第2話 レオ=ドラグロード




 「悠長に話している暇はない。亡き魔王ゼロ様の命に従い、私は今からあなたを逃がす」




 「よいですな──





 「────は?」




 父が何を言っているのかわからなかった。頭の整理が追いつかない。



 「ちょっと待ってくれ。俺が魔王って……どういう事だ? それに、様ってなんだよ。説明してくれ!」


 「……混乱しているところ申し訳ないが、説明している時間がない。ご自身で思い出していただく……失礼」



 ラークはそう言い放った後、俺の頭に手を乗せ、そして何か呪文のようなものを呟いた。


 

 ──刹那、俺の意識はバチンと弾けた。





──────





 何も見えない。何も聞こえない。


 俺は何をしていたんだっけ。確か部屋に閉じこもって……違うか。

 親父に部屋から連れ出されて……話をしていたんだ。ええと、親父って誰だ?

 


 ──ラーク=ウルガノ。あぁ、そうだそうだ。俺の父親…オヤジだ……優しくて不器用で……怒ると怖いんだ。オヤジは。



 小さい頃、父さんの部屋に忍び込んだり、勝手に屋敷の外に出たりして……オヤジに見つかって、よく怒られてた。あの時のゲンコツは痛かったなぁ……って、まてまて。


 オヤジだの父さんだの……父さんって誰だ? 俺はそんな呼び方したことないはずだ。


 ……どうやら、相当混乱しているらしい。


 でも、でもだ。頭の中に浮かんでくる、この魔人の事を、俺は知っている。

 漆黒の長い髪と、炎のように赤い瞳をした魔人の男性。装いから相当な権力者であることがわこる。


 そんな彼が、俺を抱き抱えて笑っている。



 ん?俺は十五歳の割には、身長百七十を超えている。そんな俺を抱えているのか?



 違う──。これは記憶だ。

 他でもない、俺の記憶。小さい頃の記憶だ。



 じゃあ、この男性は?知っているはずだ。俺はこの魔人を知っている。

 俺をいつも可愛がってくれて……その度に、オヤジに小言を言われていたんだ。よく見てきた光景じゃないか。



 そうだ、父さんだ。この魔人は、俺の父さんだ。なぜ忘れていた?



 名前だって思い出せる。俺を抱き抱え、笑顔を向けるこの魔人の名は……ゼロ。



 ゼロ=ドラグロード。

 かつてこの国を治めていた魔王。



 混乱していた思考が、鮮明になっていく。そうか……そうだな。




 ──俺は、魔王の息子。

 ゼロ=ドラグロードの息子。



 ──俺の名前は、レオ=ドラグロード。




────────




 目が覚める。目元に涙が溢れているのがわかった。慌ててそれを手で拭う。


 だんだん意識がはっきりしてきた。周りからは、声と、バタバタと走り回る音が聞こえる。どうやらここは外のようだ。


 ゆっくりと身体を起こし。周囲を見渡してみると、ここは屋敷のそばにある広場だった。何人かの兵士が、慌ただしく動いている。


 どうやらあの後意識を失ったらしい。

 あれからどれくらいの時間が経った?



 頭ははっきりしている。こんなにはっきりしているのは、ずいぶん久しぶりな気がした。



 「……お目覚めのようですな」



 ラークが後ろから声をかけてきた。俺も声の方へ振り返る。随分と久しぶりに顔を見た気分だ。少し老けたか?



 「すまないな、俺はどれくらい眠っていた?」



 「そんなに長い時間ではありません。……先ほど、すぐに動ける兵達に指示を出したところです」



 「……戦うのか?」



 「いえ、あくまで領民達の避難が優先です。これから兵士達に、領民を西へ誘導してもらいます」


 「西っていうと確か……」


 「ええ、アニマ殿の領地ですな」



 アニマ。確か魔王……父さんの側近の一人、大魔人の一人だ。

 会ったことはない。というか、俺はラーク以外の大魔人と顔を合わせたことがない。



 「ええと、そのアニマってやつは…信用できるのか?」



 「ええ、アニマ殿とは、今回のような有事の際に、領民を受け入れてもらえるように、以前から話をしておりました」



 「彼……とはゼロ様の亡き後も、友好的な関係が続いておりますので、信用できます」



 「そうか……それで、はどうするつもりなんだ?」



 俺が尋ねると、ラークは少し驚いた様子でこちらを見て、軽く吹き出した。



 「……言葉とは不思議なものですな。以前と同じ呼ばれ方なのに、そんな風に呼ばれたのは久しぶりな気がしました」


「……無事に記憶が戻ったようですな」


 そう言って微笑むラークの顔からは安堵と、こころなしか、ほんの少しの寂しさを感じた。


 「──すまないな、下手な父親役をやらせてたみたいで」


 「いえ……ゼロ様が亡くなられ、記憶も消された後の虚なあなたに、自分の殻に閉じこもるあなたに、私は何もできませんでした。父親失格です」



 そんなことはない。そんな状態の時に、ラークがそばに居てくれなかったら、俺はどうなっていたかわからない。


 「一個気になってるんだ、俺の記憶は父さんが消していたのか? だとしたら、どうしてそんな事を?」



 「……ゼロ様が亡くなる頃、あなたはまだ幼い子供だった。そんなあなたに、見せたくないものが多かったのかもしれませんな。自身の死も、後継を争うような醜い戦争も……あくまで私の憶測ですがな。いずれにせよ、時期が来たら記憶を戻すよう、解除の呪文は聞かされておりました」



 「……そっか」





 「──いや、そうじゃなかった。それで、オヤジは今からどうするつもりなんだよ?」



 すっかり脱線してしまったので、話を本筋に戻す。

 現在、三方向から押し寄せてきている敵の軍勢。

 ただでさえ少ない兵力を、領民の避難誘導にあてるとなると、ここはかなり手薄になるはずだ。


 勝てる見込みがない以上、ラークも一緒に逃げるべきだろう。



 だがこの男の考えそうなことは……


 私はここに残り、領民達が避難する時間を稼ぎます。



 ……とか言うぞ、多分。

 


 「私はここに残り、領民達が避難する時間を稼ぎます」



 まさか、一言一句合ってるとは思わなんだ。全くこの男は……。




 「無茶だ。相手は五万の軍勢だぞ? しかもルベリアルの他に、大魔人も二人以上いるって話だった。無謀すぎる」



 俺は必死に反論する。記憶が戻った今だからわかる。この男はとにかく頭が固い。こうと決めた時の融通の効かなさは、魔人族の中でも随一に違いない。



 「レオ様、まだ記憶が定かではありませんか?」


 ラークはあくまで落ち着いている。

 なんでこうも冷静なんだ、このオッサンは。



 「私はかつて、魔王ゼロ様の右腕として仕えた男。普通の者ならともかく、このラーク=ウルガノ、いくら大魔人が相手といえど、おくれを取るつもりは一切ありません」



 ──虚勢。ではなさそうだった。


 ハッキリと言い切ったラークの表情は、確かな実力を思わせる迫力と、自信と……怒りに満ちていた。



 忘れかけていたが、ラークも大魔人。しかも、その中で頭を張っていたやつだ。


 きっと本人の中では、五万の軍勢も、ルベリアルも、大魔人達も蹴散らすつもりなのだろう。



 俺は深くため息をつく。降参だ。



 「俺もここに残る……って言いたいけど、俺じゃ足を引っ張ることしかできなさそうだ。教えてくれ、俺はどうしたらいい?」



 「当然、あなたにも逃げていただく」


 「俺もアニマって大魔人の領地ヘ逃げろと?」


 「いえ、あなたはこれを使って、イニティム大陸へ飛んでいただきます」


 ラークは自身の懐から、青く輝く結晶を取りだした。

 これは魔法石。石の中に任意の魔法を収納、維持できる優れものだ。いや、そんなことより。



 「イニティム大陸だって? また話が大きくなったな。なんでそうなるんだ」



 ──イニティム大陸とは、大陸インフェルド国の南東に浮かぶ大陸。大きさはインフェルドの何十倍もある。

 そこでは、ヒューマンを中心に、様々な種族が共存している。らしい。



 イニティム大陸は、まだ俺が生まれる前、父さん──魔王が、長い間戦争をしていたという話を聞いたことがある。



 そんな場所になぜ俺が?



 

 「いいですかレオ様。魔王ゼロの子として、あなたが産まれたことを知っている大魔人は、私とアニマ殿だけです」



 ……そうなのか?


 みんな知ってるものとばかり思っていた。確かに、俺は大魔人達に会ったことがないが。



 「そして、ルベリアルをはじめとする大魔人達は、ゼロ様から魔王の力が突然消えたことに、少なからず疑念を抱いているはずだ」


 「魔王の力?」


 「とてつもない生命力と、魔力を持っている事しかわかりませんが……ゼロ様は、その力の影響なのか、普通の魔人の三倍以上生きておられた。年齢は三百近かったはずです」



 三百……見た目は若かったが、そんなことがあり得るのか。って、待てよ──?



 「じゃあ、父さんが死んだのって……」



 「……レオ様が産まれた後、魔王の力を失ったと仮定すると、緩やかに弱っていかれたのでしょう。そして魔王の力は失ったのではなく……」



 「俺に受け継がれた……」


 「そう考えるのが自然でしょうな」


 「…………」


 「問題は、あなたに魔王の力があるとわかれば、大魔人達…少なくともルベリアルは、まずあなたを狙うでしょう。魔王の力を我がものとするために」


 「だからこの大陸を離れる?」


 「そういうことです。これは、生前のゼロ様の命でもある。私はそれを今、遂行する」



 「でも、ちょっと待ってくれ。俺がここを離れたら、この国はどうなる?  いくら仮とはいえ、魔王の俺が──」


 すると、ラークは自身の顔を手のひらで抑えながら、小刻みに震えていた。笑っている?



 「──いや、失礼。私がこの命をゼロ様に受けた際、私は今のレオ様と全く同じことを申したのです。それがおかしくて……くくっ」


 ラークは笑いを必死に抑えようとしばらくうずくまったあと、再び俺の方を見た。



 「ゼロ様はこうおっしゃられました」



 少し離れたところから、いくつもの怒号が聞こえはじめた。ルベリアルが率いる軍勢が、間もなくここまでやってくるだろう。



 「『国なんて知ったこっちゃない。』と」



 ラークが青く輝く魔法石を砕いた。

 青白い魔法陣が俺の足下に展開される。これは──転移魔法⁉︎



 「待ってくれオヤジ! 俺はまだ──」


 「レオ様」


 ラークが俺の言葉を遮る。



 「……もしもあなたが、ルベリアルを討つことを望むなら……仲間を作りなさい」


 足下の青白い光が一層強くなる。転移が始まろうとしているのか。



 「あなたはきっと強くなる。だが、いくら強かろうと、一人では何もできない。」



 ──お前がたった今から、一人で戦おうとしてるんじゃないか。



「短い間でしたが……あなたの父親であれたこと、ゼロ様やレオ様に仕えてこられたこと、我が人生の誇りです」



 これからも仕えたらいい。まるで死ぬみたいに言うな。



 ──軍勢が目視できるところにまで迫ってきている。



 「さらば、魔王レオ=ドラグロード。そして、我が誇り高き息子よ!!!」



 オヤジ、あ────……



 魔法陣が最大級の光を放ち、転移魔法が発動する。やがて光は薄れていき、最後には魔法陣も消えた。




 そこにはもう、レオの姿はなかった。






 ──レオが消えてから間も無く、ルベリアルの率いる軍勢が、広場に到達する。


 広場に兵士の姿はない。そこにいたのは大魔人ラーク=ウルガノただ一人。



 彼は、それまで配下にも、領民にも、息子にも見せることのなかった憤怒の形相で、立ちはだかっていた。



 憤怒を宿した緑の双眸は、ただひたすらに、ルベリアル=グリフォードだけを見据えていた。







 


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