第11話
翌日12日は前日、前々日とは違って、来客のない、静かな日だった。妹夫婦と、甥の香太郎は、本日、上野の停車場から故郷へ発つと聞いたが、巽は、見送ることはしないつもりだった。行けばまた、兄さんも来年こそは顔を出してくださいね、などと、帰省を促されて居心地の悪い思いをさせられるとわかっていたからだ。それに昨日の頭痛の名残で、痛みまではいかなくとも、頭の奥の方に何とも言えない違和感がある。今日は、仕事はほどほどにして、盆の供養の準備だけ急いで終わらせて、後は早めに寝ようと巽は思った。
お盆の供養の準備といっても、彼の場合、わざわざ仏壇と別に盆棚を用意するということはしなかった。いくら妻子の供養のためとはいえ、ただでさえ手狭な長屋の6畳間で、盆棚など、あえて場所をとるような飾りつけをする気にはなれなかったのだ。そのため、普段の供え物をお盆向けに少し入れ替える。例えば、仏壇の花瓶には、普段、散歩のついでに摘んできた適当な野の花が活けてあるが、それを萩や桔梗など、お盆らしいものに取り替える。食べ物は、白米を一口分「お裾分け」するようにして供えるだけなのを、奮発して、茶碗に山盛り盛り付けるなど…。どちらも、些細な変更だったが、巽はそれだけでも十分、妻子を供養した気持ちになれるのだった。
――後は、入り口に迎え火を焚くだけだな。
しかしそれは当日になってからの仕事なので、まだ取り掛からないことにした。そういえば乗り物がまだだったと、楊枝を4つ足のように刺したキュウリとナスを、玄関前に飾っておく。盆の支度が思ったより早く終わってしまい、手持ち無沙汰になった巽は、刈谷の家に行って、創一の好物だったビワ…先日もらった分は既に食べ尽くしていた…でももらってこようと思ったが、刈谷が地元の仙台に帰郷していたことを思い出してあきらめる。古本屋や骨董市をうろつこうにも、切らしてしまった煙草を買い足そうにも、閉まっている店がほとんどだろうと思い直し、他にすることもなかったので、結局この日もずっと小説を書いていた。
仕事しか趣味がないなんて、つくづく寂しい人生だと巽は悲しく笑った。いくら気が乗らなくたって、仕事や育児だけに専念することなく、友人たちの勧めた通り、新しい恋人でも作ればよかったのだろうか。いや、よそう、毎日日々の糧を稼ぐだけで精一杯だったあの頃の自分には、遊んでいる余裕なんて少しもなかったのだ。そして今も、俺には人生を楽しむ余裕などない。創一に再会できる日を夢見て、毎日を死に向かって淡々と生きているだけだ。それも、あの世があればの話だが…。
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