第8話 入団試験

 『風の調べ』のギルドに着くころには、日も傾いで、仕事終わりの冒険者たちで埋まっていた。

 喧騒止まぬ酒場のスイングドアを押せば、年季の入ったきしみ音が俺たちを迎える。酒精に染まる空気の中で、俺たち二人は明らかに異質だった。


 そう、勇者は俺の借金を回収すると息巻き、俺の就職先の見学までしようとしたのである。俺が働くところを見なければ、気が収まらない。信用できない。という言葉に押され、俺たち二人で、ギルドに入ることになったのだ。


「なぁ?勇者の知名度ってのはどの程度なんだ?」

「私がリーストル区で凱旋した覚えはないし、皆知らないと思う」


 俺と勇者、どちらか一人であれば、まだ許容できたものを、取り合わせが悪かった。

 俺たちはちょうど親子か、いや、俺の人相の悪さを加味すれば人攫いと奴隷といったところか。ともかく、『風の調べ』には似合わぬ二人となってしまったのだ。


 騒然たる話し声の隙間を縫って向けられる視線の数々、警戒と好奇とが混じり合った注目、誰も俺たちの方へ顔を向けるわけでもなく、しかし、確かに居心地の悪さという形で、その存在が伝わっていた。


 『風の調べ』に受付嬢などといった心休まる事務方の人間はいない。入るか否かを決めるのは全て、アリシアの判断であった。


 ギルドのカウンター席にて、異彩を放つ一人のマダムがジッとこちらへと視線を向けている。


「初めまして、リューストス・キールという」

「私はシルフ・スタンレーです」


 なるほど、勇者であることを隠すか。しかし、名前など気にしたことがなかった。シルフという名なのか。


「ええ、初めまして。私はアリシアよ。それで、二人は親子?」

「冗談はやめてください。この男の顔を見れば分かるでしょう?鳶が鷹を産むといっても限度がありますよ」


 シルフはちらりとこちらを純真そのものの笑顔で微笑んだ。


「ええ、こんな育ちの悪いガキ、救貧院にだっていませんからね。未開の地から連れてきたんですよ」


 そう、これは冗談だ。場を和ませるための冗談。俺とシルフは揃って、愛想笑いを浮かべた。


「そうです、か、それでご用件は?」

「『風の調べ』の入団試験を受けたいのですが」

「ええと、キールだけでいいかしら?」

「はは、このガキに魔法使いなんて務まるものですか」


 と、そこで、シルフの雰囲気が変わった。


「私も、私もやります」

 本来、勇者というのは教会以外の組織に属していけない。当たり前だ、教会によって作り出された生きる奇跡こそが勇者なのだ。そんな勇者が、ギルドに所属など………俺は目配せして、辞退を催す、が。

 シルフはピースを作って、返答してくる。コイツ、分かってないな。


「ええと、ギルドってのは乱暴事にも巻き込まれるし、どれだけ戦えるのか見たいのだけど、模擬戦ってのはどうかしら」

 アリシアが見たことないくらい困惑している。珍しいな。しかし、どうにかシルフを辞退させねば。


「そうねぇ、模擬戦の相手はこちらが指定するけど、いいわね?」

 とそこで、シルフは自身満々に指をさした、俺を。

 馬鹿だコイツ。


「まぁ、それでもいいけど、怪我はしないようにしてね?」

 と、俺たちは外の訓練場へと案内される。


 俺の思惑からは随分逸れてしまったが、まだ元の道へと戻る手立てはある。そう、俺が勝てばいいのだ。シルフを完膚なきまでに叩きのめす。そうすれば、俺だけが『風の調べ』に受かり、シルフは勇者として体裁も守れる。

 それに、シルフは魔法を使えないのだ。勇者とバレるわけにはいかないので奇跡も使えない。勇者といえど、奇跡なくして怪物であり続けるのは難しいだろう。



 そう、何もかもが完璧だ。


 訓練場は小走りで走り回るにはちと窮屈な距離、端から端まではちょうど十数歩で届くようなこじんまりとしたものだった。魔法使いとしての射程を考えればしんどい広さ。しかし、今の俺には『過去の憧憬』しか、使える魔法はない。むしろ好都合というものだ。


 訓練場の周りにはギャラリーが囲んでいるが、盛り上がりには欠けていた。それ程に、俺たちの組み合わせは読めないのだ。無精ひげを携えた中年と、小奇麗な少女、賭けも成り立たない。


「えと、得物は神器使ってもいい?」

 シルフは俺だけに聞こえる声で囁いてきた。

「何か特別な力があったりするのか?」

「いや、たくさん剣を出せるだけ」

「それしか得物はないのか?」

「うん」


 まぁ、ただの剣だ。勝敗には影響しないだろう。

 俺は魔法催眠薬を呑み込み、準備が出来たことをアリシアに伝えた。


「それじゃあ、どちらかの刃が肌に触れたらおしまい。一応、治療師が控えているけど、金は取るからね?じゃあ、スタート」

 と試合は何とも剣呑な合図で始まった。


 頭が熱を帯びる。視界が鮮明になり、魔法という第3の手を自由自在に操れるようになると同時に、シルフが踏み込んだ。



 出足は見えない。白銀の軌跡が煌めき、気づけば剣先が目前へと迫る。

『過去の憧憬』

 剣を固定し、空間へと張り付ける。俺がナイフで受け止めたものだとシルフは錯覚するだろう。

 思考が理屈を受け止めるよりも早く、一足の間合いをさらに詰める。超至近距離ではナイフの方が有利だ。


 シルフは即座に剣を捨て、後ろに跳ね飛んだ。しなやかな体躯を活かした跳躍は、俺がナイフを振るよりも早い。老いたな、こちらの思考よりも先に動きが始まっている。

 何よりも、神器とやらの効果で、シルフの手には新しい剣が握られていた。俺の腕ほどの長さがあるショートソードには、間合いでの不利がつく。



「それずるくない?」

「その若さの方がずるいだろ」


 追いつけない。反射神経に差がありすぎる。

 俺が思考を終え、行動に移る頃には、あちらの行動が終わっているのだ。


 疾さが違う。

 しかし、幼い頃、筋量に差がある頃、俺はこういった戦いを何度でも制してきたのだ。


 重要なのは俺から仕掛けることだ。

 前傾姿勢を取り、重力に身を任せる。軌道の定まったナイフに、シルフは魔法を警戒しながら身を捩る。シルフは半歩分の余裕をカウンターに使った。


 シルフの剣は、大きな弧を描いて俺に迫った。先ほどよりも速度の遅いのは、俺の魔法を警戒してだろう。無論、ここまでは読んでいた。


 『過去への憧憬』は見せ札だ。そのおかげで、シルフは俺のナイフを受けるわけではなく、躱すであろうことも、返す刀での間合いを活かした一振りで様子を見ることも全て予想できるのだ。


 思考の猶予を持たず、予測のみでの一振りを捻じ曲げる。『過去への憧憬』を自分に使うのだ。


 定まった軌道にあるナイフの慣性を魔法で捻じ伏せる。

 急停止から急制動により本来ありえない速さで切り返す。


 筋肉が悲鳴を挙げる。想定外の方向に捻じ曲がる腕が痛みを帯びる。痛覚の信号は片っ端から脳内麻薬に塗り替わっていく。



 完全に意識の外にあったはずのナイフを、シルフは反射神経のみで切り伏せた。

 弾かれるナイフ。崩れる体制。シルフの二太刀目が再び迫る。


 俺は自分から間合いを詰めて、『過去への憧憬』を放った。シルフは手に持った剣を捨て、新たな剣を用意するだろう。


 俺の手に得物はない。シルフは勝ちを確信し、剣も寸止めする前提の速さへと、押し下げられる。そう、シルフにとって、魔法で固定された剣は捨て札だ。意識の外にあるだろう。


 俺はシルフの捨てた剣を空中で拾い直し、シルフへと突きつける。

「俺の勝ちだ」


 シルフはゆっくり息を整えて………言った。

「いえ、私の勝ちです」


 気づけば、剣は消えていた。創出された剣はシルフの手にある一振りのみ、それ以外は全て無くなっていた。

「私の神器ですから。出すのも消すのも私次第です」


 負けたのか、俺が?

「でも、これがもし実戦なら、刃が私に届く前に消すのは、無理だと思います。なので私の負けです」


「いや、そもそも、俺が剣を拾って、突き付けるのが間に合ったのは、先にシルフが寸止めしようとしたからで………それなら、俺の負けだ」


「いえ、それを言うなら………」


 歓声が上がる。俺たちを囲む観客が分厚い拍手を鳴らした。

 観客を割って、アリシアがこちらに近づいてくるのが見えた。

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