第17話 お化け屋敷にて④

「なっ……」

 

 冬夜くんの頬に汗が流れるのが見えた。

 人の賑やかな声はどこにも聞こえず、代わりにオケラの鳴き声だけが響く。

 コンクリートや建物にはひびが入り、そこから草木が生えていた。

 提灯は破れていて、看板はすっかり錆びつき、電気がついていても点滅している。

 一瞬で時間が経過したよう。まるで、竜宮城から帰った浦島太郎のようだ。


「これ、演出……だよな? 小野」


 冬夜くんの問いに、私はすぐに答えられなかった。

 なぜなら、さっきまでなかった妖気や霊気が漂っていたからだ。

 下から流れる冷気が、肌を撫でるように流れてくる。これはエアコンの冷気ではなく――異界に流れる空気だ。


「……とにかく、行ってみようか」


 私がそう言うと、冬夜くんは握っていた手を、さっきより力を込めた。

 商店街の通りを歩く。

 ショーウインドウを日差しから守るテントが、ところどころ破れている。

 何か、糸の束のようなものが、頬を触った。

 なんだろう?

 顔を上げた時。


 穴の空いたテントの上に器用に乗って、私たちを見下ろす、巨大な顔があった。


 虎のように目を剥いた目が、私たちを見下ろす。

 大きな口からはベロンと伸びた舌と、上に伸びた牙が生えていた。

 何より特徴的なのは、顔を覆うほど伸びた黒い髪だ。

 その髪は、テントの下を通っていた私たちに届くほど長く、さっき頬を触ったのはその髪であることに気づく。

 わすがな光を反射する眼球も、滑らかに動く舌の動きも、息遣いも、作り物のそれではない。何より髪の毛の質感が、ポリエステルのようなものではなく、本物の人毛であることに気づく。

 何より、その巨大な顔からは、妖気が漂っていた。


「……っ!」


 叫び声もあけず、冬夜くんが私の手を引っ張って走る。

 だけど、さっきの道を辿っても、入口に通じる扉が見つからない。


「なんでっ……」


 冬夜くんの切羽詰まった声とともに、スマホから通知音が鳴った。

 トーク画面を見ると、


 帰ルニハ、供エ物ヲ捧ゲヨ。


 と書かれている。


「もしかして、さっきスマホを見つけたように、またお店の中に入って、供え物を探さないといけないんじゃないかな」

「あの中をか!? っていうか、さっきの妖怪、妖怪だよな!?」


 冬夜くんがパニックになって尋ねてきた。

 そう、妖怪だ。本物の妖怪。

 メガネを掛けた冬夜くんなら、あの巨大な顔から発せられた妖気も感じ取れただろう。

 目に見えるもの、聴こえるものだけではなく、肌で感じる、例えようのない感覚、言語化できない恐怖。『妖怪食堂』では大分ごまかされているが、それが本来、妖怪と遭遇した時に感じるものだ。

 私は、少し考えて――後ろめたさを感じつつも、言うことにした。


「もし怖くて無理だと思ったら、そのメガネを外すことを薦めるよ。多分、なくても見えるし、ここ」


 私の様子に気づいたのか、少しばかり冬夜くんが落ち着きを取り戻し始めた。


「……もしかしてここ、『妖怪食堂』のような場所なのか?」


 やっぱり、冬夜くんも気づいたか。





 最初に入った居酒屋さんに入ると、そこにお客さんを模した人形はいなかった。

 代わりに、おかみ――の姿がある。


「あら……いらっしゃい。お客さん、また来てくれたの?」


 おかみから、声がした。

 それはスピーカーを通したものでも、機械で作られたものでもない。肉体から発せられた、女の声だ。

 よく見ると、おかみは少し体を動かしている。人形ではなく、その動きはロボットとも思えない。

 私たちが入口で立ちすくんでいると、おかみは続ける。


「そんなところに立ってないで、どうぞ、席に。さあ……」


 さあ、と言った瞬間。

 着物を着たおかみの顔が、ポトン、とカウンター席に落ちた。

 コロン、と横になった首が、こちらを見る。

 目を見開いたまま、紅を引いた赤い唇が、ほつれた髪を咥えて動いている。

 首が胴体から離れている。いや正確には――首が伸びている。

 明らかに人間では無い。けれど、そのなめらかな動きは、機械でもない。

 

 私は思わず、素で突っ込んだ。




「何してるんですか、吉子さん」

「スタッフの名前を言うのやめなさいよ」


 

 せっかくのお化け屋敷が、興ざめじゃない。

 呆れるように言いながら、胴体はそのままに、ろくろ首の吉子さんが私たちの方に来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る