三皿目 サーモン塩辛



「いただきます」


 黄金色こがねいろのつゆから香るかつおの出汁の香りを吸い込みながら手を合わせて一人呟くと、染谷大そめやだいはウキウキと割り箸をわった。


 今日はあさイチから昼まで授業を受け、昼からは学生スタッフとしての勤務がある。

ダイの通う工業大学はインターシップの一部として学内で学生スタッフとして働くことができ、ダイは学内にあるスポーツセンターの受付業務等を空き時間でしている。学生にとってはお金も入って、スタッフは業務後施設のジムを利用して良いことになっているので良いことしかない。


 午前中は機械の回路とにらめっこをしていたので疲れた頭にしっかりと栄養をとりたいところだが、カフェのバイトも給料日前。大学の学生食堂でも特に格安のうどんで我慢する。我慢する、とは言え、だしもしっかり効いていて揚げたてのかき揚げが乗っていて、お値段なんと三百九十円だ。これが素うどんなら二百四十円という破格。赤貧学生にはありがたいことこの上ない。


 金沢らしい少し甘めの透き通っただしが体に染みる。

給料日前はうどんばかり頼むので、既に顔を覚えられてしまった学食のオバチャンに「内緒よ~染谷くん」と今日はかまぼこをオマケしてもらった。ありがたい。

学生食堂とは言え大学の学食は七百五十席もあり、片面ガラス張りの日当たりの良い小洒落た作りになっている。そんな中で身長百八中センチ近いちょっとイカつめのダイが一人でうどんをすすっている図は色んな意味で少々近寄りがたい。この学食、本当はイタリア語でお洒落な横文字の名前がついているのだが、ダイはその横文字の名を他の学生の口から聞いたことはほとんどないし、そもそも工業大学という特性上、女子学生の割合は男子より少なく、学食をこんなにお洒落にしてなにか意味があるのか……と疑問に思いながらうどんを啜った。


「あ、染谷」

 名前を呼ばれて顔を上げると、同じ学生アパートに住む同期の久保が、やはりこちらもうどんを持って立っていた。

「向かい座ってもいいか?」

 拒否するつもりもないが、久保はダイが了承する前に向かいの席に腰を下ろした。

「染谷さー、自炊する人だったよな?」

「うん?」

 かき揚げを頬張りながら目線だけを久保に向ける。


 あ、今日のかき揚げ春菊入ってる、うめぇ。 


「俺、実家新潟なんだけど。昨日母ちゃんからクールで色々送られてきたんだけどさぁ、謎な食いもんが入ってて……染谷知ってる?」

これ、旨いと思う? とスマホで画像を見せられた。

そこには薄オレンジ色の瓶に詰められた物体。そして『サーモン塩辛』の文字。

「こ、これは……サ、 サーモン塩辛!!」

 思わず口からかき揚げがポロリと溢れた。

「あ、やっぱり知ってんの? 千葉がさ、食いもんの事は染谷に聞いたらだいたい分かるって言うから。サーモンは好きだけどさぁ……なんか白いどろっとしたやつ入ってるし。塩辛ってあれだろ?イカとかのなんかドロドロしてるやつ」

アレ苦手なんだよね、と眉を下げる久保にダイはお前は馬鹿かと喉元まででかかった。


 塩辛が苦手だと? このエセ新潟県民が!!


 ダイは知っている。忘れもしない、高校二年生の頃。母がショッピングセンターの新潟フェアで買ってきた画像と同じ新潟のサーモン塩辛。「ちょっとだけやよ。沢山はあげんからね!」と言いながらも母は味見をさせてくれたが死ぬほど美味だった。母は一口しかくれなかったが、次の日母のいない間に米にのせて瓶の半分ほど減らしたらグーで殴られた。母も相当気に入ってお取り寄せしようという話になったのだが、サーモン塩辛の瓶はひと瓶千円。取り寄せとなるとクール便になり、ひと瓶買うのに二千円近くしてしまう。以後、サーモン塩辛は染谷家では幻の食べ物となってしまった。

「お前が食わないなら俺にくれ!」

 なんだか偉そうな懇願に、久保は一瞬いいよと言いかけたがダイの必死な様子に思わず「……旨いの?」と尋ねる。ダイは「旨いに決まってんだろ!こんダラが!」と思わず返してしまい、急に惜しくなった久保は「えー、じゃあ自分で食べてみる。お前にはやらね」とうどんを食べたらさっさと逃げた。


 しまった。塩辛嫌いな人は無理かもしれない、とかなんとか適当な事をいって譲ってもらえばよかった。


 ダイは久保に向かって「人でなし!」と叫んだがこの場合どちらが人でなしかは微妙な所である。



*****  *****

 


 忘れていたサーモン塩辛の味を思い出してしまったダイは学生スタッフのバイト中も心此処にあらずであった。ダイの体はすでにサーモン塩辛を欲している。

受付カウンターに立ちながら、カウンターの下でスマホでサーモン塩辛を検索にかけると問題の塩辛の他に、サーモン塩辛のレシピがヒットした。


「作れるんか……?!」


 しかし最近サーモンは燃料や物価の高騰もあって最早高級食材。スーパーでグラム三百円以上する、下手したら五百円以上の店も(ダイ調べ)

市販品と同じ量を作ろうと思っても金額がさほど変わらなくなってしまう。


 久保の部屋はダイの二件隣り。強奪しに行くか。

そんな不穏な考えが一瞬頭をよぎったが、自宅に帰る途中寄ったいつものスーパーで特売のポップがなにかの天啓のように目に飛び込んできた。


『アトランティックサーモン 100グラム 198円!!』


 は?? はぁーーーーーーっ?!


(サーモンのサクが百グラム百九十八円だと?! 安すぎんだろ―――?!)


 サーモン塩辛のことを考えていたから目に入ったのか? 今いつだと思ってんだ令和だぞ? それがグラム百九十八円。


 いやしかし、今は給料日前。

 サーモン塩辛を食べずとも死にはしない。……死にはしない……!!


 ダイは涙をのんで鮮魚コーナーから立ち去ろうとした。


 ああ、大会で負けて帰る時のような心境だ……!


 そんなダイの横で、赤いシールを持ったスーパーの店員のお姉さんがにこやかに声を張り上げた。


「はいー! 今から鮮魚全品十%オフー! 十%オフになりますー!」

 


*****  *****



 アパートに帰り、ダイは手を洗うといそいそと料理検索サイト、コックパットを開いた。


 必要なのは、


 サーモンの刺し身 200グラム

 塩糀 大さじ2

 酒 適量

 うま味調味料

 鷹の爪


 サーモンは先ほどスーパーで十%オフ、二百五十グラムを手に入れた。塩麹は無かったので購入。


「なになに……まずは酒のアルコールを飛ばしてさいの目切りにしたサーモンに和える、か」


 本来ならば小鍋などで酒を火にかけるのだろうが、量が少量の為小さな容器に入れてレンジで二十秒ほど温める。すぐに使いたいので冷蔵庫で冷やし、その間にサーモンのサクをさいの目切りに切り分けた。


 あっという間に酒が冷えたので小さなボウルにサーモンと酒を投入。まんべんなく混ぜる。


 そしてここで塩麹。

見たことない人はなんだと思うかもしれないが、ダイは実家で母がよく使っているのを見ていたので学習済みだ。

こいつを肉に塗ると麹の作用で肉が柔らかくなるし、パスタの隠し味なんかに入れても旨い。


 サーモンの量が規定より少々多いので塩麹は大さじ三ほどいれた。

旨味調味料は軽く二振り。鷹の爪は家には無く、買っても消費されないので買わなかったが、うーんと少し悩んだのち、染谷はキッチンにあったラー油を少し垂らした。


 使い捨て手袋を装着し、調味料がいきわたるように材料を混ぜ合わせる。

しっかりまざった所で一欠片、サーモンを口に放り込んだ。


「う……めぇ……!」


 コックパット先生によると、サーモン塩辛は材料を混ぜ合わせた後、丸一日寝かせると完成らしい。現時点ですでに旨さは保証されているが、寝かせた方が旨いと書かれているものは、確実に寝かせた方が旨いのだ。


 果報は寝て待て!


 ボウルにピッチリとラップをかけ、冷蔵庫に大切にしまう。


「ふっふっふっ……」


 今日は気持ちよく寝られそうだ。


 夕食はスーパーで一玉二十円のうどんを啜った。



*****  *****



「染谷ー! 今日夜に女の子と飲みに行くんだけどお前もこない?」

 次の日、授業終わりに同じゼミをとっている知り合いに声をかけられた。だが今日は、冷蔵庫の中に『アレ』が待っている。しかも今日はバイトもない。

「……悪いけど俺はパス」

 いそいそとテキストをバックにしまい帰り支度をする。

「えぇ~、染谷も行こうよ。可愛い子来るってよ?」

染谷彼女いないだろ? と言われたが、今日はそんな事では揺るがない。

「……家に待たせてるヤツがいるんだ……! 帰る!」

「はぁ?!」

 友人を振り切って教室を出る。何か後ろで裏切り者―! とか、いつの間に! とかよく解らないセリフが聞こえた気がするがそんな事は知ったことではなかった。





 全くお金がなくて困っている、というわけではないが、今日のお昼も学食の素うどん240円で抑えた。なぜなら、昨日はサーモンに気を取られてすっかり忘れていたが、サーモン塩辛を仕込んだだけでは今日の宴は完成しない。


 そう、酒がいる……!!


 家の冷蔵庫には千葉が来た時に飲んだ缶酎ハイがまだあったが、サーモン塩辛に甘い缶酎ハイは飲みたくない。これが実家だったら母の芋焼酎をくすねてくるのだが、残念ながら取りに行っている余裕はないのでそれは次回の楽しみとする。

学校帰りにいつものスーパーに寄り、お酒コーナーを物色する。お酒が合法的に飲める年齢とはいえ、ダイはまだ二十歳を超えたばかりの親のすねをかじっている学生だ。学業もそこそこに酒を飲んでいるとあっては褒められるものではない。

 ただ、お酒が好きな母に育てられたこともあり、飲んではいなくてもお酒の香りとは子供の頃から馴染みがあり、お酒=美味しそうな飲み物の認識であった。普段は安い酎ハイで済ませているが、すでにの味は学習済みである。今回は是非焼酎でいただきたい……!


 だが、流石に酒瓶で買うのは気が引けるしお財布も痛い。なのでワンカップ焼酎で我慢する。カゴに焼酎といえばおなじみの『黒霧』を放り込み、他の商品も見て回る。

「お」

 昨日のサーモン特売に引き続き、ついているのか、まんまとスーパーの戦略にハマっているのか安売りのポップに目を奪われる。

今日の特売品はカマンベールチーズが二百五十円。普段は三百五十円を超えるからかなりお得と言えよう。酒飲みには嬉しい特売品だ。

染谷はカマンベールもカゴに入れると軽い足取りでレジに向かった。




 さて、アパートに戻り買ってきたものを取り敢えず冷蔵庫に放り込む。

米は朝に夜の分を見越して炊いたので問題なし。さっとシャワーを浴びていそいそと宴の準備開始だ。


 サーモン塩辛を食べるにあたって居酒屋なんかに行くと、きっと小鉢におしゃれに盛られるのだろうが、流石に男子大学生の胃を満たすには小鉢の量だけでは満たされない。

このサーモン塩辛、米との相性も抜群なのだ。よって、お酒を飲むが白米は必須である。そして焼酎も本当ならばロックで楽しむのが吉。だがしかし、今日はカップ酒一本しか購入していないし、ロックでは少々度数が高すぎる。よって、グラスに氷を入れ『黒霧』を七割ほど、三割を炭酸水にしてひと混ぜした。

……酒の作法としてあっているかは謎であるが、以前やってみてそれなりに美味かったので良しとする。ここには自分しかいないし「美味しければいいんよ」という母の教えに従うことにする。


 そしていよいよ、冷蔵庫から取り出したるは真打ち、サーモン塩辛!


「う……ぉ……!!」

 一晩塩麹につけられたソレは、昨日見た鮮やかなオレンジ色よりも深みを増した色になっており、塩麹の効果か艶まで出ている気がする。

ダイは子どものように目を輝かせながら、その大人の食べ物を器に半分ほど盛った。


「いただきます!」


 勢いよくパンっと手を合わせてから、いざ! とサーモン塩辛を箸で持ち上げ口に運ぶ。

「うっ……ん……めぇ……!」

 市販の物よりかは少々あっさりとした印象ではあるが、逆に言えば市販品特有の味の濃さやしつこさはない。昨日味見した時よりも味に深みが出て、なおかつねっとりとした食感がプラスされたことにより、より旨味が増している。一緒に芋焼酎の炭酸割りも口にすると芋の爽やかな香りも相まってなお旨い。


 ああ、なんで工業大学に進学したのか。調理師専門学校に行くべきだったか。


 そんな事を思いながら今度は白米の上に輝くサーモン塩辛を乗せる。


 うーん、絵面が最高だ。まるで富士山に初日の出。いや、白山はくさんに初日の出か?


 温かい白米と冷たいサーモン塩辛のコラボレーションが最高すぎる。あまりの旨さに泣きたくなってきた。

あっという間に一杯目の炭酸割りした芋焼酎を飲み干し、二杯目を作りに冷蔵庫に戻る。

「あ」

 炭酸水を取ろうと冷蔵庫を開けたところ、さっき焼酎と一緒に買った特売のカマンベールチーズが真ん中に鎮座していた。


 サーモンとチーズと言えば鉄板の組み合わせ。

安かったから、という理由で買ったがこれは一緒に食べるべきではないか? ただ、ひとつ気にかかることがあるとするならば、サーモン塩辛は洋風の味付けではない。

染谷は先程食べたサーモン塩辛の味を脳内で反芻し、しばし考えた後に庫内からカマンベールチーズを取り出した。


 ミニサイズとは言え、ホールのカマンベールチーズはダイにとっては高級品だ。わりと日持ちはするため、安売りで買った時は少しずつ大事に食べる。一気に食すなど、愚か者のすることだ。空手の試合前の無の境地を思い出しながらチーズを一切れだけ用意する。そして、技名を叫ぶ前のように細く息を吐いて呼吸を落ち着けた。


 では、いざ!(再び!)


 艶のあるオレンジ色の宝石を口に放り込み、カマンベールチーズもひとかじりしてゆっくりと咀嚼した。


 ――なにこれ、うっっっっま!!――


 サーモンとチーズの組み合わせなのだから、あまり合わないという事はあっても最悪不味いということはないだろうと思っていたが、想像以上の旨さに声が出ない。

 塩麹の塩味とサーモン独特の風味、そこにクセの少ないカマンベールのまろやかさが加わってなんとも言えない一体感! ナニコレウマい!!


 大事に大事に食べようと思っていたが、用意した一欠片のチーズはあっという間に腹の中。


 ダメだ、もっと食べたい! 無の境地? 何だそれ?


 全国二位まで登りつめた精神力などなんの意味もなかった。いや、ここで食い意地に負けるから一位になれなかったのかもしれない。でもまあいいや、今はこれが食べたいし。


 そう言えば空手を頑張ったのも、今思うと頑張ったら遠征先で旨いものが食べられるぞーと師範にそそのかされたからだった気がする。


 急いで冷蔵庫に戻り、一欠片だけ食べようと思ったカマンベールチーズは半量を冷蔵庫から出した。


 はやる気持ちを抑えながら周りの銀紙をはがしにかかるとスマホが鳴る。表示には昼間声をかけてきた友人の名前。「チッ」と舌打ちをして無視を決め込もうとしたが、誤って通話ボタンを押してしまった。

『染谷ー? なぁ、今からでも来ん~? この後カラオケも行くんだけどー』

 お酒が入って少しふわふわした声が聞こえてイラッとする。チーズに貼り付いた銀紙が上手く剥がれない!

『なー、染谷ー。聞いてる~?』

 間延びした調子で問われて染谷は思わず怒鳴った。

「うるせぇ! 今いいところなんだよ! 電話してくんな!」

 ブツッと通話を切ってスマホをベッドに放り投げる。

通話を強制終了させられた電話の向こうの友人は「あいつやっぱり女いんじゃんかよぉー! ちくしょぉーっ!」と吼えた。



 染谷大。彼には今日も彼女はいない。





※『白山』は石川県民(特に加賀地域)が愛する県の山です。田舎なので加賀地域なら大体どこからも白山が見えます。「今日は天気がいいなぁ」を「今日は白山がよう見えるわ」に変換して言う癖があります(個人の感想です・笑)


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