樹くんに傷を負わせるんじゃないかと、恐れた。

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