第14話「瑠璃ちゃん、あたしと結婚しよう!……え?だめなの?じゃあ美春ちゃんと結婚しよっかな♡」
居酒屋に着き、真あたらしい木の引き戸を開けて暖簾をくぐると、あげ物とお酒と生魚の香りとが混ざった、香ばしい匂いがただよってきた。店内はカウンター席と座敷に別れており、座敷の一番奥に楠本雪乃さんはいた。
彼女は目いっぱいに手をふり、わたしたちをまねいた。
わたしたちは彼女の向かいの座布団にすわった。店員さんが氷の入ったコップをふたつ持ってきてくれて、「そちらご自由にどうぞ」雪乃さんの前にある水差しを差し「ご注文お決まりになりましたら、そちらのチャイムをお押しください」去っていく。雪乃さんが「水いる?」どうやら入れてくれるらしいので、「じゃあ、ちょっとだけ」半分くらい入れてもらった。お礼を言って簡単に自己紹介を済ますと、雪乃さんも改めて、
「あたしは楠本雪乃、二十六歳会社員、趣味はアニメ鑑賞と心霊スポットめぐり、よろしくね」
と名のり、手をカニのようにしてほがらかに笑った。
彼女の手元には空っぽのビールジョッキがあり、すでに酔っているのか顔は――それこそ茹でたカニのように――赤みがかっていた。丸目のなかの瞳は、ぬばたまのような光沢のある黒で、その明るく軽やかなふる舞いとは裏腹に、重々しい印象を受ける。髪はこげ茶のミディアムヘアで、ちらとのぞく形のよい耳からは、シロツメクサを模したイヤリングがのぞいている。上着は大人びた茶のニットを着ていた。
「ふたりもなんか頼む? おごらないけど」
「そうですね……」
あまりお腹は空いていないけれど、せっかくだからとお品書きを手にとる。表には魚の造り、ポテトサラダ、魚や貝のフライ、煮物、天ぷら、煮つけと居酒屋らしく、お酒のつまみになりそうなものが並んでいた。
「瑠璃は夕飯食べた?」
「ホテルのバイキングで少し」
「じゃあ半分こしない?」
「うん」
と瑠璃はうなずく。
注文を済ませ――雪乃さんも追加で生ビールを注文した――料理が来るまでの合間、雪乃さんと雑談を交わす。
「近所に住んでるんですか?」
「いまは隣町に住んでるよん。職場から遠いし一人暮らしもしてみたいけど、オカン独りにしておくのはヤなんだよねぇ」
「お酒飲んで大丈夫なんです?」
「だいじょぶだいじょぶ、タクシー呼ぶか電車乗るか、オカンにむかえ来てもらうから」
「ならいいですけど」
とわたしは苦笑する。
「そんなことよりさ、瑠璃ちゃんってめっちゃ美人だよね。いや、美春ちゃんも美人だけど、格がちがうっていうかさっ」
と雪乃さんが溌溂と言った。言いたいことは分かるし、事実そうなのだけど、もうすこしオブラートに包んでほしい。
瑠璃は百億回聞いたことをもう一度聞かされたみたいな、至極どうでもよさそうな返事をした。雪乃さんは瑠璃の顔をいろいろな角度から眺め、そのたびに「おぉ」とか「おほっ」みたいな感嘆を口にし、最終的には机の下をのぞいて「お行儀がいいねぇ」机にあたまをぶつけ「あいちぇ」患部をなでながら涙目の顔をあげた。
「なんかさぁ、瑠璃ちゃんって輝夜さんに似てる気がすんだよなぁ」
「そうなの?」
と氷の入ったコップを両手で包んでいる瑠璃が、雪乃さんの言動にはじめて興味を向ける。
「うん、娘より似てるとおもうなぁ。なんか……なんてゆうか、うーん、色気? いやちがうな、もっとイイ感じの言葉があるんだよぉ」
「妖艶?」
とわたしが言った。
「そうそれ! そゆとこが似てんの」
「はぁ」
と瑠璃は興味を失ったのか、ため息をはくような返事をした。
「そういやふたりは大学生?」
「そうですね」
雪乃さんは「はえぇ」いったん天井をあおぎ見て、急におしぼりで手をふいたかと思うと刺身を口に放りこみ、それをきちんと飲みこんでから、
「いいなぁ、青春じゃん。あたしなんかさぁ、高校出てすぐ就職したから、ぜぇんぜん出会いとかなくてね、気付いたらもう三十路だぜ、三十路。来年で高校出て十年って! え、やばくなぁい? もうおばさんにつま先つっこんでるぜ。でね、まわりはさぁ、おじいちゃんおばあちゃんばっかしでさ、若い人もゼロではないけど、なんか辛気くさい人がおおいんだよね、自分の人生こんなもんだぜって感じの、なんてゆうのかなぁ、うーん、わかんないけど、もっとやってやるぜ! って感じのやる気元気をリュックにつめた感じの人がいればさぁ、いいんだけどね、いやほんとさ、結婚なんてリスク高くね? とか、しあわせの形は人それぞれ、みたいなことゆう人っているけどさ、まあそれはそうかもだけど、でもさ、しわくちゃのおばあちゃんになって死ぬときのことを思ったらもう怖くて怖くて……だって、だれもあたしのそばにいてくれないんだよ? 兄弟とかがいればちがうんだろうけどさぁ、あたしゃひとりっこなんだよね、だからさぁ、ホント怖くてさぁ、だからもう、だれでもいいから結婚してくれって思うんだけど、やっぱりだれでもよくなくないんだよね、ん? まあ、人間ってさ、罪深いよね、顔が良くてお金持ちでやさしい人がいいんだもん! でもそんなのあたりまえだのクラッカーじゃん? へへっ、古いと思った? あたしもそう思うってばよ。でね、なんの話だっけ……そう! 瑠璃ちゃんと結婚したいって話っ!」
としどろもどろに言った。
「ごめんなさい、私には大切な人がいるから」
と瑠璃は微動だにせず、至って真面目に断った。
「え~なになに、彼ぴっぴいるの?」
瑠璃は首をふる。
「ほぉん、なるほどなるほど」
雪乃さんはわたしを見てにやにやと笑い、
「美春ちゃんと付き合ってんのね」
と言った。わたしは心臓を矢で射ぬかれたみたいに狼狽し、
「いや、ぜんぜんそうじゃなくて。わたしなんてぜんぜん見合わないですし」
両手をふった。瑠璃がこちらを見て口を開くが、
「え、そうなの? じゃあ美春ちゃん付き合おうぜ、あまり者同士さっ」
雪乃さんに阻止された。わたしは瑠璃と雪乃さんを交互に見つつ、
「じゃあってなんですか……それに余ってもないです」
半眼で抗議する。
「だめ?」
と雪乃さんは精一杯であろうあまい声を出した。正直、普通にかわいいと思う。
「ダメってわけではないですけど、わたしたち、いまさっき会ったばかりですよ? もしわたしがどうしようもない人間だったらどうするんですか?」
雪乃さんは笑いとばし、おすましを飲んでから、
「だいじょうぶだよ、一目見たらわかるって、きみらが真面目すぎの考えすぎで人生つらたんなお嬢ちゃんだってことくらい。接客やってるとさ、いろいろなお客さんが来るわけよ、なんかすっごいお金持ちのマダムからヤクザのドンのおじさんまで。で、だいたいヤバイ人って眉間と鼻のあたりと、口のはしからアゴにかけてにしわが入ってて、やさしい人は目尻とほうれい線がしわしわなんだぁ。まあ、完全にあたしの偏見だけどね。で、ふたりはねぇ、まだシワはないけどぉ、目が澄みわたってるのに濁ってるってゆうめずらしいタイプ。これは理想と現実のギャップに苦しんでる人のアレだよね。あ、あたしさ、オバケも見えるんだよ、すごくなぁい?」
と自慢げに言った。
「わぁすごいですね。接客より占い師をやったほうがいいと思いますけど」
と図星をつかれたわたしはとげとげしく言った。雪乃さんは「まじ? じゃあやろっかな」真剣に検討をはじめた。
料理が来て、店員さんが離れたタイミングで、わたしは本題を切り出した。
「話はもどりますけど、輝夜さんとサクヤさんについて聞きたいことがあって」
「そういやそうだったね。愚痴と自慢を聞いてもらったし、なんでも聞いて?」
雪乃さんが言うと、瑠璃が口を開く。
「まずはあなたと彼女たちとの出会いや関係性を聞きたい」
「おぉ、なるほど」
雪乃さんはうなり声をあげたり、口を半開きにして虚空を見つめたり、腕を組んで考えこんだり(おそらくは一瞬眠っていた)、忙しない所作を見せたのち、急に怖い話をしてと無茶ぶりをされた人みたいに訥々と語りはじめた。
「出会いは小学五年のときだったかな。ウチ、両親がすごい仲悪くてさ、そん時はもういっぱいいっぱいって感じで、なけなしのお小遣いを握りしめて、神社にどうにかしてくれっておねがいに行ったのよ。そしたら輝夜さんがどっからか出てきて、いつでも頼ってって抱きしめてくれたんだよね。そん時にさ、もうこの人は女神さまなんだって本気でおもったし、いまでもそれはおもってるの。いや、あんときはほんとうれしかったなぁ。頼れる大人がいるって安心するよね。
で、そっからサクヤとも友達になって……あれ、なにしてたっけ。でぃーえすとかでゲームしてた気がするな。他にもなんか色々あそんでたとおもうんだけど、わすれちった。なんせ十五年も前の話だし。うわぁ、そりゃあ歳もとるよなぁ。もう三十路だぜ、三十路、おばさんに片手つっこんでるよ! え~ともかく、あたしが中学あがって隣町へ引っ越すまで、いっぱいあそびましたとさ、ちゃんちゃん」
と雪乃さんは手を二回たたいた。
わたしは要点を漢字二文字までしぼって質問する。
「その神社って、どこの神社ですか?」
「海坂神社ってあるでしょ? あそこだよぉ」
「ああ、あそこですか」
海坂神社は、わたしの実家の近所にある神社だ。ちいさいころに怖い噂話を聞かされていたため、いちども行ったことはなく、古い神社であること以外はなにもしらない。
「中学以降は一度も会っていないの?」
と先ほどまできゅうりの漬ものをかじっていた瑠璃が聞いた。
「会いたかったけど、そういう精神状態じゃなかったってゆうか。まあ、親が離婚して引っ越したんだけど、その原因ってゆうのがちょっとアレでさ。それから学校に家事にいそがしいし、母親とも気まずくなったりして……」
と雪乃さんは一刹那、瞳に憂いをにじませた。しかし次の瞬間にはジョッキを豪快にあおり、悦びの声をあげ、それから満面の笑みを見せた。実にわざとらしい。
「一回さ、就職して一年経ったくらいに行ってみたんだけど、そんときにはもういなくてさ、近所の人に聞いたらぜんぜんしらないって言われたんだ。廃業して引っ越しちゃったのかなぁ。あぁでもなんか行事とかもぜんぜんやってなかったかもしれんなぁ。うん、まあどこに引っ越したかもなにもしらんね」
「そうですか」
「あ、そういやあの子、たぶん輝夜さんもだけど、読心術使えるって知ってた?」
「どくしん?」
とわたしが聞きかえす。
「あたしのことじゃないかんね? 人の心を読む力。どれくらい読めるかたしかめたことがあるんだけどさ、百発百中ってゆうか、ほんとに他人の心の声がさ、なんか視えるらしいよ。そのせいでいろいろ大変だったみたいだけど」
「あ、学校?」
「行ってなかったねぇ。だからさぁ輝夜さん、あたしが来たらうれしそうにしてくれてうれしかった。いっぱいあんそであげてねってね、お菓子いっぱいくれた」
「へぇ。あの、雪乃さんは神社の噂話って知ってます?」
「あ~聞いたことある気がするけど、なんだっけ」
わたしはほとんど瑠璃に聞かせるために噂話を説明した。
簡単に言えば、月の出ない晩に神社の参道へ行くと、恐ろしい魔物に連れていかれる、といった話だ。もしかすると、姉はその魔物に連れていかれたのではないかと危惧してしまう。
「ああ、そうそう、そんな噂もあったね。一回、輝夜さんに聞いたことがあるんだけど、おおむかしに巫女と近所にすむ女の子が恋に落ちてさ、いまもあれだけど、むかしは女性同士の恋愛にはかなりうるさかったみたいでさ、ふたりが安心して逢びきするために、そういう噂をながして人を寄せつけないようにしたとかなんとか。ほら、新月の晩って暗いから隠れやすいし」
「そうなんですね」
とわたしは安堵する。
そもそも姉の消えた日は満月だったし、あの夢の海岸線は、どう見ても魔物のいそうな雰囲気ではない。
わたしはつづけて質問する。
「サクヤさんに関するこう、海岸線みたいな、思い出の場所ってないですか?」
「あるある。神社のちかくに志津の岩屋ってあるでしょ?」
「しづ……?」
心当たりがなかったので、瑠璃に目で問う。
「
と瑠璃が当然知っているだろうという目で見てくるが、よくわからなかった。
「その人たちはだれ?」
と雪乃さんが聞いてくれた。
瑠璃は無表情のまま、あたかも音声読みあげサービスのように説明をはじめた。
あるとき、
少名毘古那は神産巣日に、大国主とともに
「へぇ、そんな話があるんだねぇ。しらんかったぁ。ちなみに場所は神社のてまえにある灯台らへんから林にはいってったらあるよ」
と雪乃さんはあやふやな滑舌で言った。
「明日行ってみよっか」
「うん」
明日の予定が決まった。
その後はいたって普通な話をしながら食事を済ませ、氷がすっかり溶けた頃あいに、連絡先を交換してから行きわかれた。
家に帰り、入浴してから布団に入ると、間もなくねむけがやってきた。今日一日で半年分は生きた気がする。
心地の良い疲労を感じながら、わたしはねむりについた。
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