冴えないおっさん、いずれ最強

茜屋降

第1話 プロローグ

 俺は衛兵をやっている。長生きの秘訣は、大きな問題を後回しにして、なるべく小さな問題に注力することだ。


「おじさん、私の猫がね、猫はエリスっていうんだけど、どこかに歩いていって、それで分からなくなった」

「おう、嬢ちゃん、分かった、ちょっと待ってな」


 胸や腰にあるポケットに手を入れ、暇つぶしの数を探る。吸いかけのお手製代用煙草一本に、簡易魔法催眠が三斤、蒸留酒が一瓶、食用の蜜蠟がまだ半欠けは残っている。

 太陽は正中位を指していた。勤務時間の間は飽きずに過ごせるだろう。

 先日、入った新人に一声かけ、俺は詰め所から出た。


「よし、エリンだっけ?探そう探そう、いい気分だ」

「違う、エリス。間違えないでよね」

「そうか、すまんな」


 詰め所に猫の相談を持ち掛けるような、馬鹿ガキの恰好をちらりと見る。年の程は十の初めだろうか?フリル付きのワンピースは千里布と呼ばれる南方の高級品、靴はまだ擦り切れもしない新品の癖に、ぴったり足のサイズが合ってやがる。おまけに、革製のチョーカーには、小粒といえど本物の宝石と来たものだ。


 こいつ自身の価値を抜きにしても、勤勉な市民が一生糊口をしのげる価値はあるだろうな。


 貴族街から歩いてくるのに、命がいくつあっても足らんだろう。あれだ、怪しすぎて誘拐されなかったパターンだな。こんなガキが一人で歩くなんて、裏があるに決まってると、手を出されなかったのだろう。


「平和だなー」

「だから、猫を見つけてっていってるの。ちゃんと探して」

「分かってる」


 俺たちがいるリーストル区は、大きな楕円を二重で描くように形成している。中心には貴族街が広がり、それを囲むようにしてできた市民街、さらにその周辺にはスラムが自然発生した。

 まぁ、今日は市民街と貴族街の境界線をなぞる様に歩いて終わりだろうな。

 スラムを見に行ってもな、そこまで行った猫なんぞ、どうせ食われているだろ。


「にしても、おじさんは良い人ね」

「お、ガキにしては、見る目があるな、分かるか?」

「だって、他のおじさんは聞いてもくれなかったもん」


 大方、貴族街と市民街を区切る警備兵にでも声をかけたんだろう。当然だ、この世界のどこに、猫を一緒に探してくれる兵士がいるんだ?


――お巡りさんじゃないんだぞ

 と頭の中で声が反響する。うっとおしい、前世の記憶が語りかけてくる。

 俺には前世、それも地球という国の世界での生活の記憶があった。若い頃は、それを利用して立身出世を遂げようと馬鹿な夢を見ていた。しかし、よその世界のことを知ってなんになる?世界の法則が違うんだ。


 気分が悪い、蜜蠟を一欠け口に入れ、かみ砕いだ。

 質の悪い香辛料や薬草を練り込んだそれは、食感こそ最悪だが、爽やかな臭気がもたらしてくれる。脳髄まで洗われる気分だ。

 前世の知識ではガムが近いと教えてくれる。だが、それをガムを知らない俺に知らせてどうなる、全くもって無駄だ。


「それなに?」

「蜜蠟だ」

「なにそれ」

「知らん」


 ガキはむすーっとむくれ顔を作り、物欲しそうに俺を睨んだ。やらんぞ、どうせ吐き出すに決まっているからな。




 市民街の中央通りから早々に離れ、石造りの住居が立て並ぶ住居区間を二人で歩く。貴族のガキにとっては、家々を繋ぐ物干し竿も、それに連なる服やズボンも、外路から覗く怪し気な影も、何なら俺たちとすれ違う中流階級の市民さえ、新鮮な体験なのだろう。


 淡い金髪を振り回し、あっちにこっちにと視線は大忙しだ。

 俺を掴む手は小さく、弱い。


 思えば、俺がガキの頃も、この景色は新鮮だった。スラムが出身の身寄りのない俺にとっては、ここは夢の世界だった。

 まぁ、俺とコイツとの違いは、衛兵に連れられてここに来るか、衛兵に連れられてここを追い出されるかの違いなのだろうな。


 と、そんな夢想に耽る内に、目の前の深いローブを被った男が目に付いた。




 フードを目深に被ってはいるが、その赤く発光する眼球がちらちらと見えている。それに加え、男の筋肉は異様なほど盛り上がっている。あれは、最近流行りの違法魔術回路だな。


 魔法は地球では、まったくの空想の力だった。しかし、この世界では違う。、現実の力として会得できるようになった。しかし、強力な魔法には、強力な負荷がかかる。


 最近流行りの『筋肥大』という魔術回路はその筆頭だ。

 身体への負担が大きく、筋肉や骨を損傷しやすくなる。今では、魔法を焼きいれること自体が違法とされているはずだ。



 男は何の動きもなく、俺たちの横を通り過ぎた。

 そして、すぐに………

「止めて、ウチの息子を、何するのよ」


 後ろを向く前から、察しがついた。人攫いだ。

 俺は誰にも聞こえないように舌打ちをし、ガキの手を強くつなぐ。

 まだ、後ろは振り向かない。


「あの、衛兵さん、ウチの息子が、息子が」

 ここだ、ゆっくりと振りむいて、笑顔を振りまく、できるだけ人好きをするような。


「落ち着いてください、お子さんがどうされたんですか?」

「つ、連れさられたんです、早く、追いかけてきてください」


「それは出来ません」

「何でですか?」


 中年間際の女は、鬼気迫る顔で、俺に近づいてくる。

 俺は、ガキと繋いでいる手をかがげた。


「その方は、お貴族さまの」

「ええ、さるお方の護衛中です。少しも遅れられないのです」


 女は一歩引いて、たじろいだ。

「もちろん、あなたの息子さんのことは調査し、私たちの方でしかるべく対応をさせていただきます」


「そんな」


 

 崩れ落ちる女をしり目に、俺たちは足早に、その場を立ち去った。もちろん、あの息子は助けられたかもしれないのは分かっている。しかし、その分、俺はより大きな何かに巻き込まれる可能性がある。何も起きず平和に終わる可能性だってある。

 しかし、自分の命をサイコロに任せるようなことはしたくない。


「おじさんは、どうして追いかけなかったの?」

「お前こそ、どうして、俺の嘘を受け入れて黙ってたんだ?」


「それは、お父さんもああいうときがあるから」

 ガキはガキに似合わぬ遠い目をした、ああいうとき、というのは、もちろん貴族にも腹芸が必要になるのだろう。貴族の子も、貴族なのだ。

「ねぇ、あの子はどうなるの?」


 あの子というのは、攫われた子供のことだろう。大抵は、奴隷として娼館に売られたり、貴族の慰み者なんてのもある、あとは魔術ギルドは常に脳みそ不足だからな、脳神経がボロボロになるまで使い倒されるなんてのもある。

 人間の使い道は多岐にわたる。爪の垢まで金になる。


「まぁ、親元離れてよろしくやってくんじゃないか」

「ねぇ、やっぱり、あの子助けてくれない?」

「駄目だ」

「これあげるから」


 渡されたブローチには亀の文様が描かれている。甲羅の意匠に、翡翠色の宝石がはめ込んである。こういった、一点もの装飾品は好くないな。簡単に足が着く。

 が………

「よし、お父さんにこのブローチの所在を問われた時、何ていうんだ?」

「失くしたって」

「どこで?」

「分かんない」

「完璧だ」


 俺はガキの頭を撫で繰り回した。もちろん、約束を守る気なんてない。誘拐されたガキはもう、他の街に旅立っているだろうし、助けるなんて現実的じゃない。


 俺はこの件には関わらない。何せ 無知は力だ、知らないことは知られないことと一緒で、知られなければ害意というのは寄ってこない。


 このブローチは、ガキの後味の悪さを帳消しにした金だ。


「それじゃあ、さっさと帰らないとな」

「うん」



 時間も充分潰したし、今日も良い一日だった、とそう思っていた。


 曇天は、鋳つぶした剣のような浅黒い色をしていた。かちゃかちゃと音の鳴る留め具が肩に押し付けられ、俺の体温をみるみる奪っていく。俺が背負っている簡易の鎧は、寒い外気を受けて染みるような冷たさをはらんでいるようだ。


 ガキの道案内に従って、貴族街をぶらぶらと進む。どの屋敷にも簡易柵と門番が附いており、皆一様に俺のことを睨んできやがる。

 全く、働き者な奴らだ。


「ここ」

 と、ガキが指さした先にあったのは、貴族街の中では平均的なサイズの屋敷で、それでも、狭い詰め所が十数は建つ広さなのだから恐ろしいものだ。


 俺が門番にガキを預け、道を戻ろうとしたときだ………

「少々お待ちください、奥様がお待ちですので」

「いや、いい、俺は衛兵としての役割を果たしただけだ」

「では、奥様のご厚意を断ると?」


 出来るわけがない、身分が違うのだ。奴らが俺に三回回ってワンと鳴けと言われれば、そうする必要がある。そこにあるの妥当性なんかじゃない。


 屋敷への道中は石畳が敷いてあり、庭先は馬上競技のための砂地の広場まであるのだ。この街は俺の思う以上に、裕福なのだろう。ただ、平民が輪に入れないだけで。



 ふと、その奥様とやらがこちらに向かってくるのが見えた。

 薄い金髪に、健康そうに焼けた肌、少し突き出た口からは、綺麗に並んだ歯が覗いている。


「りゅーちゃん?」


 俺の本名はリュートスト・キールだ。そんな俺のことをりゅーちゃんだなんて、呼ぶ人間を俺は一人しか知らない。


「ミサか?」


 ミルサ、昔は彼女に苗字なんてなかったはずだ。孤児仲間では珍しく、教会からお墨付きで聖勲を受け、聖祭にも頻繁に参加していた。そんな彼女を俺は揶揄するように呼んだのだ、ミサと。

 彼女は俺の幼馴染で、恥ずかしい話だが初恋の相手でもあった。いつ頃からか行方知れずになり、心配したのだが。


「そうか、貴族に見初められたのか」

 単純に嬉しかった。この世界で女が出世する方法は一つしかない。いい旦那を捕まえてくること、ミサはこれを全うした。

 思えば、不思議な話ではなかった。ミサは女孤児の割に、花商売をせずに済んだ。目鼻立ちもすっきりして可憐だ。そんな彼女だから、男からは人気があるだろうと、そう思っていた。


「りゅーちゃんは今、何してるの?」

「衛兵だよ、といっても、毎日、街中をぶらついているだけだがな」


「この街が平和なのはりゅーちゃんのお陰だね」

 ああそうだ、俺が目をつぶる限り、ミサの運が尽きぬ限り、この街はすこぶる平和だよ。


 ミサに続いて、奥の方から恰幅の良い髭面の男性が歩いてくる。

 俺はその人物に向かって王国式の敬礼を行った。


「おお、娘は無事だったか」

「はい、猫を探しているというところで保護させてもらいました」


 男はガキへと眼を向け、ゆっくりとしゃがんだ。

「エリスは、治療院に行くといったじゃないか?忘れたのか?」

「そうだった」

 と、ガキは悪びれもせず言いやがる。


「衛兵さん、ご迷惑をかけ申し訳ない、娘を保護してくれたこと感謝します」

「いえ、本官は職務を全うしただけです」


 何となく、自分の心中にドス黒い何かが渦巻くのを感じた。


 俺はミサの結婚を純粋に喜んでいるはずなのだ。相手は貴族、文句の付け所なんて一つもない。それこそ、俺と連れ添うよりはよっぽど………


 ガキが俺の鎧止めを引っ張った。

「おじさん約束、忘れないでね?」

「もちろん」


 今は良くないな。素面での考え事は、どれだけ馬鹿げていても、いつの間にか真実味を帯びて、自身でも真っ当なことだと勘違いしちまう。

 酒があれば、どれだけ真っ当な考えも、酔いのモノだと持ち超さないで済む。


 そうだな、今日は蒸留酒がいい、それも特別、度の強い奴がいい。

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