観劇を一番見ていたのは侍女のニーナでした

 馬車がゆっくりと玄関先に停まる。

 街なかを走るのにちょうどいい、それほど目を引くわけでもない馬車だ。

 私は侍女のニーナが呼びに来たのでゆっくりと立ち上がった。

 フィニアスは玄関を出たところで待っている。

「お待たせいたしました」

 フィニアスは目を瞬かせると、ニコリと笑う。

「素敵ですね。濃い青もとてもお似合いです」

 ニーナの力作だ。昔から私をおめかしさせることに心血を注いでいるのだ。

 そんなフィニアスは、濃いグレーの準礼装に黒のコートを着こなしていた。

 そしてそして……我が家族からの圧に対して耐えている。

 ごめんなさいと心の中で謝る。圧が強いメンバーが揃っていて本当に申し訳ない。いつもはほんわかなお父様すら、である。

「本日はリリアンヌ嬢をエスコートすることをお許しください」

 婚約もしていないお相手は手に触れることは許されない。が、馬車への乗り降りなどでエスコートしないこともまたマナーとしてあり得ない。

「……」

 父からの許可さえ得られれば今日だけは多少は許されるのだが……。

「ち、父上?」

「お父様?」

「あなた??」

 返事してくれないと次に進めないのだが、ぐぬぬぬとでも言いそうな表情で顔を歪めていた。

 あまりにもあれなので、母からの肘打ちが入った。

「ゆる、そう……最小限だ! さいしょうげ――」

「いってらっしゃいリリアンヌ」

「楽しんでいらっしゃい」

「どんな感じだったか後で感想教えてね?」

 兄やお義姉様に口々に見送られる。

「行ってまいります」

 二人だけでボックス席はもちろん不可なので、今日はニーナも一緒に馬車に乗る。

 手を差し伸べられてそれに重ねるのは、さすがに少し緊張した。手袋をしていても、だ。



「シュワダー•レフサーの名前はあちこちで聞いていたけれど、リリアンヌ嬢もそんなに興味があるとは知らなかったよ」

「正確にはわたくしの周りのお嬢様方が、ですけれど」

 これが良ければチケットを何としてでももぎ取ってあちらこちらに配るのだ。内容によっては逆効果だと思うので先に視察が必要だなと思った次第。

「付き合わせてすみません」

「私は役得だと思っているからまったく問題ないよ?」

 まあ、フィニアスも楽しんでくれるなら良いだろう。

「髪飾り、合わせてくれたんだね」

「普段遣いしすぎると壊してしまいそうで。でも今日は暴れることはありませんからね」

 隣でニーナが素早く肘打ちしてきた。何? なんか間違ってる?

「壊れたら今度は壊れないものをプレゼントするから、普段遣いしてくれると嬉しいな……いや、スカーレット様たちと同じものだから良いのか。修理できるところを探す方がいいね」

 そう、お揃いが嬉しいので壊したくない。

 先日の素材をきちんと保管したことなどを話しているうちに、劇場についた。

 エントランスはかなり金を掛けているらしい。物売りがうろついているが、側には寄ってこない。そういったルールなのだろう。貴族相手に平民なんて塵芥に等しい。そう思っている貴族と、そう思っている平民が多い、ということだ。

 馬車から降りるときもフィニアスがエスコートしてくれる。降りるときは手を取ったが、その後は左腕を差し出されたので右手を絡める。

「チケットを拝見させていただきます」

 馬車の中でフィニアスに渡しておいたそれを彼が見せると、案内人の男性は深々とお辞儀をして私たちを先導した。

「特別観覧席には従者を連れて入ることができますが、お一人でよろしかったでしょうか?」

「ああ、彼女一人だ」

「かしこまりました。お飲み物をお持ちいたします」

 ボックス席は二階。よく見える。

「オペラグラスを準備してきたが、必要ないくらいだね」

「ほんと、とてもいい席だわ」

 ノックがして扉が開くと、案内人がお茶のワゴンを押して入ってきた。

「あちらの席からも見えますので、従者の方ももしよろしければ……」

 二人から少しだけ離れた壁際に二つ椅子が並んている。

「そうね、ニーナも座って。一時間以上はあるらしいから」

 ごゆっくりお楽しみくださいませと言葉を残して去っていき、やがて劇が始まった。

 結論から言えば、これは、絶対にクリフォードたちには見せたいものだ。何がなんでもチケットを手配し、この冬中に見てもらいたい。なんならこのボックス席を連日抑えたいくらいだ。これ、続編だぁ!!

 恋のやりとりも歌を交えおり、さらに舞台装置や衣装のきらびやかさが面白かった。まあ確かに、本物の宝石を使うわけにいかないのだろうが、偽物でも偽物なりに、腕が良いのか美しい装いなのだ。

 ニーナが夢中で食いつくように見ていて少し笑った。と、フィニアスとも目が合う。劇場内は暗いが、舞台の明るさが彼の瞳に反射していた。

 彼がそっと顔を寄せてくる。


「リリアンヌ嬢は、私の秘密を知っているよね?」


 あまりの不意打ちに、動揺を隠しきれなかった。なのでごまかすことは諦める。

「最近はなくなりましたが、初めて会った頃は、語尾が少しアーランデ国の訛でしたから」

 私が言うと、フィニアスは青い瞳をさらに大きく見開く。

『スカーレット様を支えるために、アーランデ国の公用語は習得済みです』

『それは、思ってもみなかった。てっきり、スカーレット様から知らされているのかと……』

『スカーレット様もご存知なのですか?』

『いや、一応ギルベルト殿下までとは言われていた。私の身分は?』

『ご存じないのかもしれませんが……たまに、青い瞳の中に赤みが指します』

 そう言うと、フィニアスは今度は目を伏せた。

 実際は逆なのだがそれは言えないので良い言い訳が出来たとしておく。

 私は知っていたから語尾の訛りに気づけた。しかも今回初めて。瞳の中の赤は、これだけ関わるようになって気づいたことだ。

 アーランデ公国の王族は赤い目を持つ。代々受け継がれた血の証だ。が、たまに血がつながっていても赤い目を持たない子が産まれる。赤い目が継承の証と言われ、他の色は王子として扱われはするが、継承権は無くなるのだ。

 アーランデの第三王子が、青い目をしているのは漏れ聞いていた。

「リリアンヌ嬢にスカーレット様が話していないのなら、スカーレット様もご存じないのかもしれない」

「スカーレット様は秘密を守ることのできる方ですから、知っているかもしれませんね」

「そうかなぁ……私がスカーレット様の立場なら、リリアンヌには話しておくが。まあ、できれば秘密に」

「それはもちろん。教師の中に知っている方は?」

「ごくごく一部だ。……国の中でもごく一部」

 ならばやはり、マーガレットの行動は不穏だ。

 拍手が鳴り響く。役者たちが舞台中央で何度もお辞儀をして、手を振り続けていた。

「ラスト、見逃しちゃったな……」

「それは……フィニアス様のせいですね」

「もう一度見に来る?」

「いえ、必要ありません」

「じゃあ別の演目を」

「あまり一緒はフィニアス様に――」

「フィニアス。様はいらないよ」

「呼び捨てにはできません」

 何やら不満そうに口をとがらせる。が、近かった身体がスッと離れる。

「ニーナ、ハンカチもう一枚いる?」

「も、申し訳ありません、私……」

 感極まって涙が止まらないニーナを見るに、素晴らしいラストだったのだろう。

「少し落ち着いてから帰ろう。今出ても人の波が凄いだろうから」

 フィニアスが言うと、申し訳ございませんとニーナが繰り返した。

 一階席の人がほとんど退出し、そろそろ我々もとコートを着たところで、扉がノックされ、先程の案内係がやってきた。

「本日はお楽しみいただけましたでしょうか? 座長がご挨拶したいと申しておりますが、いかがでしょう?」

 座長がなぜ? と思いつつ少し興味があった。

「リリアンヌ嬢が行きたいのなら」

「……では少しだけ」

 案内人の後ろを腕を組んで行く。

 階段を下りて、さらに下りて。舞台の真裏あたりまで来たところで、何やら聞き覚えのある騒がしい声が聞こえ始める。

 私とフィニアスは驚きに互いの顔を見て確かめる。

 やっぱりそうだよね?

「役者と話をしてみたいと言っているのだ!」

「申し訳ございませんが、お客様とお会いする約束がございませんので」

「無礼な! 少し話をするだけだぞ!」

「申し訳ございません。貴族の方と言えども、お約束がない限りお取次することはできかねます」

「素晴らしかったと言ってやるだけなのに!」

「お褒めの言葉、光栄の至りでございます。役者たちに伝えますので今日のところは……」

「私を誰だと――」

「ギル、何をしているんだ?」

「な、フィニアス!?」

 愛称で呼んだのはたぶん、フィニアスの気遣いだ。

「廊下の先まで声が聞こえていたぞ?」

「こやつらが言うことを聞かないから――」

「マーガレットさんごきげんよう、観劇ですか?」

 そう。ギルベルト殿下と、まさかの観劇されてます。えー、どうやって城を抜け出してきたんだろう。監視はついていないのか? てか、みすみす逃していいのか? え、怒られてないの!? 大丈夫!?

 ちなみに、マーガレットは私とフィニアスの組んだ腕をガン見中。

「ご友人の方でしたか」

 案内人がニコリと笑った。

 ……これは、いいように使われようとしている? フィニアスを見ると苦笑していた。まあでも、マズイのだ、こやつら。

「いいえ、知り合いというだけです」

「貴様! 何を!!」

「わたくしの知っている、『ギル』は、わたくしが敬愛する方の婚約者ですから。巷で聖女といわれる方とこのような場所で二人きりでいるはずがないのです」

 二人は当然のように顔色を変えた。

「貴族の地位でなんでも思い通りにしようなどと思わないほうが良いですよ、ギルさん。マーガレットさん」

 黙ってとっとと帰れと言われていることは十分わかったのだろう。

 ここで怒って身分を明かせば明日は王都中にこのことが広まる。それくらい、阿呆たちにもわかったのか、とても不満そうに帰って行った。

「助かりましたお嬢様」

「これ、私が不敬だと切って捨てられる可能性もあったのですが?」

「まさかそのような。明日の城下の新聞の一面を自分たちの醜聞で飾りたいとは思いますまい」

「言っとくけど、この件は他言無用だし、わたくしはあなたに貸しができたから」

「もちろんでございます。リリアンヌお嬢様にはそれより前から返すことのできないほどの借りがございます。なんなりとお申し付けください」

 借り??

「さあ、座長がご挨拶をと。お入りください」

「それは本当だったのね」

「もちろん!」 

 私とフィニアスは並んで座長室へと入っていった。

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