第3話 夜明けと出会い




 目の前を覆っていた青白い光が薄くなっていく。

 一瞬であった気もするし、長い時間だった気もするけれども、レオが立っていた見知らぬ場所は、先程までと変わらぬ夜のままだった。転移は成功したのだろうか?


 視界が次第に慣れ、周囲を見渡す。どうやら森の中のようだ。

 当然であるが辺りは真っ暗で、月明かりも射していない。夜目がいくらか利いてきたが、それにしても暗すぎる。

 こんなことなら、炎魔法の一つでも習得しておくべきだった。

 探索を諦め、レオは近くに手頃な木を見つけると、幹に背中を預けて地べたに腰掛けた。


 「……オヤジはどうなったかな」


 つい先程まで共に過ごし、俺をこの土地へ転移させた育ての親、ラークの事が頭によぎる。

 考えても仕方ない事なのはわかっているが、転移する瞬間、すぐそこまで迫っているルベリアルの軍勢が見えた。

 ラークがどれだけ強かろうと、あの数を一人で相手にするのは、やっぱり無謀だろう。


 「頼むから、無事でいてくれよ……」


 レオは誰に言うでもなく、祈るように呟く。


 風は静かで、虫の声すら聞こえてこないが、遠くの方に、滝が流れる音がする。


 暗いところが苦手ではないレオだが、右も左もわからない土地と自室とでは流石に話が違う。夜明けまであとどれくらいだろうか?



 「こうしていても仕方ないし、朝まで一眠りする…か」



 レオは魔獣や猛獣対策のために自身の周りに結界魔法を展開する。今のレオが唯一使える魔法だ。


 「猛獣がラークみたいなやつだったら、破られるかもな」


なんてことを思いながら、ゆっくりと目を閉じる。遠くに聞こえる滝の流れる音をぼんやり聞いているうちに、レオは眠りについたのであった。



──────




 「──レオ、またここにいたのか」


 「お、おとうさん。ごめんなさい……」


 「構わないさ。ラークに見つかったら大目玉だったろうが…何か読んでいたのか」


 「うん、このほんだよ」


 「ああ、懐かしい御伽噺だな」


 「これ、おとうさんのほん?」


 「いいや、この本はお前の…お母さんが待っていた本だ」


 「おかあさん?」


 「そう。お母さんだ。お母さんな、お前が産まれる前に、お前に読み聞かせるんだ。って張り切っていたんだ。まだ産まれてもいないというのにな、その本はお母さんが一番大切にしていた本だよ」


 「……おかあさんは、しんじゃったんだよね?」


 「そう、お前が産まれた時にな……それより、その本には何が書いていたんだ?」



 「えっとね、まじんとね、える、ふ?が、せかいじゅうをたびしてね、ともだちをたくさんつくるの!」


 「エルフか……その魔人は、友達を作ってどうしたんだ?」


「みんなでくらすの! ねえ、うみのむこうには、ヒューマンもエルフもいるの?」


 「……あぁ、いるよ。ヒューマンもドワーフも、獣人もいるし…エルフだって、いるさ」


 「じゃあじゃあ、こっちのほんにかいてるドラゴンもいる?」


 「ドラゴンは…どうだろ、いるかな?いないかも、いたらいいな」



 「そしたらね、ぼくね──」




──────



 ……夢を見ていたようだ。どうやらよく眠っていたらしい。知らない土地でも案外いけるもんだ。

 瞼を持ち上げると、何だか久しぶりに思える朝の光が舞い込んでくる。

 先程までは静かだった森も、今は小鳥たちがどこかでさえずりあっていた。



 「ラークみたいな猛獣も魔獣も、この森にはいなかったみたいだなぁ」


 レオはまだ寝ぼけたまま結界魔法を解除した後、大きなあくびと共に伸びをする。

 喉が渇いたな。思えば昨日の夜から何も口にしていない。

 レオはゆっくりと腰を持ち上げると、昨夜からずっと聞こえている滝の方へ向かい歩き出した。


 生い茂る木々の間をどうにかこうにか抜けた先には川が広がり、その一番奥では見事な滝が豪快に流れていた。



 「は〜綺麗だなぁ。インフェルドとはえらい違いだ」


 沼地の多いインフェルドではなかなか見れない光景だ。レオはしばらく景色に見とれた後、辺りを見回す。


 ──そして、ぎょっとした。


 視界の端に、何も身に付けていない少女の姿が映り込む。こちらに背を向けているからか、レオには気づいていないようだ。



 「…………エル…フ?」



 まず目についたのはその耳だった。この距離からでもわかる。朝の陽光に照らされた美しい白い髪の間から、槍のようにピンと尖った耳が見えた。あれは間違いなく、レオが小さい頃に何度も読んだ御伽話に出てくるエルフのそれだ。


 背丈も年齢も、レオとそう変わらないだろうか?

 水しぶきを弾く白い肌も、首筋から肩、腕にかけての丸みも、背中から腰にかけての曲線も、レオにとって初めて目にするものだった。


 さらに、肩甲骨のあたりから小さく生えた羽のようなものが見える。あれはエルフの羽だろうか?


 レオ達魔人族にも同じように翼が生えている。飛行する時以外は目の前の彼女のように小さく納める事ができるが、彼女のそれは退化してしまっているように見えた。



 「……綺麗だ」


 思わず口に出してしまう。やばい。



 「────っ!?」


 不意に少女がこちらを振り返った。宝石かと疑うほど綺麗な群青の瞳と目が合う。

 その瞳はレオの姿を映した後硬直し、数瞬後それは怒りの表情に変わった。



 彼女がこちらに片方の手のひらを向ける。そして次の瞬間、手のひらの先から炎が燃え上がったかと思うと、炎はみるみるうちに火球へと姿を変える。火球はそのままレオの方へ勢いよく放たれた。 


「うおおっ!!?」


 レオの胴体ほどある火球は真っ直ぐにレオの顔面めがけて飛んでくる。すんでの所でそれをかわしたレオが正面に向き直ると、少女の姿がない。消えた?いや──



ズドオオオオン!!!!


 思考する間も無く、レオの目の前に強い衝撃が起こる。その衝撃でレオは情けなく地べたに尻餅をついた。


 目の前には少女がいた。そしてその両腕に握られていたものは、恐ろしく巨大な斧だった。


 まだ夢を見ているのか?こんなものをその細い腕でなぜ振り回せる?レオならせいぜい持ち上げるのがやっとだろう。


 彼女は俯いたまましばらく動かなかったが、やがて大きく息をついてレオの方を見る。

 正面から見た少女の顔は、思わず息を呑んでしまうほど可愛らしいものだった。


 ……このうえなく不機嫌そうな点をのぞいて。



「……見たね?」



 明らかに怒っている声だ。この場合の「見た」は裸の事だろうか?それとも羽のことだろうか?

 どっちにしろしっかりと見てしまっている。見ていないと言うのは流石に無理がある。ここは男らしくズバッと答えるべきだろう。



 「…はい、ばっちりと…えーっと……ごちそうさまでした?」



 レオが言うと、彼女の表情はますます険しくなり、地面に食い込んだ巨斧を片手で振り上げた。あぁダメだ。しんだかもしれん。というか今更すぎるが服を着てほしい。



 「……君、そのツノ、魔人だよね?」


 「あっはい…魔人ですね……」


 「名前は?」

 

 「……レオ。レオ=ドラグロード」



 聞こえたのか聞こえなかったのか、そのまま硬直してしまった少女はやがてもう一度大きくため息をついた後、軽く舌打ちをする。


「ジジイの客だ……」



 ──ジジイ?


 

「レオ、だっけ。このままこの斧を振り下ろされたくなかったら…私に着いてきて」



 冷たい声で言い放つと、彼女は振り返って、自分の衣服が置いてある岩の方へ歩き出した。



「──……あの」



 レオが恐る恐る声をかけると、彼女の顔だけがこちらを振り返る。



 「お名前は……?」


 「……フラン」



 短く答えた彼女…フランは、正面に向き直りさっさと歩き出してしまった。一方のレオは、しばらく立ち上がることができないのであった。


 ……これが、へたれな魔王の子レオと、逞しすぎるエルフ、フランの最初の出会いであった。













 

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