第8話「藤色の髪の少女、その名は渡世朔夜」

 小学校に電話をし、卒業アルバムを見せてもらう約束をとりつけたわたしたちは、日の傾きはじめた田舎道を行った。


 途中ですれちがった、カタツムリのように背を巻いたおばあさんが、瑠璃を見るなり両手をすり合わせて感謝の言葉を述べていた。たしかに瑠璃は女神さまのように美しく、神聖な雰囲気があるけれど、田舎くさくて恥ずかしいからやめてほしい。


 雑草の生えた休耕地や平成初期感満載の家を見おくると、四本線のみじかい横断歩道がある。そこを渡って真っすぐ歩くと小学校に行きつく。


 平日であるため、校舎の大半に明かりが灯っていて、低学年の子のかわいらしい声が聞こえてきた。きっと授業が終わってホームルームをしているところなのだろう。


 校舎の外観は、特筆すべき点のない平凡な造りであるけれど、わたしにとっては人生の三分の一をすごした(いろいろな意味で)思い出ぶかい建物だ。


 わたしはあたかも瑠璃がそうするように、校舎を視た。少女時代のおぼろげな記憶を現実に付けくわえ、セピアに彩色された、コマ送りの映像を脳裏に浮かべた。鮮明ではない、ぼんやりとかすみがかった映像が再生されてゆく。


 当時、二時間目のあとの十五分休憩と昼休みには、サッカーをするのが流行っており、みんなは楽しそうに校庭を駆けめぐっていた。わたしは大抵キーパーをやり、ほどほどにシュートを受けとめつつ、そこそこに点を取られてゲームを面白くすることに集中していた。キーパー自体は楽しくなかったものの、みんなが楽しそうにしているのを見るのが楽しかった。たまにはシュートを決める側にも回りたかったけれど、いつの間にか、美春ちゃんはキーパーが好きだという共通認識が生まれてしまったので、自分から言い出すことは叶わなかった。


 ほかには一輪車が流行ったこともある。サッカーゴールからゴールまで、足をつかずに行ければ一目置かれたので、わたしはそれを後ろ漕ぎでやってみせた(いまでも実家の裏庭の倉庫に練習用の一輪車が置いてある)。あのときは人生で一番輝いていたかもしれない。


 苦い思い出やトラブルもあったものの、いまとなっては漂白された白いシャツのように爽やかなものに思えるし、残ったよごれもまた、なにかの象徴的なしるしのように感じられる。中学や高校の思い出も、いつかは昭和の白黒写真のように、あのころはよかったと思えるようになることを願う。


 ひとしきり黄昏たのちに、正門を抜け、正面玄関へ向かう。


 砂の鳴る玄関を数歩行き、ダンボール箱に入れられていた緑いろの、かすれた金文字の入ったスリッパに履きかえる。かかと部分の小気味のよい音を聴きながら職員室へ向かい、軽く深呼吸をすると、戸を三度たたいて引いた。


「すみません。先ほど電話させていただいた者ですが……」

 わたしの声に反応し、室内の視線は一挙に私をとらえる。この一瞬の間を得手とする人はいるのだろうか。


 奥のほうにすわっていた年配の男性が立ちあがり、こちらへやってくる。

「久しぶりだねぇ」

 と声を聞いた瞬間に、深海にもぐっていた鯨が海面にあがるかのように、記憶はよみがえる。


 出むかえてくれたのは、わたしの元担任だった。

「あ、先生?」

「覚えててくれたかい?」

 と山から人里におりてきて、興奮に鼻息を荒くした猪のように先生は言った。


「もちろん」

 と笑顔で答えるも、実際のところ、いまのいままですっかり忘れていた。


「いやぁ、まさか美春ちゃんと再会できるとはねぇ。最近はどうだい、大学生だろう?」

「うん、まあそれなりにやれてるかな。先生はずっとここに?」

「いや、一度離れたんだけど、呼び戻されてね。それにしても懐かしい。美春ちゃんは本当に優秀な生徒だったよ。明るく元気で思いやりに溢れるいい子だった」

 と先生はしみじみと言った。


「そうだったかな」

 わたしは苦笑する。


 どうやら先生は、物の表面に貼りつけられた金箔を見て、これは値の張るお宝だ、と言う鑑定士のような目をしているらしい。


「ところでそちらの方は?」

 と先生は瑠璃を見た。


「この子は白雪瑠璃。東京のほうの友達」

 わたしが紹介すると、瑠璃は二センチくらいの会釈をした。


「ふぅむ、どっかで見た顔やねぇ」

 と先生は瑠璃をまじろぎもせずに凝視する。その目は眼精疲労のためか赤く充血していて、いまにも飛びだしてきそうだった。


 そんな目で見られても、瑠璃の美しさに瑕がつくことはなく、むしろ先生の充血した目が元の白に戻っていくような気がした。


「どこで見たの?」

「はて、どこやったかなぁ」

 と先生は顎をこすりながらうなった。


「忘れてもたなぁ。ずいぶん昔のことやし、人違いやろね。それよりアルバム見たいんやっけ?」

「そうなんだよね。まあ、色々あって」

「そうかい。こっちこっち」

 先生は背を向けて歩きだし、わたしたちはそれに続く。先生は職員室の先どなりの教室で止まった。


「アルバムはここに保管してあるんだよ」

 先生は戸に指をかけて開けようとするが、戸は固い音を立てるばかりで開かない。


「……鍵持ってくるから待っててもらえる?」

「あ、うん」

 先生はいま来た廊下を引きかえしていった。


 先生のすがたが見えなくなったところで瑠璃が口を開く。


「あの先生はどんな先生だった?」

「わたしには割と優しかったけど、他の子たちには結構きびしかったかな。ちょっと衝動的っていうか、カッとなりやすいタイプ?」


 そういった二面性が苦手ではあったけれど、先生に怒られて気を落としていた子たちに声をかけ、愚痴を聞いたり、励ましているあいだにみんなと打ちとけられたから、ある意味ではわたしの人生に影響をあたえた先生だったのかもしれない。


 先生が鍵を持ってもどってきた。

 今度こそ戸が開いて、わたしたちは準備室と書かれたプレートをあおりながら中へ入った。先生が電灯のスイッチを押すと、何度か点滅を繰りかえしたのちに明かりが灯る。蛍光灯の光は黄いろを帯びてうす暗く、どこか懐かしい風情をかもしており、室内は呼吸をするたびに埃が鼻をくすぐるくらいに埃っぽかった。


 狭い一室には鉄製の棚が数個並んでいた。棚には青いファイルや古めかしく大がらな本がところせましと詰められている。卒業アルバムは一番奥、わずかに光の差しこむブラインドのそばにあった。


 アルバムを指でなぞるように、平成26年、25年とくだり、24年に差しかかったところで手を伸ばす。


 アルバムを開き、左側の男の子の列を見ると、またもや懐かしい気分になった。体育館でドッジボールをしたことや、運動会の演目のソーラン節を教えてもらったことなどが次々と想起される。こういった記憶はわすれていたというよりは、単に思い出すきっかけがなかっただけなのだろう。


 目をすべらせ、女の子の列に入った瞬間、にわかに心臓が跳ねあがる。

 女の子の列の先頭に、不自然な空きがあったのだ。


 先頭にきている女の子の苗字は伊藤。「い」の前にくるのは「あ」であり、姉の苗字は当然のことながら浅倉である。いくつかのアルバムと照らしあわせても、ほかは先頭からみっちりと埋まっていて、空白があるのはこの一冊だけだった。


 間違いなく、ここには姉がいたのだろう。


「見て、この子」

 と瑠璃がアルバムの最後尾を指さす。


 そこには、瑠璃と同じ瞳を持った女の子が写っていた。

 名前は渡世さくやと言い、藤いろのめずらかな髪をしていて、小学生とは思えないほどに大人びた、美しい顔だちをしている。潤みを帯びた雰囲気は、美人というよりは麗人と言ったほうが適切だろう。


 この子が姉の友人のひとりにちがいない。


 ドラマの刑事のように、ブラインドのすき間から外をながめていた先生に、彼女を知っているかと問うと、彼はそのたっぷりと脂を蓄えたあごをこすりながら考えるそぶりを見せ、それから急に大声をあげた。


「あぁっ! 覚えているよ。この子の担任になったことがあったんだけど、一向に学校に来てくれなくてね。僕は実際に会ったことはないんだけど、この子のお母さんとは何度か会って話したなぁ。君を見たときにその人の面影を見たのかもねぇ」

「どんな人?」

 と瑠璃がたずねた。


「見た目はえらい若くてね、この子とは母子というよりは双子といった感じだったねぇ。明るくて温和な雰囲気だけど、眼差しがひどく冷たい印象だった。名前はたしか輝夜さんといったかな」

「輝夜……」

 と、どちらからともなくつぶやいた。


 その後もさまざまな質問を先生にぶつけた。先生は渡世家に家庭訪問をするために、名簿に記載された住所に何度か足を運んだらしいのだけど、そこには古い空き家があるだけで、呼びかけてもだれも出てこず、サクヤにはついぞ会えなかったそうだ。


 サクヤの不登校の理由は本人の意思と、特殊な瞳と髪の色の問題、ほかの子どもたちとの成長速度の相違などをあげていたようだ。また、ふたりの交友関係などは一切わからず、彼女たちがふたり暮らしであることが、先生の知っている数少ない情報らしい情報とのことだった。


 こちらから聞いておいてなんだけど、個人情報をぺらぺらと喋るのはまずいのではないかと思いつつ、わたしはサクヤの写真をカメラにおさめ、瑠璃とともに準備室を出た。


 下駄箱で靴を履きかえて外に出ると、瑠璃がこうささやいた。

「あの先生はあまり信用しない方がいいかもしれない」

「え、なんで?」


 瑠璃によると、先生の河童のような頭からは、たびたび赤い記憶の粒子がこぼれ落ちていたそうで、先生がなにを思っていたのかまではわからないものの、主に瑠璃に対する厳しい視線や、拳を握りしめるなどの、怒りから生じる身体反応があったという。


「わたしもちょっと怖いなって思ってたけど、そんな感じだったんだ」

「輝夜と何かトラブルがあったのかもしれない。そして彼女に似ている私を見て、それを思い出したとか」

「サクヤと二人暮らしってことは、輝夜は未亡人かシングルマザーってことだよね。アタックしてフラれちゃったのかな」

「痴話喧嘩に巻き込まないでほしい」

 と瑠璃が心底嫌そうな顔をするので、わたしはおかしくなって笑った。

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