04 男装妃(偽)官吏になる

 本来、後宮とは一度入ったらよほどのことがない限り出ることはない場所だと聞いている。


 死ぬか、皇帝にこっぴどく嫌われて追い出されるかの二択ぐらいだろうと思っていたのにこの状況は、いったい。


「……なんで」

「おいぼさっとしてんな新入り!」

「は、はいすみませんっ」


 飛んで来た怒声に反射的に応え、芙蓉は床に散らばった書物の中から目当てのものを探す。おなじように何人もの非正規雇用と思われる役人たちが半泣きになりながら室中をひっくり返していた。

 既に一度捜索されているせいか、地震にでも見舞われたかのようにあたりにモノが散らばっている。


「うっかり踏みつけてアレを破壊してみろ! 貴様ら全員の首が飛ぶと思え!」


 そう叫んでいる髭面の官吏の眼にも涙が滲んでいた。おそらくは彼の首も地に落ちるほどの重要なモノなのだろう。


 噂には聞くあの「玉璽」というものは。



 ✣✣✣✣



「大丈夫ですか?」


 芙蓉は宮城きゅうじょうの南部にある百楽殿、北部に或る後宮からは遠く離れた中庭の真ん中で途方に暮れていた。

 それもそのはず、芙蓉を後宮から連れ出した張本人である竜藍が「ああ、そういえばこれから会議が組まれているんだった。私はもう行くからこのあたりで見学でもしていると良い」と、百楽殿に放置したのである。


 しかも最後に、とんでもない土産を残して。


『そうだ。暇つぶしに課題をあげよう――君の眼でこの百楽殿で盗人探しをしてきて。それが出来なければ君の処遇を考え直すことにする』

『は――えっ、ちょっとお待ちください、陛下っ』


(処遇って何⁉ ま、まままさか死罪……?)


 見知らぬ場所で置いて行かれて、困惑しきりの芙蓉。そして追いかけようにも逃げ足がはやく、一瞬で姿を消してしまった竜藍。途方に暮れる以外の選択肢はなかった。


(わたしにいったいどうしろと……?)


 しょんぼり石段のふちに腰かけて頭を抱えていた芙蓉に大丈夫ですか、と優しい声がかけられたのは、このときのことだった。

 困惑を通り越して横暴すぎる竜藍への怒りが芽生え始めていたときだったので、反応が遅れる――どころか間が抜けた。


「……ふぇ?」

「あ、もしかして迷ってしまったとか? 僕もよくやるんですよ、よかったらわかるところまで案内しましょうか」


 目の前に立ったのは、官服に身を包んだ青年だった。

 芙蓉の目線とさほど変わらないので背もあまり高くなく、顔立ちにも幼さが滲み出ている。おそらくは十代半ばから後半といったところだろうか、十七歳の芙蓉とも同年代のように見える。


 そういえば流漣国の官職は年齢不問だったはずだ。もしかすると若くして官吏登用試験に合格した優秀な官吏なのかもしれない。じっと芙蓉が両の眼で見つめていると、青年は首を傾げた。


「ええっと、あの……わたしは」

「あっ、もしかしてあなたウチのお手伝いの方ではありませんか⁉」 

「……お手伝い?」

「助かります! どうぞこちらへ」


 勘違いである、と言う隙も与えられず彼は芙蓉の腕を引っ張って大きな殿舎の中に連れ込んだ。ずらりと並んだ執務室のひとつに青年は堂々と入っていく。芙蓉は知らなかったが、此処百楽殿は政務を執り行う部署がまとめられている建物だった。


「ただいま戻りました~」

「遅い! 董良とうりょう、資料を探しに行くと行ったきり戻らないと思えばまた迷っていたな!」


 上司らしい髭の男から叱責が飛んできて、青年――董良はぺこぺこと頭を下げた。どうやら声を掛けてくれたのはこの部署で働いている新人官吏のようだった。


「でも、吏部尚書りぶしょうしょがまた応援の方を寄越してくださったみたいで……ええっと、あなたお名前は?」

「えッ、あッ……ふ、ふ……」


 幸いなことに此処にいる自分が、最近後宮に連れて来られた嵐華族の娘であることはバレていないらしい。それどころか竜藍に与えられた服装のおかげで性別さえも誤認されているようだ。


(芙蓉、というといかにも女名だし……この国には女性の官吏はいないらしい。と来ればわたしが採る道は――)


 ちら、と棚にさしてあった書物を見遣る。作者の名前は――確か。


普亮ふりょう、と申します……!」


 目にした書物から拝借した名前をとっさに口にした芙蓉を髭男は怪訝そうに見ていたが「まあいい」と息を吐いた。


 董良の手伝いとして他に集まった者たちから聞いた話によると、ここは吏部という部署らしかった。いわゆる行政機関である六部のうちのひとつで、文官の人事にかかわる仕事を行っているところ、のはずだが――。


「探せ! 絶対にこの室の中にあるはずだ」

「見つけなければ此処にいる人間、蛇蝎皇帝に嬲り殺しに遭うぞ」


 ものすごく不穏な声が飛んでいて、聞いているだけで胃がキリキリと痛んでくる。


(というか無理に身分を偽らなくても、芙蓉だと明かして後宮に戻ればよかったのでは)


 床に散らばった資料をひっくり返し、隅にまとめるべく手を動かしながらそんな考えが頭をよぎったが、すぐ首を横に振って打ち消した。


『課題をあげよう――君の眼で盗人を探してきて』


 なんだ、課題って。

 とは思いながらもこれを無視して後宮に戻れば、おそらく芙蓉にとってよくない未来が待っている。


(……陛下は、もしかして吏部にわたしが向かうことを予測していた……?)


 状況を見るに、臨時で駆り出されたらしい役人が芙蓉とおなじく室内をひっくり返している。それを横目に本来の仕事を正規の官吏がこなしているようだ。


「董良様、あの……私たちは失せもの探しをしているのですよね」


 董良はハッとしたように書き物の手を止めた。筆を走らせ書いていたのは何かの証明書のようであった。芙蓉はじっと食い入るように董良の手元と本人の顔を見比べる。


「あのう、せめて何を探しているかだけでも教えていただけませんか」


 芙蓉が口にした途端、飛び交っていた怒号がぴたりと止んだ。


 室中の視線が手にした書物をひっくり返して何も挟まっていないことを確かめていた芙蓉に向けられ、串刺しにされる。嵐華族もどちらかといえば男の方が多かったし、男勝りの巫女姫だと揶揄されていたぐらいだ。男性が苦手などというつもりはない、が――。

 この鋭い矢で狙われているような圧にはさすがに慣れていない。


「ならん!」


 何か言いかけた董良を遮るように髭男が叫んだ。


「ど、どうしてですか……」

「うるさい、臨時の手伝いのくせに口答えをするんじゃないっ」


 陰鬱な表情で、董良を含め吏部の官吏たちは俯いている。

 誰も何も口にしたくない、とその表情が語っていた。


 どうやら失せものというのはよほど大事なものであるらしい。

 この吏部で一時的にでも保管されていそうで、何か重要な行事などに必ず使わねばならないようなもの。それに大きさとしては掌ぐらいか、書類や本の山中に埋もれてしまえば探すのが難しいだろうもの……そう、たとえば。


「玉璽、とか」


 ぼそりと呟いたが、いやまさか、いくらなんでもそんなことはないだろう。


 吏部は見たところ書類仕事が多いようだ。しかもかなり重要度が高そうな文書を取り扱っている。

 皇帝の代理決裁者として書類に判を押しているものもありそうだ――と散らばる書類を見ながら芙蓉は考えていた。

 が、最近の日付の書類の中には皇帝の印である玉璽が押されたものが一枚もない。床に散乱する書類を整頓する中で芙蓉は気づいたのである。


 なんて、言ってみただけです、と続けるはずだったのに。

 さざなみのように広がった沈黙の中に小石を投げ込むような真似は、芙蓉にはとてもじゃないが出来なかった。


「何故」

「えっ」


 いまにも歯ぎしりしそうな重苦しい表情で、髭男は言った。


「貴様、何故玉璽が紛失した、とわかったのだ……!」


 苦々しく発せられたその声は、執務室内に静かに響き渡ったのだった。

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