第2話 治安維持

 俺は勤務時間を終え、鎧を鎧立てへと掛けた。首から垂れ下がる銀縁の衛兵章は、いいこのままつけておこう。

 倉庫から出る際は、忘れず、鍵を掛けていく。


 それにしても、衛兵の仕事は素晴らしい。

 しかし、その最たる点は勤務中には分からぬものだ。


 街を歩けば、べろんべろんの酔っ払いでさえ、俺を避けて通る。衛兵というのは偉いのだ、貴族と平民のちょうど中間くらいに偉い。社会に信頼され、法的に優遇を受ける。勤務外の暴力でさえ、一度や二度ならお目こぼしを受けることができる。

 故に、暴漢は衛兵を殴れない。


 もちろん、衛兵は悪人には恨まれる。特に、新人の正義感の強い奴を、奴らは警戒する。だが………

 ふと目前で、違法なブツのやり取りが行われた。

 強力な催眠効果のある魔法薬だ。


 ちょうど、太陽の隠れる時間。今の時間はめっぽう暗い。長い影は、様々なものを隠すのに便利だ。それに照明もまばら、仕事終わりの輩がどんちゃん騒ぎを起こす時間帯とあって、違法なモノをさばくにはぴったりなのだ。


 やり取りしていた男どもはぎょっと俺の章を見た。

 俺は男に向かって、わざとらしい笑みを浮かべる。

「安心しろ勤務時間外だ」

「びっくりしちまいましたよ、そんなもの取り外しておいてください」

「まぁ、お守り代わりにな、教会のところよりもよっぽど効果あるぞ」

「それは羨ましいことで」


 男は深く息を吐き、背中を向けた。


「待て、確かに、俺は勤務時間外だが、見てしまったものはしょうがないだろ?」

「へぇ、それは困りますね」

「ただ、忘れてしまうこともある、人間、そう上手くできていないからな」


「そうは言われましても、最近はこっちも不景気でしてね」

 と、男は心づけの銀貨を寄越してくる。重要なのは、ここで馬鹿正直に受け取らないことだ。


「本官は善良な一市民だぞ?金銭の収受で、犯罪を見逃すなどあってはならんよな?」

 と、男の持つ、魔法催眠薬を指さした。


「何だ、旦那もこっち側でしたか、分かりました。では、善良な旦那の人生に、ちょっとしたスパイスをどうぞ」

 と、魔法催眠薬の方を受け取った。


 なに、この一連のやり取りも、俺がこの街で安全に生きるための処世術に過ぎないのだ。ただ、見逃すだけでは、犯罪者は俺を疑うだろう。

 疑心が行きすぎれば、俺の息の音を止めようだなんて思うかもしれない。


 これは結構マジな話だ、何せ、違法な物品を取り扱う奴らは、同時に違法な物品を使用している可能性も高い。そうなれば、奴らの狂った思考が、何を考えるかなど、制御できない。


 また、金銭をせしめれば、明確に法に引っかかって俺の立場が危うくなる。公務員の腐敗は、街の最も恐れるところにある。場合によっては死刑にだってなるのだ。



 物品のやり取りであれば、触れる法は違法な物品の所持になるため、そこそこの罰金と没収で済む。

 それに、俺が犯罪者側の人間であるという信頼も得れる。


 何より、俺の暇つぶしも捗るしな、一挙両得、いや、やはり衛兵は素晴らしい職業だ。

 それから、俺は治安維持活動、をしばらく続け、ポケットをぎっしりにして、行きつけの酒場に向かう。



 酒場の名を『森の恵み亭』という。街の外れ、外国人向けの安宿蔓延る市民街外縁部に、酒場はあった。

 ほとんど耄碌しきった店主が運営する酒場は、飛びぬけて安い酒を提供した。もちろん、水で薄めたような麦酒や、気の抜けきった蒸留酒、酸化しきり渋さだけが特徴の葡萄酒と、安かろう悪かろうを地でいく店でもある。


 しかし、それもこれも、この酒場が昔、スラム向けの無断営業店であることを知れば、質の低い料理の数々も納得がいく。

 ほんの十数年も前は、この酒場はもっと活気に溢れていた。店主だって人情溢れる親方といった気風であったし、客も人生の一発逆転を狙う野心高き若者に溢れていた。

 それが、いつのまにやらリーストル区の領土拡大作戦に呑まれ、街の内側へと入ってしまった。酒場はとうとう健全化せざる終えなかった。

 当然、店主が目をかけていたスラムの貧民層が訪れることも減り、酔えればいいという老人や、とりあえず酔いたいと考える安月給の中年ばかりになってしまった。


 店の変化が店主にどのような考えをもたらしたかは分からない。


 ただ、目ヤニも取らず、腰を曲げる店主の顔には、深い皺が刻まれているだけで、表情らしい表情も見えない。かつては、俺の師匠として見せた豪傑さも、時間という奴は丸っきり刈り取っていった。


「蒸留酒を頼む」

「あいよ」


 と受け渡された杯を思いっきり呷る。酒精が身体をめぐり、軋む身体が歓喜の声に浸るのを感じた。ふと、カウンター席の端に、顔が真っ赤に染まった見慣れぬ男がいるのに気づいた。

 彼の前には、空の杯がいくつも転がり、それでもまだ、飲み足りないといった風情で、首を絞められているような紫がかった赤を呈する顔に、興味を抱いた。


「どうしたんですか?随分と酷い飲み方をなさるんですね?」


 ちょっとした、興味だった。酒のアテになればいい、と。


「ああ、衛兵さんですか、お疲れ様です、いやぁ、何。今日ですね倅が攫われたんですよ」

「それはそれは、街の守護者としては身につまされる話です」

「いえいえ、衛兵さんみたいな、立派な人が立ち会えなかったんじゃ仕方ないです。しかしですね、妻が言うには、現場にはまた、意地悪な衛兵がいたもので、貴族ばかり優遇する酷い奴だったそうです」


 男の肩にそっと手を置く。しかし、参った。まさか、誘拐された子供の父親にあたるとは、今日は全く不思議な日だ。

 残りの酒を飲み切るも、酔いは全く醒めてしまった。


――誘拐犯を探しに行ったって、罰の一つも当たらないと思うけどね?

 前世の記憶が這い寄ってくる。別の世界の価値観の言葉だ。俺の人生というのをまるで顧みていない。大体、平和な世界に住む英雄気取りの言葉など、聞くに値しないはずだ。


――約束したんだろ?

 それがどうした?約束ってのは、果たされるまで面倒見るもんだ、それが約束する側の義務だろう。される側が反故にするのだって仕方ないだろう?


「いやぁ、衛兵さんは優しいんですね?私なんか子供との約束も守ってやれない、バカ親ですからね。はぁ、あの子が一人立ちするまで、面倒みるって言ったんですけどね」


 気分が悪い、気分が悪い、気分が悪い。


「分かった。分かったよ、今すぐ、捜査に行く。じじい、さっさとお前の息子の情報を吐け」


 運命の女神ってのがいるなら、恨むぞ。

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