3

 そう、同級生なんだ。

 変に浮かれて、すっかり見落としていた。どんなに不思議な力を持っていても、小野は俺と同じ中学二年生だということ。

 そう気づいたのは、テーマパークで楽しそうにしている小野を見てからだった。





 誰かに、ずっと呼ばれている気がする。

 そのことを店長に相談すると、店長は険しい顔をしていた。


「それは、中学に入ってからなんだね?」


 そうです、と答えかけて、ふと違うことに気づく。


「いえ。正しくは、番長になってからです」


 入学して早々、俺は元番長である竜二に喧嘩を売られた。

 あれはいったい何だったか。目つきが悪いとか、睨みつけてきたとか、ごくありふれた言いがかりだったと思う。

 あの頃の竜二――というより、多くの開藤中の生徒の様子がおかしかった。殺気立っているというか、行き場のない怒りやイライラが、いつ爆発するかわからないようだった。生徒の様子に、教師たちも警戒して、それがますます彼らの不安定さを悪化させた。

 喧嘩は弱いわけじゃない。なんやかんや、小学校から色んなトラブルに巻き込まれた。何よりナツを守るために、簡単な護身術は身に着けていた。俺には視えない相手に通じるかわからなかったけど、やらないよりマシだと思ったから。

 それで、あの時も応戦しようとした。


「竜二が、変な風に吹き飛ばされたんです」


 まるで、春一番か竜巻でも吹いたかのように。

 けれど、俺は全く風を感じなかった。竜二も困惑しながら気絶していた。

 その後、俺は皆から『番長』と言われるようになった。


「大蛇に、風……か」


 難しい顔をして、店長が呟く。


「『何か』に気に入られている気がするね」

「俺が、ですか? ナツじゃなくて?」

「うん。それまで妖怪が視えなかったのに、呼ばれた先に行ったら大蛇がいて、それが視えたんでしょ?」


 はい、と俺が答えると、「それって、君を迎えに来ているだと思うんだよね」と店長が言う。


「恐らく呼んだのは、その大蛇じゃない。多分その蛇は使いだ。多分、君を呼んでいるのは、」

「『神』だね。それも、かなり古い神だ」


 音子さんが言った。

『神』。

 スケールの大きい存在が出てきて、思わず目を瞬かせる。


「どうしてわかるんですか? 古い神だって」

「大蛇っていうのは、日本神話や昔話では退治される対象だけど、大昔は神様だったんだよ。一番古く残っているのは、『古事記』や『日本書紀』にある三輪山の伝説……あとは、『肥前国風土記』の弟日姫子の話かね」


 どれも蛇婿入りの話だよ、と音子さんは続ける。


「時代が流れると、多くの蛇神の祠は、他の神を奉るものになってしまってね。多くは神から零落して、妖怪になっちまったのさ。けど、生き残ったものもいる。

 例えば、この地の霊脈の主とかね」


 霊脈。

 そう言えば、小野が言っていた。開藤中の生徒たちが不安定なのは、霊脈の影響を受けているからだろうと。

 

「しかも夜になると、呼ばれる方に身体が勝手に動くんだろ? こりゃ、名前を知られてるんじゃないの」

「そうだよねー……」


 はあー、と店長がうなだれてため息をつく。


「ちなみに、妖怪とか神様に会ったりしたことは」

「ないです。そもそも一度も視えたことがないので」

「だよね」


 二人の様子を見て、俺はかなり不味い状況なんだと理解できた。

 陰陽師が登場する物語で聞いたことがある。神や妖怪が人間の名前を知れば、それだけで操ることが可能なんだと。俺たち人間には、ピンとこないが。


「いや、アンタらもネットで本名バラしちゃまずかったりするでしょ」

「あっ」


 そう言えばそうだ。


「まあ、神が名前を知るなんて造作もないさね。最近じゃお参りする時、名前と住所と一緒に願い事を心の中で言ったりするんだろ?」


 それに関しては心当たりがある。ナツの安穏を祈って、しょっちゅう色んな社にお願いしているから。


「けど、それで古き神が覚えているのが変な話さね。あたしたちよりずっと長生きしている神が、短命の人間の名前と顔をわざわざ覚えているとは思えない」

「そうだよね。それに確かに蛇神は対象者に固執するけど、だからこそそう簡単に執着することもない。なのに冬夜くんの名前を覚えて、しかも呼んでいるなんて、相当……」


 うーんと、二人が頭を悩ませる。


「ダメだね。保留にしよう。そろそろナツとあかりも帰ってくるし」


 音子さんの言葉で、一旦切り上げることにした。

 

「あの……このことは、ナツと小野には黙っていてください」


 俺が言うと、店長は「それはいいけど」と言った。


「何かあったら、すぐに僕か音子に連絡するんだよ。いいね?」


 店長の言葉に、はい、と俺が頷いた時だった。

 レジカウンターの傍に、壁をえぐって作られたへこみがある。確か、ニッチと言うんだったっけ。そこに、猫のぬいぐるみが置いてあることに気付く。

 それは、俺が小野にあげたものだった。


「あれ……」

「ああ、このぬいぐるみ、冬夜くんがとってくれたんだってね」


 店長はほがらかに言う。


「あかりちゃん、テーマパークであったこと、すっごく嬉しそうに報告してくれてね。それでそのぬいぐるみ、店内に飾っていいか、って聞いてきたんだよ」

「そう、だったんですか」


 てっきり部屋に飾られているかと思っていたから、びっくりした。


「人がいっぱいいる方が、ムギも嬉しいだろうって。だからそこにいるんだ。あ、ムギっていうのは、その子の名前ね」

「名前つけたんですか」

「なんならお供えもしてるよ。ほら」


 ムギの前には、漬物をのせた小皿と、米の入った小さな小鉢、水の入った小さな湯飲みが置いてある。

 ぬいぐるみに名前をつけるほど、気に入ってもらえたんだろうか。

 元々小野家では、生まれた時に猫を飼うらしい。本物の猫をもらったつもりで、一生懸命考えてつけてくれたんだろうか。

 そう思うと、胸の中がくすぐったくて、同時に不安が忍び込んできた。


 お化け屋敷に行った時、思わず掴んだ小野の腕の細さに驚いた。

 小野は、どれだけ危険なことに駆り出されてきたんだろう?

『テーマパークが心霊スポットらしいから、調査してくれ』なんて、俺は簡単に巻き込んだ。小野もあっさりと了承した。

 それは『包丁師』見習いとして当然なのかもしれない。

 けれど、怪我したら?

 呪いにかけられたら?

 二度と、この世に戻ってこれなかったら?

 ナツに対してはあれだけ不安に思っていたのに、どうして小野は大丈夫なんて思っていたんだろう。自分の軽率さにぞっとした。



「ただいまー!」


 引き戸を開ける音とともに、ナツの元気な声が後ろから聞こえた。

 振り向くと、俺に突進してきたナツと、麦わら帽子を被った小野がいた。


「おかえり、ナツ、小野」

「ただいまー。図書館行って帰るだけで暑かったのに、夏樹くん元気だね」

「あかりねーちゃんは根性がねえよなー」

 

 髪と額に汗びっしょりのナツが、笑って減らず口を叩く。その様子に、小野も笑っていた。

 テーマパークにいた時とは違う、自分より弱いものを愛おしむ笑顔だ。

 テーマパークにいた時、いつもの小野とちがうと思った。それが何なのか、今気づいた。テーマパークにいた時は、ナツみたいに自分の為に笑っていたのだ。

 

「……どうしたの、冬夜くん?」

「あ、いや。すまん」


 じろじろと見てしまったらしい。慌てて視線を逸らす。

 

 多分、小野に一番近い同級生は俺だ。

 なら、『普通の中学生』としての生活を守れるのも、俺だけだ。

 もう危険なことに、小野を巻き込みたくない。

 小野には、笑っていて欲しいんだ。

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