楽しいデートから一転
お約束の陽の日。
フィニアスはとてもご機嫌で、反対にイライジャはげっそりしていた。
「まずは観劇。この間とは別の演目らしいよ。かなり前の方の席を取ってくれたようだ」
「それは楽しみですね」
収穫祭の時と同じ装いだが、私の髪飾りはあの日フィニアスが買ってくれたものだ。
収穫祭の日は学園から大勢の令息令嬢がなだれ込んでいくので、手袋をしていてもさほど問題なかった。今日はさすがに目立つかなとおもったが、街を見渡せば手袋をしている男女がたくさんいる。
ただ歩き方などから平民だとは思う。
「どうしたの? どこか行きたいところでも?」
キョロキョロとしている私を、フィニアスが覗き込む。
「いえ、わりと手袋をしている人が多いのだなと思いまして」
「ああ。なんかね、貴族の真似らしいよ。流行り」
そんな流行り、流行らせてどうするのだろう?
「そうやって流行らせておけば、学園からの生徒がお忍びで来ても多少は紛れ込めるだろ?」
ああ。そのために流行らせているのか。
今回の席は舞台がかなり近くて、臨場感がさらに増して面白かった。ボックス席と違って、周囲の観客と一喜一憂する感情が一体となるのが初めての感覚だ。特に平民だからこそ、感情をそのまま露わにするからだろう。
まあ、私たちの両隣は明らかに観劇を楽しみに来た者ではなかったが。
その後は平民が少し奮発して行くくらいのランチをして、宝飾品の店にやってきた。
「普段遣いの髪飾りを贈らせて」
「もういただきましたけど」
髪留めをそっと触る。
「もう一つくらいいいだろう?」
そんな私たちのやりとりに、髪色に合うものを奥から集めてくる。
「石の色は空色で良いですね?」
聞く前から並んでいる。
「髪色を考えると、金より銀や白金あたりのものが良いかと」
「私もこれか、ここら辺が似合うかなって思う」
空色の石が使われた、綺麗な髪留めだった。
「今の髪型にも合いますね」
サイドを編み込んで後ろでまとめている。確かにそこへつけたらさぞかしかわいいだろう。
あまり断ってはいけないが、貰ってしまえばもう決定的のような気がするのだ。
「わたくし、条件は出しましたよ?」
「色々と考えてはいる」
ふうっと短く息を吐くと、右の髪飾りを選んだ。
「お包みしますか? それとも付けていかれますか?」
「私がつける」
フィニアスが髪飾りを受け取り髪に触れる。
「いいね、素敵だ」
「よくお似合いです」
そうやって、誰の目から見ても、私たちはそうだと決定づけられたように思えた。
イライジャがぐったりしてはいたが、街を散策し、無事寮へと戻ることができた。帰りはもう隠す気もないのか、
「イライジャ?」
フィニアスから呼びかけられる前に離れた場所にいたはずのイライジャが私たちの前方に立つ。
やがてこちらの姿に気付いたのか人混みが綺麗に割れる。その先にいた女性が振り返ると、満面の笑みをこぼし駆け出す。
腰まである艶やかな黒髪。血を吸い込んだかのような赤い目。真っ白な肌とはすべてが対照的なその造形はとても美しかった。
「フィニアス様!」
華奢な細い身体が驚くほどのスピードで距離を詰め、フィニアスの胸に飛び込む。空色のドレスの裾がふんわりと舞う。
「ジュマーナ!?」
「フィニアス様、やっとお会いできました」
目尻に涙を溜めて、ジュマーナと呼ばれた彼女はフィニアスに身体を寄せる。
「可愛いわたくしを置き去りにして他国へ留学なんて、酷いです」
とうとう、涙がひと筋こぼれ落ちる。
その姿は、スカーレット様を見慣れている私でも心奪われる光景だった。
「やめなさいジュマーナ。離れるんだ」
「なぜです? せっかくお会いできたのに」
「未婚の女性が男性に対してしていいことではない」
「わたくしとフィニアス様の間柄でも?」
「君と私は親族であるという関係でしかない。行こうリリアンヌ嬢。部屋まで送らねば」
なんだかとても、とても――。
「寮の入り口はもうそこですし構いませんよ」
笑顔でそう言うと、フィニアスは目を見張って首を振る。
「駄目だ。送る。イライジャ、ジュマーナを」
「ジュマーナ様。お下がりください」
フィニアスは彼女を押しやり、素早くイライジャがその間に身を滑り込ませる。
「行こう、リリアンヌ」
突然の呼び捨てに、ピクリ肩が震える。フィニアスは手を私の腕に添えて先へ促す。
「おどきなさい、イライジャ!」
「申し訳ございません。今はフィニアス様の命で動いております」
手は出さず器用に身体だけでその進路を妨害していた。近づこうにも近づけない苛立ちに、アーランデの公用語で吐き捨てる。
『なんなのあの醜い赤髪の女は』
私がその言葉に反応するよりも先に、怒気をはらんだフィニアスの低い声が響く。
『彼女を侮辱することは許さない』
私よりずっと背の高い彼を見ると、空色の瞳に朱が混じっている。
ジュマーナはそれを見て私に敵意のこもった目を向けた。
拓かれた人の道をさらに強い力で押されて進む。
途中、頭を垂れた妙齢の女性の前に来ると歩を止めた。
『早く連れ帰れ。迷惑だ。学園の作法も知らぬアレがいていい場所ではない』
『王からの許しが出ましたので』
フィニアスが舌打ちをした。
『俺に関わるな。この人数は邪魔だし、側仕えはつけられない。アレにここでの暮らしは無理だ』
『ここの国王が側仕え二人を許しました』
「はっ!? ……もういい。俺に、いや、リリアンヌに関わるな」
そして三度促される。
寮に入ると外の騒ぎに生徒たちも必要以上にエントランスにうろついていた。
「ごめんね、リリアンヌ嬢。騒ぎに巻き込んで」
「……婚約者の方ですか?」
私の言葉にフィニアスは全力で首を振った。
「違う。それは絶対にない。アレは従姉妹だ。一時期はそういった話もあったが、今はまったくなくなっている。何のつもりで来たのかはわからないが、余計なことはさせないよう努力する」
私はそれに対してなんと返答するのが最適なのかわからずに曖昧に笑う。
「今日はありがとうございました」
「リリアンヌ、本当に、ジュマーナとはなんでもないんだ」
「気にしておりませんので大丈夫です」
「リリアンヌ……」
「呼び捨てを許したつもりはありません」
思ったよりも冷たい口調に自分自身が驚く。もちろん、フィニアスはもっと、傷ついた顔をしていた。
「国よりも先にアレをどうにかしないといけないのか……とにかく、リリアンヌ嬢。ジュマーナのことは気にしないでくれ」
「お疲れ様でした。それでは失礼しますね」
私は軽く膝を折って挨拶するとフィニアスに背を向ける。彼はこれ以上は入って来られない。背中への痛いほどの視線を感じつつも、一度も振り返らず自分の部屋へと向かった。
色々と買い食いをしていたので、お腹が減らず、夕飯には向かわなかった。すると、食堂から帰ってきたアンジェラが、スカーレット様の言付けを持ってきた。
私は身なりを整え、スカーレット様の部屋に向かう。同室のカタリーナは自室なのか、その場にはいなかった。
「せっかくのデートが最後大変なことになってしまったわね」
「別に構いません」
「……私のところにも知らせが来たの。彼女はジュマーナ・スラヒマーン。アーランデ国のお姫様ね。フィニアス様のお母様の妹の子だそうよ。妹君も王に輿入れしてるのよ。半年遅れはしたが、これから学園で学ぶそうなんだけれど、目的ははっきりしているわね」
「父親が同じでも結婚できるのですね。婚約者になるという話があったと言ってました」
「彼の国は、私たちの常識と少し違う場所にあるからね」
ふうとため息をついて紅茶を一口飲む。私もスカーレット様が準備してくださった紅茶に口をつける。少し胸の辺りがすっとした気がした。
「食堂でもフィニアス様にべったりだったわ。さすがに目に余るのでわたくしが注意しましたけれど――」
「スカーレット様のお手を煩わせたのですか!?」
「アーランデの姫君よ? わたくしくらいしか口を出せる者はいません」
「学園内では身分はなくすべてが平等です」
「平等なら、側仕えは連れ込めないのよ。食堂にはさすがに連れてきていなかったけれど、騎士はいたわ。イライジャさんと同じように、同年代の女性だった。食堂でのことはすべて彼女にさせていたから、フィニアス様のような心持ちで入学したのではないことはよくわかるわね。陛下もいったいどんなつもりで入学させたのかしら」
あまりな態度をとるようなら、アーランデ国に力尽くでねじ込まれたと言われてしまう。
「リリアンヌはフィニアス様としっかりお話した方がいいでしょうね」
「別に話すことは何も……」
「向こうはそうは思わないでしょうけど。……素敵な髪飾りね」
口元が歪む。
「まあ少し様子を見なさい。いきなり態度を変えては彼が可哀想よ。冬休みの間にね、父にも会いに来てるのよ。とってもいい笑顔の父を前にして、まったく動じていなかったわ。一生懸命リリアンヌの情報を得ようとしてた」
「そういえば、公爵様がわたくしの個人情報をべらべらとしゃべっていたようですね」
「お父様だってそう簡単には渡さないわよ。引き出せるほどの取引をしたのではなくって? それだけ一生懸命なのよ、リリアンヌ。猶予は与えてあげるべきよ?」
かれこれ半年以上猶予を与え続けているスカーレット様にそう言われると私も頷くしかなかった。
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