第2話 イリス・リーゼル

「イリス!」


 高い声がして、びくっと背筋が伸びる。

 私はあわてて衣服を正して振り返った。それと同時に、胸元に人影が飛び込んでくる。


「イリスが起きてる! イリスぅぅううっ!」

「え、えっ?」


 ふらつきながらも体を抱きとめる。

 むにゅうっと柔らかい感触がした。

 結構でかい。何がとは言わないけど。

 

「イリス起きたんだね! だいじょうぶ? どこか痛くない?」


 淡いエメラルドグリーンの瞳が心配そうに見つめてくる。

 すっと通った鼻に、整った形の唇。

 

 肩までおりた髪はきらきらと光をはじいてなびく。

 明るい灰色……きれいな銀髪だ。

 

 ふ、ふつくしい……。

 

 おかれた状況も忘れ、つい見とれてしまう。

 この世界の女の子は総じてこのレベルなのか。デフォで美少女ばかりとか、もはや楽園では?


 頭がお花畑になっていると、両肩をつかまれた。がくがくと揺らされる。


「どうしたのイリス! 聞こえてる?」

「い、いりす……?」

「そうだよあなたはイリスだよしっかりして! わたしはお姉ちゃんだよ! お姉ちゃんのアリスだよ!」


 お姉ちゃん……?

 といってもまだ顔立ちは幼い。十代後半ぐらいかな。

 

「ああ、神様ありがとう。イリスをまた目覚めさせてくれて。よりによってこの日なんて……まるで奇跡みたい」


 アリスと名乗った少女は、胸の前で手を組んで天を仰いだ。

 かと思えばまた抱きついてきた。しかも頬ずりのおまけ付き。


「ん~イリスぅ~。ちゅっちゅっ」

「ちょちょ、ちょっと!」

「なんで嫌がるの」


 いくら姉とはいえスキンシップが激しすぎる。

 頬ずりに口づけにやりたい放題だ。


 ていうか今あっさりファーストキス奪われたんですけど。初めてだったんですけど。


「ち、ちょっと待ってください! わ、私、違うんです! 私はその、イリスさんではないんです!」

「は? 何言ってるの?」


 アリスは低い声で目を細めた。まさになにいってんだこいつの視線だ。そういう冷たい目もするらしい。

 それぐらいおかしなことを言ってるみたいだ。けどなんて説明したらいいのか。


「私その、別の世界から転生、したみたいで……」

「テンセー? なにそれ? イリスじゃないって、じゃあどこの誰? 名前は?」


 誰? と聞かれて、思い出そうとする。

 名前……名前は。あれ? 名前が、思い出せない。

 名前って、なんだったっけ?

 

「私の名前は……イリス?」

「ほらイリスじゃん」

「あれ?」 


 首をかしげる。

 不思議だ。まるで名前を刷り込まれて上書きされたみたいだった。


「だからイリスでしょ? 名前はイリス・リーゼル。わかった?」

「イリス・リーゼル……」

「まあ、イリスはずっと寝てたから、ちょっと寝ボケててもしょうがないか」

「そうだ私、なんであんなとこに寝て……」

「それはね、魔王の呪いで……あ! こうしてる場合じゃない、早く準備して式に行かないと!」


 アリスはばたばたとせわしなく動き回る。よくよく見れば彼女は純白のヒラヒラしたドレスを身にまとっている。ドレスといっても本気の、いわゆるウエディングドレスらしきものだ。


「えっ、式って……もしかして結婚……?」

「ちがうちがう。今日は勇者式の日だよ!」

「勇者式?」

「今日、お城で新しい勇者が任命されるの。それでね……なんとね、わたしも勇者になるんだよ!」


 うれしそうにいうけど、さっぱり要領を得ない。

 勇者になるのになぜそんな格好なのか。勇者ってゲームとかでよくある、魔王を倒しに行くみたいなやつだと思うけど。

 ここの勇者っていうのは、それとはちょっと違うのかな?


「よし! じゃ早く行こ! 遅刻しちゃう!」

「わわっ」


 落ち着く間もなく手を引かれて部屋を出る。

 そのまま家の中を引きづられるようにして、外まで連れ出された。

 

「わ、すごっ……」

 

 外の景観に思わず声が出てしまう。

 空気感からして違った。晴れ渡った空は、抜けるように青く高い。


 家は小高い丘の上にあった。周りは木に囲まれている。

 眼下に飛び込んできたのは、ゲームや映画で見たことのある絵に描いたようなファンタジーな町並みだ。

 

 足元を一面敷き詰められたレンガに、中世風の建物が軒を並べている。

 一見しただけで相当広い街、だということがわかる。


 遠目にはひときわ巨大な建造物が見えた。

 お城だ。尖塔に大きな旗がたなびいている。


「おおお~……」

 

 こんな光景を見せられたら、いやでも納得せざるを得ない。

 私は本当に異世界に来てしまったみたいだ。


「急ぐよイリス、ほら乗って」


 アリスが私に背中を向けて体をかがめた。

 

 いやいやおんぶとか死ぬってやめとき。

 ……と思ったけど、今の私は小柄な少女なんだった。

 

 とはいっても、アリスだって似たような体格のスラッとした細身だ。おぶっていくというのは厳しいのでは……?


「はやくはやく!」


 せかされて、おそるおそる背に乗る。

 とたんにひょいっと体が浮いた。いきなり周りの景色が動き出す。


「おわっ!」


 振り落とされそうになって、慌ててアリスの体にしがみつく

 とんでもないスピードで走っていた。土でできた道を飛ぶようにおりて、あっというまに町の入口までやってくる。


「っと、しつれーい!」


 門の前に立つ衛兵の横を通り過ぎた。

 叫び声が聞こえるがおかまいなし。

 

 人を避けながら街中をかけていく。周りからすれば、豪華なドレスを着た少女が少女をおぶって爆走するという異様な光景だ。


 正面の通りをまっすぐ進むと、お城の入口が見えてきた。その手前の広場には、大きく人だかりができている。


 ここにきてやっとアリスは立ち止まった。

 体を降ろされる。なんだか足がふわふわする。


「ふぅ、ついたついた」

 

 アリスが額を拭う仕草をする。

 人一人おぶってあれだけのスピードで走り回って、「ふぅ」ですむとは。やっぱりちょっと普通ではない。

 

「じゃわたし行ってくるから。イリスはここで見ててね」

「見ててって、なにを?」

「あれ」


 アリスが空を指さす。

 中空には巨大なスクリーンが三つ浮いていた。

 別の角度から、同じ場所の映像を映しているようだ。


 映っているのはどこかの広い部屋だった。

 高級そうな赤い絨毯が敷かれており、奥には巨大な玉座らしきものが見える。

 

 いわゆる謁見の間的なものかもしれない。 

 玉座の前に、数人の人影がきれいに横並びに整列していた。


 みんな似たような服に似たようなマントを羽織っている。いわゆるこの世界の正装ってやつだろうか。


「――勇者へのご就任、おめでとうございます。魔王の脅威はさりましたが、まだまだ魔物たちは活動を続けています。これからも力を合わせ、ともに世界の平和を――」


 玉座には誰もいなかった。

 かわりにその横で、一人の少年がみんなに向かって語りかけていた。


 これまたとてもきれいな顔をした美少年だ。あれが王子とか、そういう感じなのだろうか。

 金色の髪に、白一色の衣。背丈も子どものそれだ。


 ぱっとみ少年かと思ったけど、女の子のように見えなくもない。

 そして何よりも目を引くのが。


「なにあれ、天使みたいな……」

 

 少年の肩からは、大きな翼が開いていた。 

 ただのアクセサリーなのか、本当に生えているのかは定かじゃない。


 一見すると美しい翼……のはずが、見つめているとなんだか、体がぞわぞわとしてくる。

 なぜか急に気分が悪くなってきた。直視できなくなって、視線を外す。

 真面目な顔のアリスと目があった。 

 

「イリス」

「は、はい?」

「頑張ってねお姉ちゃんちょうだい」

「え?」

「頑張ってねお姉ちゃんって言って?」

 

 いきなり何を言い出すか。

 姉も妹もいなかった身としては、いきなりお姉ちゃん呼びは抵抗が。


 それに妹扱いしてくるけども、中の人的にはきっと私のほうが年上だ。てかその真顔で圧かけてくるのやめてもらえませんかね。

 

「が、頑張ってねお姉ちゃん……」

「うん、がんばるー!」


 アリスはへにゃっと笑顔になる。

 これは文句なしにかわいい。不覚にもドキッとくる。

 けどちょっとクセ強……?

 

「じゃあねイリス、終わったら迎えに来るから!」


 そう言い残すとアリスは人の波をかきわけ、お城の門へと突撃していった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る