第17話
今、輝夜の前に座っているのは私服警官の石上だった。
年のころは二十代半ばから三十前後だろうか。
きちんとしたスーツ姿ではない、普通のおじさんのお服装だった。けれどどこか空虚であるさまや儚げに見えるその姿は、高位貴族ではないかと思わせるような気品を漂わせていた。
清潔感があり、整った美しい顔をしている。
石上は
前世、彼には燕の子安貝を持ってくるよう頼んだ。
結婚の条件として無理難題を出した5人の貴公子の内の一人だ。近い場所で手に入れられ、最も地味な品を頼まれたにもかかわらず、転落事故にあい大けがを負ってっしまう。
彼だけは自ら真面目にお題に取り組んだのに、恥をかき最後は命を落としてしまった男だった。
輝夜は今回はそうなる(命を落とすような)事だけは避けなければならないと思った。
「覚えていないなんて通用するはずないですね。それは貴方も重々承知の事かと思います」
彼はそう言いながら輝夜の家の中をジロジロ見回した。まるで家宅捜索でもされているかのように隅々まで確認している。
彼は東京の『少女人身売買オークション事件』の捜査をしていると言い輝夜の元を訪ねてきた。
輝夜はもちろんその事件の被害者の一人だ。ただし記憶はない。そもそも話すことは何もない。だって知らないんだから。
「覚えていない物は仕方がないだろう。流氷会の幹部だという人の顔写真を見たところで、誰だか分からない。私を買ったというこの政治家の人の事もさっぱりだ。何時間話をしたとしても思い出さないだろう」
彼は流氷会のメンバーだという男の写真を持ってきていた。この中に見覚えがある者はいないかと言われる。
写真は警察で撮られた物のようだったので、もう捕まっていることは間違いなさそうだ。
「君の母親の事は、自分でどう考えているのですか?事件に巻き込まれた可能性があるんですが」
「私は何らかの事故に遭ったようだ。そのせいか記憶が混乱していて精神が錯乱していて、霜月以前の記憶がない。母親の事も忘れてしまった。だから何も感じない。すべての事を忘れてしまった」
殺されかけたという驚愕の体験のせいで、精神的な苦痛を味わい全ての記憶を失った事にしているんだから、それで押し通すしかない。
石上は深くため息をついた。
もう一時間ほど彼と話をしているが、輝夜は覚えていないの一点張りでらちが明かない。彼もいい加減うんざりしているだろう。
「それでは、最後の質問になります」
やっと帰ってくれるのかと輝夜はほっとした。
「君は、かぐや姫だね。竹取翁
輝夜は彼の言葉に息をのんだ。驚きで体が床から十センチほど跳ね上がってしまったかもしれない。
何故知っているんだ。
鋭い視線を走らせた石上の表情は、その後やはりそうだったかという安堵のそれに変わっていく。
「気が付いているかもしれないけれど、俺は君よりずいぶん先に死んだ。そう中納言石上麿呂足だ。無理難題を吹っ掛けられて、籠から落ちて、最後はあっけなく、いとも簡単に命を落としてしまった情けない男だ」
石上は皮肉な笑い声と共に右の眉を上げた。
この男にも前世の記憶があるのか……
「覚えているよね?」
短い一言に、努めて感情を消そうとしている様子を輝夜は嗅ぎとる。
輝夜は頷く事もできずに、ただ石上の話を聞くしかなかった。
「この世界に自分が転生した時、僕はすでに警察官だった。事件の捜査にあたっている最中にビルから落下して俺は大けがを負ったらしい」
輝夜は黙って聞いていた。
「そ数日間生死をさまよって、気が付いた時には人格が入れ替わっていた。平安の世にいた俺が何故か令和の警察官になっていた。自分は別の世界から来たと主張したとて、現実は変わらなかった。ただ気がふれた可怪しい男だと思われただけだった」
「ほう……」
「元の時代に帰りたいと願おうが叶わない。ここで生きて行くしかない。他の選択肢はなかった」
彼の言葉は、自分も同じ経験をしているので輝夜には理解ができた。
話の先を促す。
「ある日、僕の前に倉津と名乗る爺さんが現れた。彼は前世で俺に子安貝の取り方を伝授した爺さんだった。現世の彼は町の大衆食堂で働くただの爺さんだったが、僕には彼が倉津麻呂だということが分かった。きっと彼も転生したんだと思った。しかし彼には前世の記憶がなかった」
輝夜は頷いた。
「不思議なものだな。運命のようなものだろうか、私の前にも次々と前世で会ったことのある人物が現れる。しかし前世の記憶がある者はいなかった」
「この世界に来てから、竹取物語を読んだ。前世で俺が死んでしまった後、君はどうしたのか気になっていたからね。君が月からやって来た月の都人で、また月に帰らなければならない事、故に当時誰とも結婚ができなかった事。全ての謎が解けたよ」
「そうだ。私は誰とも結ばれることはなかった」
物語として読まれている物を解読する人間たちは、皆誰も救われない哀しい物語だという感想を持つだろうと輝夜は感じた。
けれど、輝夜としては自分はそれなりに楽しい日々を送ったと思っている。
天上の月の世界、それは素晴らしいものだったが、翁や媼、貴族たちや帝との出会いは何事にも代えられぬかけがえのない思い出となった。
「記憶を持つ者と持たない者、違いは何だと思う?それは前世で
石上が無念のうちに死んだとすれば、その責任の一端は自分にある。しかし輝夜にはどうすることもできない。
開き直ることにした。
「というも、それが何だというのか。最後までやり遂げられなかった無念が、私たちの記憶を残したままこの世界に蘇らせたというのだな。……だからといって石上は不満があるのか?この時代の日本も生活してみるとなかなか面白いものではないか」
石上は輝夜の言葉にいらだった様子で、眉間にシワを寄せた。
「千年もの時を経て、僕はこの世界でかぐや姫と再会したんだ」
「なるほど……して、貴殿の望みは何だ」
輝夜は立ち上がり、石上の傍まで行くと彼に立ち上がるように促した。
前世の記憶がある者とない者が混在している。
しかし、だから何だというのだ。
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