第16話「古事記と神代文字」

 十時すぎに瑠璃と神社に向かった。車で神社てまえの有料駐車場――おどろくことに、料金所には人がいた――まで行き、そこから数分参道を歩く。


 途中に灯台があり、その敷地をかこう鉄柵のそばに『志津の岩屋百五十メートル』と書かれた看板が、親切にも立てかけられていた。とても気になるけれど、わたしたちはひとまず神社に行くことにした。


「昨日はねむれた?」

 と瑠璃に話をふる。


「うん、あのあとお風呂に入ってから、すぐに眠れた。美春は?」

「寝つきはよかったんだけど、五時くらいに目が覚めてさ」

 わたしはあくぶ。


「もう少し休んでからでも良かったんじゃ」

「だって気になるじゃん」

「それはそう」

 と瑠璃は微笑んだ。


「そういえば雪乃さん、ちゃんと帰れたかな」

 昨日の帰り、わたしが送っていこうかと提案したのだけれど、彼女は大丈夫だと言って町の闇に、千鳥足で消えていったのだった。


「連絡は返ってきていない」

 と瑠璃がスマホを見ながら言った。


「まだ寝てるのかな」

「だと思う」

「雪乃さんってさ、どう思う?」

「いい人」

「あは、それはそうだね。すごい接しやすかった。でもさ、なんか闇が深そうな気がする」

「あとは幽霊が見えるというのも気になった」

「分かる。渡世家もそうだけど、視えるっていうのが気になるんだよね。わたしたちってみんな、なにかしらの繋がりがあるのかなぁ」

「どうなんだろうね」


 坂をくだり、鳥居のてまえにある手水ちょうずでいちおう身を清め、鳥居をくぐって参道をすすむと、右手に立派な石垣のある階段が見える。その階段をのぼり、右へ曲がると社殿があった。どうやら階段を真っすぐにすすむと、鯨山見くじらやまみと名のついた高台へと行けるようだ。


 瑠璃のメモ帳にあった『港を志す舟はイサナに迎えられる』のイサナは鯨の古い呼びかたらしく、志すはおそらく志津の岩屋をあらわしている。では、残りの港と舟とはなんだろう?


 社殿は古めかしい木ぐみの建物で、青銅いろの兜をかぶったかのように屋根が秀でている。社殿の閉じられた口の前には灯篭が一対立っていて、その後ろに標柱ひょうちゅうがそびえているものの、なにも標されてはいなかった。視線を右にうごかせば、社務所であろう平屋が建っており、さらに目を右へやると、一本の木が植わっていた。かたわらの看板には御綱柏みつながしわと書かれている。


「なんの木?」

 と百科事典を開くように瑠璃に聞く。


「この木は形からして丸葉萵苣マルバチシャの木だと思う。この木の葉は神社ではよく神事の際のお皿として使われる。古事記では、仁徳にんとく天皇の皇后である磐之媛いわのひめが神事に使う柏の葉を熊野岬に取りに来たという逸話が残っているのだけど、この木の葉がその柏の葉であるという説がある。この看板に書かれた御綱柏というのは、隠れみのの異名としても使われる。単純に解釈すれば植物の名前でしかないけれど、隠れ蓑にはもう一つの意味がある。それは身に付けると姿が消える天狗の持ち物という意味」


「透明マントじゃん」

「この看板を手掛かりの一つとして解釈すれば、隠れ蓑にするという慣用句があるように、本当の姿や実体を隠す為の手段とも理解できる。例えば、この神社そのものが仮構であるとか」


 瑠璃の発言を受け、わたしは神社をぐるりと見まわす。ほかに変わったものがあるとすれば、社殿の左方に祠があるくらいで、目ぼしいものは見あたらない。木や石柱にもきちんと触れられる。


「ぱっと見は普通の神社だけど」

「考えすぎかな。ともかく、あの平屋を見てみよう」

 と瑠璃が歩みをすすめる。


 輝夜たちは神社の敷地内に住んでいたようだけど、平屋と社殿以外に建物はない。平屋が社務所兼、住まいになっていたのだろう。見た目は古い木造建築で、鈍いろの瓦と乾いた木がいい味を出しているが、人が住むには少々ちいさいように思える。


 瑠璃が平屋の戸に手をかけて引こうとするものの、戸は小ゆるぎもしない。中からは物音ひとつ聞こえず、人の気配もまったく感じられないから、やはりすでに引っこしているのだろう。


 ただ、境内のなかはこまやかな掃除が行きとどいていて、塵ひとつ落ちていないため、通いで来ている可能性は考えられる。


 わたしたちは社殿の左方の祠を見に行った。祠はみっつ建っていて、それぞれに見たことのない文字が書かれている。


「なんの文字?」

「わからないけど、おそらくは神代文字かその亜種かな」

 と瑠璃は言う。


 神代文字は数千年前の日本で使われていたとされる文字らしい。なにか姉の件は、古い日本の歴史に根ざしているように思える。歴史は割と勉強してきたのだけど、わたしの専攻しているのは日本の近代史なので、それ以前の歴史についてはよくわからない。

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