第6話「人々は、昨日と同じ今日を繰り返す」
わたしは瑠璃と連絡先を交換して帰宅すると、ベッドに雪崩れこんだ。お腹を圧迫する紐をほどいて一息つく。
遅れてやってきた感動が胸のうちを焦がす。そうだ、わたしはずっと彼女たちを待っていたのだ。オアシスを夢みる旅人のように。
しかしその感動もつかの間、不安が胸のなかいっぱいに広がり、お腹が痛くなってきた。
どうして姉は消えたのだろう?
姉が消えたのなら、いまこの瞬間わたしが消えてもなんら不思議ではない。そもそも姉は生きているのだろうか。
窓から差しこむ西日がかえって部屋を暗くしている。わたしはあわてて電気を点け、SNSを開き、仮面舞踏会に興じる人々をながめて安心を得た。人々は一度見た映画をもう一度見なおすように、昨日と同じ今日を過ごしていた。
わたしは母に電話をかけた。
母ははじめ、ついこのあいだアパートに帰ったわたしが、友人を連れて帰ることをいぶかしんだのだけれど、友人が熊野地方に興味を持っていると言うと(もちろん方便だ)、たちまち快諾してくれた。
田舎に住む壮年は、土地に対する愛着がつよく、基本的には外様の人間を快く思っていない。けれど自分たちの住処が肯定的にとらえられていると知ると、旗が突風にひるがえるように態度をひるがえすのだ。
母と話してすっかり落ちついたわたしは、スマホのブラウザを開き、瑠璃の名前を入れて検索した。すると、数年前に将棋のアマ竜王戦の全国大会に出場し、優勝した云々と書かれた記事が出てきた。将棋歴は一年弱で、賞金五十万円の用途は友人との旅の資金に当てたらしい。
完全記憶能力も本物のようだ。しかも記憶を有機的につなげる明晰さをも持ちあわせている。
「いいなぁ」
とおぼえずつぶやくが、瑠璃の苦悩を見てしまったからには、簡単にうらやむのは失礼な気がした。
天は二物どころではない才能を彼女にあたえ、それと同時にとんでもない瑕をもあたえてしまった。
瑠璃は帰りぎわ、大学の構内を歩くのに目をつむって歩いていた。どうしてそのような必要があるのかとわたしが問うと、彼女はこう説明した。
『青い粒子の場合は、見ようと思わないと再生されないのだけど、赤い粒子は目を合わせるだけで再生されるの。しかも大きなものは意思を持っているように私の認識内に入ってこようとする。さっきも言ったように、赤い粒子は人間の負の感情体験が記録されているから、それを視た私は誰かの不平不満や愚痴文句、あるいは痛みを経験してしまう。それだけなら我慢ができるけど、大きな事故や事件を視てしまった場合は心にも大きなダメージを受けてしまう。そして私の記憶はそれを忘れさせてはくれない』
瑠璃の証言によると、街は赤い粒子で満たされているそうだ。つまりストレス社会を生きている人々は、一見すると仕たてのいい服を着て、自分がだれより幸せな、人生の成功者のように振るまってはいるものの、その実、内心では相当の不幸せを甘受しているということになる。
瑠璃は普段、自然物のおおい田舎に住んでいて、大学にかようときや、わたしに会いにくるのに、群馬から遥々タクシーで移動しなければいけないそう。タクシーは電車とくらべれば割高な料金だし、タクシーで入れない場所は自分の足で歩かなければならず、帰りは記憶したとおりの道を目をつむってゆっくり歩けばいいものの、行きは苦しい思いをしながら歩くしかないらしい。
「すごいなぁ瑠璃は。はぁ、それにしても姉かぁ。千夏、姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉?」
お姉だな、と直感した。お姉という言葉は高級なプリンのように甘くて舌触りがいい。
それにしても、姉の夢とはなんだろう。私の記憶も記憶の粒子とやらも、肝心なところはすべて抜けおちている。わたしは答えを探すべく、寝おちした。
その日、夢は視えなかった。
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