第5話

 杖を突きながらよたよたと自宅へと戻っていく男を見送りつつ、巽は香太郎とともに、人の多い往来へと歩みを進めていった。近頃新設された汽車の駅まで続く、商店の並ぶ大通りは、普段、道から溢れかえるほどの大勢の通行人や買い物客で賑わっている。しかし、この日は盆休みが近いこともあり、平生より人出が少なく、閉まっている店も何軒かあった。


――普段からこのくらい人が少なくて静かだったらよいのだが。


 もともと五感が鋭く、性格にも神経質なところのある巽は、寺社に囲まれた静かな地域で生まれ育ったこともあり、都会の喧騒と雑踏が苦手だった。東京に出てからすでに20年近く経っているが、大都市の人混みには未だ慣れず、混雑した道を歩くたび、周囲の物音や臭い、それからすれ違ってゆく人々の、色とりどりの着物の明滅などによって、すっかり具合が悪くなってしまうのだ。しかし、この日は先述した通り、お盆の帰省で普段と比べ町に人が少なかったため、巽にも少しは甥との散歩を楽しむ余裕があった。巽の横を歩く香太郎が、道の脇のナスとキュウリに目をやりながら言う。


「随分と早く出しているんだね。こんなところに置いていたら、踏まれちゃうよ」


 確かに、この辺りではお盆は葉月の13日からだったと思うので、本日10日からお供え物を飾っているこちらの住人は少しばかり気が早いのかもしれなかった。巽はおどけて答える。


「いやいや、これは人様のご先祖様が乗る車だよ。いくら往来にあるからと言って、踏んづけるなんて、そんな罰当たりなことするもんかね」


 そうかなぁ。そうだよ。愛する甥とそんな他愛のないやりとりを楽しみながら、巽はささやかな幸せと、言いようもない切なさを感じていた。体が不自由なうえ病弱でもあった創一とは、こうして一緒に仲良く出かけることはほとんどなかった。


 珍しくともに外出するとき、巽は、創一の体の具合が良ければ、杖を突いて自分の前を歩いてもらい、具合が悪ければ荷車に乗ってもらうようにしていたのだが、知人・親戚の冠婚葬祭や、息子自身のたまの通学など特別な用事がない限り、巽は彼を外へ連れ出そうとはしなかった。創一が自分で杖を突いて歩くときも、巽が荷車を引いて移動するときも、そこには常に、往来を行き交う人々からの、好奇の視線や、あわれみの表情、そして迷惑に思っていることを隠さない、敵意に満ちた眼差しがあったからだ。

 創一をそのような不愉快な視線に晒すのが嫌で、巽は息子自身から遊びに行きたいという要望があった時でさえ、創ちゃんが外で悪い病気をもらうと良くないからね、などと理由をつけて断ってきたのだった。


――だけど、あんなに早く亡くすなら、もっと色々なところに連れて行ってやればよかった。周りの目だって、俺が嫌でも、本人がそれほど気にしていなかったのであれば、大した問題ではなかったのだろうし…。


 一生のほとんどを狭い室内で過ごしていた息子の無念と退屈を想像し、巽は一人暗い気持ちになった。そんな伯父を、香太郎が心配そうに見上げる。


「おじさん、どうしたの。お店はすぐそこだよ」


「ああ、いや、何でもない。暑いから、平生より疲れやすくてね。さぁ、早く店に入って、お目当てのものを買いに行こうか。欲しいものは何かな」


 巽は早口でまくしたて、先刻までの暗い表情をどうにかごまかそうとした。甥には、あまり余計な心配はかけたくなかったのだ。


「そうだねぇ、何かおもちゃでも買おうかなと思うんだけど、まだ決まってないや」


 心優しい甥は、思いの外すんなりと引き下がり、もしお店が開いてなかったらどうしようと、目的の店に向かう足を少し速めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る