第16話 ただの奴隷なのに妃と誤解される

「わあ、いい匂いだー」


 被災地に赴いた私は、多くの人の視線が集まる中、自生していたラベンダーのエッセンスを抽出し、天高く手の平を広げて周囲に拡散させる。

 ラベンダーは、大変強い植物なので、不毛の地獄と呼ばれるバルダハール領にも比較的多く自生している。その事に感謝しながら、リクエストに答えて、また同じ魔法を披露した。


「本当、心が安らぐわ」


 皆、喜んでくれているようだ。それ自体は嬉しい事なのだが、来る前に感じていた疑問がずっと心の中に引っかかり続けていた。


 嵐の被害が甚大だった、この集落の状況は、とても悲惨なものだ。何件もの家が倒壊し、道も寸断され、生活の基盤が根底から揺らいでいる。

 どうしてこんな状況で、芸を楽しめる心の余裕があるのだろうか?

 そんな事を思い続けながら魔法を見せ続けていると、とある会話が耳に入ってきた。


「いやあ、嵐になって良かった。こんな面白い芸が見れるんだからな」

「ああ、人は誰も死んでないから本当に儲けものだ」

「でも、明日からどうやって食べていくんだ?」

「バカ言ってんじゃねえ。新しい領主さまは俺たちの事を心の底から考えてくれている、すっげえ頭のいい方だぞ。きっとなんとかしてくれるさ」

「だな。湿っぽい気持ちになんかなっちまったら、領主さまに失礼だぜ!」


 アレッサンダル様は領民たちから、本当に強い信頼と尊敬を一身に受けている。

この絶望のなかでも、希望を持って生きていけるほどの。

強い驚きと同時に、奴隷としてアレッサンダル様に仕えることの喜びが私の胸の中に溢れた。

 ……奴隷として仕える事への喜び。本当にこれはそういう感情なのだろうか? いや、そうでなければならない。……でなければアレッサンダル様に多大なご迷惑をかけてしまう。


「ねえ、同じ匂いばかりじゃん。他のはないの?」

「バカ! そんな事言っちゃ……」


 小さい女の子の無邪気な言葉を、母親が慌てて止めようとしている。

 確かにもっともな意見だ。手近なラベンダーのエッセンスばかりを抽出していた。これでは見ている側も飽きてしまう。

 どうしたものかと周囲を見渡すと、とあるものが目についた。


「あの、あちらの畑はどなたのものでしょうか?」

「わ、私が一応所有しております」

「栽培しているものはミントとローズマリーですよね?」

「え、ええ。両方とも育てやすいので、少しだけ土壌が回復した畑で育ててました。でもそんなに量が取れなくて、精々集落の皆で使う分くらいしかとれませんが」

「そうですか。よくこの嵐の中無事に育ちましたね」

「勿体ないお言葉です」


 会話の横から他の村人たちが話に割り込んできた。


「ったく俺の畑で育ててたじゃがいもは全滅したのに、なんでこんな腹が膨れねえもんが残んだよ」

「なんだとてめえ!」

「事実だろうが。こんなんが残るより、じゃがいもの畑が残った方が集落の皆は助かるだろ」

「野郎、言わせておけば……」

「それにお前も最近は高級果物にご熱心で、こんな畑ほぼ放置だったろうが!」

「あたりめえだろうが! こんなの育てるよりそっち育てた方が生活が楽になんだからよ!」

「ほら本音が出たぞ。面倒見てねえもん、いらねえって言われて、なんでお前怒ってんだ!? バカか?」


 不毛の地獄とまで言われている農業が困難な土地で必死に育てたものを、呆気なく放棄するなんて……。アレッサンダル様が領民のために用意した高級果物の苗木は、思わぬ弊害を生んだようだ。

 だが、この場の女の子の願いを叶える分には好都合だ。


「あの、もしいらないのであれば、少し分けて頂けませんか?」

「は、はい。大丈夫です。あんなのじゃんじゃん使ってください」


 遠慮なく畑に入りミントを摘み、エッセンスを抽出する。

 それをラベンダーのエッセンスとブレンドして、周囲に拡散させた。

 ラベンナ―の甘い匂いとミントの爽やかな香りとが、合わさった心地よい香りが周囲に広がる。


「すごい!新しい匂いだ!」

「これなら、ちょっとした贅沢気分を味わえるね」


 いざこざでギスギスしていた人々の表情が、みんな笑顔になる。


「高級果物ばかりに夢中になってたのが、恥ずかしいな」

「だな。今まで作ってきた物も、こんなにいい匂いがするなんて大発見だ!」


 こんな会話が耳に入ってきた。ひょっとしてアレッサンダル様はこの事を集落の人々に気づいてもらうために、私を派遣したのかも知れない。そう思うと、胸が熱くなった。


改めて、アレッサンダル様の優しさと深い思いやりを感じ、胸が熱くなった。奴隷としての立場は変わらないけれど、こんなにも領民を大切に思う領主のもとで、少しでも役に立てることが嬉しかった。


「ラヴェンナ様、ありがとうございます。こんなに素敵な香りを届けてくれて」


そう言ってくれた一人の女性の言葉が、私の心に深く響いた。私は笑顔で応えながら、これからも皆のためにできることを精一杯しようと心に誓う。

だが、1つだけ気になることがあった。


「あのう、皆さんどうして私に敬語を使われているんですか?」


 私は、ただの奴隷である。所有者は領主であるアレッサンダル様だ。だが、だからといって領領民の方々が私に対して敬語を使う必要はないはずだ。もっとも奴隷の所有はヴィヒレアの法律で禁止されているので、従者という事に表向きはなっているが……。


「え? ラヴェンナ様は、将来領主さまの妃になられるのですよね?」

「いっつも一緒にいますし」

「えーー!?」


 思いがけない事を言われてしまい、大きな声をあげてしまった。


「だ、誰がその様な事を言っているのですか?」

「誰も言っていません」

「でもそれ位のこと、見ていたらみんな察しますよ」


 私の言動が、とてつもない誤解を与えてしまったようだ。

 どうすれば良いのか分からず、頭が真っ白になったままその場に立ち尽くした



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