第7話 付与と反転
「オレ様が直々に跪かせてやるよっ!!」
『その歪みきった性根を余が直してやる!!!』
互いの思いがぶつかり合い、二柱の鼓動が高鳴る。二柱はぴたりと静止し、力を溜め、始まりの一撃を造り出す。観客も、メソポタミアの神々も、行為の神々も、その時をじっと耐える。
ドクン…
二柱の断続的な鼓動が重なった時、静寂からの喧騒へと闘技場に激しい電撃が走った。奇しくも、先に動いたのはマルドゥク、彼の召喚したムシュフシュが先陣を切り、アプスーを攻撃する。その鋭利な蠍の尾からは地面が溶けてしまうほどの猛毒が垂れている。
「腰痛か⁉ 耄碌じじい!」
その後に続くマルドゥクが罵声を浴びせかけ、その罵声に相当する拳をアプスーの心臓に貫通させる。
「⁉」
しかし、アプスーの体は透けていて、マルドゥクの拳を吸収するような形になっている。次いで、ムシュフシュの蠍の尾を素手で掴み、辛辣な一手を刺す。
『所詮は余から落ち出でたもの…造作もない』
ムシュフシュの体に巻き付く螺旋の水が、容易く、かの神獣を締め上げる。
「戻れ」
マルドゥクが指示を出して、絞殺されそうなムシュフシュを戻し、再召喚して自神の防御に回す。そして、もう一度神速の拳を放つ。その拳は遠く離れた闘技場を取り囲む壁を凹ますほどの高威力のものだ。
「…⁉」
しかし、アプスーの体は水であるように変化し、拳が当たった部位は水の穴が空いている。マルドゥクは信じられないものを見たと目を大きく見開いて、声にならない驚嘆の声を示す。
『これがメソポタミアの神とは…甚だ愚かである』
アプスーはそのまま水のように流動して地面へと潜り込んだかと思うと、地面が大きく揺れ始めた。まるでそれは、地震と酷似しており、砂の波が押し寄せている。もともと、砂漠という足場の悪い戦場であるに加え、大きな揺れで立っていることすらままならない。マルドゥクは軽い混乱に陥っている。
(!)
彼は後ろから殺気を感じて、反射的にムシュフシュを背中に張り付かせると、次の瞬間、彼の背中は強い衝撃を受ける。
「…じじい!」
衝撃の源は誰でなく、アプスーが与えたものであるとマルドゥクはすぐに察した。マルドゥクが認識した直後、アプスーはやはり水のように流動して、地面へと姿を消す。
(次はどこから来る? また背後、いや、じじいが同じことするはず無い…どこだ、探せ!)
マルドゥクが必死に思考を巡らす、その間僅か2秒…いくら彼の思考が完了していても、体が次の動作に移るまでの時間には遠く及ばない…彼が瞬きをした刹那の時間、彼の視界にはアプスーだけが映っていた…その処理に脳が処理しきれず、無防備にも静止している彼は見誤っていた…アプスー神の手に握られている、その両剣に…
アプスーは両剣をマルドゥクの体に突き刺す…その衝撃にやっと脳の処理が完了したのは、幸か不幸か、次なる一手をマルドゥクは確定の未来として見えていた…しかし、今の彼に防ぐ手はない、今のアプスー神を止める
観客一堂に静寂が包まれたが、それも些細なことで、シュメール派の神々は生意気にも反抗している次世代の神々の筆頭格であるマルドゥクにアプスー神が圧倒していることに歓喜の声を上げる。その声援と歓声の並々ならぬ熱気は、今までの雪辱を果たす序章に過ぎないことをかの神らは示している。対して、次世代の神々はマルドゥクの受けた傷に目を向けて、軽くうなだれている。
「…くそ!!」
小さく悪態をつく彼の体は、1度目の衝撃、突きの攻撃で右肩を負傷しており、2度目の衝撃、薙ぎの攻撃はムシュフシュが咄嗟の判断で両剣と彼の体の間に入り、縦になったことで重症にはならずとも、その凄まじい衝撃ゆえかあばらが折れていることが分かる。
『驕っていいぞ…その分貴様が愚者であること、みなにばれてしまうがな…』
「性格悪いな、っじじい!」
『第一の攻防戦を制したのはアプスー神!その権能はやはり、メソポタミアの神々の祖であるに相応しすぎる御力!英雄神マルドゥク神はどうする⁉』
観客に劣らずの興奮であるヒヤルムスリムルは実況の熱に火が灯され始めていた。
統治神5柱専用観戦室
「容赦ないですねぇ~…」
ヒュプノスが興味深そうに眺めて、チラチラと視線を送り、タルタロス達に説明してほしそうな態度をとる。タナトスはヒュプノスを肘でつついて注意をするが、ガイアがニコニコと優雅に笑い、要望に応えてくれた。
『アプスーの権能、それは”水を付与させる”ことよ』
「…?」
ガイアの答えに二柱は理解が追い付かず、顔を見合わせる。
『ガイア』
『んふふ、だって~…』
ニュクスが、言葉足らずの説明をしたガイアを窘めて改めて説明をする。
『水は透明無味無臭の液体じゃ、じゃが、その液体には多様な特性が備わっておる…水の最もの自然体、それは固定されず、一か所に留まらず自然の形に合わせ動く”流動性”じゃ…故に、アプスーはマルドゥクの攻撃を諸共気にしていなかったのじゃ』
「…特性…体を水にするのとは違うんスカ?」
タナトスの疑問に答えたのはカオスであった。その顔は愉快そのものであり、この戦いを楽しんでいる。
『君とエジプト神界アヌビス…どちらも冥界を守護する神で、権能の特性も同じだが…君はアヌビスではないし、アヌビスもタナトスじゃないだろう?』
「なるほど…特性が同じでも、その個体であるとは限らない…随分と面白い権能なんですね~」
『お前に言われたくはないと思うんだがなぁ、アプスーの権能、水の特性を付与する…その名は”メソポタミア・ディス・ナイト”…さあ、始まるぞ!原初神の舞踊が!』
アプスーが手を大きく掲げると、地面の流動は収まった。そのせいであろうか、闘技場に存在する大気が重く感じる。
「「…」」
遠巻きに観戦していたフォーセリアと木聯はただ静かに見守っていた。しかし、闘技場の変化に、次なる第二の攻防戦の支配権を誰が握るのか、些末なことを瞬時に理解した。
アプスーの十字架のネックレスが青く輝いた。そんな些細な変化もマルドゥクは見逃さなかったが、今から何が起きるのか、想像もつかないことに焦りを感じている。
『
アプスーが掲げていた手を一直線に振り下ろすと同時に空から稲光のような爆音が轟きながら、闘技場内に無数の水柱が降り注いだ。砂埃が大きく立ちこみ、水柱が降り注いだ直後、何が起こったのか統治神5柱を含めた高位の神々も完全に理解することはできなかったが、次に目に映ったものに言葉を失う。なぜなら、マルドゥクが地面にのたうち、吐血しているからだ。彼は地面に何かしらの圧で押し付けられているようで、その地面は通常より窪んでいる。軽いクレーターができているようだ。そして、他にも水柱が落ちた場所も、マルドゥクの地面と同様に窪んでいる。
「なんや、あの神
木聯が呆れて、アプスーの様子を窺う。してやったりと満足そうにニヒルな笑みを浮かべるアプスーは原初の神というよりは、戦いを好む戦神に近く、恐々としたオーラに包まれている。そして、マルドゥク神はアプスー神とは反対に弱弱しく、彼に対しての嫌みを言う余裕もない。起き上がろうとしているのか、少しだけだが動いている。しかし、その差は歴然…誰が見ても、今の戦況はアプスーが優勢である。
ギリシャ専用観戦室
「驚きましたわ…アプスー様ってやっぱりお強いのですね!」
コレーはきらきらと目を輝かせて、手すりに近づいてワクワクと子供のようにはしゃぐ。彼女の言葉に賛同的なのは、この場にいる誰もがそうである。
「知っていらしたのですか?」
「知ってるよ?でも生で見るのは初めてかな~…だって、アプスーさんエパネノスィ・ミラ監獄に投獄されてたんだよ?」
「エパネノスィ・ミラ監獄、危険度の高い者が収監される所…会えないのも無理ありませんね…それで、クロノス御爺様、あれはどういったことなのでしょう…」
クロノスはアプスーの余裕そうな状況を見て、今まで見てきたことと、権能の能力を考慮して意見を言う。
「アプスーさんの権能”メソポタミア・ディス・ナイト”は水の特性を付与させる権能…その対象はアプスーさん本神だけでなく、大気と地面も対象だ…」
「第一の攻防戦は、自神と地面に”流動性”を付与させて、攻撃を無効化・地震を引き起こした…」
「となれば、第二の攻防戦は大気に”水圧”を付与させた…その水圧で造り出された水柱に圧倒されたのですか?」
北欧専用観戦室
「水圧は心臓に戻る血液の流れがスムーズになり心臓の働きが良くなる他、胸に水圧の影響が及ぶと圧迫され、呼吸筋が鍛えられるため心肺機能向上が見られます…しかし、それは
「…」
「父上もご存じでしょう、水圧が大きいと人間のみならず建築物はペシャンコ…そして、人間は息ができず死に至る…マルドゥク殿は神であるばかりにタフネスさが優れています…ですが、彼には高密度の水圧が常時注いでいます、体は耐えられようとも
嬉々としてマルドゥクの弱っている姿に興奮しているトールにユミルとオーディンは軽蔑の眼差しを送る。ユミルは視線を闘技場へと戻す。
「どうなるのでしょう、このままマルドゥク殿が負けるのでしょうか?」
『この程度で敗ける神経持ち合わせてねぇだろうが…あいつらがどうやってメソポタミアの支配権を奪えたと思う?』
「それは勿論正々堂々と…」
オーディンの言葉にユミルは鼻で笑う。そして、二柱に向けて教訓を述べた。
『不利な状況を反転させる、それがガキの特権だぜ』
―あなたは全ての頂点、負けなど赦さない
高密度の水圧がマルドゥクにかかり続けている中で、その言葉が彼の脳内に再生された。いつ意識を失ってもおかしくない状況で、マルドゥクの拳が土を握りしめ、跡を残して立ち上がろうとする。
『(まだ、動くのか…)…今楽にしてやる』
「現実は常に
ゆっくりと立ち上がるマルドゥクは弱弱しく、メソポタミア序列1位に似つかないほどに痛々しい姿で、庇護欲さえ湧いてしまう可憐な姿…しかし、その可憐と言うにはかけ離れている悪意に満ちた目をアプスーは見逃さなかった。嫌な予感を肌で感じて、手を掲げる。
『
それは大気に”水圧”を付与させたアプスー神の通常攻撃である…しかし、その威力は今のマルドゥク神の姿から物語られている…並の者は戦いの終わりを予感していた、しかし、この場に集う真の強者らは直感的に見えていた、この戦いがようやっと始まりだしたことに…
アプスー神が手を振り下ろし、大気が揺れ始めたことをその肌身で確認すると、マルドゥク神は嗤った…攻撃の中心にいながら、不気味に…
「縛りは
無数の水柱が天高く降り注ぐ…
「
水柱が役割を果たし、形を消す闘技場はやはり土煙ですぐさま結果を把握することはできない。観客が急かすように、心臓の鼓動音が闘技場に響いている。しだいに視界も確保でき始めた。
「これは…」
トールの驚嘆の一声を上げる。なぜなら、水柱の攻撃を受けて立っていたのは、マルドゥク神ではなく、この攻撃を仕掛けたアプスー神であるからだ。
『ハ、ッッ!』
明らかに動揺を隠せず、鬼の形相でマルドゥクを睨みつけるアプスーの体はボロボロに傷ついていて、両者共に互角の状況になったと言っても過言ではない。しかし、動揺も一時、アプスーは冷静に起こったことを処理して、可能性を推測する。
『…鏡の権能か』
「へ~、じいさんのくせにボケてないんだね…じいさんの言った通り、オレ様の権能”虚像の主人”は
マルドゥクの口から語られたことは、事実に反しておらず、辻褄が合っている。いや、その事実でないと今の状況の成り行きと一致しない。しかし、マルドゥクはこれ以上に何かあるのか、不気味に嗤う。
「オレ様の権能はな?ある条件を満たせば治癒の能力も自動的に使ってくれんだよ」
そう言うと、マルドゥクの傷は見る影もなく癒えた。位置だけでなく、その戦況の有利不利も反転してしまった。
「じいさんさぁ、強いけどオレ様に劣らずの傲慢だね…だからこそ、オレ様も傲慢に往く…第二の攻防戦、オレ様がもらうね」
――
アプスーの背後にマルドゥクの虚像が出現する。それは鏡写し、左右反転のもう一柱のマルドゥク神…その脅威は他でもないマルドゥクが理解している…故に、その脅威を最大限に発揮する…完全回復したことで、今のアプスーが反応できない速度で近づいて、その勢いのまま、拳の刺突を繰り出す…前方だけでなく、後方から同箇所に重い一撃を受けたことでアプスーの意識が遠退く…無常の拳を次に放つのは、アプスーではなく、マルドゥクである…形勢逆転の最大の一手をみなが沈黙で見届けようとしていた…
「オレ様の勝ちかな!」
もう一度、アプスーの心臓を求める拳を…マルドゥクは息を整えて、一瞬で心を静める…その静まりは全てを拳に乗せて…静寂を穿つ拳が原初神の1柱を狙う!
「「「!!!」」」
「…おまえ!」
だが、しかし、現実とは思い通りには動かない…その拳は決してアプスー神に届くことはない、静寂が予想外の方向へと舵を切る…見守っていたアッカド派の神々も、シュメール派の神々も目を見開いた…
アプスーとマルドゥクの拳を隔てる巨大な盾、それを持っている者はシュメール派選抜人類として、黙って2柱の戦いを観戦していた木聯であった。
「仲間外れなんてけったいなこと…うちも役目全うさせてくれへんと、師匠に怒られますやん」
木聯はアプスーを担ぎ上げて、巨大なブロックを盾にして立て直しを謀る。治癒魔法を展開すると、アプスーの傷はある程度は治癒した。
「困りますわぁ、対価払ってもろうてるんです…少しはうちのこと配慮してもろうてええですか?」
『…貴様が余のなんだというのだ?』
「この戦いの肝は協力です、うちにまかせといてください」
訛りのある木聯の言葉に沈黙で答えるアプスーを無視して、木聯は魔法を展開する。それは木聯が
十徳武器魔法
木聯とアプスーが言葉で義理の結託を交わしている。それを見ていたマルドゥクは少し羨ましそうに、遠くで両剣を持っているフォーセリアに視線を送る。それに気づいたフォーセリアは沈黙で返す。
言葉で結託、言葉なき結託…対比の関係が続く二柱だが、その二柱にこの戦いが始まって…初めて共通点が生まれた…それは…
この人間はどう動く?―
危機を不本意ながら救ってくれた人間を相方とするアプスー神と、己の意思で選抜した人間を相方とするマルドゥク神…二柱は、否、その場に集うもの、この戦いを見ているものは誰しもが感じ取っていた…2人の選抜人類が戦況を決める…
そして、この場に集う強者らは直感は確信へと変わる…この試合の歯車が動き出した要因はマルドゥクとアプスーの権能が明らかになったからではない…選抜人類が神と共に刃を交えることを決意したからであるということを…
仙人大戦"ヘシオドス" 尊大御建鳴 @sondai
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