第3話 婚約破棄。崩れ落ちる今までの幸せ
「うわあ! すごくいい香りですね」
「ふふ……お褒め頂きありがとうございます」
「少し分けてください」
「ここにいる皆さんのために作ったんです。遠慮なく持っていってください」
お父様にエドワード王子を諫めて頂くようお願いしてから、数日経ったこの日。身分を超えた友人達を屋敷に集めて、趣味の香水作りをしていた。
魔法、学問、運動、全て私は人並以下だが、香水や化粧水などの手作り芳香品を作る事だけは得意だった。
最もそれが何かの役に立ったことはない。沢山作れればお金儲けができたのかも知れないが、私の魔力はそこまで多くなかった。
「ラヴェンナお嬢様、城から登城するよう使いが来ております」
丁度解散しようとした時、メイドにそう告げられた。エドワード王子からだろう。お父様は、もう進言してくれたようだから、なにか良い進展があったのだろうか。私は準備を整えて王城に向かった。
◇
「ラヴェンナ、貴様の婚約を破棄する!」
出会って開口一番にエドワード王子は怒りに満ちた口調で、そう私に告げた。
思わず私は、言葉を失う。
エドワード王子には確かに、治して頂きたい点は沢山あった。
だが、それを含めてお支えするつもりだった。それなのにどうして……。
しばらく心が追いつかず、呆然と立ち尽くした後に弱々しく言葉を返す。
「で、殿下、ど、どうしてそんな……?」
「貴様、私がヴィヒレアを見習い、この国を輝かせるために上げる挙式に不満らしいな?」
「いえ、民の税なので大切に使い、国の伝統を重んじるようにとは考えておりますが、ヴィヒレアを見習い発展する事に不満がある訳では……」
「民の税に国の伝統だと!? 貴様がヴィヒレアの貴金属やドレスを、多額の税を浪費して、沢山買い漁っているところを、私はこの目で見ているぞ!」
確かに自分は、ゴメスが売っていたヴィヒレアで作られたというドレスや貴金属を沢山持っている。だが、それは全て頼んでもないのにエドワード王子がプレゼントしてきたものだ。
「しかも姉さま、買った物を一度も身につけずクローゼットの中にしまいっ放しじゃない。やあねえ田舎者は勿体ないことしちゃって」
「セリーナどうしてアナタがここにいるの?」
「紹介する。私の新しい婚約者だ」
なにが何だか分からない。
「あれだけ高いものを沢山買っておきながら、一度も身につけないとは、どういうつもりだったのだ⁉」
エドワード王子から頂いたヴィヒレアの品は、どれも煌びやかで魅力的だった。だから私などが気軽に身に着けて良いものだとは、思わず大切にしまっていたのだ。
その事を伝えようとした。だが、それを遮るかの様にセリーナが口を開く。
「殿下、ゴメスとか言う者が売ってた物、ヴィヒレアで作られたものだとは思いますけど、どれも安物や粗悪な模造品ですよ。ハッキリ言って王族や貴族がつけるものじゃないです。多分姉様は途中でそれに気づいたから恥ずかしくて身につけられなかったんじゃないですか?」
「やはりか……あの男、前から怪しいと思っていたのだ! 貴様、その様なものからあり得ぬ大金で多量のものを買ったのか。さらに途中で気付いておきながら隠ぺいするとは、どこまで意地汚いのだ!」
「いずれにしろ、そんなのが見抜けないようなのは王妃の器ではないですよ」
「そうだな。ヴィヒレアで進歩的な文化を学んだセリーナの様な者こそが、この国の王妃には相応しい! ラヴェンナ! 今よりお前は永久に王城への登城を禁じる!」
自分の責任を被せようとしている。ようやく私は、殿下の真意を理解した。
涙が頬を伝う。
正直、エドワード王子の事は好きでも嫌いでも無かった。しかし、この結婚を推し進めたお父様の顔を私は潰してしまった。その事に強い罪悪感を覚えながら、私は無言で、この場を後にした。
◇
「失礼いたします」
意気消沈のまま屋敷に帰ってきた私は、お父様の書斎に足を運んだ。
婚約破棄されたことを報告するためだ。
私の力が至らないばかりに、エドワード王子を諫めることができず、家名に泥を塗ってしまった。どうしてセリーナが新しい婚約者になったのかは分からないが、まずそれを謝罪しなければならない。
「どうしたんだラヴェンナ? 随分と元気がないな」
お父様は、いつもの様に優しい笑顔で書斎に迎え入れてくれた。
「お父様、実は私……」
「殿下に婚約を破棄されたのだろう」
「ど、どうしてそれを?」
「殿下にお前に罪を着せて婚約破棄するよう進言したのは私だからな。セリーナを新しい婚約者に推薦したのも私だ」
いったい、どうしてそんな事を。頭が混乱した。
「そんな今の殿下とセリーナが結婚してしまったら、この国は……」
「ああ。ヴィヒレアに過剰に傾倒している虚栄心が強い2人が王と王妃になるのだ。多額の予算を使って我が国の文化を貶める政をするだろう。民は勿論、貴族も不満を持つだろうな」
「な、何故その様なことを…」
「ラヴェンナ。お前を手に入れる為だよ」
震えながらお父様の表顔を見た。普段の優しい表情ではなく、その顔には別の感情が顔に浮かんでいる。
そう、歪んだ歓喜の表情が――。
「え?」
「お前は亡き母に似ている。成長するにつれ、その姿は母の面影をより一層強くしている。誰にも渡したくなどなかった。だが、当家の仕来りでそれはできないと、半ば諦めていた時に、お前が、話を持ってきた時は本当に心が躍ったよ。」
何を言っているか分からず、頭が真っ白になった。
お父様は更に言葉を続ける。
「誤解をしないでもらいたいのだが、知恵を与えたのは私だが、結論を出したのは王子とセリーナだ。共に虚栄心が強く無責任で、自国の文化を見下して、盲目的にヴィヒレアを信奉するバカ同士だったから、簡単に惹かれ合ったよ」
お父様が娘のセリーナに、こんな事を言う所なんて見たことがない。
別人のような父を目の当たりにして恐怖で震える私に楽しそうな視線を向けながら、お父様は得意気につづけた。
「まあ、クズ同士だからお似合いではないか。愛しいラヴェンナ、あんな愚かで薄情な奴の事は忘れたまえ。これから私が本当の幸せを教えてやる」
震える私の手を、お父様が舐めまわすような指先で触ってくる。
「あ!」
気色悪さに耐え切れず、思わずその手を払いのけた。
その瞬間、お父様のの表情は強く強張った。
見たことのない父の怒りの表情に、先ほどとは比べ物にならない恐怖が湧きあがって来た。
「怖がることはない。そうだ、これからグリマルディは無茶苦茶になってしまうからな。どこか人気のいない所で、2人で静かに暮らそう」
今度は強い力で私の手首を握ってきた。
「い、いや!」
払いのけようとするが、揉み合いになり、そのまま床に押し倒された。
倒れ込んだ私の身体を、お父様は馬乗りになり押さえつけてくる。
「静かに2人……いや子供がいた方が賑やかで良いかな」
跳ねのけよう身体を動かす。だが私の力では、とても無理だ。
「い、いや……止めてください。お願いやめてええ!」
この人は父ではない……もう、私の知っているお父様ではないんだ。
今まで感じたことが無いほどの恐怖と絶望が、私を襲う。
「この時間、使用人は、この辺りには来ないからな。さあ2人だけの時間をたっぷりと満喫……」
もうダメだと思いながらも、必死に泣きじゃくりながら抵抗する中、
「おらああ!」
何者かに蹴られた父は……父だった人は床を転がり、壁に頭をぶつけた。
「てめえか! あのアホ王子に余計な知恵吹き込んだ野郎は! 段取り整えてた式を台無しにしやがって! もう向こうに金払ったから大赤字じゃねえか!」
どこからともなくゴメスが現れた。蹴ったのは彼のようだ。
背中には、この屋敷にある貴金属や美術品を沢山背負っている。
「そうか。貴様が王子を騙してガラクタを高値で売りつけていたという詐欺商人か。何の用だ?」
父であった人は、足をふらつかせながら立ち上がり、ゴメスを睨みつけた。
「損失補償で色んなもんを貰いに来たのよ! こんなんじゃ全然足りねえけどな! 身分高くても所詮田舎貴族かよ! ふざけやがって!」
「詐欺の上に盗人をして、この態度、恥を知れ!」
父だった人が、壁に立てかけた装飾用の剣を抜き、ゴメスに斬りかかった。
だが、ゴメスは難なくそれを避ける。
「ほお。田舎の大将だって舐めてたけど、意外に頑丈じゃねえか」
「これ以上の侮辱……」
父だった人が剣を大きく振りかぶると同時に、ゴメスは再び足を放った。
足は父だった人の腹部に当たり、地面に膝をつきうずくまった。
「へへ……すこーしだけ本気で蹴ったかんな。しんでえだろ」
父だった人が負けて膝をついている。
驚いて言葉もでなかった。
父だった人は魔族の一団から国を守った英雄である。壮年になった今でもグリマルディで勝てる者はいない。
それなのにゴメスは……。
「ん?」
ゴメスと目があった。彼は私を見ながらニヤつき始めた。
「地味で田舎くせえが、こんな女好きな奴は意外に多いかんな」
床に倒れていた私をゴメスは肩に担いだ。
「な、なにをするのです!」
「てめえを娼館に売る。ここにあるもんで、てめえが一番高けえ」
「い、いや! 止めてください!」
叫ぶ私を意に介さずゴメスは、書斎の外に向かって歩き始めた。
「ふざけるな、私のラヴェンナを……!」
膝をつきながら父だった人は私を睨んできた。いや、正しくは、私ではなくゴメスを睨んでいるのだろう。
だが、ゴメスはそれを動じる事無く、父だった人を軽く睨み返した後、顔を蹴った。
父だった人は鼻や口から血を流し、意識を失って床に倒れ込んだ。
「安心しろ。こんなんじゃ全然損失補填できてねえからな。また来てやらあ」
震える私にニヤリとゴメスは笑いかけ、私を担いだまま部屋の外に出た。
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