第4話「二年前の異常気象」

 昼になった。わたしと泉水は榛名と合流して、大学ちかくのカフェに入った。店内はパン屋とカフェが一体となった場所で、パンの香しい匂いで満たされている。


 わたしはクロワッサンとアップルパイを選び、飲み物は抹茶ラテを注文した。榛名はクマのキャラクターパンとストロベリースムジーをたのみ、泉水はテキサスバーガーとマルゲリータのホールにブラックコーヒーを合わせていた。


 席にすわってクロワッサンをもそもそと食べる。外側はサクサクとした食感をしているけれど、中はバターが生地にしみ込んでいて、味も食感もやわらかい。


「きのうさ、やっと一番うえのランクにいけたんだよ」

 と榛名がちいさな手でパンをつかみながら言った。

「よかったじゃん」

 わたしが答えると、榛名は赤ん坊のような無垢な笑みを浮かべる。そのすがたを見ていると、なぜだかわたしまでうれしくなってくる。


 榛名は泉水とは対照的に、小柄な体躯の少女である。花柄のガーリーな服装をしていることがおおく、たれ目がちな瞳とちいさな小ばな、ぷるぷるのくちびる、焼いた餅のようにやわらかな頬がかわいらしい。


 ハンバーガーを五口くらいで平らげた泉水が、きのうのスパーリングの様子――彼女はキックボクジングのチャンピオンなのだ――を面白おかしく話しはじめて、榛名がケタケタと笑いながら相槌をうつ。


 わたしとふたりは大学からの付きあいなのだけど、泉水と榛名は高校からの付きあいらしい。出身地も高校もちがう彼女たちは、二年生の夏に、泉水の実家のちかくで道に迷っていた榛名に泉水から声をかけ、それから紆余曲折あって意気投合したそうだ。


 その紆余曲折の詳細を聞いても、彼女たちはよくおぼえていないと言う。どうやらわたしの周りにはわすれっぽい人がおおいらしい。


 わたしがふたりと仲よくなったきっかけは、奇しくも指輪だった。大学に入学後、構内を歩いているときにふたりが前から歩いてきて、『その指輪きれいだね』『なんかこの指輪、どっかで見たことある気がする』と話しかけてきた。『どこで見たんですか?』とわたしが聞くと、泉水は『指輪っていうよりはほら、ちょっと前に異常気象が起こったでしょ。あの時の粒子に似てる気がする』と言った。


 異常気象というのは、いまから数えて二年前、わたしが高校三年生のときの秋におこったものだ。太平洋沿岸で空から青い光の粒子が降ってきた。それだけといえばそれだけなのだけど、不思議なことに、そのことを知っている人は少数のようで、テレビやネットなどでもほとんど取りあげられなかった。


 わたしの言う面白いことというのはまさに、二年前の青い粒子が降ったときのような、奇想天外な出来事のことだ。鏡の国や竜宮城、魔法学校への招待状、異世界転生、白馬の王子様、素敵なお城での舞踏会……だれもが一度はあこがれ、そしていつしか忘れる突飛な出来事。わたしは二十歳にして、そういうロマンチックな話に憧れをいだいている。


「そういえばさぁ、その指輪のおくり主ってまだわかんないの?」

 と榛名が言った。

「ぜんぜん。気にはなってるんだけど」

「おねえちゃんに見てもらったらいいのに」

「鉱石マニアなんだっけ?」

「うん。おくり主まではわかんなくても、出どころくらいならわかるかも」

「そうだなぁ。ま、そのうち?」

 とあいまいに返事する。


 たしかに気にはなるけど、神秘は神秘のままにしておいたほうがいい気がする。サンタさんや魔法を信じていた時代のほうが、いまより希望に満ちあふれていたにちがいないから。


「いいなぁ、姉ちゃんって。兄貴とだとぜんぜん話があわなくてさ、ちょっと気まずいんだよね」

 と泉水が苦笑いを浮かべる。

「おねえちゃんともぜんぜん話はあわないよ? 気まずくはないけどね。みはるんはひとりっ子だったよね」

 わたしはちょっと考えて、

「たぶん? いや、普通に一人っ子だけどさ」

 と下手くそな返事をする。

「じゃあ、みはるんにおねえちゃんになってもらったら?」

「美春が姉かぁ。ちょっときびしそうだよね」

「心外だなぁ。せいぜい毎日コンビニに走らせるくらいだよ」

「ヤな姉だなぁ」


 昼食を食べおえると、考古学科の講義に出る榛名と別れ、わたしと泉水はゼミのフィールドワークに行くために電車に乗り、集合場所の駅へと降りたった。


 わたしの所属する学科では、三年生以降ゼミが必修になっていて、一二年生は任意参加でいい、というシステムがある。もともとゼミに入るつもりは毛ほどもなかったのだけど、泉水が強引に誘ってきて、仕方なしに入ることになった。


 社会学科のゼミでどのような事が行われているかは世間にはあまり知られていないし、別に知る必要もないと思うし、なんならわたしもよくわかっていないのだけれど、大きく分けてふたつの分野がある。ひとつは大正と昭和の文化的な区分けのような、学説史の研究をしている人。もうひとつは、ゴーゴー喫茶が廃れてメイド喫茶が台頭してきたのは何故か、といった社会のある側面の盛衰や、最近だと西縦キッズ的な家なき若者について、フィールドワークをからめた研究をしている人。今現在主流なのは後者のほうで、わたしもいちおうそれをやっている。


 具体的には大小さまざまの企業に行って、老舗とベンチャー、大企業と中小企業の企業理念の相違点、相違から生じる企業規模のちがいについて調べている。今日は都心のベンチャー企業におじゃまして、さまざまな役職の人にインタビューをしに行く。


 改札を出ると、すでに来ていた先輩数人と先生がいた。癖毛の黒い短髪に眼鏡をかけた先生がこちらに手をあげてきたので会釈をすると、隣の泉水が「おいーっす」と手をふった。先輩にもあいさつをして、残りの参加者を待つ。


「佐野さんはいつも元気だね」

 と泉水の半分くらいの体積しかない先生が言った。

「先生に覇気がないんすよ。美春もそうだけどね?」

 と泉水が顔をのぞきこんでくる。わたしは半眼を返す。

「奨学金の返済が滞っててね。そのことが頭から離れなくて、気が滅入るんだよね」

「あといくらなんです?」

 と遠目から見れば先生と同じ風貌の先輩が言った。

「三百五十万くらいだね」

「闇バイトしなきゃ」

 とだんごむしのように背を丸めた女性の先輩が言うと、なぜか笑いが起こったので合わせておいた。


 参加者がそろい、スマホアプリの開発を行っているという企業のオフィスに徒歩で向かう。排ガスのにおいの蔓延る歩道の端には、へこんだ空き缶やビニール袋、飴の包装、空っぽの瓶にむき出しのガム、ちり紙などが、孤立した街路樹のそばに所在なさげに佇んでいる。車道では法律に背を向けた乗用車とトラックが絶え間なく走行し、かまびすしい音を轟かす。目線を上むけると、幾何学的に切りとられた空が白々しくわたしたちを見つめていた。


 欲望が凝固し、黒くただれたビルの壁。そこにため息を吹きかけると、街の看板がわたしをあざ笑った気がした。


 泉水がわたしの肩をつかみ、そっと抱きよせてきた。すぐそばをサラリーマン風の男性が早足で通りすぎていく。


「あんまふらふら歩いてるとぶつかるよ?」

「ごめん、ぼーっとしてた」

 泉水はわたしの耳もとに顔を近づける。

「どしたの、体調わるい?」

「そうではないけど……」


 つづきの言葉が出てこない。自分がなにに囚われているのかすらわからないのだ。泉水は優しい手つきで肩をたたいてくる。


「気が乗らないんなら、インタビューは私に任せてよ」

「うん、ありがと」


 おおきな墓石みたいなビルの中に入り、先生が受付を済ませると、しばらくして担当の人がやってきた。わたしたちはねむそうに口を開けるエレベーターに乗って上の階へのぼり、そこから二手に分かれてオフィスを回った。


 わたしと泉水はパーテーションで仕きられた部屋に入った。そこには四十代くらいの、短髪をワックスでイガグリのように尖らせ、浅黒い肌に無機質な白い歯を対比させた、水いろのポロシャツのボタンを外した脚のほそい(自称)CEOがいて、わたしたちにニコやかに握手を求めてきた。


 ICレコーダーを机のうえに置かせてもらって、泉水が質問をし、わたしが簡単な内容を速記していく。会社を立ちあげた経緯、今現在どういった活動をしているのか、これからの展望などを聞いた。CEOは人工的な笑みを浮かべながら答える。


「えーつまりわが社はソーシャルイシューに対し、エッセンシャルなソリューションをラディカルに提供したいのでありまして、決して金のためなどではなく、世のため人のためにカンファレンスを開き、社員一丸となってカンバセーションするのであります。具体的には、あー、最近で言いますと、個々人のバリューのダイバーシティを認め、ウェルビーイングな社会づくりをしなければならないとのコモンビューに達し、各人が懸命にワークしているのでありまして、また近頃はあなたがたのような若い女性社員を主任クラスにアサインし、女性顧客のベネフィットを最優先に考えております。むろん、それとは別なレイヤーでは男性顧客の問題にコミットするために、科学的なエビデンスを査読しておりまして、それに付帯して情報リテラシーのナレッジをもちゃくちゃくと増やしているのであります。われわれはドゥオアダイの精神をもってエクスキューズなしの商品をローンチし――――」


 ITベンチャーの人たちは、このような魔法の呪文みたいな日本語を話すことが多い。最初はなにを言っているのかを理解できなかったのだけど、慣れれば意外と大したことを言っていないと分かる。


 正直、経営者や労働者にインタビューをしても、部外者の前だからと恰好をつける人が大半だろうから、データをもとにレポートを作成しても、実態に根ざしていない空中楼閣めいた代物ができるだけな気がする。


 インタビューが終わると、CEO直々に社内案内をしてくれた。各部門の労働形態や会議の模様を見せてもらったり、新しいSNSのプロトタイプを触られてもらったりした。


 どの社員の人も未来に希望を持っていそうな溌溂とした表情をしていた。どうやらわたしの住む世界と彼らの住む世界はちがうようだ。


 帰りぎわにCEOから連絡先の書かれた名刺をもらった。困ったことがあったら連絡してね、と言われたので、ありがとうございます、なんて思ってもいない感謝を述べて、にこにこと笑いながらぺこぺことあたまを下げてビルを出た。


 現地集合現地解散ということで、先生と先輩たちは人混みに消えていった。わたしは泉水といっしょに駅へ向かう。


「ねぇ、しーいーおーに連絡すんの?」

 と泉水がにやつきながら言った。

「するわけないでしょ。ていうか、泉水は遊びにいかなくていいの? こういうとこ好きでしょ?」

「まあそうだけど、夕飯の買い物に行かなきゃだし、なんか美春って目ぇ離すとどっか消えそうでこわいんだよね」

「幼稚園児じゃないんだから」

「どちらかというと霧みたいにすぅーって消えそうなイメージかな」

「えぇ?」


 街に飲み込まれる太陽を見ながら歩いていると、いましがたわたしを追いこした大柄な男性が立ちどまり、こちらを振りかえって地鳴りのような声で話しかけてきた。


「その指輪。実に美しい」

「え、はぁ、それはどうも?」

「もう少し近くで魅せて戴けませんか」

 とわたしより三十センチはおおきい英国紳士風の大男が手元をのぞきこんできた。顔と首の幅がほとんど同じだ。


「……いいですけど」

 わたしが蛇ににらまれた蛙のように怯えながら手をかざそうとすると、泉水が間に割って入ってきて、こう言った。


「ちょっとおじさん、うちの彼女に手ぇ出さないでくんない?」

 彼女は半身の姿勢で男性の顔に顔を近づけた。いつもの優しい雰囲気とはことなり、殺気立った荒々しい様子だ。


 男性は背筋を伸ばしてサングラスの位置を直し、ビジネスバッグを漁って、「これは失敬。私は全く怪しい者ではありません」

 といかにも怪しそうな口上を述べながら、わたしたちに名刺を差しだした。泉水は彼の目を見たままそれを受けとり、後ろ手にわたしに手わたす。


そこには帝東大学招聘教授ロバート・ジャックマンと書かれてあった。

 わたしは帝東大学の四文字に顔をしかめた。泉水は名刺を一瞥して警戒心をといたのか、ふっと力を抜いた。


「おじさんめっちゃ頭いいんだね。でも、大学教授が大学生ナンパすんのはまずいんじゃない?」

 ジャックマンさんはもういちどサングラスの位置を直し、微笑する。

「それはその通りですね」

 泉水は彼の肩を気安くたたきながら、

「ま、諦めなければそのうち春は来るって」

 と言う。

「期待しておきます。さて、美春さんと言いましたか」

「あ、はい」

「どうかその心を大切にしてください」

「心?」

 彼はうなずき、

「それでは失礼します」

 去っていった。


「なんか今日は変わったおじさんにからまれるね。モテる女はつらいねぇ?」

「そういうんじゃないでしょ。ほら、じゃまになるから行くよ?」

「ほぉい」

 しばらく歩いていると、泉水のスマホに電話がかかってきたようで、自動販売機のちかくに立ちどまり、電話が終わるのを待つ。泉水の声色からして榛名だろう。


「あぁ、一緒にいるよ。美春、榛名が代わってだって」

「え?」

 泉水からスマホを受けとり「もしもし」と言う。


『みはるんマナーモードにしてるでしょ』

 鞄からスマホを取りだして見てみると、大学の事務局と榛名、あとは安倍晴嵐という同期生から連絡がきていた。とくに晴嵐さんの『事務の人が探していました。浅倉さんに来客らしいです』という文字が胃に痛い。


「ごめん、電車乗ったときから見てなかった。それで、えっと?」

『はれあらしっちから、事務局の人が連絡つかないのをなげいてたっていう連絡がきててさ、それでみはるんに連絡しても出ないからいずみんに連絡したんだよ』

「わざとわかりにくく言ってるでしょ」

『バレた?』

 楽しそうな榛名の笑い声を聞いて、わたしは苦笑する。

「いまメッセージ見たんだけど、来客ってまだいるのかな?」

『わかんないけど、行ったほうがいいかもね』

「マジかぁ」

 気持ちはもう家に帰っていたので、少々気が滅入る。

『がんばれぇ』

「うん、わざわざありがとね。泉水、話す?」

「どうせ後で話すし切っていいよ」

「分かった。そういうわけでバイバイ」

『あちょおま――――』


 急に中国拳法をはじめた榛名をほうって電話を切り、わたしは大学へもどるべく電車に乗りこんだ。

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