バンドウェンゴ歌劇座の新演目
久しぶりの実家で夕食までゆっくりするつもりだ。
ここのところ寮では気遣いと哀れみの視線が面倒だったので、昼食後はのびのびゴロゴロする。
ガチガチの貴族服を脱ぎ捨て、ニーナによって部屋着に着替えさせられる。
兄の部屋から拝借した三年生の教本を、ベッドにゴロゴロしながら眺めていると、ニーナが私を呼びに来る。
「お嬢様、アシュリー様がいらっしゃいましたよ?」
「あら、何かしら」
部屋に通してニーナにお茶を頼むと、兄は紙の束を持ってやってきた。
「やあ、可愛い私のリリー。今日はご機嫌な様子だね」
「わたくしはいつもご機嫌ですよ」
そんな軽口を交わしながら、兄の手に握られた紙の束に目をやる。すると、兄はにやりと笑ってそれを差し出した。
「バントウェンゴ歌劇座の次の演目の脚本でね」
「……お兄様ほんとうにお忙しくしていらっしゃいますね」
「なかなか面白くてね。舞台で役者が動く様を考えながら台詞をいじるのも」
「まあ、頑張りすぎて倒れないでくださいね。お義姉様の心労となればお腹の赤ちゃんに悪い影響がございます」
ティファニーお義姉様はもういつ生まれてもおかしくない時期に入っている。
「そうだね、ティファニーに心配をかけないようにするよ。それで、今の演目はもう公開が始まっているんだが、次の演目をこれにしようかと考えていてね。リリアンヌにも見てもらいたいんだ」
「わたくしですか?」
「そう。平民が王子と恋に落ちる話さ。成り上がりストーリーだよ」
「それは、先日私が話していた……?」
「シュワダー・レフサーのアレンジが入っているけどね」
「わかりました。後で読んでおきます」
「いや、ざっとでいいから今読んでくれるかな? リリアンヌは今夜学園に帰るんだろう?」
それだけ急かせる何かがあるのだろう。
私は言われるままにページをめくった。
別荘に行った先で落石のせいで怪我をした王子。平民の少女が倒れている彼を見つけて手厚く看病する。頭を打ったせいでしばらく記憶が混濁していたが、やがて傷が治る頃には記憶も戻り、王子の生存を知った王が騎士を迎えに行かせ、少女に手厚い礼をして二人は別れた。
だが、彼女のことが気になる王子はこっそり逢いに行くが、そこにはもう彼女の姿はなかった。
そんな二人が再会したのは王子の婚約者、公爵令嬢主催のパーティーでのことだった。なんと少女はパーティーで男爵令嬢として紹介されたのだ。
この男爵は、少女が王子と恋仲になっているのを感じ取り、平民の彼女を実は自分の子だと偽り引き取った。最低限のしつけをしてこのパーティーへ望んだのだ。
離れていた間に思いを断ち切れていなかった王子の心は燃え上がる。
男爵は少女を利用してやろうとしていたが、それにより王子の立場が危うくなるのを恐れた少女は、逃げ出してしまおうとする。
そこへ、少女に逢いたい一心で彼女の屋敷にこっそり来ていた王子と出くわしてしまう。 お互いの想いの強さに、どうにもならないとなった王子は、彼女に正式に告白した。
そうして二人は逢瀬を重ねていく。
それに我慢ならないのは公爵令嬢。だが、やがては二人の愛の強さに自ら身を引くのだ。 男爵はいつの間にか成敗されていた。
「お兄様、男爵の始末の仕方が雑です」
「いいんだよ! あんまりみんなそういったことは気にしていない」
「まあそうですけど……」
「現実と小説は別物なんだよ、リリー。で、どうだい? この劇のポイントは、平民の少女が男爵に利用されるために引き取られた偽りの貴族だってことだね」
そう、この脚本やたらと、元平民のくせに! 本当の子かも怪しいではないか! が繰り返し唱えられる。
「公爵令嬢が最初は嫌な役回りだけど、まあ、彼女のその態度は当たり前のことだし、やがては二人にほだされて譲るというところが嫌われないと思うんだけどどうだろう」
「そう、ですわね。さらっと読んだ感じだと、公爵令嬢はとても良い人に映ります。彼女が嫌がらせをするときの感情もしっかり描かれていて、同情が集まっていますし……いつ頃公開なのですか?」
「今の演目がもうすぐ終わるからね、稽古に半月だそうだよ」
良い時期に思える。
「ことの流れによっては公開時期を遅らせることもできますか?」
「うーん、やれて一週間かな。まあ、引っ張って一ヶ月か」
「こちらが上手くいくかはわからないので、上手くいかなかったら普通にやっていただいて構いません。あと、公演の最後に少し話して欲しいことがあるんですけど、それはまたお知らせします。お願いですから絶対にというわけではございませんし」
「行動を起こす前に言って欲しいんだけどなあ~」
「正直、今の学園は次の日どんなことになっているかわからないのですよ」
「ああ、アーランデのお姫様ね。あれ、実はさ、オズモンド殿下の次の嫁候補に挙がってたんだよ」
ああああああああああああああ!!!!
そういうことか!!!! 全部自分が蒔いた種だ! 時を遡る前は、オズモンド殿下に、そんな話が挙がっていたときいていた。それが、殿下にきちんと婚約者ができあがったことでイレギュラーなジュマーナが登場したのだ。
全部自分のせいだ!!!
正直男子学生からのお誘いが鬱陶しくて面倒だったが、全部、全部自分のやったツケが回ってきた。
「フィニアス様の従姉妹だとか」
「そうそう。……気になる?」
「……気にならないと言ったら嘘になります」
「俺の知っている範囲だと」
ジュマーナは現王の五人目の妃の長女で、瞳の赤が発現したことから継承権持ちとなった。アーランデは魔力量と瞳の色が継承権の重要な要因になり、性別は関係ないのだ。他の四人の妃にはそれぞれ一人ずつ男児がいるが、第一妃の男児は魔力量も赤目も継げなかった。現在次期王最有力候補は第二妃の息子。目の色も魔力量も問題ない。そして第四妃の息子もいる。
だが、近年この赤目は本当に必要なのかという論争も繰り広げられており、さらに第三妃、第五妃の親が国で絶大な権力を振るっており、王族と同じくらいの力があると言われていた。
「フィニアス様は、あちらでの王位継承権のいざこざが嫌で留学してらっしゃるんだよ。それはこちらに来る際、内々に王に告げられていた」
だが、それだけでは不安だったのが第二第四妃だ。どちらかが新年の毒殺未遂に関わっていると言われている。フィニアスを亡き者にすれば、とりあえずは安心だと思っているらしい。さらに、今回のジュマーナの件がフィニアス毒殺未遂に踏み切るきっかけを与えていたという。
「アーランデは女性でも王になれる。ジュマーナ様を新国王として、その伴侶にフィニアスを据えれば、第三妃、第五妃の家門はアーランデにおいて敵なしの状態になるんだ。ジュマーナ様がこちらへ来たのは、フィニアス様を連れ戻すため、だろうな」
「王家の争いに巻き込まれるのはごめんですわね」
「リリー……感想がそれなの~?」
「スカーレット様周りだけでも忙しいというのに! あ、でも、なんか前に婚約状態だったけど今はそうじゃないみたいなことを言ってらっしゃいましたが、そこら辺はどうなのでしょうね」
「どうなんだろうな……国には、単に、ジュマーナ様も留学し、見識を広めたいから一年ほどお願いするとの打診があり、男性のフィニアスと違って身の回りのことはさすがに女性に手伝ってもらわねばならないからと特別な許可を求められたそうだ」
「特別すぎて問題視されていますね」
「だが、他国のお姫様だからなあ。貸しとしているし、あまりに目に付くようならアーランデ国から注意をしてもらうとは話しているそうだよ」
そして、寮へ戻ると、恐ろしい事態となっておりました。
寮に入ってすぐの談話室は待ち合わせや自由な会話の場としていつも開かれている。
そこに、ギルベルト殿下、マーガレットに加え、フィニアス、ジュマーナがその取り巻きを携え会話に花を咲かせていたのだ。扉が開かれている上に、入ってすぐのテーブルを陣取っているので丸見えだ。
私の姿を見つけたフィニアスが席を立とうとするが、ジュマーナに阻止される。私は軽く頭を下げて自室へ向かう。
部屋にはアンジェラと、元マーガレットの取り巻きのキャロラインだ。
「おかえりリリアンヌ」
「おかえりなさい」
「ただいま帰りました。早く、制服に着替えたい! 失礼いたしますね」
ドレスはやっぱり重くて大変だ。実習の時の服装の方がまだましである。
「談話室見た~?」
「ええ、見せびらかしてらっしゃいましたからね。嫌でも目に入りました」
「今日の昼頃からマーガレットとお姫様が意気投合してあの有様よ」
「マーガレットさんは、昨日まではあのようなことはおっしゃっていなかったので、ジュマーナ様側からですわね」
「そうですか……正直あそこがタッグを組むメリットが思いつかないのですが」
三人でしばしうなる。
「まあ、また何かあれば教えていただけると助かります」
「ええ、クロフォード子爵様にはお世話になっておりますから、是非また」
そう言ってキャロラインは立ち上がると、アンジェラが廊下に人影のないことを確認してから出て行った。
「神殿はどうだったの?」
「うーん、ちょっとこの後どうなるかわからないからなんとも」
石鹸配りと周知は夏期休暇辺りからやり始めるのかと思っていたが、あの言い方だと来週からも取り組みそうな勢いだ。今は四月が始まったばかり。少し早い気もするが、あそこまで言われて始めないわけにもいかないだろう。
まさか、口約束だからと放り出すこともあるまい。
問題はマーガレットがいつから手伝うか、だ。是非早めに行っていただきたい。
普段から陽の日は神殿に通うよう決められていたが、今日は私たちが呼び出されたからか、ずっと寮にいたようだった。
「リリアンヌ! 課題で聞きたいことがあるんだけど~」
「たまには自分でやらないと、次の試験困るんじゃない?」
「ヤマを張ってください。主席様」
「張ってもわからないんじゃ意味がないでしょう」
そう言いながら私はアンジェラに差し出された数枚の紙を眺める。
「そういえば、もうすぐ野営実習あるでしょう。ほんと、何のためにあるのかわからないけど……騎士になるわけでもなし?」
「あれの組み分けはクラスごとだったよね、どうなるんだろうなぁ……アンジェラは不参加でしょう?」
実習系は参加不参加自由だ。
「そのつもりだったんだけど~、クリフォードさんいるし、マーガレットさんいるし、イライジャさんまで。ちょっと面白そうだと思わない? ジュマーナ様はBクラスだし、きっと参加しないでしょう。さすがにあそこに側仕えは連れて行けない。テント張ったり、自炊したりできるはずがない。お姫様がいなければ面倒なことはなさそうだし~?」
ちなみに前回マーガレットは別の班なのにAクラスのところにやってきていた。それをギルベルト殿下が許容した。確かここら辺から二人の仲が急速に深まった気がする。前回とは大違いだ。
「とにかく楽しそうなのよ」
アンジェラの面倒くささが、野次馬根性に負けた瞬間だった。
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