春はデストラクション

闇雲ねね

ネガティブによってポジティブは即死する

 私たち女同士は愚痴を聞かせ合いながらギブアンドテイクでサバイバルしている。ポテンシャルとしての性差をあれこれ言うつもりはないのだが、社会的に、どうでもいい会話の能力がものすごい問われると思っている。傍目からだと女同士のコミュニケーションは一見、レゲエである。裏打ちの横揺れ。ギスギス感のない南国感。ヤシの木。それがどうだろう。当事者はジャズセッションなのだ。相手がどう来るか考えながら、相手の技量を図りながら、こちらの打つ手を考える。人数が増えるほどにジャズ感は増す。上手い奴が場を支配する。下手な奴は平伏する。地獄のフリージャズ。観客はいない。調和を乱す演奏を続ける者は許されない。許したふりはされても、素っ気なく対応される。あいつとは演奏したくない。根っこで認められることは生涯なくなる。苦手の烙印は拭いても消えない。上書きされた「大丈夫」も、こすっていれば苦手がまた顔を出す。こいつやっぱ駄目だな、となる。

 女同士は、面白い面白くないよりも共感できる共感できないのほうが大事である。共感できる面白くない奴は害がなく敵でないため、気を遣いすぎなくて済む。平和か、もしくは無。だが共感できない奴は速攻、敵扱いである。たとえ能力があろうと邪魔なのである。テリトリーの外にいる奴。こちらの気遣いも伝わらないし、相手の気遣いも理解できない。あの人ってずれてる、と噂するのである。

「ずれてるのはお姉ちゃんのほうだよ。」

 妹が私に話しかける。

「お姉ちゃん、そんなことを分かったふうにネットに偉そうに書き連ねているけど、友達全然いないじゃない。」

「違うよ。友達を作ろうとしていないだけだもん……。」

「作ろうとしていない割には、人が仲良さそうにしているのを羨ましそうに眺めているよね?芸人のコンビ仲だって仲良いのが大好きだし。やおい?面白い面白くないより、二人が可愛いか可愛くないかで見ているよね?それなのにお笑いについて偉そうに語ったりして。顔ファンと変わらない。一言言っていい?ださい。」

「芸人たちのホモソーシャルが愛おしいのであって……。」

「ホモソーシャルだろうとお姉ちゃんの見方はやおい。結局お姉ちゃんの論じたつもりのことって実感が全く伴ってないの。バラエティ番組なんかで他人だけのショーを第三者目線で俯瞰して、ああだこうだと分かったつもりでいるだけ。何かの采配者にでもなったつもり?お姉ちゃん、家でいつもうじうじぐだぐだして、そもそも気持ちが悪い。」

「そんな辛辣に言わなくたっていいじゃない。傷ついた……。」

「傷ついたなんて被害者ぶって、嫌だ嫌だ。私がどれだけお姉ちゃんのサンドバッグにされてきたかお姉ちゃんは知らないでしょう。幼い頃から姉妹というだけで、姉の立場からあらゆるものを押しつけてこられた。私のことをわがままだって仕立てあげて。自分は優等生ぶって。お姉ちゃんがただ歳上ってだけで優秀でも聖人でもないことを私はとっくの昔に気付いている。私、仕返しにお姉ちゃんの見えないところでお姉ちゃんを傷つけてやるって決めて、鈍感なお姉ちゃんが気付かないように、お姉ちゃんが嫌われるように周りを巻き込んでそう仕向けていたの。性悪な姉を持った健気な妹として振る舞って。」

「うるさいうるさい!もう、消えてしまえ!」

 妹は消えた。

「お姉ちゃん、気にしなくていいよ。」

 弟が現れた。

「お姉ちゃんのそういう分析力や洞察力、僕は好きだよ。僕は昔からお姉ちゃんに憧れていた。学級委員だとか生徒会だとかして、しっかり者で自慢の姉だったよ。頭が良くて優しくて、いつでも僕の味方でいてくれた。分からないこともすぐ教えてくれた。分からなくても親身に励ましてくれた。つらいことがあっても迷わず慰めてくれた。」

 弟はそう言って私を抱き締める。

「自信を持ってよ。お姉ちゃんはお姉ちゃんとして生きていけばいいんだから。その良さを見ていてくれる人がいるから。お姉ちゃん、CoCo壱のカレーが好きだよね?CoCo壱のカレーってどんなトッピングとも調和する、実は本当に優れたカレーなんだ。引き立て役にもなれるし、自分が表に出ることだってできる。場を読む天才。お姉ちゃんはそんなCoCo壱のカレーの良さに気付いている。バラエティ番組で言うと、笑っていいとものタモリみたいな役割なんだ。いつもいつも目立たなくてもいい、でもいなきゃいけない立ち回りと空気づくりができて、誰とマンツーマンでトークしても間がもつ。地味に見えてもタモリがいなきゃいいともじゃなくなる。そんなCoCo壱やタモリが、僕もお姉ちゃんも好きだよね。」

 私が弟の胸にそっと涙を落とすと弟は消えた。タモリみたいなお祖父ちゃんが私は欲しかった。今でも欲しい。いつでもそばにいたくて、何かあるとすぐ話を聞いてほしくて。タモリはうんうんと頷いて、さっと話題を切り上げるだろう。そして関係のない話をつぶやく。私に投げかけるでもなく。その距離感が最高に心地よいだろうと思う。

 私は何をしたくて生きているのだろう。人生のレールからはみ出すことを昔は恐れていた。優等生として扱われて、特別扱いに慣れていた。神童も大抵は並の人間。本人は神童だなんて自称していないのに、周りが勝手に囃し立てて、後の本人の普通を、あたかも落ちぶれたかのように他人が話すようになる。勝手なものだ。私は元から大した人間ではなかった。将来は東大だ医者だ弁護士だと好きに言われて、高給取りでない夢を持つことを奪われた。好きなものを好きと胸を張れたら良かった。私は何かになれる人間だったのだろうか。それさえも今は分からない。お前は賢い奴だと父が言った。あなたは優しい子だと母が言った。嘘だ。それならこの鬱屈とした暮らしはなんだ。騙したな。騙したな。

 私は部屋を出て、妹の背中に包丁を突き立てる。

「なんで。なんで……。」

 妹が精一杯痛がる。耳をつんざく悲鳴を上げる。それでも腕が痛くなるほどの力で何度もぶっ刺す。返り血を全身に浴びる。あびる優。妹はすでに何の言葉も発さなくなっていた。寒い冗談も貶さない。だからまだぶっ刺す。

 この家には私しかいない。父の煙草を拝借して、窓を開けて一服する。血と死体と叫び声で塗れたベッドを眺めながら、思案する。そこには涙も安堵もなく、生命が一つ途切れただけ。

 夫婦の痴話喧嘩が聞こえる。うちの両親は仲が良好だったので、つがいの喧嘩を聞くとぎょっとする。好きな人と好きでい合えることが当たり前じゃないと知った。続ける努力も無いとは言わないが、結局は誰と出会うかという運だ。好きでい合える人だから平和に暮らせるだけの話。喧嘩が多いのはそういう相性の相手を選んだから。喧嘩が好きならそれでも良いけれど、喧嘩が多い人との喧嘩を無くす方法は我慢するほかない。お互いに我慢できれば続けられても、どちらか一方の我慢が続けばそのうち爆発するだろう。

 アルバイトに行く時間が近付いた。煙草を吸い終え窓を閉めた。いつものバッグを手に取り身支度をする。冷蔵庫のなかの無糖のコーヒーを胃に流し込む。コーヒーを飲むと口の中が酸っぱくなるように感じる。こんなのはただの眠気覚ましだ。カフェインの錠剤を飲んでいたこともあったが、不眠症が悪化したので飲むのを止めた。胃も荒れたし気も病んだ。

 昔のスーパーマリオが怖い。チープな絵と動きと音。敵に触れると簡単に死んでしまう。あっけない命。あっけなくゲームオーバー。それでも助けたいピーチ姫。あいつそんないい女かよ。クッパもクッパで見る目がない。そこらへんの女でも、いい女いくらでもいるだろう。人間だからいいのか?そういえば人間とカメって結ばれていいのか?

 携帯が鳴った。借金返済の催促だ。半年前の私は男と二人で暮らしていた。身の丈に合わない2LDK。私が家賃を出していた。光熱費は相手持ちだったけれど家賃の負担額にはもちろん及ばない。私は家政婦のような女だったのだ。朝は男より早く起き、二人の朝食と弁当を用意した。フルタイムで働いて、夜は男より早く帰って二人の夕食を用意した。私は奴隷だった。金を稼ぐタイプの奴隷だった。阿呆らしい。しかも振られた。何が不満だったのか。でも好きだった。奴隷なのに好きだった。私もこんなふうに男に恋をして、愛を育めるのだと思った。ジェットコースターのような恋愛をした。好きで好きでたまらなかった。でも振られた。もう好きじゃなくなったと言われて、かつて永遠を約束したのは嘘になった。約束した当時は本音でも、気が変われば仕方がない。

 借金催促の電話はその男からではもちろんない。むしろ私が返済を催促したいくらいだ。わがままな男とはもう付き合えない。私と噛み合う男と出会えるかは分からない。お互いのわがままが自然と無理なく受けとめ合えるような相手が理想だ。どちらかが相手に合わせないといけない暮らしはそのうち破綻する。目が覚めて、目が覚めたほうが振る。振り出しに戻る。恋愛の道は険しい。別れませんかという提案ではなかった。別れてくださいという懇願だった。拒否という選択肢は与えられていなかった。その日の朝も朝食と弁当を用意した。メールで別れを告げられた。何も考えられずに家へ帰った。夕食を二人分用意した。その日は男は帰ってこなかった。翌日も帰ってこなかった。翌々日も帰ってこなかった。翌々々日には帰ってきたが、よそよそしく話すばかりだった。もう恋人同士ではなくなったことを胸の奥に突き立てられた。部屋の契約は私名義だった。私一人で暮らすには広すぎた。解約日まで、男は帰ってきたり帰ってこなかったりした。同棲ではなく同居になっていた。他人以上友達未満の同居だった。一人のときには個人部屋のベッドで声をあげて泣いた。泣いても泣いても涙は溢れ出た。こんなにも好きだったことが、つらく悲しかった。どうしようもないだけに泣くしかなかった。涙がいつか枯れることを願いながら。

 自分勝手な人間はいつか痛い目に遭う。そう思いながら私は人にやさしく接しているつもりだ。

「でもお姉ちゃん人にやさしくないよね。」

 知った口を聞くな。お前よりはましだ。お前なんて人に良い格好しているだけの偽善者じゃないか。また殺してやろうか。そんな口利いたことを後悔させるくらい、もっといたぶって苦しめて。腹が立つ。腹が立つ。

 私は部屋にいる。母がガシャンとお盆を部屋の前に置く。晩ごはんの合図。母の足音が遠ざかった、そっと部屋の扉を開けて、お盆を取る。テレビでマツコ・デラックスがガハハと笑っている。タモリが引退したら後釜はマツコだなと確信している。趣味の幅広さと知性、MCとしての独自の空気感。的を射る洞察力と説得力。率直でも、相手を傷つけない思いやりとフォロー。

 誰かを傷付けたくて傷付ける人はそう多くない。許せないから傷付けてしまう。伝えたいけどうまく言えない。誰しも自分基準の正しさを持っている。それに従ったり、たまに、はみ出したり。気持ちに余裕があれば好きと言えても、余裕がないと嫌いなところが刺激する。やっぱり嫌いだと素直に言える。嫌いな奴とも付き合わなきゃいけない。社会は人と人で成り立つことしかできない不完全で不健康なものだから、私は社会で暮らすことに致命的に向いていない。社会に生まれついてしまったことが怖くて悲しくて、私は産声をあげた。生きていて、喜べたことも少しはあったけれど苦しみにすぐに消された。魔法使いになりたかった。恐怖も煮え切らなさも無くせる快適な魔法を使って、社会から逃げたい。

「人生だって夢みたいなものだよ。君が生きていられるのなんて長い長いうちの、ほんの一瞬。そのくらい我慢できない君じゃないだろう。苦しむために生まれているとしても、生み出せるものがあるから生まれついた。僕はそう思い込むことにしているんだ。」

「強い。きみは強いね。私はそんなふうに自分を騙せない。死ぬまで抜け出せない迷路をずっと手探りで解いているみたい。仲間と出会えても仲間はいつの間にか先へ行く。いなくなる。私だけが袋小路にぶち当たる。めそめそしているのを周りは笑う。嫌いだ。嫌いだ。嫌いな奴はいなくなればいい。嫌いな奴ほど私につっかかる。」

「難儀だね。」

 そう言って少年は消えた。

 雨が降り続く。雨に全てが流れ落とされれば良いのに。私がしてきたこと、私がされてきたこと。私がしたかったこと、させてもらえなかったこと。しとしとと、ときにザーザーと空から零れ落ちる。あんなふうに居なくなれたらと雨を羨ましく思う。

 マクドナルドはおもちゃみたいな味がすると思っている。ハンバーガーを広めた存在ではあるけれど、地位を落とした存在でもあると思う。ハンバーガーは本来もっと美味しいものであるはずで、ハンバーグが挟まっているのだからご馳走であるはずだ。食材の美味しさも全てマクドナルド味にしてしまう豪快な手腕には脱帽だ。どんなハンバーガーを頼んでも、それが牛でも豚でも鶏でも、マクドナルド味になる。でもあのポテトは何とも中毒性があっておいしい。やめられない止まらない、マクドのポテト。かっぱえびせんはまずい。やめられないどころか一本もいらない。あの菓子誰が食うんだと昔から感じている。とはいえまだ生産が続いているから買う人がいるんだろう。味覚は様々だ。そんな奴らとはたぶん気が合わない。

 涙の数だけ強くなれるよ。ラジオから聞こえてくる。アスファルトに咲く花のように。は?強くなっても仕方がなくないか?みんな強くなりたいか?強くよりも幸せになりてぇだろ。幸せなほど涙を流すか?んなわけねぇよ。偽善の歌は嫌いだ。歌って気持ちいいのは本人と子供だけ。笑わせんな。

 べろべろばー。べろべろばー。知っている行為なのに、べろべろばーをしたことのある人はおそらく少ない。私があやされる子供なら無表情を貫くし、力士なら張り倒す。

 マッシブアタックの四枚目は今聴き直すと名盤だなと思う。イージーリスニングのような爽やかなエレクトロ。そういえばプロディジーの三枚目やダフトパンクの三枚目も、当時の評判は微妙でも今聴くとパンキッシュで面白い。名盤と言われてきた彼らの他のアルバムのほうが風化している。自分の耳を目を信用せねば。

 私も妹のあとを追おうかと思い立つ。ただひたすら死にたくなった。誰とも会いたくなくなった。生きて疎まれるなら死んで悲しまれたくなった。でも悲しまれているところは私は知れない。夢のなかで目覚めることなく無意識の海へ還る。誰宛てでもないメモを手のひらに書き残す。「これが唯一の安らぎ」。笑い合える誰かがずっといたら死なずに済んだだろうか。吐き気がする。あてもなく生きていたい。あてもなく暮らしてみたい。ただ気持ちよく漂って。

 また朝がきた。カーテンの外は驚くほどの晴天で、私は泣きたくなった。窓を閉めた部屋で深呼吸をしても、吸い込めるのは自らが吐いた二酸化炭素だけ。自吸自足。子供のように地団駄を踏んで、朝から人生を悔やんだ。母の声が聞こえてくる。

「九十五点。ふーん。」

 私の答案を不満げに眺めて言う。百点でないと母は喜ばない。私はテストの点数なんて何点だろうと良いのに。そのときだけの結果でしかないのに。誰のためのテストだ。誰のための学校生活だ。私のための学校生活だろ?むかつくむかつくむかつく。許せない。許せない。許せない。

「あんた馬鹿ぁ?自分にご褒美でもあげたらいいのよ。いーっつも辛気臭い顔しちゃってさ。」

 たしかにそうだ。自分のために贅沢をするのが下手なところがある。もったいないだとか言って。結局あとで爆発してバイトも休んでしまう。贅沢できずに病み負ける。遊びにお金を遣うぶん余計に働いて稼ぐような生き方は、私にはできない。それならのんびり慎ましく暮らしたい。

「慎ましく暮らしているわりには文句ばっかりね。」 

 たしかにそうだ。慎ましくない。受け入れられていない。愚痴愚痴こんなところでうるさくしている。ケセラセラとかテイクイットイージーとか、けらけら笑ってそんな言葉を指針にできるほど強くない。

 嫌なことに飲まれていく。嫌なことばかりで辟易する。嫌なことは何でこんなにうるさくて、私を追い詰めるんだろう。放っておいてほしいのに。私は私のことをしたいだけ。邪魔をしないで。怖がらせないで。生きるのが嫌になる。一時のポジティブは、持ち前のネガティブによって即死する。一度きりの人生だから明るく生きようなんて、そんな言葉通りにすぐできたら苦労しない。ネガティブな人間だって明るく生きたいし、それに越したことはないことくらい知っている。明るく生きるための方法を見つけたいのに。無責任な励ましはただのマウントで、ポジティブな自己PR。ポジティブな私すごいでしょ、でしかない。私の立場になんて全く立っていない。やさしくなんてない。騙されないぞ、私は。お前みたいな奴が一番嫌いなんだから。

 春はみんなおかしい。春は変なやつばかりで、意地悪で余裕がなくて、自分ばかり大変だと皆が感じている。だから私は春が憂鬱だ。

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春はデストラクション 闇雲ねね @nee839m

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