第2話

 それでも、息子の創一そういちが生きているうちは、まだ良かった。巽の浅い眠りを辛うじて守っていてくれた、彼のひとり息子・創一は、出生時の事故のため、手足が不自由で、話すこともままならなかった。創一が13歳で他界するまで、巽はほとんど1人でその世話や看病を担い、疲弊する日も多かった。早くに妻を亡くし、他に手伝ってくれる者がいなかったためだ。


 しかし、いくら看病や日々の世話が大変でも、巽にとって、創一が可愛い子どもであることに変わりはなかった。この子を飢えさせるわけにはいかないという強い思いが、巽に妻の死や借金の肩代わりといった苦境を辛うじて乗り越えさせたのだ。安定した中学教師の職を辞して巽が専業作家になったのも、なるべく家にいて、亡くなった妻の分まで、息子の面倒を見るためだった。だからこそ、その後訪れた結末は、彼にとってあまりにも残酷に感じられた。


――あのとき、俺が創一を医者の家へ連れて行ってさえいれば。


 創一が亡くなってからというもの、夜間眠れない時の巽の思索は、いつもそこに終始して、なかなか他へ広がることがなかった。彼の愛する息子は、3年前に風邪をこじらせ、呆気なく肺炎によってこの世を去った。ちょうど借金返済のめどが立ち、巽があと少しでこの苦境から解放されると張り切り、以前にもまして執筆に熱心に取り組んでいた頃だった。


――ごめんな、創ちゃん。あと少しでかまってやれるから。この仕事が終わったら、父さんと2人で、君の好きなぜんざいを食べに行こう。


 しかし、その「あと少し」が来る前に、息子は帰らぬ人となってしまった。巽が、普段と違う息子の異変に気付いてやれなかったがために。


 巽の不眠が常態化したのは、ちょうどその頃からだった。疲労を感じて早い時間に布団に入っても、横になったとたん目が冴え、眠気が消え去ってしまう。それなら再び眠くなるまで本を読もうと思うが、本を読んでも睡魔に襲われることはなく、むしろますます意識が研ぎ澄まされ、寝付けなくなる。眠れない時間の苦しみに耐えられず、どうせ眠れないならと夜中に小説の続きに取り掛かる。生活の昼夜逆転傾向が進み、夜間の不眠が悪化して巽が医者に通うようになるまで、そう時間はかからなかった。


 治療のために巽が赴いた医院では、安眠のため、眠り薬を処方されたが、期待した効果は表れなかった。最近では、あまりにも薬の効果が薄いので、それを決まった時間に飲むことを忘れている。今日も飲むのを忘れたので、夜のうちに眠るのは無理だろうと、巽は快眠をあきらめていたが、この日はぼんやりと物思いにふけっているうちに眠気が差し、明け方ごろになってようやく眠ることができた。

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