第6話 魔術師

 俺は先に身体を外に出し、女の手を握り、引っ張り上げた。


「そらっ」

「ありがとうございます。でも、ここって………?」


「そうだとも、お前の家の前さ」


 ついたのは貴族街の中心部、最もフォークナー家に近い下水道入口を選んだのだ。

 俺たちの前には燕尾服を着た初老の男が待っていた。


「お嬢様を連れてきてくださり、ありがとうございます」

 やはり、読んでいたか。フォークナーは最も街の中枢に近い男だ。そもそも下水道に入った時点で、俺たちの居場所が補足されるのは確定していた。


「どうして…何で?逃げてくれるんじゃなかったの?」


 女は溺れるように、懸命に言葉を紡いだ。やはり、この女が逃げていたのは、自分の護衛たちからか。


「今じゃない、それだけだ。万全の状態じゃなかった」

 これは宣戦布告だ。敢えて、執事へと聞かせてやる。


「じゃあ、どうして家まで?」

「手の内を知られたくないってのはお互い様だからな」

 一つ、意趣返しを思い付いた。


「なぁ、何でもご存じのフォークナー家さんよ。俺のことも、もちろん、よーく知ってるんだろうな?」


「はて、なんのことやら、老いると記憶力が悪くなってたまりませんな。庶民を一人一人覚えることも、ままなりませんから」


 やはり、知らないか。俺の死による記憶のリセットは、フォークナー家さえ捉えられない。とすれば魔法の領域を超えたものなのだろう。

 しかし、気分が良い。鼻を明かしてやった気分だ。


「それじゃあ、俺は帰らせてもらう」

「少々お待ちください。お嬢様を連れて来てくださったこと、感謝しております。つきましては、歓待の用意は………」

「いらん」


 身分のことなど、どうでもいい。縛りのないことの何たる幸せなことか。








 「あら、皆、有名人が来たわよ」

 俺を出迎えたのは魔術ギルド『風の調べ』のギルド長、アリシア・スライバードだ。御年156歳の人間だが、もちろん、ただの人間じゃない。

 身体中に魔法陣が光り輝き、老いを遅らせる魔法が幾重にも掛かっている。頭上に実体化した天輪は、彼女がいくら教会に寄付したかを示している。露出度の高い恰好は、彼女の誇りである瑞々しい肌を見せるためのものだ。


 リーストル区の女帝にして、魔術ギルド表の纏め役。それが彼女だ。

 性格は敵には苛烈で、身内には優しい。

 しかし、彼女の役割は、あくまで看板である。


「アリシアだな、リュートスト・キールだ。初めまして」

「あら、意外とまともなのね。ルイスちゃんに喧嘩を売ったって聞いたから、もっとギラギラした感じかと思った」

「もしそうなら、今頃ここにいないさ」

「それもそうね」


 俺はアリシアの耳元にそっと口を近づけた。

「用があるのは、お前の妹だ。取り次いでくれ」


 アリシアは大きく目を見開くと、すぐに取り繕うように声をあげた。

「やだー、口説かれちゃった。まぁ、私を勘違いする人も多いけどね、何事も順序は大事よ」


 それは言外に、ちゃんとお目通しをせよ、という警句であろう。真の街の重要人物に、そう簡単に会えても困るというわけだ。


「分かってる。しかしまぁ、時間は貴重だ。こんなやり取りをしている今も声は嗄れ、肌は皺枯れていくだろう?」

「自業自得って言葉、学がなくても分かるでしょ?」


 やはり、一筋縄ではいかないか。それに、俺は最新鋭の魔術師というものを何も理解してないのだ。魔法に関しては、俺の時間は十数年前に止まっている。


「分かったよ。まず一つ、俺はセプ博士の最高傑作だ」

「嘘は高くつくわよ?」


「もちろんさ。次に、俺はフォークナー・ルイスの右腕とやり合ったことがある。奴の魔術回路もいくつか知っている」


 アリシアの瞳孔がキュッと縮まった。俺という異物と、情報の希少性、それが彼女の脳内で瞬いている。アリシアはあくまで、表役だ。智謀に長けるわけでも、武に優れるわけでもないが、損得勘定のやり方は、随分前から一流のものを持っていた。


「いいでしょう、でも最後、妹に会う目的は何?」

「俺の魔術回路に施された封印を解いてもらうことだ」

「分かったわ」


 

『捕縛』

 声は幾重にも重なっている。肉体派に見えるごろつきたちが一斉に魔術を放ったのだ。

 やはり、生半可なやり方では駄目か。


 俺は口で転がしていた自決薬を飲み込んだ。




 起きた先はゴミ捨て場だった。断片的に身体を包む布袋を見れば、本来はどのような形で収められていたかが分かる。

「にしたって、服くらいは残してくれたっていいよな」


 気分はこれ以上ないくらいに爽快だった。何せ、俺は死なないのだ。一回なら偶然かもしれない。だが、二回目は必然だった。半ば確信めいた予測を持った賭けが当たった。これほど気分の良いことはなかった。


 布切れ同然になったボロ雑巾に体重を預け、俺は一つの過去を思い起こした。


 十代半ば、前世の知識、というアドバンテージは、俺を激しい高揚感で包んでいた。異世界などという、自分の居場所を相対化させる言葉は、俺を誰よりも賢くさせる気がしたし、何より若さそれ自身が俺を生き急がせる何かを持っていた。


 俺はアリシア・スライバードに見初められ、表では冒険者を、裏では何でも屋として、名声を欲しい侭にしていたのだ。思えばアリシア・スライバードはショタ狂いだった。アイツの対象は十一歳から十七歳まで、そんなアイツに愛想を尽かされたことが全ての始まりといっていいだろう。


 俺が受けた依頼は、フォークナー・ルイスの暗殺依頼だ。もちろん、俺が勝手に受けた依頼で、その頃の俺は独立という言葉に強く惹かれていたのだ。フォークナー・ルイスの暗殺依頼は、その馬鹿げた考えの通り、馬鹿げた依頼料がかけられていた。結果、俺は失敗した。奴の側近に転がせられ、ルイスの前へと這いつくばった。


「君は私に対して敵意を持っていない、そうだろう?あくまで、名誉欲と金を求めただけだろう」

 奴は笑っていた。腹の底の邪悪さとは真逆の清廉な青年は、じっとこちらを嘲っていた。


「命までは取らないよ、アリシアにも借りはあるしね。しかし、僕が君くらいの時は、もうちょっと聡明だった。命の重みってのを知っていたよ」


 実際のところ、その瞬間が俺にとっての初めての敗北であり、死を自覚した瞬間だった。今の今まで、心を麻痺させていた何かを揺り起こさせられるような気になった。


「ただ、君の牙は抜かせてもらう。悪くは思わないでくれよ」


 魔術回路の封印処理、これをどのように行ったかは分からない。しかし、その後は、痛みというのが臭いや苦いといった、些細な不快さと同列のモノへと変化したことだけを覚えている。

 それよりも、極度の痛みは死を感じさせるのだ。ある段階で、痛みは閾値を超え、命を失うことへの恐怖ばかりが頭を占めるようになる。間近に迫る死が錯覚であろうと、俺の精神に死が染みつくのは当然だった。



 しかし、それも過去の話。

 殺しやるぞ、ルイス。いつか必ず。

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