二皿目 オムライス
金曜の夜、十時半。アパートの部屋のドア前に座り込む人間がいるのを見て厄介事が起きるに違いない、と思うのは仕方ないことだろう。
「……何やっとるん?」
「!! ダイ! いやっ! ダイさまーーー! 今晩泊めて?」
そう言って縋り付いてくるのは大学の同期で埼玉県民なのに苗字が千葉。埼玉VS千葉論争に喧嘩を売っているような名前だ。
今晩泊めてと言っているがこの男、下手したら週三日はダイの部屋にいる。しかも高確率で泊まっていくので週の半分以上は自宅で顔を見ていることになる。
「……」
ダイは無言で鍵を開けてドアを閉めた。
「ちょ……!! ダイ! ダイさまッ! マジで泊めてよ! 困ってるんだよぉ~!」
扉の前で大声で騒ぎ立てる千葉に、慌ててドアを開けて首根っこを掴み玄関に引きずり込む。
「馬鹿! 何時だと思ってんだ! 近所迷惑だろうが!」
グスグスと泣き真似をされてもちっとも可愛くない。二十歳過ぎの男だろうがお前は。
「アパートの鍵無くしたんだよ、財布もスマホも部屋に忘れてさ。行くとこないんだよォ」
泣き真似かと思ったが割と本気で涙を浮かべる悪友にダイは白目で天を仰いだ。
大学に入ってから知り合ったこの男は地元組のダイとは違って他県から入学してきた県外組だ。しかもこの男、大学なんぞ選り取り見取りの関東圏、埼玉からやってきた。
なんでわざわざこんな田舎の大学に? と思ってわけを聞くと「埼玉は都会じゃねぇよ。俺、海の近い県に住んでみたかったんだよね~」とのほほんと返ってきた。
(海が見たいなら湘南にでも行けばいいのでは? このボンボン育ちが)
地元組で実家から通える距離に住んでいて一人暮らしをしているダイに何か言える立場ではないが、こちらは格安学生アパート月三万円ぽっきり。スマホ代と食費は自分で稼いでいる。
……ちなみにこの友人、金沢に住んでみたかった、という理由で金沢の駅チカ(家賃はダイのアパートの倍だ)に住んでいる。大学は同じ市内と言えども郊外だ。大学に通うにはバスで四十分もかかる。馬鹿か。
よって、自宅に帰るのを面倒くさがり、大学に徒歩でも通える距離のダイのアパートにしょっちゅう転がり込んでいるのである。
アパート代がもったいない。親不孝もいいところだ。
「お前さ、スマホも財布もなくてどうやって今日過してたんだよ」
「今日は午後からの二限だけだったんだよ。家を出てからスマホと財布ないのに気づいたんだけど、どうせガッコ終わったら帰るだけだし、定期は持ってたしさ」
授業を終えて自宅に帰ったら鍵がない。講義を受ける際にポケットの中に一緒に入っていたイヤホンとともに鍵を机の上に置いた記憶があるから鍵は間違いなく学校内。慌てて大学に戻ったが事務局は十八時までで施錠されていた。
万事休す。
「ダイの家近いじゃーんって思ったけどスマホないから連絡できなくてさー。
よかった~帰ってきてくれて。帰ってきてくれなかったら俺ここで死んでたもん」
人の家のドアの前で死ぬとかとんでもなく迷惑すぎる。というか、いくら埼玉より寒いと言っても今は六月、一晩ここにいたって死にはしない。
「……ハァ……。お前、あさイチで事務局行けよ」
千葉は勝手知ったる他人の家とばかりに「わかった~」と呑気に言いながら、家主よりも先に靴を脱いだ。そして振り向きざまに、
「ダイちゃん、お腹すいた」
そうのたまって、ダイは割と本気で彼の足を蹴った。
昼から何も食べてない、とか、こんなに遅くまで帰ってこないとは思わなかったとか、人ん家の冷蔵庫の麦茶をグビグビと飲みながら言うセリフではないと思う。
ダイにしてみれば、ドアの前で待っていてくれたのが女の子だったりしたら嬉しかっただろうが、華の金曜日(古い)に待っていたのが金も持っていない腹をすかせた男でだれが喜ぶというのか。しかもいつもならバイト先のまかないを食べて夕飯を済ませてくるはずが、今日はラストオーダー間際に来た常連さんが大量に注文を入れてしまいダイのまかないまでもが無くなってしまった。
頭の中を小峠の「なんて日だ!」がよぎる。
悪友はダイが持っているスーパーの袋に目ざとく気がついて、「それなに?」と手を伸ばす。ダイは「やらねーよ!」と伸びてきた手をはたき落としたが、少し考えると「……あー! もう!」と頭をかいて冷蔵庫を開けた。
取り出したのは、卵と牛乳、冷凍ご飯。
「何作るの?」と千葉はワクワクと問う。ダイはふてた顔で「……オムライス」と答えた。
「オムライス?! え! そんな高度なもん作れんの?! てか今から?!」
「……別にそんな難しくね―よ。十分以内でできる」
そう言ってスーパーの袋から出てきたのはデル◯ンテのチキンライスの素、半額の野菜サラダ、レトルトのハヤシライス。
「ウチはコンロが一口しかねぇからな。今からチキンライスなんか作ってたら午前様になっちまう」
これ、安くてうめーんだよ。とダイは冷凍ご飯をレンジで温めるとチキンライスの素を混ぜた。
カレー皿の片隅に半額シールの貼られた野菜サラダを盛る。
「あーあ……これ半分明日の朝ご飯にしようと思ってたのに」
いつもは買わないちょっとお洒落なパプリカなんかも混ざった野菜サラダが半額だったから、一人用としては量が多かったが朝に食べればいいかと買ってきた。残念ながら2人分の皿に分けたらプラスチックのトレーには何も残らなかった。
ボウルに卵二個を割り入れて牛乳を適当に。塩コショウ少々を振り入れて混ぜる。チキンライスはサラダを盛った下の部分に木の葉状に先に盛った。
「オムライスって卵で巻くんじゃないの?」
「……俺にそんな技術はねぇよ」
小さなフライパンにマーガリンを落として温める。ジュワジュワとマーガリンが音を立てたら、かき混ぜた卵液を一気にフライパンに流し込んだ。
左手でフライパンを揺すりながら右手の菜箸でくるくると卵をかき混ぜながら火を通してゆく。二十秒ほどすると縁の方から卵が固まってきた。混ぜる手を止めずに、真ん中も少し固まってきたところで火から降ろしチキンライスの上に移動する。
ちょいちょいと菜箸で卵の縁をつつくと卵は自重で勝手に片側に寄った。木の葉状に形を整え、バランスを取ってチキンライスの上にフライパンからすべらせる。
「う、わぁ……!」
千葉は感動してそれ以上声を出さなくなってしまった。ダイは素早く自分の分の卵も作ると、レトルトのハヤシライスをレンジで温める。
「ま、まさか??」
「今ってレトルトパックそのままレンジ出来るから便利だよな―」
チン! という音とともに温まったハヤシライスのルウをオムライスの上にかける。
「今日バイト中にマスターとオムライスの話になってさー。それ聞いてたら今日はもうオムライスの口でよ」
絶対作ってやるーって意気込んでたのにお前が来るなんて、とブチブチ文句を言ったが、ドンッと千葉の前に皿を置くと最後には「有り難がって喰え」とニヤッと笑った。
現在二十三時ジャスト。本当に十分で完成したカフェ仕様のオムライスに、喉と腹がゴクリと鳴った。
「……あー、もう、俺ここに住む……」
満たされた腹をさすりながら千葉はテーブルに突っ伏した。反して不吉なセリフを聞いたダイは皿を片付けながら空のレトルトの箱を千葉の頭目掛けて投げた。箱はポコンと軽い音を立てて千葉に命中する。「明日絶対あさイチで事務局行けよ! んで帰れ!」吠えてから風呂を沸かしに行く。
頭に当たったレトルトの空箱をゴミ箱に入れながら「なんでダイちゃん彼女ができないかねぇ?」と呟いて今度はグーで殴られた。
「いったぁ!! 前から思ってたけどさぁ?! お前に殴られるとめっちゃ痛いんですけどぉ?!」
さっきの蹴りも、絶対痣になってる!! と涙目で訴えるとダイは「そりゃそうだろ、俺空手やってたし」とケロッと答えた。
「えぇ……? そんな人が人を殴っちゃダメでしょう??」
加減してくださいよォと溢すと「ちゃんと手加減しとるわ、ダラ」と方言で返された。殴られた頭を擦りながら何気なく「ちなみに戦績は?」は訊ねると、しばしの沈黙ののちに「……インハイ二位」と返ってくる。
「はあっ?! 二位?! インハイ?!」
こいつこそなんでこんな地元の大学にいるの?!
ちなみに二人が所属する大学に空手のサークルやチームはない。そんな成績があるなら全国からの大学のスポーツ推薦も引く手あまただったろうに。そう言えば、普段特に運動をしている風でもないのにやけに筋肉質だなとは思っていた。なんだかイカツイし。
埼玉からここに進学した千葉を道楽者と染谷は言うが、当の染谷だってなかなかではないか。もったいなさ過ぎる。呆れた千葉に染谷は笑って言った。
「だって地元の方が飯うめーもん」
……色気より食い気、地位より食欲。
千葉は満たされたお腹とオムライスの味を思い出して、なんだか納得してしまうのであった。
※ちなみに染谷くんのセリフの『ダラ』は標準語で言うところの『馬鹿やアホ』の感覚です。「お前ダラか(あなたは馬鹿ですね)」や「ダラけ!!(アホか!)」のノリで使います。
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